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FANCY NOVELS  作者: ハゲゼビア
277/302

GAME OF SHADOWS#16

 又右衛門はジェロニモと共に予期せぬ帰郷をする事となった。夜道を往きながら彼らの会話は弾んだ。

登場人物

―ジェロニモ・サンチェス・デ・カランサ…様々な役職を経て半ば引退の身にある老騎士、スペインが誇る大剣豪にして開祖。

―柳生宗矩…後の大剣豪。



一六〇〇年、秋…大阪郊外


 老騎士は明白な老いの気配を纏っていた。馬上の又右衛門は灯火片手に前を歩くその老人の姿が、今にも掻き消えそうな幻想に見えてならなかった。

 彼らは夜に移動せねばならなかった。事を大きくしたくないジェロニモ――彼の故郷ではヘロニモに近い発音になる――は護衛だの移送のための手配だのを全て断った。家康は残念がったが、しかし老騎士はその労力はどうか諸国再編のためにお使いになるよう、と微笑んだ。

 又右衛門と言えば、見ず知らずの異人と言えど主君の客なれば、下馬にて歩ますのも気が引けた。しかし老人は『儂が明かりを持とう』と言って聞かなかった。

 外国人がいる事で発生するかも知れない諸々のトラブルを避けるために彼らは夜間に目的地へと向かわねばならなかった。最初は酷くこの老人を警戒した又右衛門であるが、しかし主君のみならず父である石舟斎宗厳ともこの男が友人であると聞かされてからは急に親近感を持った。

 吹けば消える火のごとき弱々しさが背中から漂っているが、しかしよく観察すれば腰に提げた細長い剣をいつでも抜き放てるものと思われた。

 ちなみに彼らの行き先は柳生の里であり、又右衛門は本来予定していなかった帰郷となった。


「その、グアテマラ殿?」と又右衛門は馬上より声を掛けた。相手がグアテマラなる地で総督の地位にあると聞き、外地一つの長なればそれなりの経緯も必要であろうと踏んだ。

「否よ、そのように呼ばずともよい。儂は既に法曹の身、総督の地位を退いて法を生業とする爺に過ぎぬ」

「左様で」と又右衛門は簡潔なこの男の経歴を思い出していた。「では…セビリア殿と」

 老騎士は特に何も言わなかった。セビリア、すなわちセヴィーリャの地はかの騎士の故郷であり、そしてその彼は今で言う大阪と奈良の中途にいた。旅の行程は大の大人であれば二日の距離であった。

「セビリア殿は何故ここへ?」

「この国、この諸国連合体へと何故訪れたか? それは内大臣閣下が暗に仄めかしたがごとく、儂のような棒振り爺が必要とされる理由がこの地にあるがためよ」

「それと言うのは、いかなるものでしょう?」

 周囲の闇はそこまでどんよりとしているわけでもなかった。時折雲に遮られるが月明かりがあり、そして老騎士は光源を手にして闇を斬り裂きながら歩いていた。

「実はのう、斬らねばならぬ輩がおるのよ」

 その瞬間、吹いていた風が理不尽に斬られるのを又右衛門は感じた。老人の周囲に見えない何かがあるような気がした。しかし殺意は見えず、ただただその不可思議に目を向ける他無かった。父の無刀取りやその他の技のごとき、鍛錬の果てに至った何かに思われた。

「そ、それは」と言いながら又右衛門は相手が何を言ったのかを遅れて認識した。「なんと、斬らねばならぬ? それは闇討ちや暗殺の類いにござるか!?」

「ふむ、ある意味そうとも言えるな。しかしな、又右衛門。その斬るべき相手は人ではないのだ。故にまあそうだな、逆に安心せよ、とでも言うべきかのう」

 野山の様子は穏やかで、各々の虫が合唱しているのが静かに響き渡っていた。西軍を率いた石田三成が刑に処され、諸国――及びその緩やかな集まりとしての日本――は一段落を迎えて少し安らかになっていた。

「人ではないと? 天狗の類いになりましょうか?」

「天狗のう、その方がまだよいというか。天狗と言えばのう、儂がこうしてこの地を再び踏めたのは、全ては倍夜鬼と呼ばれ、こちらでは天狗の一種として理解されている種族の助けあってこそ。厳密には天狗と異なれど、しかし天駆けるその様は確かに天狗のごときものよ。我らエスパーニャ人は倍夜鬼、すなわちバイヤーキーを天使のようなものとして理解しておった」

 そこから又右衛門はそのような不可思議な種族の話をジェロニモから教わった。倍夜鬼というのは父母から『悪さをしていると連れて行かれるぞ』という躾け話として聞き及んでいたが、まさか実在するとは。

 しかしそうであれば、遥か何千里も向こうの地からこの地にやって来られたとて不思議ではない。船旅ならどれぐらい掛かるのかは又右衛門には想像できなかった。

 とりあえず倍夜鬼なる種族は別に悪しきものどもというわけでもなく、個人的な親交のある個人がジェロニモのためにその『背中』を貸してくれて、ひとっ飛びしてくれたとの事であった。

 まあ宗厳も天狗と立ち会っただのなんだのと言っていたし、思ったより近くに非日常的な何かが広がっているのであろうと又右衛門は解釈した。

「さて、話を戻そうか。儂はお前にも手伝ってもらうつもりなのだ。すなわちのう、悍ましき邪悪がおってな、それらを我らが共同して斬り伏せるという事よ。儂も見ての通りの爺、もう長くもないから一人ではやり切れるか不安でな。父上はご健勝か?」

「はい、最後に会った時は健在で、益々仙人めいて参りましたが」

「それはよい。この分だと儂よりも長生きできそうだ。だがな、徳川の閣下のお話を聞くに宗厳卿に退治を手伝わせるわけにもいかぬと思ってのう」

 何故にござりまするかと問うと、動乱の世を生き抜いた老人にせめても夫婦穏やかな余生を送らせたいとの事であった。又右衛門は父もまた武人になりますれば、と反論したが、しかし老騎士は聞かなかった。

「儂なら別に構わぬ。儂はのう、キリストその人、それに父なる神に誓ったのだ。必要とあらば悍ましい怪物どもと戦う事をな。かつて儂は騎士団を率いておったし、その必要があれば往時の心構えに戻るまでの事。奉仕を誓った身であるし、それにこれからお前の父に会えるのであるから、例え道半ばでその怪物にでも殺されようと、もはや心残りも無しよ」

 しかし、その過程でまだ将来のある又右衛門をも巻き込まなければならない事を、老騎士は内心悔やんでいた。

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