THE COLLISIONS#6
悍ましい人体実験が続けられる荒涼とした惑星の地下実験室。様々な種族が苛め抜かれ、蹂躙され、その様を観察された。しかし、唯一の例外がここに存在した…。
『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。
登場人物
―〈頽廃せし夏の玉座〉…先進種族ノレマッドの少女。
【名状しがたいゾーン】
約四五億年前:不明の銀河団、古代文明跡の惑星地下、実験施設
それにしても、と地球時間で言うところの五億年の時を歩む少女は思った。この連中が与える愛はどうにも空っぽであるな。中身が無いように思え、しかしその原因がわからなかった。何故そのように感じるのか。心が込もっていないなどという理由なのか? そうであれば自体は単純だが、さすがにそれは無いかと却下した。これはある意味死活問題だ。何故ならそれこそ究極的な退屈であるからだ。まあ、奴らの会話等から空を見上げる風習がある事はわかった。文化の記録として残しておこうか。
険しい表情で状況を見ている〈頽廃せし夏の玉座〉はここ数日の間に起きた事を考えていた。隣の区切りでは奴らの実験が行われている。生きたままの解剖と、生きたままの移植実験。奴らはやがて同じ事を己にするであろう、異種族の体組織がこの脆弱化した肉体に与える影響を観察するつもりなのだ。そこまで考えて、そう言えば奴らが課す弱体化は恐らくこの五人の連帯によるものではないかと思い始めた。というのも、やはり奴らはふとした時に見せる仕草から互いへの愛情の深さがわかる。見たところ両性具有ないしは単性の種族なのではないかと思われたが、いずれにしても奴らは甘っちょろい偽の愛を交わしているのだ。それでは真に愛し合っているとは言えまいにな、と少女は苦笑した。
そうした様もまた観察されているのであろうと考えつつ、結果がどうなるにせよ帰るための準備もしておくべきだなと計画を立て始めた。実際に帰れるのか、頓挫するのか。そして頓挫して永久に実験体として扱われるのか、飽きて容器に詰められ地中深くへと廃棄でもされるのか。それはわからない。別にそのいずれになろうと彼女にとっては特に驚くような事ではないが、しかし帰るための準備をする事は別に不利益ではない。もし帰れたら、この経験は種族の役に立つし、今後の権力闘争にも活用できそうであった。隔離されていても、どこまでも弱り切ったこの身でも、それでも感じられるものはあった。天体の運行を漠然と感知し、手探りで少しずつそれらを把握した。それらからエネルギーを発覚しないように蓄積させる事を考えた。少しずつだ。一つの王朝が滅びるまで、あるいは一つの国が滅びるまで。少しずつだ。まあ、最悪の場合ばれたところでそれは別にいい。ただ準備だけしておきたかった、もしも帰れるかも知れないという期待を胸にして。帰れようと帰れまいと死のうとそれはノレマッドにとっては問題ではない。
それはそれとして、彼女はかつての日々を思うと全身が恍惚たるものに包まれるのを感じた。腹を割かれたまま固定され、内臓を酸で焼かれ、束の間放置されている身で、彼女は様々に思考を巡らせた。裸体を晒し、実験動物として尊厳を奪われ、眠って時間を潰す事も許されず、開腹されたままの腹部からは終わりの無い苦痛があった。しかしこれらは別に大した事ではない。ノレマッドはもっと残酷だ。残酷な愛があった。殺意による憎しみを互いにぶつけ合い、それからずたずたになった肉体を再生させながら強く抱擁し合った。それがノレマッドであった。常に相手の弱点を探って脅迫し、侮辱し、辱め、殺そうとし、そしてそれを至上の愛とする――まあ既にノレマッドは同族同士では殺す事ができな程に不死化してしまったが。ノレマッドは敵愾心に燃えながら同時に互いの終わらぬ友愛を確認し合う種族なのだ。終わりの無い上昇と下降とを権力闘争の中で繰り広げ、権謀術数をこそ愛の形態として尊び、机の下に武器を潜ませたまま祝杯を交わし、それらを承知した上で愛しさの涙を流して愛を交わす――まあ涙を実際に流す事は無いが。とは言え最近は苦痛に対する耐性があまりにも高まったため、ノレマッドは愛を今ひとつ感じにくいという社会問題に直面していた。彼女は不死の親の仇であり大親友でもあるとあるノレマッド個体と共に進めていた計画を、帰った時に進めておこうかと考えた。すなわち、己らの愛を与えているノレマッド以外の被管理種族を使った愛が可能ではないか。それらの種族を愛しつつ、それらの個体を管理しているノレマッド個体に対する愛も両立させる――具体的には上記の壮絶な憎しみに満ちたノレマッド同士の愛情表現を被管理種族に向けるのだ。これは議論する価値があると少女は確信していた。ノレマッドの武力に屈して管理を受けている諸種族にとってはまさに災難だが、中にはそれらに適合できる者もいると予想されていた。邪悪であり、善良であった。底の見えぬ海溝のごとく憎しみが深く、同時に空に果て無きがごとく愛情に満ちていた。そして美容に感心があった。
ノレマッドはそのような種族であった。それらの深い愛を掲げ、その拡大を使命とした。
終わりの見えない苦痛が同じ部屋で続けられる事による精神への影響は恐ろしかった。我が身の苦痛でないにも関わらず、彼のために慈悲を請うのだ。己に注意が向くかも知れないという恐怖心と戦いながらも、しかしそうした内なる声を抑える事ができなかった。
そうこうしていると奴らはわざと手元を狂わせた――未知のメスでわざとらしく彼を傷付けた。その血がわざとらしくこちらに飛散した。顔面が血で覆われ、半狂乱になって叫んだ。彼の叫びと重なり、絶望的な状況に対する疑問がどこまでも膨らんだ。神よ、我々二人は何か悪い事をしたのですか? 彼が信じる百の触腕を持つ農耕神への祈りは完全に遮断され、対話などできなかった。あるいはそれが可能であれば、助かった可能性もあった。神は己に対する信仰というある種の権力形態に対する敏感さから何かしらの手段を講じる可能性もあった。己の側面を派遣するか、その眷属なり使徒なりを派遣するのかも知れなかった。残念ながらその可能性はこの隔離された実験施設によって潰えた。ここでは神もその使徒も、また同様に悪魔もその使徒も感知する事は無かったのだ。
ずたずたになった心で、顔面を血で汚され、激しく唾を飛ばしながら叫び、しかし何も変わらない事に絶望した。己らが完全に見捨てられ、誰にも見られないままここで朽ちるのかと考え、しかしそれでもやはりこう考える他無かった――何故こんな目に遭うのか。理不尽さ故に奴らを罵倒するしかなかった。そうする事で怒りを活力にして、万が一の希望に向けた精神の保持を志した。
ああ、しかししかし、それ程甘くないのだ。奴らの一人が来た。手には異種族の動き回る器官が握られていた。やめろ、やめろ、やめろ! こっちに来るな! 奴の顔に悪意が見えた。目の前で噛み付こうとする体組織の暴走が皮膚を掠め、情け無い声が出た――その瞬間、己の恥ずかしい様を見られたという事実によって心が更に大きなダメージを受けた。またもや愚弄されたのだ。見下され、恥を晒すよう仕向けられたのだ。
がつがつと貪欲に動き回る器官が嫌な鳴き声を上げたため、なんとか身を捩って当たらないようにしようと努めた。もちろん奴はそれが狙いなのだ。こちらがそういう様を見せる事を望んでそうしたのだ。完全に馬鹿にされているのだ。どこまでも惨めな気分になり、悔しさの涙が流れた。それからまた怒りの叫びを上げた。殺してやる、お前を絶対に殺す! ふざけるなよ、このいかれた虫けら風情が、この恨みは絶対に――。
そして痛みがあった。ここに来てから感じる事の無かった感覚だ。皮膚を掠めたあの異種族の器官の時の感覚とは違う、明白な痛みがあった。不意討ちで声が出た。
情け無くまたも叫んだ。痛みが何十倍にも感じられた。やめろ、頼む! 悪かったから、もうそんな事は言わないから! お願いだ!
見れば奴らの別の個体が血に染まったメスを持っていた。そして実際には、皮膚の一部を少し切られた。それなりに大きな傷で、出血もしていた。だが、大した傷でもなかった。たったそれだけの傷。そう、たったそれだけのショックを与えて奴は恐怖を与えたのだ。
しかし震えるしかできなかった。無力で、自分が嫌で、みっともなくて、もう何もかもよくわからなかった。しかし、もう痛いのは嫌だと思っていた。
それを見て奴らはまた彼に対する実験を再開した。目の前で生きたまま分割され、しかし死なないように最善の処置を受けている! 何故そんな事ができるのか!? しかし何も言えなかった。その悪意が向けられる事を怖れ、何もできなかった。実際には、恐らく奴らはこちらに対しては彼のような肉体的苦痛を与えるつもりは無いはずだ。恐らく精神的苦痛で痛め付けるのだ。しかしそれでも、あの先程の心身共に痛みを与えられてどこまでも馬鹿にされたのが堪えた。もうそうはなりたなかった。可能な限り奴らの関心を買わないように生きていたかった。
ある種族のその個体は絶望の中で壊れ始めていた。目の前で同族が六本の腕を引き千切られ、別のものと交換されたり、その強度テストを行われる様を見て震える以外に何もできなかった。何もかもが地獄めいており、そしてそのような地獄絵図はこの実験室のそれぞれの区切りの中で、ある一つの区切りを除いて同様の悪夢として描写されていた。
数千年後:不明の銀河団、古代文明跡の惑星地下、実験施設
長い年月――ノレマッドにとっては別だが――が特に何も無く過ぎて行った。彼女は苦笑していた。これがお前達の愛か? やはり空虚であった。奴らは寄生型生物のサンプルを持って来て、それが彼女と『交配』する様を観察した。表情はやはり笑っていた――少女は相変わらず身動きが取れないまま、身の毛もよだつものとのまぐわいを強制され、その様を実験動物として観察される身でありながら、実験者達を窺っていた。脆弱化した身で全身を蹂躙される悍ましい感覚によって『生理現象として』震えたりその他の反応があるのを感じながら、観察者を観察し返していた。これは愛なのか? まあノレマッドにも似たような話はあったが。実際彼女自身は今以上の屈辱を受け、その怒りを憎悪という愛に変換して相手を恋い焦がれた事が何度もある。それと同じぐらいの事をやり返して、相手がこちらに愛を囁いてきた夜の事を思い出していた。あれは確か〈惑星開拓者達の至宝〉の、農園での出来事であった。あれは美しい思い出だ。だが、今のこれはなんなのか? 空っぽなのだ。
彼女は得体の知れない寄生体の仔を宿した事の影響を明確に記憶として記録しつつ、何故何も感じられないのかを考えた。もしかして、こいつらは本当にそうなのか? すなわち、異種族に対しては悪意しか無いのでは? そう考えると彼女はさすがにぞっとした。いやいや、それはさすがに無いのでは。もしそうだとしたら、純粋に気持ち悪かった。
彼女は己の形質をある程度コピーした得体の知れない生き物が、己の子供であるという現実に直面していた。事ここに至り、彼女は部屋を移されてそこで新たに隔離された。なるほど、このようなよくわからない生物でも『我が子』かと認識すると、ノレマッド的愛情が芽生えた。既に腹を塞がれその他の切開跡も塞がり、その上で簡素な服を与えられている少女は美しい笑みを浮かべ、目の前の生物――あえて後世の地球の生物に例えるならへどろ色の部分と緑色の部分とを備えた、鬼磯目と紐虫の中間のような、それら両者にやや似た形状を備えた四足歩行のぬらぬらとした生物――を愛そうとした。ふと部屋を見渡した。奴らは見ているのだ。ではここでノレマッドの愛を見せてみようか。それで全てがはっきりする。
切開跡を塞がれた代わりに他の実験体達の器官や組織を各所に移植され、異形となった身で優しく笑った。
「お前は私の子供であるとも言えるな。まあ生物学的にどうかはやや、お前の生命形態故に意見もわかれるが、しかしお前は私の子供であると認めてやってもいい」
だが、と彼女は冷え切った、憎しみに満ちた笑みを浮かべた。
「お前を愛さねばならない。お前も私を愛してみろ。母親に対して、肉親に対するそれでも肉欲的なそれでも別にまあいいが、とにかく愛を向けてみろ! 私を殺そうとしてみろ! 私を犯そうとしてみろ! 私を壊そうとしてみろ!」
彼女はあえて大声で叫んだ。さすがに外にいる実験者達も驚きを見せた。言うが早いかノレマッドの少女は憎悪を燃え上がらせて、己の子供――その暫定的候補――を愛し始めた。弱った身でも殴る蹴るぐらいは簡単にできる。ましてや相手は己よりも小さいのだ。そしてその見た目に反した強靭さを捻じ伏せる事は、五億年も生きている〈頽廃せし夏の玉座〉にとっては実に簡単なものであった。
置き換えられた腕及び本来の腕を器用に使って絞め殺そうとした。必死の抵抗を押さえ込み、相手の爪が眼球に食い込んで失明するのを生の実感、愛情として受け取った。もっとだ。もっと欲しい。もっと私を愛してみろ。失明した側の目から異種族の組織が急激な変異を形成し、異形の甲殻で覆われた。
しかし当然の事として、その寄生体じみた生態の生物はノレマッドの愛に耐えられなかった。肉体と精神とを著しく破壊され、生物としての死を迅速に迎えた。
「空っぽだな。虚しいものだ。私はもっと愛してやりたかったが、しかし脆いために耐えられなかった。これでは私の子供と呼ぶには程遠い。あるいは、そこで見ているお前達自らが私に生ませた生物であれば、ほとんど不壊で耐えられるかも知れないぞ!?」
さすがに実験者達は本気で気色悪く思っていた。
「それともあれか? 私の仮説通りなのか!? お前達の種族の愛は身内のみで、異種族には悪意しか向けないのか? ああ、頼む! さすがにそうではないと否定してくれよ! それはあまりにも気持ち悪い!」
そして地表での初遭遇から実に数十世紀ぶりに、実験者達は彼女に直接言葉を投げ掛けた。
「お前はなんだ? お前の愛情はどのような悍ましい形態なのか? 理解に苦しむ。そうではないと否定しろ。でないとお前は、我々〈空を眺めるものども〉が遭遇した動物の中でも最もグロテスクだ」
壁越しに言葉を交わした両者は面白い事に同じ事を考えていた――なんなのだ、この気持ち悪い生き物…。
数時間後:不明の銀河団、破壊された惑星跡
破壊された惑星の残骸に腰掛け、少女はノレマッドの衣服を再形成しながら凍て付く真空に浮かぶ五人の〈空を眺めるものども〉に言った。彼女なりの美容に反する体組織を引き千切ったり蒸発させたりして排除しつつも、しかし彼女なりの美容に反しない箇所を残した。かつて地球人と同じ姿をしていた少女は長年の計画によってすっかり力を取り戻し、惑星を消し飛ばし、今回の体験を伝えるために帰る支度をしていた。服の左腕部分を大きく開いた袖にして、そこから暗器のごとく多様な生物の触腕やその他の様々な器官が姿を見せた。ロングスカートからも同様の器官が無数にたなびき、男性ノレマッドの頭部から生える十本の器官と似たようなものを所持している事について彼女はやや満足していた。これは男装とでも言えるかも知れないな。同族達は彼女を蔑むであろう! そしてそれと同様の愛情をもって出迎えるであろう!
少女は重力の異常の中で紺色の長髪をたなびかせて、作り直した銀色の服のデザインに満足して笑っていた。元の状態のままの左目をイーサーの緑の輝きで満たし、そして全身をイーサーで再武装した。
「いやしかしな! お前達はさすがに気持ち悪過ぎて困惑したぞ! そのような閉じた愛があるのか! ちょうどお前達のような形態の愛を持つ種族には遭遇した事が無かったのでな、悪いがかなり引かせてもらった次第ぞ! いかなる種族とて時が経てばそれなりには、異種族に対して同情なりなんなりするからな!」
無論相手とて負けていなかった。目の前の少女が悍ましい黯黒期の怪物に思えた。理解が難しく、名状しがたいものに思えた。異界的な角度を備えたティンダロスの生物よりもグロテスクであった。
「お前はあまりにも気持ち悪過ぎる。今のところ我々は離れるのが互いのためだ。どこでもいいからさっさと失せろ」
相手の五人は全く同意見であるらしく、彼女はやや寂しさを感じつつもその場を後にした。
かようにしてノレマッドの少女は己らに匹敵する〈空を眺めるものども〉なる種族がいる事を証明した。彼女の活躍は嫉妬され、称賛され、そして異形と化した少女はノレマッドの日常へと戻って行った。悍ましいものとの遭遇は彼女を困惑させ、それと同時に面白い吐き気を催す昔話となりつつあった。
一方の〈空を眺めるものども〉は、いずことも知れぬ銀河の議会ホールで、思考物質製の内臓じみた美しいテーブルに各々突っ伏して体験談の話を共有しては、あまりにも気持ちの悪い形態の生物に出会ってしまった事を後悔すらしていた。
やべーやつにはやべーやつをぶつけたかった。




