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雨が泣くのを誰が知る  作者: 小鶴
第一章 降る降る雨が、ほろほろり
5/11

5 雨音が近づく






「病人がどこをほっつき歩いてたの!」



 女性の叱る声に、時雨は首を竦めた。






 知らない世界に来てしまったという、現実に直面して途方にくれながら時雨が選択したのは、とりあえず看病してくれた女性がいる家に帰ることだった。今の時雨の居場所と言えるのは其処しかなかったからである。

 朝方に飛び出してきた場所に、時雨が恐る恐るといった具合に戻ってみてドアを開けると、お粥を作ってくれた女性はいの一番に入口まで走ってきて大声でそう怒鳴った。女性は腰に手を当てながら目を吊り上げ、いかにも怒っていますと言うように口をへの字にしている。驚いてびくりと一瞬体を震わせた時雨は、その剣幕に押されて素直に謝った。

 すると女性は腰に当てていた手を元にもどし、本当にもう、と言いながら安堵の色を顔にだした。どうやら本気で時雨を心配して、怒っていたようだった。


「倒れて困るのは貴方なのよ」


 まるで自分のことのように悲しい顔をしながら話されて優しい言葉をかけられて、時雨は本当に申し訳ない気持ちになった。自分の知らない風景に驚き、その感情だけで何も言わずに飛び出してきてしまったのだから非は時雨にしかない。


「ごめんなさい、その、心配させるつもりはなかったんです」

「……しょうがないわね、もう。分かったならいいの」


 その謝罪に彼女は怒るのを止め、小さい子にするように時雨の頭をぽんぽん、と撫でた。時雨はその行為にこそばゆさを感じながらも、昔に母親にされていたような、その懐かしい感覚に嬉しくなって小さくはにかんだ。


「さあ、夕食にしましょう」


 そう言って女性は時雨を時雨を家の中に招き入れ、部屋の中へ案内してくれた。

 







 食事をとるための部屋は隣の部屋がキッチンになっているようで、女性は時雨を部屋に残してそちらへ行ってしまった。部屋には中央に木でできた丸テーブルがどしんと置いてあり、それを囲むように四つの椅子が並べられている。

 そしてその椅子のうちの一つにはすでに人が座っていた。時雨の視線に気がついたのか、時雨の方を向いた。赤茶色の瞳が印象的な顔の少年だった。年恰好からして十五歳ほどかもしれないが、あどけなさを残した顔つきをしていて、その大きな目とお揃いの赤茶けた髪の毛は少年が動くたびにさらさらと揺れて色白な頬に振れては離れを繰り返していた。


「ここにどうぞ」


 少年は自分の向かい側の席を時雨に促した。そこに時雨が腰かけると、少年は控えめながら時雨に対して笑いかけながら会釈をした。

 誰だろう、と時雨が疑問をもったちょうどその時、少年が先に口を開いた。


「はじめまして、僕はユチカ。ラミノ姉さんの弟だよ。君の名前は?」

「あ、はじめまして。時雨です」

「シグレ? 発音が難しいなあ」


 時雨よりも年下であろう少年ユチカは、柔らかい口調で時雨に笑いかけながら言葉を紡いだ。年齢にしては大人っぽい話し方である。

 ラミノというのは女性の名前なのだろう。そういえば、ラミノは弟が時雨を助けたのだと話していたはずである。

 特に話すことが見つからないのか、ユチカは時雨に体は大丈夫なのかとありきたりの質問をしたあと黙ってしまった。その場を、隣の部屋からかすかに聞こえてくる何かを炒める音だけが支配する。

 静かな時間に多少の居心地の悪さを感じながらも、時雨も何を話せばいいのか分からずに視線をさまよわせると、壁に海の絵が飾ってあるのを見つけた。この町の海だろうその絵は、実物よりは劣るとも、十分に綺麗な様子を精巧に描くことができていた。海を実際に見る前であったなら、この絵を見ただけで時雨は感嘆の声を上げていただろう。

 その美しい景色の絵を見て、時雨はこの家に帰ってくる前に考えたことを思い起こした。






 水の神と呼ばれていた竜が海の中に戻り、海の水が少しずつ引いていき、白い砂浜が元通り姿を現した後も、暫くの間時雨はその場を動くことができなかった。長い間座り込んだまま呆け、いつの間にか周りが暗くなり、街の商店が店じまいをしたあと、やっと時雨の脳は働いた。



――――私の知らない力が、この世界にはある。



 時雨は未知の出来事に遭遇して、そう確信していた。科学技術の発達か、魔法や魔術の類か、それは何であれ、その力があると言うことは時雨にとって重要なことだった。時雨をこの場所に連れてきたのだってその力に違いないのだし、連れてきたということは帰れる可能性だって十二分にある。

 今の時雨が自信を持って言えるのは、帰りたいという思いだけだった。そして帰るためには、その力を知らなくてはならない。



 時雨はそこまで考え、目の前に座る少年を見た。ただ沈黙を続けるくらいなら、この時間を使って彼に多くのことを聞いた方がよっぽど有効的な時間の使い方である。

 暫く逡巡した後に、時雨は沈黙を破った。


「あのさ、弟ってことは、倒れてる私を発見してくれたんだよね、ありがとう」


 どういたしまして、とユチカの返事が返ってきて、時雨は当たり障りのないことから質問を投げかけることにした。


「私ってどこに倒れていたの?」

「街の端の森だよ」

「私どんな風に倒れてた?」

「全身濡びしょ濡れで、地面に倒れてたんだ」


 あれだけ雨に打たれていたのだから、濡れそぼっていたことは当たり前と言えば当たり前だろう。時雨はそこでふと、気になることを思い出した。


「どうして私を助けてくれたの?」


 時雨は自分で、自分が怪しいことこの上無いことを、街に出てからの無遠慮な視線で理解していた。そんな怪しい人間を、普通は自分の家に止めて看病するものなのだろうか、と疑問いう疑問が湧いてくるのは当然のことだった。

 そのもっともな質問に、なぜだかユチカはちらりと台所の方に視線をやった。

 まるで台所にいるラミノに聞かれてはいけないようなその動作に時雨が首を傾げると、ユチカは眉根を寄せて何かを考えるそぶりをし、そして首のあたりを撫でながら、ぴん、と指を一本立てた。


「その質問に答える前に、約束して欲しいことがあるんだ」

「約束? なに?」


 いきなりの提案に、時雨は不思議に思ってきょとんとした。難しいことじゃないよ、とラミノは言いながらも、聞かれたくないかのように声をひそめていた。


「今から話すことは、ラミノ姉さんには内緒にして」

「ラミノさんに? どうして」

「あの人は何も知らないから」


 含みを持たせたようなユチカの言い方ではあったが、時雨は首を傾げながらも頷いた。ユチカは絶対だからね、と念押しをした後、指を元に戻しながら質問に対する答えを言った。


「まとめて言ってしまえば――――君が異世界人だからだ」





――――異世界人?


 ぽかん、と時雨は一瞬間抜けな顔をした。

 時雨の中になんとなく、異世界と言うと人間がいないような、未確認生物のようなものが人間以上の知能を持って暮らしているような思いががあったために、時雨は自分自身にそんな言葉が当てはまるとは考えてもみなかったのである。

 けれども、すぐに納得をした。

 言われてみれば、なるほど異世界と言う言葉は、今の時雨にぴったりの言葉だった。時雨はこの時、自分のここでの立場が異世界人だと言うことをやっときちんと自覚したのである。

 

 そしてそれから時雨は、自分に一縷の希望が見えたような気分になった。

 ユチカは、時雨が異世界人であると言うことを、まるでさもありなんというような雰囲気で口にした。つまり、異世界と言う言葉はこの世界では日常用語であり、元の世界に帰るのは簡単なのではないかという望みが時雨の中に生まれたのである。


「私は帰れるよね?」


 思わず弾むような口調になりながら時雨はユチカに尋ねた。今までのものから趣向が異なったものに様変わりした質問に、今度はユチカが戸惑ったように言葉を発した。


「帰れるって?」

「私の世界に、帰れるんでしょ?」

「まあ、方法はあるよ」


 縦に首を動かしたユチカに、ああよかった、と時雨は歓喜でため息を吐いた。ほっとしたと言い換えても良いだろう。まるで肩の力がぬけてしまったようで、時雨は椅子の背もたれに寄りかかった。帰れなかったらどうしよう、と言う焦りから思った以上に神経をすり減らしていたらしい。


「その方法って、私はどうすればいいの?」

「それは…。その前に、さっきの話の続きだけれど」


 せっかちに、嬉々としてした時雨の質問にユチカは答えず、話をひとつ前に戻した。帰る方法を早く聞きたい時雨は不満に思ったが、答えてもらう立場としては文句を言うわけにも仕方なかった。しかも先ほどの話を他の質問でいきなり打ち切ったのは時雨である。さっきの話と言えば、時雨が質問を変える前に話していたことなのだ。どうして私を助けたのか。時雨はそう聞いたのである。

 そこまで思い起こして、時雨ははたと疑問に気がついた。先ほどは元の世界に帰れる期待によって時雨は気にもしなかったが、ユチカは時雨が異世界人であるから助けた、と言ったのである。つまりは時雨という異世界人に、ユチカは何か用があるのだ。


「君が異世界人じゃなかったら、病院に連れて行ってそこでお終いにしてた。君を家まで連れてきて看病したのは、君にお願いがあるからだ」

「お願い?」

「実は――――」


 ユチカがそのお願いを言いかけた時、ラミノが皿を運んで部屋に入ってきた。それを見て、ユチカは口をつぐむ。ラミノさんには秘密にする、と言う約束を時雨は思い出して、時雨も一旦口を閉じた。そう言えば、この約束だっておかしなものである。時雨ははてなマークを頭に浮かべながらユチカのほうを見たが、彼はもう今話の続きをする気は無いようだった。

 また後で、と口の動きだけで言われ、時雨はこくりと頷いた。









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