WONDERFUL PEOPLE#26
シンディが住んでいた寮の部屋を探るジョージ。魔王の言葉を受けて探すべきものを悟り、彼は気が付いた違和感をマットに尋ねる事にした。それによってシンディがこの部屋で何をしていたのかが明らかとなり…。
登場人物
―ジョージ・ウェイド・ランキン…息子を失った退役軍人、『ワンダフル・ピープル』紙の記者。
―〈衆生の測量者〉…強大な悪魔、リヴァイアサンの一柱。
一九七五年、九月:ニューヨーク州、マンハッタン、ハーレム、ニューヨーク市立大学シティ・カレッジ
〈空を眺めるものども〉のごとき悪意を湛えた怪物がいる事を知った。
ヘンリエッタに丁重に礼を言って別れたジョージは怒りを滾らせつつ、しかしそれをなんとか押し隠してシンディのいた部屋へと向かった。
未だに誰も新規で入らないその部屋を借りた鍵で解除して入り、ドアを閉めて一旦気持ちを落ち着けた。
当時の私物がある程度はそのまま置かれているようで、まだ夫妻も心の準備ができていなくて持ち帰れないのかと思った。
大学側も処分を保留にしてくれていると思われた。そのようなお役所仕事の正反対の慈悲にこの冷たい世界の希望を見つつ、ジョージは暗澹たる面持ちで部屋を更に観察した。この部屋に住んでいた少女は殺された。
そう、殺されたのだ。
〘お前のその、強い義憤は俺にとってはどうにも辛過ぎてな。だが…お前が俺に捧げる予定の輩を思えば楽しみになってきたところであるな〙
魔王は笑い混じりの声でそのように言った。閉ざされた部屋の中で異界の王者の声が静かに響き、美しいその声に万物が萎縮した雰囲気が漂っていた。
リヴァイアサンの一個体である〈衆生の測量者〉はそのようにして佇み、己の契約者が部屋の中を探る様を観察していた。
「今はお前のご機嫌取りができる状況じゃない」とジョージは冷たく言い放った。苛立ちを隠しもせず、しかし目的に向けて行動していた。
〘否よ。俺は別にお前の邪魔をしに来たわけではない〙
あまりにも美し過ぎて〈人間〉の心を殺してしまう魔王はその姿を表した。開いた門の向こうに魔王の美貌が現れた。触腕が優雅に揺れ、未知の液体が煮え立っていた。
〘己の契約者を助ければそれは己の得になる。簡単な話よ、俺はお前を手助けしてやろうと思っただけだ。聞け、この部屋を観察し、先程の人間が感じたという違和感を発見しろ。その特徴を、例のマシュー・フォーダーに告げるがよい。奴の知識を借りればお前が探す答えに接近できよう〙
「という事は何か、魔術だのなんだのの類いがここにあるという事だな?」
〘そういう事だ〙
「何故お前が教えてくれない?」
〘ある種のゲームだ、と言いたいところだが、俺もよく知らない魔術らしくてな。まあ構造を説明されれば理解できるが、俺の力は領地の外では制限される。故にお前は俺の大使にして、俺の便利な触覚でもあるというわけだ〙
「それは光栄だな」と皮肉そうに言いながらジョージは調査に没頭した。
『早速お前さんから連絡が来るとはな』とやや嬉しそうな声色でマットは言った。現代の天才にそのような態度を取られるのは、ジョージにとっても悪い気はしなかった。
彼は部屋を出て大学の公衆電話から掛けていた。
「是非ともあなたの知識をお借りしたいと思いまして。私もそれなりに詳しいが、あなた程じゃないんだ」
『それはいい。それで?』
ジョージは部屋での発見を伝えた。ベッドの下の収納籠の中に日記らしきノートがあり、捲っていると奇妙な事が書かれていた。何故警察はこれを回収しなかったのかとやや呆れつつ、しかし幸運に思った。
そこにはハングルで何やら書かれており、ジョージは韓国に赴任していた頃の経験である程度理解できたが、しかし今ひとつ要領を得ない内容だと思った。
どうやらシンディは何かのメモを『原本』から取ったらしかったが、大元はあの部屋には無かった。しかしやがて、この部屋を何かしらの封印で閉ざすための知識であるような気がした。
それから改めて部屋内を確認すると幾つか発見があった。
そうした気が付いた内容を全てマットに話すと、彼は少し考えてから答えてくれた。
『窓に薄く油が塗られていると言ったな。それは中世のナポリ人が考案した封印の一種だ。その油は恐らく祝福されたものであり、それを然るべき手順で窓の然るべき箇所に塗れば封印する部屋から外に悪影響が漏れるのを防ぐ事ができる。他のお前さんが伝えてくれた内容も概ね、ヨーロッパ各地の封印に関する魔術実践だと見做せるだろう。そこでお前さんから聞いた諸々の話を統合すると、シンディ・ナムグンはただ孤立して死んだのではなく、自らあらゆる人間関係の接触を絶った上で、どこからか仕入れた魔術的な知識でなんとか部屋を封鎖し、そして意図的に一人で死んだのだ。壮絶な覚悟あっての事だろう、私にも想像ができん』
ジョージはシンディへの見方がまた変わったのを感じた。彼女は若くして、そこまで覚悟していたのか。
まだまだこれからの大学生の少女が、周りの皆を守るために一人で寂しく死んでいく事を選んだとでも言うのか。
そこにある壮絶さを想像し、そしてそのある種の孤高さと気高さを引き継がねばならなかった。
シンディの事は大体わかった。故に予定通り、彼女を基点にしよう。彼女と他の犠牲者の間にある共通点を探ろう。
これが真に連続殺人事件である事を確定させ、その背後に潜む邪悪の性質を探らねばならない。




