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FANCY NOVELS  作者: ハゲゼビア
275/302

WONDERFUL PEOPLE#15

 孤独な男は助けを求める事もできず、孤独な逃避行に出た。どこまでも独りぼっちに思えるこの眠らぬ街にて、彼はたまたま逃げ込めそうな場所の近くにいる事に気が付いたが…。

登場人物

―白人男性…近頃何か異様な気配を感じる社会人。



一九七五年九月:ニューヨーク州、マンハッタン、チェルシー


 夜のニューヨークがこれ程までに寂しく思えた事は無かった。これ程までに心細く、異郷にいるように思えた事も無かった。彼は恐怖に埋め尽くされていた。

 連日体験させられた視線の気配、急激に腐った冷蔵庫の中身、錆混じりの汚い水道水、一向に温まらないシャワー、起床した時には乾いていたベッドの湿り。

 そうした明らかに嘲笑われているかのような感覚が、彼を蝕み、遂に心が決壊した。

 簡素な荷物片手に飛び出し、左右違いかつ裏返しのソックスにも気付かぬまま、靴を別々に履いている事を認識した。

 バスに飛び乗り、宛ての無い逃避行に出ようとした。己は明らかに得体の知れない悪意ある何かに狙われているという実感があった。

 そのような現実を信じたくないという楽観、ある種の正常性バイアスも既に後退し、漠然かつ明白な確信があった。矛盾した心に対する疑問も、今の彼には考える暇とて無かった。

 彼はこのまま裏返しで左右違いな靴下の違和感にも(しばら)くは気付かぬものと思われた。

 彼には心を落ち着ける事が必要であったが、不幸にもその手段が本人にはわからなかった。ただ、漠然とした確信によって警察に駆け込んでも相手にしてもらえない事はわかっていた。

 それどころか、安い怪奇小説の登場人物のように入院させられるのではないか…。

 心を満たす不安と闇とがこの夜も眠らぬ都市における時間経過を中和させ、どこまでも広がる黯黒の只中に己がいるような孤独を感じさせた。

 彼は微妙に疎らなバスの中で己がどこ行きの便に乗っているのかもよく覚えていなかった。

 とにかく自宅を離れないと危険だと考えていたが、しかし彼ははっきりと、あの忌々しい視線を感じていた。

 不安に思って見渡しても、どこにもその視線の主が見えなかった。これは一体なんなのか。抗えぬ恐怖が心身を蝕んだ。

 隣を見ると誰もおらず、横列には誰も座っていない。彼は一番後ろの列に座っていたが、後ろから見渡しても己を凝視する者など誰一人いない。

 若者、老人、中年、その他がいたが、しかし皆各々で己の世界に浸っているように見えた。

 では誰なのか? 彼はこの問いに対して否定すべき答えを持っていた。

 それを認めたくないが、しかしそうとしか思えない確信――モルグで横たわる死人のごとくすっかり顔面蒼白となった彼は、この視線の主が超自然的な何かだと考えた。

 つまり、幽霊であるとか、その他の映画や小説等の媒体に登場する奇妙で恐ろしい何か。安っぽい映画の恐怖描写が思い出されたが、それは今感じているぼんやりとしていてそれでいてはっきりとしている恐怖によって一瞬で塗り潰された。

 端的に言えば彼はそうした架空の世界の産物と思われた何かに対する恐怖で硬直し、この孤独なバスの旅が刑場への最後の旅路であるとも感じられた。己はこれからどうなるのか。

 それがわからず、明るい未来を描写する事が終ぞできなかった。

 怖いと感じる心をなんとか落ち着ける手段が見付からず、窓の外に広がる夜の明るいニューヨークはテレビの向こう側の世界に思えてならなかった。

 大統領とその親族とが暗殺された事がテレビの向こう側であったように、精力的な牧師とその同時代人であるXとが暗殺された事がそれと同様であったように。

 彼は今ここに存在しているという感覚が希薄に思えた。窓の外は別の世界で、己の世界はこのバス、あるいはその最後尾列、または己の座る座席にのみ限定されていると。

 ここは誰の世界なのか。ここは己のいる世界なのではないか。つまりある程度は己の所有物である領域が広がる世界であると。

 なれば、この不安はなんなのか。ここは既に、名状しがたい恐怖によって侵食された異界なのではないか。


 彼は気が付くと恐怖のままに、知らない場所に降りている事に気が付いた。

 結構バスが走った気がしたが、しかし彼は己があまり遠出していないのではないかと思った。見れば摩天楼が燦然と輝いて聳え、天上の者どもの棲まいのごときそれらの光がここにも届いていた。

 アメリカ合衆国が誇る世界都市に己がいるという実感を取り戻そうとして、彼は結局それに失敗した。ここはどこなのか。思えば職場と往復する日々を過ごし、他には外回りで客に合ったり訪問したり…。

 この数十年を仕事に費やし、この思ったよりも広い島のごく限られた範囲のみに己が足を運んでいた事を思い知った。多分各々のビルの見え方からして、島の西側にいるのではないかとは思った。

 そうだとすると、己の『西』に広がるこのどんよりとした大量の水は、ニューヨークとその対岸のニュージャージーとを隔てるものであると思われた――そこで彼はふと気が付いた。

 そう言えば、今年の春頃にネイバーフッズとかいう仮装集団がデビューした。彼らはコミックのヒーローのようにヒーローを自称し、その能力や才能を社会の役に立てるとの事であった。

 正直に言って彼らの事を馬鹿にしていたが、しかしよく考えると彼らは確かに、あのニューヨークを襲った謎の怪人であるとか異星人騒ぎであるとか、あるいはその他の事件――脱獄など――の解決に尽力していた。

 彼らは現代における巨人や、神話の神々のようなものなのかも知れなかった。ギリシャやローマの神々のごとく強大な力を持ったまま、衆生にて暮らす者達。

 それは彼にとって最後の希望に思われた。最後に残った、縋る事のできる唯一のもの。そのネイバーフッズの基地は、確か西側のどこかにあった。はずであった。何故ここにしたのかは知らないが、川に面したどこかに…。

 彼は気になって往来を見渡した。不気味にも人通りが少なかったが、もしかしたら相談に乗るなり保護するなりしてくれるかも知れなかった。隣人のごときヒーローだとすれば、その可能性は高かった。

 彼は鞄を歩道の地面に置き、この鞄に入れたままの地図を見ようとした。記憶では確か内側の収納ポケットに――そして本当にそこに入っていた。

 一度も使った形跡の無い、同僚に『間違って二つ買ったから一つやるよ』と言われたそれが最後の希望への切符であった。

 彼は食い入るようにしてその地図を見た。展開して、膝立ちでこのかなり新しいマンハッタンの地図を確認した。気が動転していて少し破れた事に悪態を()きつつ、そうだ島の西側だと考えた。そしてそこに指を這わせた。

 その発見の瞬間を迎えるためにも焦りながら集中し、夜風の中で街灯やその他の街明かりに照らされて発見した。

 わざとらしく注釈及び拡大図があったが、それは今の状況ではとても心強かった。彼は己が内心彼らを馬鹿にしていた事も忘れ、最後の希望であると見做した。

 そして己の現在地を近くのランドマークや看板や標識から割り出し、少し冷静さを取り戻した頭でどちらに歩けばいいかを悟った。彼はどうやら、このまま真っ直ぐ北に行けばそこに辿り着けるらしかった。

 最後の最後で希望が勝利したのだと考え、そのままそちらに向けて早足で歩いた――そこで彼はあの視線を意識した。恐怖が戻って来て、恐ろしくなった彼は周囲を見渡した。どこかに、何かが…。

 しかし何もいなかった。いつの間にか誰も歩いていない事に気が付いた。知らない間に通り過ぎた車が南向けて走り去るのが見え、そのテールランプは己を置き去りにしているような錯覚を与えた。

 誰もいないという事を意識して余計に怖くなった。あと少しなのに、全身が震えた。彼はとにかく歩き続けた。ちかちかと点灯する街灯の下へとやって来て、それはたまたまだと思った。彼はそこを通り過ぎた。

 そしてそのまま歩いた。あと数百ヤード、徐々にそれらしき建物が見え始めた。恐怖を抑えながらなんとか歩いた。しかし視線が強まり、恐怖を煽った。怖い、としか考えられなかった。

 嫌だ、こんな所で。故に彼には歩くしかできなかった。この恐怖を終わらせてくれるはずの巨人達に会いに行きたかった。

 臨時の新リーダーを名乗っているケイン・ウォルコット、元アメリカ陸軍所属だったと語るメタソルジャーのふざけたコスチュームを思い浮かべ、恐怖を塗り潰そうとした。

 しかしまた街灯や、看板の明かりがちかちかとなり始めた。これはおかしかった――主に前を向いて歩いているのであるから、前方でそれまで異常が無かった明かりがおかしくなった事は明白であった。

 嘘だ、そんなものは存在しない。俺の心の中にある幻想なんだ…これは気のせいで、誰もいないんだ――彼は気が付くと走り始めていた。

 久々に走った事で体中が痛んだ。肺が痛み、喉が痛み、息がとても苦しかった。

 しかし絶えて久しかったそのような感覚などどうでもよかった。今酷使しないでいつどこで酷使するのか、そのように考えて彼は彼にできる全力で、荷物もいつのまにか手放して走っていた。

 そしてホームベース――確かあのヒーロー達の基地はネイバーフッズ・ホームベースとか呼ばれていたのを今更思い出した――の敷地の前に警備員が見えた。ああ、遂に来たのだ。もう少しで…。

 そしてその警備員も彼に気が付いた。警戒していたが、もちろん彼自身はその様子に気付く余裕も無かった。具体的に言えば、後少し近付けば制止を言い渡されるであろう。

 しかし、警備員が久々の夜間勤務で目を一瞬擦った瞬間、それが起きた。

 慄然たる変化は状況を全て変えてしまった。その瞬間長い髪が舞い、その悍ましい死体じみた何者かが疾走する白人男性の背後から掴み掛かり、そのまま夜闇に消えてしまった。

 警備員はほんの一瞬目を擦った瞬間に消えた男の姿を探した。少しだけ走って近付き、あと五〇ヤード程の距離にいたその男を探そうとした。

 しかしどこにもいなかった。あれは幻覚だったのか。いや、それは無いと確信した。

 彼はなんと報告すればいいんだと悪態混じりで、ネイバーフッズのドクことDr.エクセレントが開発した新型の無線機を手にした。



 翌日の事であった。その現場から少し離れた所に住む一人の男性が死体として発見された。

 嫌な予感がしたジョージ・ウェイド・ランキンは、早朝に掛かって来た上司ネルソンからの『なんか変死体が出たから準備しておけ』という電話を受け、そのまま現場に向かいますと言って切った。

 ジョージは放射冷却までもう少しという夜明けのマンハッタン島西側の事件現場、桟橋の上でシートで隠された死体の膨らみを見た。

 彼は耳を澄ませた――また凄まじい恐怖の形相で死んでるな。塞がれた現場からそう聞こえるのを確認した。

 またか。またなのか。何が起きているのであろうか? これまでと同じであれば、あそこの死体もまた、外傷が無いのであろう。

 連続怪死事件であると見做す向きもあったが、しかしジョージはそれが『己が誅を下すべき案件』であると考えていた。

 もう一回か二回ぐらい調子に乗らせておきたい。それはいい事だと思う。そうする事で「このクソったれをブチのめしたい」と執筆している私自身も思えるはず。多分。

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