GAME OF SHADOWS#15
日本中を騒がせた関ヶ原の戦いが終わった、ある秋の事。傍らに若武者を置く内大臣徳川家康の元に一人の異人、イスパニア人が現れた。古くからの知り合いとして接する二人は近頃の日本について話し合った後、本題に入るのであった…歴史の裏側にてたまたま出会った、二人の剣豪が辿った道筋に触れる。
登場人物
―徳川家康…事実上天下人となった男。
―老騎士…故あって家康と縁のある友人、スペインの偉大な剣術家。
―若武者…家康に仕える剣術家。
一六〇〇年、秋…大阪城の一室
「おお、セビリア殿」と家康は久々に見た異邦の友人に対して顔を綻ばせた。既に夕食も済ませたところでかのイスパニア人は姿を見せた。
主君の夕食には本田や鳥居の若も相席したものだから、その間はとりあえず別室にて待機してもらい、侍女らに世話をさせていた。
「全く久々でありますな。もう我らは会えぬものとばかり。父祖に誓って、人の縁はわかりませぬ」
セヴィーリャ生まれの男はそう言ってから質のいい蝋燭で照らされた室内を軽く見渡した。本来己がいるはずのない地に再びこうして現れた。それがいかにも不思議な事に思えた。
とは言え実際には距離を跨ぐ『手段』はあっても、その機会が今までなかったのだ。彼は彼で忙しく、外地での職務もあった。故郷に戻る機会とてあまりない。
徳川家康、この時は関ヶ原の凄惨なる合戦明けにて大阪城に滞在していたが、そこへ極秘に訪ねてきたのがこの男であった。
イスパニア人は色の暗い朱に染まったラフで首元を覆い、寒さを嫌うようにして黒い外套を纏っていた。
また、ぴっちりとしたショースでは寒いと思ったのか比較的ゆったりとしたパンツを履いていたが、この時期はまだ秋であり、別段寒いわけでもなかった。
恐らく老いたイスパニア人はかなりの冷え性に苛まれていると思われた。
剣は鞘ごと脇に置かれ、この部屋まで持参できた事から普通の扱いの異人ではない事が明らかであった。
家康とイスパニア人が話すのを、一人の若武者が部屋の隅で座したままで聞いていた。イスパニア人は日本語にかなり習熟しており、発音もかなりよかった。
「ところで調子はいかがですかな?」
家康はそれとなく客人の体調を気にしていた。相手は特に隠す事無く口にした。
「まあ、大してよくもありませぬ。見ての通り鳥の脚のごとき、骨と皮が寒さに震える爺にござります故」
そう言ってイスパニア人は乾いた笑い声で自嘲した。さすがに凛としているが、やはりめっきり老いたようにも見えた。実際のところ彼自身はもうそこまで己が長くないと考えていた。
それから彼らは長らく話した。正確には、天下分け目と思われた戦いを制したばかりの家康自らが客人にこれまでの経緯を説明し、客人はそれに相槌を打つなり驚くなりをした。
中でも太閤一家の動向には反応が大きかった。
「ふむ、禁教になりますか。まあ我がエスパーニャ帝国も、身の振り方が派手過ぎた事は否定しませぬ」
異人は特に自国の歴史を肯定するでも正当化するでもなかった。老境に入り、既に諦観した事で離れた所から物事を見ているようにも思われた。
先の太閤による大々的な禁教政策については、カトリック者の彼も思うところは多いにあろう。
しかし、それを口にする事はなく、『左様で』と粛々と事実を受け止めるだけであった――あくまで二人の友情を保つ事に腐心した。
家康もまた、異人同士の闘争や世界情勢、それを踏まえた上での日本の身の振り方については考え、その上でイスパニアについても色々と考えた――国同士と個人同士の付き合いはまた別であると、理性では理解していたが、どうにも悲しく思えた。
「しかしこの老い耄れにはどうにも信じがたき事になりますが、よもや太閤が関白に死を賜るなどと…」
続いて寒がりの老人は豊家の特に大きな事件、秀吉による秀次一族の粛清について触れた。
「あれは…神仏にしかわからぬ人の悲しい不可思議でありましたな」と家康は振り返った。結局あの恐るべき事件はなんであったのか。
それは今でもよくわからなかった。太閤亡き後はなおさら、今後の国造りを担う三河者の心に伸し掛かった。
「大いなる出世を果たしたる老皇帝、その晩節がかようなものとはにわかに信じらぬというのが本心ではあります」
セヴィーリャ生まれの老騎士は先程と概ね同じような内容の言葉を繰り返し、それが彼の動揺を物語っていた。家康とて否が応でもあの日の悲劇を思い出す他無かった。
関白一族は幼子すら容赦無く処刑され、その血が歴史ある鴨川――『色々な意味で』歴史ある――を血染めにし、そして民衆の心もまた同様の次第となった。
秀吉が秀次を事実上幽閉し、出家させた後に切腹を命じた事件は今でも真相はよくわかっていない。当時から何故死に追いやったかについては様々に推測や憶測が飛び交い、皆口々に別の事を言い合った。
ただ一つわかるのは、これに関連して大勢が死んだという事である。二代目関白豊臣秀次の遺族三九人が京都の刑場で血に沈み、事件に前後して秀次方の家臣らが各々腹を割ったり、あるいは『処刑』された。そしてそれら家臣らの一族にも死が及ぶ事があった。
このようにして日本全国が悲しみに沈む恐ろしい、そして謎に満ちた大事件が起き、太閤秀吉は秀次の生前から後継の期待を寄せていたお拾いこと秀頼への偏愛が更に進んだ。
部屋の隅で控えている武士はことさら顔を背けているように見えた。
「しかし、それも恐ろしき事でありまするが、この爺には豊家が中国を攻める事を選んだ事もまた、にわかに信じられぬものです」
彼は彼で大まかに日本の歴史を学んでおり、故にイスパニア人は長らく行われなかった日本の大規模な渡海戦争というのが謎に思えた。
朝鮮半島へ大規模な侵略軍を派遣し、当地を制して次は明朝、明を制しては次にインドを、という信長時代の空想を、よもや初代関白が実行に移すとは信じがたかった。
数百年の平和が続いた李氏朝鮮はもちろん、衰退に差し掛かっていた明帝国の方でも、海賊の類いを除けば大きな争いにはならなかった日本による大攻勢などは寝耳に水であった。
「で、ありますな。諸侯は大いに疲れ、兵は苦しみ、徴発された民は苛まれ、そして異国との禍根を残し、その結果得られたものは特に無く。戦況は有利にござったが、得られたものと言えば…」
実際のところ海外領土などは得られなかったし、各々の細かい戦利品を除けば、一番の収穫は現地で捕らえた人間が主であった。
戦国の常として労働力や値段を目当てに、またそれ以外では少数の技術者らが連れて来られた。
技術者のような専門職の者はある程度上流階級待遇として帰化した者もあったが、労働目的で連れて来られた者達の運命は様々であった――更に別の外国へと売られる者もいた。
元朝との熾烈な闘争以降は比較的穏便に半島や大陸の政権と付き合ってきた日本の外交の未来に、重い課題が残った事を家康は厳粛に受け止めていた。
唐入りは日本の豊臣政権を弱め、朝鮮を弱め、そして明もまた同様となった。
それらの出来事についてイスパニア人は重い心境であった。己らの帝国もまた海の彼方にある異国に攻め入った事があった。
そしてその地を征服下に置いたが、しかしそれは一体どれぐらいの『負担』であったのか。勝ったから正当化できたものを、どれぐらいの禍根を残したものか。
それを思うと、人の世はどこでも変わらぬという事実に行き当たった。彼が知る限り世界のどこでも似たような事があり、そして大いなる『負担』として伸し掛かった。
老いたセヴィーリャ者には神の慈悲を期待する以外には何もできなかった。
部屋の隅にいる若者は一瞬だけぴくりと何かに反応したように見えた。実際のところ、彼にとっても豊家の騒乱は他人事ではなかったからだ。
「ところで、今回は何用ですかな?」
関ヶ原の勝者は穏やかな口調で古い友人に尋ねた。蝋燭が照らし出す部屋の中は別段寒くもないが、やはりイスパニアの客人は寒そうに厚着したままであった。
「これはこれは、恐らく内大臣閣下もご存知のものと」
老騎士はあえて畏まったかのような言い方をしつつ軽く笑った。家康もこれについて笑い、確かにわかった上での質問である事を認めた。
「それはいかにもそうですな。となると、やはり例の件でありましょうな」と家康は寒がりの老人の傍らに鞘ごと置かれている剣を手で軽く指し、老人はこれに頷いて肯定を示した。
「人の世の厄介ごととして、やはりいつの時代もついて回る定めになりまする。拙者のごとき棒振りが存在する意義の一つとも言えましょうな」
言いながら老騎士は寒そうに両腕で胴を抱えた。腕を組むような、それとも違うような素振りであり、家康はこの先はもう二度とこの男と会える機会が無い事を悟った。
家康は自分より数歳上の友人がそれ程までに弱ったのかと、内心苦しく思った。
それに気が付いてイスパニア人は首を振りながら答えた。
「否、ですぞ。この身は既に多くを見聞きし、今はまさに別れ行脚の日々。それさえ終えれば後は心置きなく父なる主の元へと旅立てるというもの。甘んじて、天か獄かを各々言い渡す審判の日まで待てる所存でありまする。この爺は家康卿にこうして再会できた事に喜びこそあれど、悲しむ事などありませぬ。故に閣下もどうかお悲しみ召されるな」
言いながら老人は先程まで蚊帳の外であった、部屋の端っこに座する若者の方を見た。視線を感じたその若者は振り返り、両者の目が合った。
家康の元で仕える若者は異人にやや不穏な視線を送ったが、しかし相手の底知れなさを感じ取って目を見開いた。
「意気込みはよさそうであるな」と呟く寒がりの老人は傍らに剣を置いて無手のまま座っており、無防備なはずであった。
しかし名高き剣聖の流れを汲む流派の達人を父に持つその若者は、今ここで居合いをして踊り掛かったところで、相手の防御を崩す未来が思い描けなかった。
彼の明晰な脳は己に有利なシミュレートを完全に拒んだ。棄却すらした。
「へロニモ殿、あまり手荒には扱ってくれぬよう」と家康が苦笑し、ホンジュラス知事の身から降りてからは法曹入りして余生を送っている元ポルトガル・キリスト教騎士団司令官ジェロニモ・サンチェス・デ・カランサが石舟斎の気鋭なる五男の又右衛門を、『裏側』にいる吐き気を催す者どもとの戦いに向けて導く事に期待した。
イタリア人の影響を受けつつ作り上げた流派の開祖でもある老騎士はしかし、また一人の将来有望な若者を名状しがたいものとの戦いに駆り出さねばならない必要性にうんざりしつつも、全てを神に委ねていた。
ヘロニモの知名度は最近そこそこ上がったような気がする。




