SPIKE AND GRINN#4
スパイクの事務所兼自宅で話す2人。話題は地球で最も魔術的に権威のあるナイジェリアのラゴス魔術院在席時に飛んだ。懐かしい日々と、取り返しのつかないその後。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―イザイア・ラルフ・ギリアン・ゴドウィン…スパイクがラゴス魔術院に在席していた頃の友人。
対決から3時間後:カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、ドープ超自然事件対応事務所
愛用するゼロ・ハリバートンのケースをグリン=ホロスが届けてくれたため、スパイクは取りに戻る手間が省けて時間が空いた。故に彼らはテーブルについたまま話を続け、打ち解けた様子の彼女はポケットから取り出した金とルビーのネックレスを指でくるくると回していた。
「ところでそいつは幾らするんだ?」
それを聞いて地球の美少女の姿をとる秩序の神格はネックレスの回転を止めて手に巻き付けた。
「これですか? こう見えて新車を買える程度には価値がありますね」
おいおい、と地球最強の魔術師は戯けた表情を見せ、己が身に着けている金のロープよりも高価である事に妙な対抗意識を抱いた。
「俺のこいつは持ってる中で最高ってわけじゃないぜ」
「そうですね。あなたがもっと私を親しく思ってくれた時などにそれを見せて下さい」
有翼の甲殻類じみた本来の己の、あまりにも美し過ぎるその真の姿を隠蔽しているグリン=ホロスは、あくまで対価として目の前の男の短い生に付き合ってやる事に大した感慨も持ってはいなかった。
己が生きる永劫からすればほんの一瞬の出来事であるに過ぎず、それ故に深く考えているわけではなかった。
「そうかい。それで…えーと、お前の事はどう呼べば?」
「私を愚弄しない範囲であれば、まあ好きに呼べばいいのではないでしょうか。とは言え、下等な生物による愚弄など神から見れば数時間程度で消え去る風評でしかないので…あなた自身が口にしていて恥ずかしく、あるいは虚しくならない程度の範囲で呼ぶのがよいと思います。あなた程度の戦力であれば代えが効かない、と言えば嘘になりますが、それでも少なくとも混沌との戦いが一段落するまでに自殺などされても困りますから」
「はーいはい。ありがとよ。じゃあグリンね」
しれっと毒を吐くこの永遠の少女との会話にも慣れてきたスパイクは、己がそれなりにそれを楽しんでいる事に気が付き、満更でもなさそうに自嘲した。
「そういえば話の途中でしたね」
「なんだ? 俺様の話が気になるってか?」
「はい、途中まで聞いていましたから続きが聞きたくて」
「お前もうちょっと建前も混ぜろよ…」
この〈秩序の帝〉は恥ずかしがらず素直に、そして淡々とものを言うものだから、スパイクはそこに関してはまだ慣れなかった。
数年前:ナイジェリア、ラゴス市街、異位相、ラゴス魔術院
「やっぱ俺じゃ彼女には合わかったな。そりゃま、バンコレ家のお嬢様とゲットーで育った俺じゃ、まあなぁ?」
自分で巻いた煙草を吸い、美しい顔に微かな憂いの色を帯びたスパイクはここ半年の事を思い出していた。自室の空いた窓からはオレンジ色をした異なる位相の空が見え、この惑星で最も魔術的に権威のあるラゴス魔術院の古いキャンパスを染め上げていた。
ナイジェリア式とヨーロッパ式の両方の要素を併せ持つ土作りの城塞めいたキャンパスは時代が進むにつれて改装されてきたが、大まかな外観はあまり変わりないらしかった。
「でも彼女はみんなの憧れだぜ? それを辞退するなんて…」
「これ以上俺といても仕方ねぇさ」
スパイクは煙草を消してベッドに寝転がった。部屋の中も土作りだが布の壁掛けや電子機器などが持ち込まれ、今風の部屋であった。中にはわざわざ木の壁材を持ち込む者もいるらしい。
椅子に座るスパイクの友人であるイザイア・ゴドウィンはどこか信じられないような面持ちで佇んでいた。イギリスのそこそこの魔術的な家に生まれた彼は、母国にある――もちろん別の位相にある――魔術学校ではなくここへと留学し、そして成績ではスパイクに次ぐ優秀さであった。
「それよりお前は彼女をどう思ってんだ?」
たまたまオカルティズムの世界へと飛び込む事となったスパイク・ボーデンは、ゴドウィン家史上最も優秀と目される己の友人にそう切り出した。まだ美容に気を使う前であったスパイクの褐色の肌は数年後と比べて少し荒っぽかったが、それでも彼はとても魅力的な男性であった。
「え、僕は…」
「お前は俺と違っていいトコ育ちだ。多分俺よりは彼女とも波長が合うと思う」
スパイクは天井を眺めてふと思った。別れる事が決まり、昨晩は最後の記念に彼女と飲んだ。
ナイジェリアの伝説の魔女の血を引くと言われるバンコレ家は表向きには財力もあり、そして魔術界隈における権限も世界最高峰と言えた。ラゴス魔術院の設立にも関わっており、スパイクはそこの令嬢と己が半年間も付き合えた事自体が、何か世界をひっくり返す異変なのではないかと冗談めかして考えた。
だが同時に、生まれて初めて誰かの事を本気で好きになったのであって、それを思うと心が痛んだ。
「よく考えたら彼女がプライベートで喋るナイジェリア訛りの英語で俺に愛を囁く事はもうないわけだな。あれはセクシーで、知的で、何より温かかった。このアフリカの大地みたいにな。俺はアフリカ系アメリカ人だからこの国に来て何か自分のルーツみたいなモンに出会えると思ってたが、何の事はない。ガキの頃はロクに授業なんざ聞いてなかったからすっかり忘れてたが、アフリカ大陸にはぶったまげるぐらい多くの民族がいる。どれが自分のルーツなのかわかりゃしない。外様気分の俺がこの国で安らげたのは彼女のお陰でもある。それとお前だな」
スパイクは自分でも信じられないぐらい口が勝手に動き、未練たらしい言葉を吐いた。まだここまで彼女の事を想っているのかと驚いたが、しかしもう戻れないし戻る事はないと悟っていた。
これで関係は終わりだが、幸いにも友人としては彼女との関係を保てるから、それは幸いであった。
友人はやっぱり、という風に言葉を投げ掛けた。
「君はまだ彼女の事が諦められないんじゃないか?」
「いや、俺達はもう終わったんだ。俺も彼女も、もう以前の俺達に戻るつもりはない。互いに我慢の限界でもあったんだろう。こんな事言うとお前にブン殴られそうだが、お前はいい奴だし…だからお前になら彼女を奪われちまってもいいような気がするんだ。ほら、俺ってハンサムなクズだからさ」
すると真面目であったイザイアもようやく笑ってくれた。
「そうだね。君はどうしようもないクズさ」
「ああ、全米クズ彼氏選手権では接戦の末に優勝だったからな。世界選手権の時はお前の家の発言力を生かして俺を推薦しといてくれ」
育ちや階層が全く違うにも関わらず己と奇跡的に半年間付き合ったバンコレ家の令嬢ともう二度と愛を囁き合う事もないであろう事を思えば、今しがた消したばかりの煙草の後味が人生で最も悲しい味に感じられた。それは涙の味であったのかも知れないが、イザイアはこうして彼の傍にいてくれるし、さらには日が経てば彼女との関係も新たに構築し直されるだろう。
フッドにいた時と同様の危険へと飛び込み、とんでもない冒険をする事もあったが、ここでの体験は彼の人生にとても大きな意味を与えてくれた。悲観的な人生観からの脱却に更なる後押しをしてくれ、そして帰国後の展望も見えてきた。
オカルティズムの界隈にはどうにも選民思想的なものが蔓延っており、それは特定の人種や民族のみが受け継ぐべきという側面が大きかった時代もあるものの、大局的には才能があるか己の能力をよく把握している少数の者達のみが使い、世間一般にはその培われてきた技術を流出させないようにすべきという考えが一般的であった。
スパイクとしてもかようなまでに強大な力をそこら辺のチンピラが使えるようになるという事態は狂気じみていると考えており、それ故己の力で魔術の学び舎がある位相まで到達するという入門テストじみた篩いは今後もあって然るべきであろうと結論付けていた。
既にこの世界はエクステンデッドやヴァリアント、そして科学力の悪用などによって様々な混沌が生まれていた。これ以上矛を世界に与えてはなるまいとは思うし、それはそれとしてオカルト関係の稼業そのものは特に規制せず黙認してくれているこの世界に感謝を捧げ、そこそこ熱心なキリスト教徒としての自負を持って振る舞った。
国に帰ったら地元であるロサンゼルスで『こちらの領分』となる事件や事象を解決したりする仕事を始め、それが軌道に乗れば街の美化や子供達の未来のためにできる事を探そうと決意していた。
数十分後:カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、ドープ超自然事件対応事務所
話を聞いてくれていたグリンは真摯に耳を傾け、そして頷き、表情こそ冷たかったが今となっては彼女から温かみを感じる事も可能であった。
一端話を区切ると彼女は彼を見直したかのような面持ちで暫し観察し、やがて口を開いた。
「あなたは力だけでなく高潔さをも秘め、どのような形であれ周囲の人々への愛を持ち合わせています。強者は弱者の作ったルールなど気にせず、我が物顔で振る舞えという考え方をする魔道士もいるでしょう。ですが私はこう考えています、そのいずれの道を選ぶのかはその者自身の自己責任であって、偽善者だとかそういう些細な批判は暇人に任せればよい。あなたは今の道を選び、そしてそれは尊い事なのです」
甲殻類じみた真の姿を持つ異星の神格は、毒を混ぜず讃美を彼に投げ掛けた。それそのものは単純に嬉しく、少し気恥ずかしく、そして誇りに思えた。古来より神だとか高次の生命体だとか言われていたような上の階梯に居座る実体にそう言われたものだから、多くの差別や不平を見てきた彼は本来であればそれを拒絶したかも知れなかった。
しかし彼女からそう言われてみた今となっては、不思議と嫌悪感を抱かなかった。上から目線のこの永遠を生きる女神は、どこか奇妙な魅力――ほとんど精神攻撃にも等しい美とはまた別に――が備わっているのではないだろうか?
「そうか…なんか変な話だよな。こういう言葉ってのはいつも上辺だけで同じ味なんだ。そいつは誰かの吐いたゲロをじっくり煮込んだ奴に質の悪いヘロインを混ぜて味付けしたどうしようもないぐらい不味い味なんだが、お前のお褒めのお言葉って奴はむしろ最高のレストランで最高のコースを平らげたような気分だ」
「そうでしたか? 私が紡ぐ言葉というのは、おおよそにおいて単なる空虚なものに過ぎないと自分でも思っていましたが」
「ほう、じゃああれだな。俺達存外波長が合うのかもな」
「そのようですね。負け犬から這い上がった者同士、という事でしょう」
彼女は再び『負け犬』云々に言及し、スパイクは怪訝な顔でそれを指摘した。
「出たぜ、またその話かよ、よっぽど気に入ってんだな。じゃ、お前が具体的にはどんな具合で負け犬なのか言ってくれねぇか?」
するとグリンは首を傾げた。その様子にはスパイクも『おっ、可愛いじゃねぇか』と思った。次に彼女が告げる句は別として。
「ですが私はラゴス魔術院におけるあなたの話をまだほとんど聞いていません。あなた達3人の話の続きを聞きたいのです」
この異星から訪れた神格には昔の女への嫉妬など無かろうし、ましてや悪意があるとも思えない。
だがその話の続きは彼が普段飲むブラックコーヒーよりも更にビターな味わいであった。それを知らぬであろう彼の目の前に佇む秩序の実体は、特徴的な金と黒の髪から甘い香りを発し、洒落たストールの端をテーブルに乗せて身を乗り出すように座っていた。
「そいつはまた次の機会にな」とスパイクは顔に微かな悲しみを忍ばせつつも、精一杯明るく振る舞おうとして答えた。彼女は傲慢な実体ではあるが、しかしそれはそれとして彼の表情に混ざった色を読み取って何か起きた事を悟っていた。考え込むように目を逸らし、そして彼女は話を切り出した。
「では…話は全くもって変わってしまいますが」
彼女は手に巻き付けていた高価なネックレスを解いてテーブルに置いた。
「使い道はお任せします。これをあなたに。ですがトラブルにならないよう事前に伝えておきましょう、〈秩序の帝〉が己の意志によって下賜したこの品、私はその使い道に関して『こう使って欲しい』という希望があります。あくまで希望ですので忘れる事のないよう」
スパイクは自分を含めた三馬鹿のその後を思い出した事で曇っていた心が少し晴れた気がした――この実体は己の意志を素直に伝えようとして喋る内容が長くなる特徴があるらしかったが、他にも気が付いた事があった。
「こいつを寄付すりゃお前も満足だろ?」
「はい、私は調子に乗って異位相で力を行使し過ぎ、無用な混乱を招きました。この街の声に耳を傾けた限りでは赤ん坊が泣いた以外の被害はありませんでしたが、しかし対価は払わねばなりません。あなたは満足ですか?」
スパイクはここで少年のように屈託のない笑顔を見せ、グリンは素直にそれを美しいと感じた。
「当たり前だろ? 俺はもう結構稼いでるからな。たまには贅沢をお裾分けしたくなるってもんだ」
イザイアがどうなったのかは大体フィクションのお約束通り。




