THE COLLISIONS#5
少女は荒涼たる冷たい惑星にて未知の種族に捕らえられ、過酷な人体実験を受けた。生きたまま解剖され、実験を受け、虜囚の身であり続けた――少女にとってはそこまで面白くはない、今ひとつ疎通の取れない交流。
『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。
登場人物
―〈頽廃せし夏の玉座〉…先進種族ノレマッドの少女。
【名状しがたいゾーン】
約四五億年前:不明の銀河団
意識が朦朧としたが、しかし彼女は強い意思で耐えていた。愚か者どもが、今更麻酔機材を使うな。
{やめろ、無粋ではないか。お前達を強く憎んでいるのに、それを薄れさせる気か!}
〈頽廃せし夏の玉座〉はこれには抗議せざるを得なかった。無粋さには断固反対したかった。故に少女らしい愛らしさを見せつつこれに反対したのだ。憎悪による殺意は、すなわち最高の愛情であるから。しかし五人の異種族は全く応じず、内臓じみた内装の思考物質製の部屋の天井から伸びる麻酔機材を更に稼動させた。強まる麻痺や朦朧の中でも自己を保ち続けるノレマッドの少女は、地球時間で言うところの約五億年前に起きたあの狂った事象による退屈な作り変えを思い出していた。忌むべきものであり、あれは愛とは言えなかった。実際のところノレマッドがあの自我を持つ異常事象を疎むのは、それのどこが愛かとしか思えないという事情があった。故にノレマッドは二度とあのような類いに遅れを取りたくないと考えており、そのために更に力を得ようと日々科学力の発展を続けていた。
とりあえず彼女は次の手を考えなければならなかった。全てを尽くしてここから脱出できないのであればそれはそれで構わない。このまま蹂躙し尽くされ、尊厳を地の底にまで引き下げられ、尋常ならざる悪意による実験によって捻じ曲げられようとも、それはそれで特に恐怖するでもなかった。既にノレマッドの心身はほとんど破壊不可能であった。故に恐怖にも痛みにも耐えられた。だが、それでも脱出の手立ては考えておく必要があった。やはりここでの体験を持ち帰るなり送信するなりした方が、何もしないで朽ちるよりは楽しそうであったからだ。その努力の果てに、全ては相手の掌の上であったと判明して、絶望の中に沈んでいくのもそれはそれで愛があるように思われた。
切り開かれた腹部に奴らが次に何をするのかを観察してみた。少女は内心笑った――何かの液体であった。匂いがしたが、どうやら強酸の類いであるように思われた。なるほど、解剖用に使うのか。それらは無重力空間における液体のように浮かび、そして見えない容器に入っているように見えた。少し興味を惹かれる科学技術が使用されている。しかし酸を使った解剖というのもそれなりに面白そうに思われた。生きたままそれを受ける際の苦痛を、この脆弱化した肉体で体験できるのは不幸中の幸いと言えた。少女は捕らえられた事による困惑を拭えないでいたが、しかしそれでも見方を変えればこれから始まる次の実験はそれなりに退屈凌ぎになると思われた。それはいい。面白そうなのは歓迎する。愛ばかりでなく、たまには純粋な好奇心を唆る体験も必要なのだ。そこから新たな友愛を見出だせる事も考えられた。それはいい、素晴らしい在り方だ。
〈頽廃せし夏の玉座〉は己に迫る浮遊強酸をなんとか首を持ち上げて視認し続けた。この脆弱な肉体が感じる恐怖、その過程を体験してみたかった。手足や胴の拘束は強固な思考物質によるものであり、破壊するには手間が掛かりそうに思えた。今は別に構わない。さて、どのような痛みがあるのか――切り開かれた事で常にずきずきと痛み続ける腹部の中身に、今度は別の燃え盛るような激痛が加わった。少女の目から涙が流れた。ああ、この涙というものは鬱陶しいな。お陰で少し視認に支障が出ているのだ。弱くなるのも考えものだなと、数億年を生きる少女は皮肉を浮かべた。
彼女は首を動かして周囲を見た。他にも異種族の姿があった。それらは多様であるが、その分泌物や吐息等が他の種族に与える影響を考えて各々エネルギーのカーテンで隔離されていた。それらは半透明なので透けて見えたが、どの種族も数日や数カ月で『交代』していった。なるほど、となるとこの実験を続けている五人の属する種族こそが、やはりノレマッドに匹敵する別の種族という事かも知れない。この五人は不眠不休で実験や解剖に取り憑かれていた。それこそが奴らの存在意義となっているのかも知れない。それ故に存在し、それ無しには自己を定義できず、存在しているとは言えないような…。
これらの五人は不眠不休かつ同じメンバーのままであった。交代は無く、他の個体も見えず、更には連絡も取っているようには見えなかった。もしかすれば彼女の見えない場所でそうしているのかも知れなかったが、いずれにしても代わり映えの無い五人であった。彼ら五人の見分けは最初から簡単であったが、今となっては更に見分け易くなった。彼女は勝手に、これら五個体のノレマッド風の名前すら考えていた。それも退屈凌ぎの一環であり、そうする事で欠伸が出そうになるのを防いでいた。苦痛は苦痛であり、永続的な場合とてあるが、それはノレマッドのような高次種族にとっては一時的でしかなかった。神々が苦痛を退屈凌ぎに利用してはすぐ飽きるように、ノレマッドも苦痛をそこまで信頼していなかった。強酸の実験も最初は新しい発見があった。内臓器官から必要なサンプルを抽出するために強酸を使う解剖手順というのはなかなか面白かったが、さすがに何度もやられると飽きた。
次の興味を作る必要があろう――例えば、奴ら五人の互いへの親密な雰囲気などは。しかしその親愛はノレマッドの基準ではあまりにも劇薬であった。何故奴らは互いに競争したり出し抜いたりそようとしないのか?
ここはどこなのか、そんな事は些細に思えた。身動きが取れないよう拘束具に固定されたまま移動させられており、そこまで広くない部屋の内部は透けて向こう側が見えるエネルギーによって遮断されていた。自分がいる区切りには他にもう一人同族がいたが、他の区切りには別の得体の知れないグロテスクな種族がいた。一例を上げれば毛むくじゃらの黒い怪物であり、腕が四本あり、脚は二本あった。それらは躰が異様に細長く、その裸体は吐き気を催すものであった。聞くに堪えないであろう声色は遮断によって聞こえなかったが、恐らく吠え立てているのは口の動きでわかった。
何故こんな場所に自分が連れて来られてしまったのかと考えても遅かった。既に全てが手遅れであり、逃げる手段は無かった。外の環境は絶望的であり、大気組成が特に猛毒であった。防護服無しでは死ぬし、自分に必要な大気もこの区切りの中にしか無いと思われた。
そうこうしているとあの種族が入って来た。奇妙な白い衣服に見を包む多脚の怪物、その目には暗い悪意が見えた。その目に見られた時の感覚は根本的な恐怖であろうか。獲物と認定された被食者の気分か。ぞっとする感覚が駆け巡り、分泌物が溢れ、脳が混乱していた。
しかしそれは一瞬の事であった。次の一瞬には既に相手の視線が移っており、見ればもう一人の同族の方へとそいつは歩いて行った。足取りは迷いが無く、すぐに何かをするのは明らかであった。
そして想像を絶する悍ましい変化が起きた。今後の全てを永遠に変えてしまうような人生の大変革の体験。できればこのような形でそれを迎えたくなかったと思ったが、しかしそれは避けられなかった。
縦に拘束されていた同族は横向き、仰向けにされた。天井からは様々な器具が伸び、それらを使って何かするつもりであった。次の瞬間無造作に頭部を切開し、その瞬間聴覚を潰したくなる程の凄まじい悲鳴が響いた。本当ならこいつらは悲鳴を上げないようにできるはずだ。血飛沫が飛び散らないようにできるはずだ。しかし、その悪意に満ちた処置の最中にそいつはこちらを見た。ああ、奴はこちらの反応を観察するつもりなのだ。そのためにある程度の『遊び』を残しているのだ。なんという邪悪であろうか。なんという悪意であろうか。
そして同族の切開された頭部に、得体の知れない暴れまくる組織を押し付けてた。ああ、あれは恐らく別の区切りにいる種族の体組織なのだ。やめろ、そんな冒瀆的な行為が何故できるのだ。二度目の絶叫には命乞いが混ざっているのがわかった。聞いているだけでこちらも自殺したくなった。やめろ、そんな不道徳な事をするな。
そしてそこで気が付いた――目を逸らせないという事実に。目を閉じる事もできない。心を無にして耳を塞ぐ事もできない。全てがクリアで全てが狂気であった。やめてくれ、そんな、何故だ。
取り付けられた体組織が暴れ狂い、それは同族の首筋に喰らい付き、血が飛び散った。半狂乱の叫びと涙、お願いだからやめてやってくれという懇願は言葉として成立せず、声が出ない事に気が付いた。どこまで悪趣味なのか。ふざけるなよ、どこまで愚弄する気だ。
同族は今や、異種族の体組織が発する同化作用に蝕まれつつあった。否、それを逆に同化してやろうという作用が拮抗した事で、至高の激痛に苦しんでいた。信じられないような、ここまでの命乞いが可能なのかという程の。心が折れそうになる絶望的状況の中で、しかし何も遮断できなかった。全てがクリアな情報として入って来るのだ。もう見たくないし聞きたくない、己の同族が悍ましい悪意によって苦しめられ、拷問を受ける様を見聞きし続けるなど。
もうお願いだからやめてくれ。せめて彼を慈悲によって殺してやれ! 何故だ、何故そうしないんだ!
ノレマッドの少女は相変わらず退屈凌ぎになる手段を探し続けていた。一つの事に延々と興味を持ち続けるのは難しい。隣の区切りで行われる非人道的実験の覗き見も少し飽きてきた。あれはなかなかの愛であるようにも見えたが、しかし何かが空虚であった。何故空っぽに見えるのか、何故この実験を好む美しいものどもの愛は、何も無いように感じられるのか。目下の楽しみとしてはそれを考察する事が上げられた。それはいい、突き止めるのはそこそこ楽しい行為だ。
よくわからない基準で切り取られた、よくわからない断面の右腕前腕を見た。前腕の中央辺りは骨が露出し――骨を形成してやった事には感謝しろ――その内部は無残であった。ああ、これはこれで美しいな。美容を愛する身としては正直苦痛であるが、その中でも可能な事はある。さて、次の成り行きを見ていこうではないか。友愛の伝道者は声を出して笑った。それを見た科学者どもは不信に思ったようだが、その様は少しだけ面白かった。




