SPIKE AND GRINN#42
スパイクは帝国の残党と戦っていた。闘技場じみた決闘であったが、あくまでこれは深部到達への過程でしかなかった。奥底に待ち受ける名状しがたいものとは…?
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
八月上旬:カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、エコー・パーク地下、世界蛇の降下
シンヤにはもっと報酬を要求したいところだなと思いながらスパイクは目の前の敵を見据えた。
日給七百ドルで帝国の残党である悍ましい形態の生物と戦う。そう考えると相場より下のように思えた。
以前日本で専門職の買い叩き――例えばイラストレーターやアニメーターの報酬や給料――が問題になっていると聞いたが、向こうでは魔術師もまあ、なんとも言えない境遇なのかもなと苦笑した。
しかしスパイクがシンヤとその件で談笑するにはまず生きて帰らなければならない。そのためには目の前の邪魔な輩を叩きのめす必要性が生じた。
当然の事だが、まあそれは骨の折れる労働なのだ。
あくまで彼は遺物及びそれによって可能となる聖能を切り札と考えており、帝国残党がデータを共有する可能性を考えて使用を控えていた。
本当に危険だと思った時に使うべきで、一発目から使うには躊躇われた。
敵はこのそれなりに広い足場――直径二〇ヤード程――を球形の炎で包んだ。ただの炎ではなく、とにかくオレンジではなく赤かった。
敵は己に自信があって、閉鎖空間でゴリ押しできると信じている。見たところ転移で外に出るのは難しいだろう。
ならいい、その自信が仇となる事を教えればいい。授業料でも報酬でもいいが、それは奴の命自体だ。
スパイクはリロードしていないままの六連発リボルバーの残弾があと四発である事を把握していた。まだリロードの必要は無い。とりあえず一発使っておこう。
さて、目下の問題としては今後どこからこの詠唱肩代わり用弾丸の素材を仕入れるか。
その素材である異様な影響を受けたモンタナ山中の木は、既に全て朽ちてしまったと業者に聞いている。
その発生源は人ならざるものどもの闘争に破れ、リヴァイアサンの饗宴に捧げられたとの事であった。
スパイクが発砲するとそれは風のイサカの大風の残留物を指向性でぶつける召喚として成立した。何気無い仕草であったが、しかし詠唱肩代わり及びこの高度な召喚は簡単にできる事ではない。
スパイクは確かに最強の遺物である〈頂点〉の使い手であるが、しかしただそれだけの理由で地球最強の魔術師と目されているわけではなかった。
彼の才能自体はそうではなかったが、彼はとにかく勤勉であったのだ。
イサカの大風が指向性の破壊として召喚され、それ自体は実際のところ諸々の事情からイサカの力を用いる者以外には効果がある程度限定されたが、しかしそれはそれとして凄まじい衝撃という暴力として使用する事ができた。
いきなり大技をかますのも大事だ。
「貴様…!」と名状しがたい内臓の反転物のごとき怪物は地獄めいた声で言った。効いている証拠だ。
発生した風は爆撃の爆風を一方向、それも特定ターゲット向けて発生させるものであり、幸いにして足場そのものが受けるダメージは限られた。凄まじい突風が怪物の表皮を蹂躙し、一気に傷だらけとなった。
しかしこの大きさの生物としてはやはり尋常なざらる耐久力を秘めていると言えた。
今のは先の大戦時の空母に甚大な被害を与える程の爆発であったからだ。ずたずたになりながらもまだまだ戦闘可能であった。
ビデオゲームに例えるなら相手の体力ゲージを四割程削ったという事になろう。
「おっと、お前がそこまでガッツがあるならもう少しヤバいのをかました方がよかったみてぇだな!」
スパイクは座標指定式の侵食攻撃を回避しつつ接近し、相手の迎撃を躱しながら槍で攻撃した。既にスーツケースは地面に置いており、あとはあれが壊されない事を祈るしか無かった。
こうして戦っているとやはり、ケースを持たずともすぐ背後に追随させるような訓練が必要のようだ。
燃え盛る槍の攻撃で更にダメージを与えたが、しかしやはり思った以上に敵はタフであった。自動追随・攻撃する異次元の氷もそろそろエネルギー切れで消滅する。
次の手が必要なのだ。そろそろ魔術師らしい事をやってやるとするか。
敵は地面を殴り付けて衝撃を発生させ、爆弾が爆発したかのようなそれが周囲を薙ぎ払った。
スパイクはこれを読んでいたのでトリガーを引いて魔術的シールドで防ぎつつ勢いに任せて距離を置いた。残りは二発。
フランス語版の『深宇宙の鉤爪』で学んだ内容よりも別の知識が役に立つ気がした。『ロキの時間線観察記録』のスワヒリ語写本に記述のあるやり方などが。
ケニアの東アフリカ教導院に一時期いた頃の事を思い出した。
「魔王ングウォレカラの側面を崇めるものどものやり方を実施、崇拝の模倣」
スパイクは唱えながら回避していた。全力でスパイクに駆け寄って来る帝国の残党の攻撃を、地面を蹴って転がりながら回避した。
既に端っこに追い詰められており、気温が異様に暑く感じられた。周囲の炎に触れるとかなり不味い事になると思われ、汗が額に浮かんだ。
「死の化身のごときものへの呪われた祭祀を参照」
この手の魔術は膨大なエネルギー源が必要だ。魔力として理解される、異次元の法則をこちらに適用させるためのエネルギーへのアクセスが必要なのだ。
彼は月の運動によって発生する魔力が使用可能かどうかを確認した上で使用した。
当然だが、そうした遠隔地の魔力にアクセスするための事前準備は必要だ。そしてスパイクは当然ながらそうした事前準備を各所で行っていた。
彼はフルタイムの魔術探偵であり、合衆国から認定されており、プロフェッショナルなのだ。
「さーて、クソったれにプレゼントがあるぜ。〈殉教者の重荷〉」
スパイクが魔術名を言い終えるとそれは成立した。彼は左手の槍を掲げ、燃え盛るそれは殉教者の蒼い炎を纏った。
彼は接近するグロテスクな生物を迎撃するために槍の柄を地面に叩き付け、そこから発生した二色の炎――槍本来のオレンジ炎と殉教者の蒼炎――が並んで襲い掛かった。
スパイクは何度か槍で殴ったり斬ったりした後で、とどめとして強烈な炎の衝撃を再度放った。それらの異次元的作用によって液体化しながらオレンジと蒼のエネルギーへと置き換わりながら分解されゆく帝国の残党に、彼は中指を立てた。
「貴様などに…!」とありきたりな捨て台詞を聞きつつ、彼は周囲の封鎖の赤い炎が消えるのを見守った。
これで一つこの世の厄介が減った。帝国の使徒どもは邪悪であり、本人達が主張するより遥かに不寛容であり、同化を常に強要する。
ある種の目的によって緩やかかつ強固に纏まった呪われるべきものどもであり、奴らは今回ここに侵攻してその深部にいる何かを己らの指導者の入れ物にするつもりなのだ。彼はそれを阻止したのだ。
だがもう一つ問題があった。この奥に何かがおり、それが謎の振動を起こしている。そして恐らく、こういう展開は高確率でそいつと戦わなければならないのだ。
スパイクはとりあえず再度降下した。次の降下は更に長く、ブルジュ・ハリファからの降下と同じぐらい降りているような気がした。
上を見ると天井など見えず、恐らくこの地がそれこそロキの息子を収容できるレベルの広さである事を示唆していた。
そうでなくともとんでもなく巨大で深い穴なのだ。
スパイクは遂に深部へと到達した。そこは暗闇の中にあの浮遊足場と同じ床が延々と広がっており、果てはどこなのかわからなかった。薄暗く、上の方では相変わらず稲妻が轟いていた。
「ここがそうってわけか。何もいねぇみたいだが」
しかしそれをウィニフレッドが否定した。
「未知のエネルギー反応上昇中。探していた震源です。シンヤから送られた、『虎鮫』地下にいた実体のエネルギーデータと一致します」
「冗談だろ!?」
スパイクが半分冗談で言っていた事が現実となった。山梨山中廃墟地下に潜んでいたドラゴンの使者…その同類じみたものが他にもいたのだ。
急激に黒い結晶が周囲に生え始め、そして一際大きな結晶が形状を変えて、その姿を顕わにした。
――お前は誰我はラプーロズの臨時権大使お前が上の奴らを滅ぼしたかお前は魔術師か我はゲレッテン・シュヴェッツ。
その他様々な言葉の洪水が聞こえたような気がしたが、よくわからなかった。とりあえず相手がなんなのかは理解できたが。
「なるほどな。それで? ドラゴンの臨時権大使ゲレッテン・シュヴェッツは何が望みだ?」
スパイクは目の前の謎の生物に問い掛けた。身長は十五フィートに及んだ。
俗にポンペイ・ワームと呼ばれる生物に似たものがチューブ・ワームのごとき器官を何本も備えて自立しており、以前『ロキの時間線観察記録』で見たゴロス朝ハイ・オーダー帝国の上級士官服及びその装着者の挿し絵に酷似していた。
優美な緑色の可動合金製の服はその全身を侵す黒い結晶の影響で黒い光が定期的に明滅しており、裏ドラゴンやクタニド――クトゥルーのごとき者の意味――によって『完成』された傀儡である事を物語っていた。
なるほど、地球ではほとんど資料の無い敵と俺はリアルタイムで遊べるわけだ。最高のクソだな。シンヤに追加報酬を要求したいなと考えながら彼は身構えた。




