APRIL SPECIAL
ニューヨークの高級マンションの一室――失った友の事を思いながら、それを乗り越えようとする者達。そこから遠く離れた異界で、正義と保身の板挟みを味わう少女。それぞれの4月1日とは。
登場人物
歳の近い仲良し組
―プラントマン/リチャード・アール・バーンズ…己が〈救世主〉だと告げられた事を疑問に思いながらも精一杯生きるネイバーフッズ所属のヒーロー。
―ジャンパー/ベンジャミン・(ベンジー)・ライト…元体操部の経験があり素晴らしいパルクール技能を持つクライムファイター、ネイバーフッズの補欠メンバー。
―ボールド・トンプソン/ロバート・マイケル・トンプソン…強力なテレパシー能力を持つヴァリアントのヒーロー、ネイバーフッズのメンバー。
最も狂信的なロキ信仰者の夢想にさえまず登場する事はないであろう、穢れた叛逆の徒達
―クロエ・エミリア・ガーランド…複雑な心境で邪悪に与するもの、劫初の海でのた打ち回ったもの。
―緋群…永劫の果てに狂い果てた獣の一人、群れなす単体、名状しがたいもの。
―麗…緋群を慕う少女。
『どうなるかな、世界があなた中心じゃなくなったら。どうなるかな、一緒に愚行へと走ってくれるお仲間がいなくなったら。楽しいでしょ、現実世界で生きるのも。素敵でしょ、一人ぼっちになるのも』
――パラモア
4月1日:ニューヨーク州、マンハッタン、5番街
「お前ん家相変わらずすげぇな」
黒々とした高級ソファの上でその手触りを楽しみながらアールは寛いだ。
「凄い所に住んでるからな」とアールの隣に座っているボールド・トンプソン――ヒーローとしてはボールド・トンプソンの名で通していた――はどこか得意気に答えた。短く切り揃えた髪とジェイミー・フォックスのような鋭い目元が特徴的なボールドは裕福な家で育ち、数年前事故で亡くなった彼の両親はこの街でも有数の成功した黒人であった。
「ヘイ、ボールディ、このキンキンに冷えた地ビールは飲んでいいか?」
立派な冷蔵庫の中身を見ていたベンジー・ライトは大きめの声で聞いてきた。彼は自分の住む部屋の冷蔵庫と違って『冷蔵庫の匂い』がしないここの冷蔵庫に内心感動していた。
「ああ、いいぜ。人数分持って来てくれ」
「つまみはどうする?」
「そうだな…」
ボールドは立ち上がり、冷蔵庫の方へと歩いて行った。それを見届けたアールは暫く白い天井を眺めて黄昏れていた。ちょうど頭上が長方形状にくり抜かれた天井と、そこから光を漏らすオレンジの照明をぼんやりと眺め、もう戻らぬ短い付き合いに終わった友の事を思った。ドレッドノートはDr.エクセレントの身柄を得るとそれで満足して撤退したが、あの狂気じみた女公が今頃は何をやっているのか考えると辛くなった。だが当然ながらキッチンにいるボールドとベンジー――酒のつまみを作るらしい――も辛いはずだった。せめてドクの勇姿を忘れぬようにしなければ。
ぼんやりとしている間につまみができたらしく、ベンジーがビール、ボールドがつまみを運んで来た。
「ほら、湿気た顔すんなよ」
ベンジーが投げて寄越したビール瓶を受け取り、アールは素手で蓋を開けた。
「ああ…そうだな、お前が一番辛そうにしてた。だけどお前は立ち直ったんだ。俺もそうしねぇとな」
「そうさ。飲んで乗り切ろうぜ。忘れる必要はねぇが、克服しなきゃな」
そのやり取りを見ていたボールドはテーブルにつまみの乗ったそれぞれの皿を並べながら口を挟んだ。
「お前ら強いな。俺なんか昨日色々思い出して泣いたもんだが」
3人はシーザーサラダやカラマリを食べながら地ビールを瓶のまま飲み、気を落ち着けた。心の中で、エクセレントがドレッドノートと上手く折り合いを付けられている事を祈りながら。
「いつまでも暗い気持ちじゃ救える人も救えねぇ。とりあえずあれだな…ボールド、テレビでも見ないか?」とベンジーは尋ねた。
「じゃ、ビルボードのチャートでもどうだ」
ボールドはリモコンを操作してインターネット接続でYouTubeから今週のビルボードのトップ100を探した。漆黒の75インチ液晶テレビに過去の1位が映り、それからランキングがスタートした。
「おい、俺この曲好きだったのに」人類最強のテレパシー能力を持つボールドは普通の人のように、順位の上がり下がりで一喜一憂した。
「よっしゃ、上がったな」と嬉しそうにベンジーはビールを飲んだ。
アールは自分の皿にスパゲッティ・ウィズ・ミートボール――ボールドが最も愛する庶民料理――をよそりながら「久しぶりにランキング見たけど最近カントリー強いよな」と思った事を口にした。
「ヒップホップとカントリーとボーイズと、たまにロックだよな」とベンジー。
そうこうしている間にランキングは進み、そこでアールは激しいデジャヴュに襲われる事となる。ベンジーとボールドは無論の事笑っていたが、しかしアール程ではなかった。アールが短時間スマートフォンを取り出していた間にその曲がスタートし、大画面テレビはその映像を出遅れたアールに見せつけた。
「見ろよボールディ、笑えるよな!」
「不意打ちで見ると吹き出しそうになるよ!」などと話していたところでアールが大爆笑し始め、2人はぎょっとしてアールの方を見た。
「ま、まあ確かに面白いけどよ。そんなにツボだったのか?」と恐る恐る尋ねるベンジーに、アールは笑いながら答えた。
「実は俺が能力に目覚めた時も頭の中じゃ屋根突き破って飛んでかないように念じててさ! それが、ああやべぇ笑い過ぎで腹が痛いな、この曲のMVと来たらちょうど俺と真逆で床をぶち抜いてやがる!」
いまいち笑いどころがわからない2人を尻目に、アールは『ターン・ダウン・フォー・ワット』のMVが終わってからも暫く笑っていた。
八次元的に同時期:未知の宇宙、地球
「オーウ、大丈夫デスカー?」真昼日のごとく明るいながらも、まるで地底奥深くの光が存在しない世界のような闇を帯びた声色で、窓に凭れてカーテンを手で弄っていたその金髪碧眼の少女はヘッドホンを外しながら尋ねた。静まり返った学校には少数しか人がいないようで、少女に尋ねられた実体は人目を気にする必要なく――そして少女の声色が孕む黯黒に気付く事もなく――大きな声で己の体験を語った。
「あいつらは俺だけじゃ厳しい…特にあの人の心を弄ぶ邪神が完全覚醒する前に力を取り戻さないと駄目だ!」
これら実体はその尋常ならざる力による交信や〈聖語〉による会話が可能だが、こうして本拠にいる時はどうやら日本語で会話をするようだ。先日の戦いにより、彼は手酷くやられ、渋々撤退する他なかった。そのためここまで戻るのにも時間がかかった。
「しかもあの時取り逃がした邪悪な魔道士がパワーアップして襲いかかって来た! あいつめ、次は…!」
「緋群、大丈夫…!?」
か弱そうな少女の声が廊下から聴こえ、彼女は急いで教室の扉を開けて入って来た。不思議な緑色の髪を持つその少女はリージョンのぬいぐるみじみた5フィート7インチの躰へと駆け寄った。
「麗、触っちゃ駄目だ! 今の俺はあいつらの返り血で汚れてる!」
「そんなの…関係ないわ…!」
「だけど俺のこの醜い姿を麗にはあまり見られたくない…!」
「そんな事ない…今の緋群だって可愛い」
見ていられなくなった白人の少女が口を挟む。
「人前でイチャイチャしないでクダサーイ!」その少女の様子は表面上微笑ましく見えるものではあった。
「ほ、ほら。ここじゃ彼女に迷惑だし音楽室に行こう」
「うん…緋群がそれでいいなら…そうする…」
「あ、ところでクロエ、どんな曲を聴いてるんだ?」
緋群と呼ばれた少年声のぬいぐるみは、少女がヘッドホンで聴いていた曲がふと気になって尋ねた。
「アー、これはどこか別の世界で見つけた曲デース」と言いながら、クロエと呼ばれた金髪碧眼の少女はヘッドホンの線を引き抜いてプレイヤーの音を外部に漏らした。女性ヴォーカルの英語の曲であった。
「私のお気に入りナノー。現実逃避ばっかりしないでちゃんと生きてみなさいって曲デスネー」
「そっか、ありがとう。もう行くよ」
「ではでは、リージョン。ごゆっくりネー!」
2人が退出し、少女は斜陽が差し込む教室に一人取り残された。互いの力が相殺して読心は使えず、またここ自体が彼らにとっての聖域であるが故に力のほとんどカットしているため理不尽な地獄耳も起こり得ない。
「そう、現実を生きよ、という事なのだろうな」
クロエは光さえ逃げ切れない漆黒のブラックホールのごとく教室内を暗い雰囲気で包んだ。2階の教室からグラウンドの向こうに広がるグロテスクな瓦の海を眺め、その下に誰も住んでいないという事実に嫌悪感を抱いた。
「世界とは我々を中心に回っているわけではないのだから…」
視線を泳がせると天井に薄い黄土色の染みが出ており、床や教壇には無数の擦り傷が付いていた。それらを眺め、己がまだまともな実体、本当のクロエ・エミリア・ガーランドであった頃を思い出した。しかしそれらは記憶の彼方で黴に蝕まれ、咽返る悪臭と共に手の届かぬ領域に保管されているらしかった。今や時間も空間も意味を持たなくなったが主観時間における数十億年前、劫初の煮え立つ海の中で半身まで浸かって佇みながら、唾棄すべき冒瀆行為に参加した事への後悔と保証された己の安全とを天秤に掛けながら、隔離された房室で奔放な空想に浸る狂人さながらの様子で己の正当化を図った。しかし罪が膨れ上がるにつれて、そうした無駄な試みは全て意味を喪った。
「あの時の青年か、それともあの美貌を備えた三本足で直立する心優しい神か…」そして彼女は『彼ら』の中で己しか知り得ぬ情報を口にした。「あるいは我が友よ、絶望の淵から再生した灰白湾のヴォーヴァドスよ、君が私に天罰を下すのか」
夕日を浴びる教室に、10の世界記録を打ち立てた異世界の名曲が嘲笑うかのように響き渡っていた。
八次元的に同時期:ニューヨーク州、マンハッタン、5番街
「1位強いな」とベンジーは呟いた。今の1位も暫く順位を維持している。
「俺としては」ボールドはビールを一口飲んだ。「『アム・アイ・ロング』に頑張って欲しいな」
「ああ、あの海外勢か。なんか特徴的な音楽性だなあれ」とベンジーはさっきかかっていた『アム・アイ・ロング』の耳に残る『イェイイェイイェイイェイ』という箇所を思い出していた。
「あれ聴いてると頑張れそうだなぁって俺は思うね。見てるか、ドク? 俺達いつまでもめそめそしちゃいねぇ」とアールがどや顔で宣言したタイミングでチャイムが鳴った。ボールドがインターホンに出ると何やら隣人の娘が風邪だとかでこちらのテレビの音量を下げて欲しいらしい。ボールドは素直に非礼を認め、静かにする事を約束した。
「俺達怒られちまったな、ボブ」
ベンジーはチャンネルで音量を下げつつわざと必要以上の小声で話した。
「俺達世界一行儀の悪いヒーローだな。親の築いた財を貪るボンボン息子と、そいつの家に集まってどんちゃん騒ぎするお仲間」わざとらしくボールドは己らを小声で切り捨て、アールもまた小声でそれに続いた。「じゃあそんな駄目ヒーロー達に救われる市民も不幸だよなぁ」
彼らが馬鹿馬鹿しい自嘲に浸っていたその時、先程のチャイムのような唐突さで鳴り響いたDr.エクセレント開発の盗聴防止機能付きの端末が着信を知らせた。アールがそれに出ると、通話を通してメタソルジャーはまたあの面倒なイス銀河からの敵が何らかの侵略行為を仕掛けてきたと言っていた。
「よっしゃ、ベンジー、ボールド、出番だな! 2人とも俺が抱えてやるよ」
「おい、ベンジー。俺達またプラント航空のファーストクラスに乗れるらしいな」
「ああ、って事はお上品過ぎて俺なんかゲロ吐いちまいそうだ」
「はいはい、カスタマーサービスへのご連絡ありがとうございますよっと」
彼らは気持ちを入れ替え、ヒーローとしてのコスチュームを纏い人々を守るために出動した。誰かを守るために己の身を差し出したDr.エクセレントの尊い犠牲は忘れられないが、しかしそれに彼らなりの決着を付けようと足掻き、同時に彼の友であった事実を誇りに思った。
もしも彼のように選択を迫られた時、同じ選択ができるかはわからないが、それでも彼ら3人もまた、侵略者に人々が傷付けられるのを見過ごしておける程の『お人好し』ではないのだ。
本作品恒例の『ボスキャラのうぜぇ描写でボスキャラへのヘイトを高める』展開、及びアールらの日常。そのうちDr.エクセレントがどうなったのかイベントを書かないと…。
パラモアの例の曲は、今回出ていたボス達だけでなくこんな小説を投稿している私自身への手痛い皮肉だなとMV見ながら苦笑。
余談になりますが、元々クロエは登場する予定のない、というより構想すら存在しないキャラでした。誰とは言いませんが本作品に登場する『彼ら』は揃いに揃って吐き気を催す邪悪にする予定でしたが、変化球としてクロエのようなキャラを入れた、という経緯になります。もし私がブラム・フィッシャーについて知る機会がなければクロエが存在する事はなかったでしょう。




