AMAZING POWERS#8
ケンゾウ・イイダは差別体験の旅を続けた。鬱蒼とした南部のミシシッピ川周辺において、彼は一人の男と出会った。
登場人物
ヴァリアント過激派組織ニュー・ドーン・アライアンス
―マインド・コンカラー/ケンゾウ・イイダ…アライアンスを後に結成する巨漢、地上最強クラスのテレパス。
―サイモン・バッシュ…イイダと出会った白人のヴァリアント。
数日後:南部某所
ケンゾウ・イイダは恐らく世間には自殺行為だと思われる旅を続けた。
日本史上に残るテロリストとして記憶されている彼は母国を遠く離れ、そして国への意識も薄れていた。かと言って、世界のどこにもヴァリアントの居場所は無かった。
いや、厳密にはあった。ヴァリアントが主な住人であるゲットーに近い地区などはあった。
あるいは、ヴァリアントである事を隠せばどこにでも居場所はあった。なるほど、世の中は地獄めいたものだ。南部の旅は心の重荷であった。
不寛容を多く見てきたが、己に降り掛かる時は特に心が重かった。鋭いナイフで刺されたかのような感覚には参った。
心が血を流すのを感じ、相手にも同等の傷を負わせたいという暗い感情が湧き上がった。
ミシシッピ沿いの鬱蒼とした闇を目にした。というのも、この辺りの森林や沼地の独特の暗さを感じたのだ。
聖書の無謬性を信じる白人至上主義者というフィクションの登場人物のようなステレオタイプを目にして苦笑したが、この土地自体の闇の印象が上回っていた。
あるいは、今ちょうどヴェトナム戦争の敗北的な情勢によって南部人は特に気が立っているのかも知れない。
あるいは、己がちょうどそういう輩に絡まれ続けているのかも知れない。あるいは、そうした輩との遭遇が他の全ての美点を覆い隠しているのかも知れない。
それが彼にはわからなかった。彼は己を精神の支配者であると傲慢にも自認していた。
他人の心を容易く支配する強力なテレパシー能力を持ち、これは原則的に回避できるものではなく、目に見えず、防ぐのは困難だ。
しかしこれまでの事を思い出すと、彼の心はそれに抗うのが難しかった。
精神の支配者でありながら己の心に伸し掛かる黯黒に押されているのだ。それを考えると情けなくなった、力に反比例して弱いのかと。
イイダは旅の途中、仲良くなったアジア人との経験について考えていた。彼がヴァリアントであると知った時に一変した寛容さ及び友好の事を思うと、今でも信じられなかった。
となると、あの中国系らしき向かいの席に座った男も、その豹変したアジア人と同じく、己がヴァリアントである事を知れば一変したのか? あえて心を読まなかった――ヴァリアントについて何を考えているのか知るのが怖かった。
もしヴァリアントを差別しているとしたら、他の全ての美点が曇るか、あるいは見ないようにしてもいつまでもその事が頭の中を巡る気がしたのだ。そのような経験はしたくなかった。
そして最も辛かったのは、己と同じく苦難に満ちた生を送ったと思われる、西海岸の日系人との出会いであった。彼らについて彼はある実験をした――ヴァリアントである事を打ち明けるのだ。
果たして数十人全員が、よもや全員敵意を顕すと誰が思うものか?
イイダとのやり取りで好意的であった日系人もそうでなかった日系人も区別無く、全員が『ヴァリアントであるイイダ』を罵倒した。これは何故だ?
同胞だと思っていた者達への幻想が崩れ、その時の事は考えないようにしていた。その実かつてガーナ帝国を支配したスマングルがそうしたように、イイダは『今のネガティブを塗り潰す別のネガティブ』を求めていた。
それ故にこの南部を訪れたのだ。そこにあるものを見ようとした。
アメリカ南部にあるサザン・ベルという『伝説』が実在する事を証明した――その反対の様々な事柄もまた実証できた。素晴らしいバランスの取れた旅であった。
日中でありながら暗く感じられる人のいない森で佇み、心の均衡を取ろうと考えた。
しかし闇の中で心の闇もまた増幅している事に気が付いた。なるほど、少なくとも私はざわついた心のままでミシシッピ沿いの闇を旅するのは危険というわけだ。
もし正常な精神状態であれば、ここは様々なな歴史と幻想が入り交じる素晴らしい土地であったと思われた。そしてそういう状態ではないために、彼の心は木々と泥に囲まれた闇の中で落ちていった。
「失せろ、この中国人!」
まただ。またこの衝撃なのだ。心を殴られたか、あるいは突き刺された痛みなのだ。
「私は日本人なんだがね」と皮肉混じりな声色で答えたが、何も変わらなかった。
何故虚しいのかと考え、そして気が付いた。日本人か中国人であるか、目の前の白人の巨漢――肥満な巨躯のイイダと同じぐらい背が高かった――には関係無いのだ。
中国人というのはすなわちアジア人への総称であって、それ以上の意味は無いのだ。
そんな相手に対して己のアイデンティティを訂正しようとして、それに何か意味があるのか。
しかし最も辛かったのは、目の前の白人至上主義者と思われる半袖入れ墨白人――そのようなフィクションのデフォルメされた南部人が実在する事に驚いた――がヴァリアントであり、その事で周囲から迫害されているのを見掛けて、手を差し伸べたつもりであったのだ。
しかし明確な蔑視と共に彼は拒絶された。同じヴァリアントでありながら、アジア人という要素を罵られたのだ。
ある意味彼は気高いのかも知れなかった。どんなに辛くても、アジア人風情に同情されてなるものかと。
――その心意気は立派だ。しかし、自らが絶対安全圏――この場合は『条件を満たした白人』――にいると思っていたのに、ヴァリアントであるという事が露見してそこから転落する事による心の大打撃から、君は立ち直る事ができるのか。
イイダは相手の心に直接語り掛けた。そして同時に、己もまたヴァリアントである事を告げた。己らは共に、クズ遺伝子の化け物と罵られる身である事を共有したかった。
それから相手の心では目まぐるしい変化があった。目の前の男は打ち捨てられた家畜小屋に残る糞尿の悪臭の中で、蜘蛛の巣が貼った朽ちた天井を見上げた。相手は認めようとしているように思われた。
だが、諸々のプライドが許さなかった。まあもちろん、心に入り込まれた事も嫌なのであろうが。そこまで考えて、最も原始的なコミュニケーションの一種が役立つかも知れないなと自他問わず心の中で呟いた。
――どうだね。君がリンチを受けているのを見ていたが、どうやら再生能力及び身体能力に長けるようだ。私は旧日本軍のヴァリアントの兵器化を目指す人体実験に酷使されたんだが、その結果ただのデブというわけじゃない。
――天然ものであるこのサイ能力と違って私の強化された肉体は天然じゃないが、しかし君と語り合う事は可能だと思うのだがね。
そう言い終えた瞬間、信じられないような衝突を受けた。フットボール選手のタックルというよりも、むしろ自動車の衝突にすら思えた。
それから彼らは一人の『日本人』『南部人』として壮絶に殴り合った。互いに罵り合った。人種及び民族的な差別用語を発し合った。
相手は萎びた藁が転がる家畜小屋の床に倒れたイイダを見下ろして周囲を周り、両手で目を釣り上げるジェスチャーをした。
お前みたいな偉そうなクソったれに同情などされてたまるか。その瞬間イイダは大笑いした。相手の腹を即座に蹴りながら立ち上がった。
怒りに任せて何度も何度も殴り、それから壁に激突させた。白人であるという一点しか価値の無いクズ、生まれてきた事を親に後悔されたようなクソガキが。
相手は血を流しながら、その傷が治るに任せて爆笑していた。これは愛かも知れないとすら思った。
そうして彼らは怒りを発散した。今までの全ての理不尽を互いにぶつけ、そしてそれを友誼のための礎とした。
己らは共にヴァリアントというだけで社会の最低辺に投げ落とされる虫けらだという事を確認した。
そしてこの過程で生まれた絆が強固である事を、互いに汚い床で転がって天井を見上げながら感じていた。心の全ての闇を見せ会ったのだ、それは最高の和解と友好の証なのではないか。
酒飲みの父から暴力を受ける母にすらヴァリアントである事を蔑まれた事を思い出した。その体験は学校では絶対にその事を知らせないようにしようという教訓となった。
それから時が流れ、美しい女性と結婚できる流れとなった。サザン・ベル、すなわち寓話的な南部の淑女敵美人の体現であるような女性に思えた。何もかも打ち明けられそうな幻想が、心の中を占めた。
そしてそれが転落人生の始まりであったのだ。彼は即座に婚約破棄された。相手側の親に蹴り出された。あの屈辱はとても痛かった。
それらの体験を聞いて、イイダは相手の抱える苦しみと己のそれとを交換し合ったような心境になった。互いの苦しみを打ち明け合ったのだ――汚らしい小屋の廃墟の、糞尿の跡が残る床に汗だくで倒れたまま。
相手は久しく忘れていたものを思い出したらしかった。舐められたらそのままにはしておかない事を。イイダもまた、生まれた県に確かそういう心意気があった事を思い出していた。
ヴァリアントであるからと言って今後馬鹿にされたら、その相手には二人で『お礼』をしてやろう。そうだ、それがいい。
汗塗れの巨漢二人はそのようにして合意に達し、暑苦しい握手を交わしながら立ち上がった。
これがヴァリアントの過激派テロ組織として認定されているニュー・ドーン・アライアンスを率いるマインド・コンカラーことケンゾウ・イイダと、その義兄弟じみた副官にして友であるサイモン・バッシュの出会いであった。
悪役はこれぐらい歪んだ愛を持っていてこそだと思われる。




