DWARF STARS#1
燦然と輝く明るい星々の影には、確かに存在するものの暗い星々がある。矮星と呼ばれる種類のそれらの星々は悪しき裏のカリスマとして存在し続ける。これはスーパーヴィランと呼称される悪しき者達の物語。
登場人物
―ガティム・ワンブグ…通称肉屋、地球最強の魔術師、金のために依頼を受けて人を殺す恐るべき男、人の姿をした妖艶なる怪物。
ロサンゼルスの一件後:詳細不明、某所高級ホテル
その男は『ずるをして』国際電話をプリペイド携帯で掛けた。ヨーロッパのメーカーの従来型携帯はやや音質が悪かったが問題は無かった。
「もしもし、僕だ。リマ・ブラボー・タンゴ・ナイナー・ワン・ケベック・ワン」
その男の声は凄まじい重々しさがあった。若く美しい容姿に似合わぬ圧のある声であり、彼の黒い肌は海の方から立ち上りつつある薄明かりを受けてぼうっと浮かび上がった。
染みも肌荒れも無い完璧な肌、切り揃えられた髪、整形手術でもこうはいくまいと思われた独特の妖しい魅力を放つ長い目。
地球最強の魔術師の片割れであり天級遺物〈頂上〉の遺物使いであるガティム・ワンブグは、フランネル生地の上着を羽織って黎明のちょっとした冷え込みに備えていた。部屋は快適であったが外は少しだけ肌寒かった。
『確認しました。元気そうで何よりです、デヴォーさん』
相手はワンブグの正体などには興味が無かった。口が固く、然るべき時に金を動かしてくれる協力者の一人。
まあ相手もプロで、この手の『知らない方がいい』顧客との付き合いは多かろう。元々スイスの銀行にいた男で、今はとある地の銀行において『知らない方がいい』顧客の相手をして生活している。
然るべき態度を取って口を閉ざしていれば殺される事も無く、報酬は美味い。
数十年前に一人行方不明になって以来、そのようなプロ精神に欠ける欲深き破滅者は出ていない。お陰で評判はよかったし、アメリカのスーパーヴィラン達も利用している。
ヘンリー・デヴォーと名乗っているワンブグは深海使用の『ロレックス』で時間を見た。そろそろ夜明けであり、夕日とは何かが異なるあの朝日の兆しが見え始めていた。
ホテルのスイートのベランダからは見渡す限りの水平線が見え、その上には少し雲が掛かっていた。
ベランダも室内も全て異変が無いか確認しており、そして音が漏れないよう結界を張っている。ワンブグはベランダから室内に戻りながら話した。
「急に起こしてしまったのならすまない。ご愛人を目覚めさせてしまったかな?」
ワンブグは当たり障りの無い事を言いながら背後でベランダに出るドアを締め、それから金庫を空けに行った。
彼は『ロレックス』を見た事で己のコレクションを確認しておきたくなった。財の塊を保有しているという感覚に浸りたかった。
『いえいえ、彼女は私の仕事の不規則さには理解を示してくれておりますので』
予想通り相手は『配偶者ないしは大切な人』の話題を振ってきたワンブグを恐れる事は無かった。
それでいい、彼らは軽くそういう話をできる程度に打ち解けているのだ。もしそうでなければ、相手の声は強張ったであろう。
「よかった。資金の一部をケイマン諸島の口座から引き出せるようにしたい。額は一〇〇万ドル、少し予想外の出費が必要になってね」
ワンブグはかちりと音を立てて開いたキーパッド式の頑強な金庫の小さな籠の奥に立て掛けた小さなケースを右手で引き寄せた。
床に置いて中を開くと『カルティエ』と『グランドセイコー』と『ティファニー』それぞれの異なる意匠の上位モデルがあった。
摩訶不思議な力学にてケース内に浮かぶそれらを見て満足し、ワンブグは会話を続けつつ戻し始めた。
これらは彼の所有するコレクションの一部に過ぎず、高級ブランドの服に身を通す彼の姿は気品すらあった。
実際のところこの男は金のために人を殺す事を始めとした外道な行為を躊躇わず実行するその道のプロフェッショナルであり、地獄めいた意志を備えていた。
ガティム・ワンブグという名が恐らく本名であるとして知られている男は幼い頃にケニアのリフトバレー州にて壮絶な暴動に巻き込まれた。
土地を巡って民族同士の争いになり、大勢が死に、家を喪って彷徨った。
いつの世もそうだが土地というのは争いを生む。幼いワンブグは平和的共存の裏にあるそうした教訓を身をもって体験した。
彼は見たくないものを見てしまい、泣きじゃくりながら母に抱かれてその場を離れた。
幼い心で漠然と尊敬する己の父が、命乞いをしながら首を落とされる様を見た。
錆びた刃物が見え、夜闇の中に地獄が広がっていた。偶然レベルの幸運でその場を離れる事ができて、母子は首都ナイロビのマザレ・スラムに落ち延びた。
生活水準は目に見えて低下した。そして父にもう二度と会えないという明日以降の世界が横たわっており、首都近郊の自然公園は残酷な世の中の縮図を思わせた。
血が吹き出して、その血の海の上にごろりと転がった父の死んだ目が少年の心を苛み続けた。その話をすると母が不機嫌になる事を悟った彼は黙っている事を選んだ。
母とて苦しいはずだと考え、しかし幼い心はひたすら乾いた架空の涙を流し続けた。
例え実際に泣かなくても、心の方はそうはいかないのだ。




