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FANCY NOVELS  作者: ハゲゼビア
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GAME OF SHADOWS#14

 セリム一世は退屈であった――ヴラド三世に殺意が持てないからだ。そんな時、冷酷帝は目の前で己の師が串刺公によって…。

登場人物

―セリム一世…パーディシャー、ハーンの中のハーン、スルターンの中のスルターン、両聖都の下僕、それ以外の多数である帝王。

―ヴラド三世…ワラキア公、人ならざる者、龍の息子、それ以外の多数である吸血鬼。



詳細不明:異位相


 未だ殺意に身を任す事ができず悶々としていた冷酷帝は既に諦めの境地に差し掛かった。無駄であるような気がしたのだ。このまま再び、事務的な抹殺になるものと思われた。彼はとにかく殺したかった――純然たる殺意に身を任せて。

 だがそうはならなかった。やり場の無いフラストレーションが身を苛み、心が嫌な悲鳴を上げた。ああ、またなのか。帝国の偉大なる先人を怖れさせた敵、それならば是が非でも殺してやりたいと思えると思っていた。

 セリム一世はかような絶望感の中で、閉塞的な曇天を見上げた。簡易な野戦用の玉座に座したままで睨み付けるようにして見上げて、己のつまらない運命を呪った。神よ、これもまた罰であると仰せか。あるいは試練であろうか。

 周囲で鳴り響く激しい戦場の騒音がやかましくこの場を埋め尽くし、時折空を弾丸や矢、そしてあの吸血鬼が放った血で形成された武具が覆った。激しく耳障りな金属の激突音、身が竦むようなグロテスクな異音。

 己の兵士が遂に敵の攻勢に耐え切れず、己が全軍に与えた攻防の加護を打ち破られて殺傷されるのを感じた。ふと目を向けると、串刺しにされて掲げられた兵士達が見えた。天幕とその周囲では怒号と指示が飛び交い、激しい議論があった。

 そのような喧騒の中において、オスマン帝国のパーディシャーは至極つまらなさそうにそれらを見守っていた。既にレモネードを飲み干し、空になったグラスを右手で軽く上に投げて拾ってと繰り返していた。

 グラスの中から飛び散ったレモネードの僅かな残りが右の掌に付着し、それを左手で拭った。降り掛かる血と泥は頭上で斬り裂かれ、このような時だけは己が得体の知れない異教の輩に剣として創造された事を苦笑気味に受け止めた。

 まあ厳密に言えば、その輩とてアッラーの被創造物であるのやも知れぬなと考え、それを慰みとしつつ己が抱えるつまらなさに耐えようとした。それならば己もまたアッラーの被創造物であり、何も問題は無い。ジンどもですらイスラーム足り得るならば己も多少意味不明な出自があろうと関係無い。

 しかしなるほど、神は厳しくも慈悲深いお方、それならばこれもそこまでの厳罰ではあるまい。

 だが神は容易に答えを返してくれないという事を彼は嫌という程熟知している。これまで一度とて答えをもらった事は無い。無論彼はイスラームであり、その在り方を疑った事も無い。アッラーは偉大なりと心の中で唱え、慈悲深さに感謝した。

 とは言え、やはり退屈なのは厳しいものがあった。これからも暫くはこのような茶番劇に付き合ってやれと、神はお考えなのであろうと推測した。なるほどやはり、これらは生前冷酷過ぎた事への罰なのかも知れない。

 無限に続くかと思われた地獄の中で藻掻き続ける事で、いずれ許されるのかも知れない。となれば、やはり今(しばら)くはつまらない運命の中で過ごす他あるまいか。アッラーは己の矮小な影にそれを望んでいるのであろう。

 地上における影であれば、やはりもう少しだけしゃきっとした方がよかろう――そのようにやや前向きに、この消極的な破壊的征服者は考えた。まあ、とりあえず異教徒相手の聖戦とでも洒落込もうかと考えた。

 そのようなロールプレイもまた悪くはないかと予測し、聖戦士の矜持を持とうとした。玉座から立ち上がり、それから指示を飛ばそうとした。軍勢は己の冴えを必要としていようから。であれば、とりあえずはそれらしく振る舞ってやるか。

 そのようにして前向きな姿勢で事に取り組もうとした時、不意に声が掛かった。

「陛下、ご無事で」

 この落ち着いた声だけは、つまらない見せ掛けの慰みや見せ掛けの『前向き』とは違って本物であるように思えた。

「おお、我が師よ。そなたもまた健在であればこそ、私もまた健在というもの」

 両者はそれ以降何も言わなかった。無言で包容を交わし、彼らはそれでよかったのである。言わずとも伝わるものがあった。



十六世紀:アナトリア


 かつての日々を思い出した。れっきとした歴史上の人間として生きていた頃、冷酷帝はエジプトへの遠征からの帰途にあった。

 師イブン・ケマル、セムセッディーン・アーメドやケマルパシャザーデとしても知られる碩学と共にかの冷酷非情な帝王は故郷の地を目指していた。

 軍勢は緊張が解けて、やや気が緩んでいたのかも知れなかった。あるいはその軍馬さえも。セリム一世とその師のみは常のままであったが、周囲の護衛や家臣は少しだけほっとしていた。

 戦争の空気から解放され、生きて帰る。あとどれぐらい進めば帝国の領土か。

 往路で見た街に咲く花は今は散っていようか。妻子や父母は今なお健在か。留守の間によからぬ係争など起きてはいないか。

 皆が思い思いにそのような事を考えており、軍勢の末端の方では頻りに会話があった。大勢の人や馬が通り過ぎ、武具ががちゃがちゃと音を立てた。

 やがて泥濘が見えた。小高い丘を下り、先日の雨の匂いが感じられるそれら行き先の様子に兵士達がややうんざりした。

 遠征、特に親征ともなると毎度大変であったが、栄光が得られた時は士気も保たれた。

 その時不意に、一頭の馬がだっと駆けた。見れば人間の死体らしきものが傍らにあって、酷い匂いをしていた。

 野盗にでも殺られたか、個人的な諍いで命を落としたかは知らないが、その様子に興奮した馬があった。

 その馬はオスマン帝国最高権力者、スルターンの中のスルターンに学問やその他を教える聡明な男を乗せており、その珍事自体はすぐに終わり、馬は既に平静を取り戻して隊列に戻った。しかし、その傍らには元々セリム一世がいた。

 馬がだっと駆けた時に、隣で並んで馬を進めていたルーム皇帝はそこから飛び散った泥を羽織っているカフタンに浴びた。咄嗟に師は顔を伏せた――敬愛する皇帝にこのような仕打ちをしてしまった己を恥ずかしく思ったからだ。

 周囲の者どもが事に気が付き、一瞬でその場が凍り付いた。

 というのも、何故バヤズィッド二世の息子が冷酷帝と呼ばれているかを誰もが知っていたからだ。サファヴィーの美しくも恐ろしい神童以上に冷酷であると。

 それ故に、そして戦場において己らの攻撃が、剣も銃も問わず凍えるような黒い液体によって補強されていた事を思い出した。アッラーに帰依する最高権力者がその権力の象徴とするあの恐ろしい液体を。

 莫大な権力を破壊の手段として使う術に長け、そして何より戦場においての指揮能力にも優れた。

 敵を上回る戦力を用意して順当に勝つ事を特に好んだ。だがそれらの優秀さと同じぐらい、彼は冷酷であった。

 己の師と言えば、機嫌を損ねると一体どのような沙汰になるやら…。

 当のセリム一世はそれらの空気感にやや遅れて気が付き、はて何事かと思った。ああ、忌々しい馬めとは確かに思った。

 服を汚されたのでやれやれと考えた。だが、この自体は少し予想に反した。師は馬を御せなかった失態に落胆しているようであった。

「待て」とハーンの中のハーンでありシャーの中のシャーである男はよく通る声で言った。

「これはそなたらが考えるようなものではない」その声は凍り付いた空気を溶かそうとしていた。

「学者の馬から飛び跳ねた泥なれば、それは我が装飾や誇りと同義」冷酷なる帝王は己の師がそのように恥じている事を嫌に思った。悲しまれては困ると思ったため、これをまず許したのだ。

「いずれ私が倒れた時、この衣はその柩に掛けるようにせよ」


 その師が、目の前で刺し貫かれるのを見た。手を伸ばした。届きそうで、しかし届かなかった。

 ああ、師よ。そなたに平穏あれと思った。最後の預言者や天使や聖者達が見守ってくれている事を祈った。というのも、急激に高く伸びて行った血の槍が師の肉体を高く掲げたから。

 冷酷帝は自らの無力について思った。なるほど、神は厳しい。これは影の地位で傲った己への厳罰。

 見せしめであり、教訓でもある。これは実にリアリスト向けの教訓であった。さすが神は、その罰すらも機能的だ。

 血が降り注ぎ、頬と額に血が飛び散った。ふとオスマン帝国のパーディシャーは師と目があった。高所で晒され、死にゆく師は必死に顔を己に向けてきた。

「また汚してしまって…恥ずかしい…ばかりで…」

 声が戦場の喧騒の中でもはっきりと聞こえた。

 他の全てを斬り裂いて師の血のみを浴びたパーディシャーは、この得体の知れない無限連鎖的なゲームで師が無駄に死ぬ様を見た。次のゲームで己の軍勢を〈授権〉(オーソライゼイション)で召喚すればまた会えるであろう。

 しかしこれは確かに悲しいものだ。

 そして、この感情に任せれば、殺意を煮え滾らせられると確信した。彼は憎悪を持とうとした。憎悪による殺意を燃やそうとした。

 だが、迫る吸血鬼を見ても何も思わなかった。

「見ろ、これは貴様の哀れな何者かだ! 親族か? それ以外か? はっ!」

 吸血鬼となって久しいワラキア公はあえてそのように振る舞った。メッセージ性を持たせるためにそうした。だが、相手を見ても何も見えなかった。

 莫迦なと思って斬り掛かったが、精鋭部隊が寄って来て強引に押し留められた。

 目と鼻の先で剣を握ったまま、あと少しだけ届かない至近距離。互いの香の匂いすらわかるような距離であった。

 冷酷帝は殺したいという欲求がこれでも湧き上がらない事に自ら呆れた。

 これは悲しいな。目の前で猛っては取り押さえられているワラキア公の様子を見ても、それが師を殺した相手であろうと何も思わなかった。

 そうか、やはり神は厳しいお方だ。

 怪物的な振る舞いを見せるさしものワラキア公も、冷酷帝のこのような態度には本気でぞっとした。本気で困惑した。

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