PLANTMAN#11
新人ヒーロープラントマンのライバルとなりつつあるダーク・スター、己と同じ名を持つ漆黒の巨大ロボットを駆る謎の青年はプラントマンとナイアーラトテップによって追い詰められた時に、尋常ならざる『何か』を使用した。そのあまりに悍ましい兵器で戦況が傾く中、未知の乱入者が南極の冷たい大地に姿を見せた。
『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。
登場人物
―プラントマン/リチャード・アール・バーンズ…エクステンデッドのヒーロー、出版エージェント業。
―ナイアーラトテップ…美しい三本足の神。
―ダーク・スター…アールを狙う青年、己と同名のロボットを駆る復讐者。
【名状しがたいゾーン】
六月、ダーク・スターとの遭遇から数週間後︰南極、ベリングスハウゼン海沿岸から内陸に数十マイル、海百合型異星人の遺跡
果たしてその時いかなる面妖な効力が発生したのか、アールにはさっぱりわからなかった。吐き気を催す何かしらの効果であるのは間違いあるまいが、その正体は皆目見当も付かぬものであった。いかなる忌むべき邪法であるのかわからぬにしても、それが有害である事ははっきりとしていた。
アールはその瞬間、漆黒の光明神であり巨大ロボットでもあるダーク・スターの小指を掴み、それを片手でぐっと圧し折っていた。独りぼっちの女公ドレッドノートとの戦いで本格的に顕現した彼の能力、すなわちその超人的な身体能力で物理法則を極度に無視して尋常ならざる現象を発揮させる能力――具体的に言えば物理的実体を持たない敵を物理的に攻撃するような類いの理不尽――を発揮しているところであった。指から黒い人型の巨人の全身に凄まじい疾病が広がるかのような何かが起きており、もう少しでこれを屈服させるところですらあった。アールは美しい三本足の神の四体の側面と共にこの巨神を取り押さえていたが、かの神もあのモンタナ山中で起きた慄然たる『何か』の力に曝されていた。もっとも、風のイサカの狂信者とてあえてそのようには考えぬものであるが、その実這い寄る混沌はモンタナ山中で己の側面の一体が何をされたのかを一切覚えていなかった。あの最後の瞬間何か起きて、何故暗澹たる面持ちであったダーク・スターをみすみす見逃したのか全く不明であり、そして今回再びそれを受けてしまった。
この不快極まる感覚をどのように形容すべきであるかは、宇宙で最も先進的な種族であるノレマッド及び〈空を眺めるものども〉ですら恐らく内輪の不毛な議論になるであろう。その瞬間、プラントマンという名でヒーロー活動をしているアール・バーンズは己の心に悍ましい何かが接触するのを感じた。それは押し寄せる不潔な泥とぐずぐずの肉塊の中間のようなものに感じられた。それの接触は彼の全身に本能的な危険信号を発生させ、体内で様々な物質が生成され始めた。一体これはなんであるのか? このような忌むべきものは経験が無く、これまでそれなりに冒険して来た身であれど、しかしこれは全くの未知であり、未踏のグロテスクなものによる接触であった。心が悲鳴を上げ、思わず涙が溢れそうになるのを必死で押し留めた。このような卑劣な男の前で涙を見せるのも、また宇宙で特に神聖な部類である這い寄る混沌の前で涙を見せるのもプライドが許さなかったが、しかし踏ん張りによって余計に苦しみが生じた。黒い光がぼうっと見え始め、それらが現実であるのか幻覚効果であるかの判断すら難しかった。ぐちゃぐちゃとした何かが心に押し寄せ、その名状しがたい感覚によって猛烈な吐き気に襲われ、しかしどうする事もできずに落下した。空中で戦っていたから地表まで結構距離があったものの、彼の肉体は南極の過酷な大地へと激突した。見れば美しい三本足の神もまた、忌むべき黒い光に拘束されているように感じられた。かの神はあらゆる場所に存在する独立した肉体の総体であり、それらを単一の意識によって操作していると聞いたが、しかしあれはかの神の総体にすら作用するのであろうか。このように美しい実体が下水道の奥底の汚濁ですらましに思える汚染によって穢されているのかと思うと、途端に凄まじい怒りに支配された。恐らくそれは清潔なものを汚れたものと接触させる事に対する本能的な忌避であると思われた。
しかしリチャード・アール・バーンズには何もできなかった。尋常ならざる非ユークリッド幾何学的な角度の何かしらの干渉が己らに根差そうとしているという最中で、何もできぬまま苦しむ他無かった。言いようのないインフルエンザ中の高熱のような、終わりの見えない苦しみがあった。あるいはいつ終わるかもわからぬ悪夢の中で藻掻く無力な己に似ている気がした。いずれにせよ、人生で最も酷い瞬間の一つである事には変わりなかった。その超人的な肉体機能によってあらゆる種類の病気や怪我から解放されたと無意識に思っていたはずの己が、かつて普通の人間であった頃の苦労へと引き戻されたかのような感覚に襲われ、途端に無力感が躰を支配しようとし始めた。その感覚は簡潔に言うならばとくかく気持ち悪かった。不愉快過ぎて全身を掻き毟りたくなる衝動を抑えるだけでもどっと汗が溢れた――太陽が出ているとは言え、極寒のこの地において。あまりに悍ましいためとにかく何もかも嫌に思えた。声にならない無音の絶叫を上げ、その凄まじさ故に大地が新歓し、大気は奇妙な振る舞いを見せ、何かしらの残留物どもが厭わしい悲鳴を上げて逃げ惑った。信じられない程に気持ちが悪く、不潔な腐敗した肉塊が手足に接触している感じがした。半狂乱でありもしない何かを殴り、あるいはそれらを引き剥がそうとした。それらは全くの幻覚であると思われたが、しかし現実的な脅威であった。気が付けば胸の辺りまでそのグロテスクな肉かそれのスープのごときものが押し寄せ、胸から下は辺り一面を覆う得体の知れないその何かによって埋め尽くされ、所々で猛烈な悪臭がした。ごぼごぼと音を立てて煮え立ち、あるいは意思を持つかのごとく蠢き、ぐちゃぐちゃという音がそこら中で響き、徐々にそれの『水位』が上がっているのがわかった。そのありもしない悪夢は彼の首にまで達し、鼻が腐り落ちるのではないかとすら思える悍ましい悪臭が鼻から喉までを蹂躙し、嘔吐すらできぬ重苦しい胸の内は二日酔いを異界的に捻じ曲げたかのようなものに思えた。得体の知れない糜爛した肉やその他が浮かぶ液体は水位を上げながらぴちゃぴちゃと水面で飛び跳ねるものがあり、そのあまりにも汚らしい跳ね返りが顔に付着した時は喉が破れるような勢いで絶叫した。そして空いた口にどっとそれらが入り込む感じがして、口の中で吐瀉物が半分生きているかのような異物が暴れ回り、鼻を詰まらせて咳き込み、喉と下がじわりと熱いそれらによって至高の『不味さ』を感じた。
ああ、なんとグロテスク極まる拷問であろうか。アールは己の皮膚の中であの固体及び液体が地獄に棲まうものどもの行進のごとき振る舞いをして這い回っているのを感じ、終わりの見えないむず痒さと言い表せない痛みとで筋肉や脂肪や血管や骨格やその他内臓器官を弄られるのを感じ、巨大な堰が決壊したかのような勢いで猛烈に全身を掻き毟り続け、あるいはぐっと己の肉体の部位を握り締める事で痛みを与えて紛らわそうとした。積もった雪と氷の冷たさは感じれず、寒くも熱くも感じられない苦痛が全身を駆け巡り、脳や頭蓋骨の内側にあれがじわじわと入り込んで動いているのを感じ、必死に頭を殴り付けた。
しかしそうした虚しい努力は己の血肉を弱らせるのみで、弱った心身は更なる意気地の悪い拷問に曝され続けた。
故に彼はせめてもと、救いを求めたらしかった。かの神、諸宇宙の創造主の生き残りであるかの神であれば…。
アールの視線の向こうの上空で、三本足の神の側面達はダーク・スターを取り押さえたままで動かず、じっと嵐の隙を窺っているかに見えた。しかしそこでアールは気が付いた――かの神ですら、ここまで追い詰められるのか? それを意識した途端、強まる吹雪の中でアールは絶望の海に飲まれそうになるのを感じ始めた。底の見えないあの悍ましいスープが悪臭を放ち、恐らく幻覚であるそれらは底の見えない絶望的な深さの海溝に思えた。足が届かず光すら届かない、深い深い海。どこまでも不愉快で汚く、その中に引き摺り込まれる気がして、絶叫が迸るとその衝撃で曇天を作ろうとしていた浅ましい巨大な雲が叩き割れ、ばらばらに引き裂かれて霧散していった。
美しい三本足の神は己がかなり不味い状況に置かれたのを感じつつ、どうすべきか単一の総体として思案していた。己のこの場にいる側面が信じられないような何かの攻撃を受け、その内側を攻撃されていた。あれは今のところ総体には影響を及ぼさないが、しかし結果として見れば前回、かの神はダーク・スターとの別れ際に何が起きたのかを忘れていた。しかし事実としてその忘却を認識する事ができたから、今回は身構えている事ができた。今回は側面も一体ではなかった。しかしそれもいつまで続くかわからなかった。
己だけでなくアール・バーンズも同様の攻撃を受けたと思われ、神ならぬ身であるから恐ろしい程のダメージを受け、今にも死に絶えるのではないかという様相で苦しみ悶えている次第であった。己の創造物はすなわち己の子であり、それが今こうして苦痛に苛まれて狂乱しているのだ、それを見て何も思わぬはずがなかった。
それにしてもこのような攻撃は見た事が無かった。知る限りこのような事象に関する記録を見た事も無い。だが、あの色にはどうにも心当たりがあった。この惑星では『オグズの古代記』と『ナコト写本』のそれぞれ一部の版のみに記述のある、ドラゴンの実体。宇宙のとある方面では『クトゥルーのごとき者』の名で呼ばれる正体不明の何者か。ラプーロズ、ドラゴンの影であり裏ドラゴンである呪われるべき邪悪。神であってそれ以外でもあり、見方を変えれば神から最も遠い何か。それがなんであるのかはかの神にも全くわからなかった。しかし数少ない記録から、それの使者との遭遇の話を纏める事はできた。
もし今現在己らを襲うのがラプーロズの力であれば、恐らくは何か精神に入り込む類いの兵器に違いあるまい。それは精神の強靭さや防壁によって耐えられるものではなく、一般的な精神干渉とは全く別種の何か。見ただけで死に絶える神々や悪魔の美という名のある種の精神攻撃とも全く種類が違い、その他の様々な形態の精神に関わる諸々とも違っていた。
思えば、邪悪と対峙し続けたこれまでの経験にて奇妙な事が少なくとも二つあった。というのも、まずニの五乗の限界値を打ち破った時、それがどこの文明のどこの惑星であるかを完全に忘却していた。ほとんど無限に等しい広さを持つこの宇宙のどこか、かの神ですら未踏の領域なのかも知れなかったが、しかし何故思い出せないのか。
もう一つは、以前ブルー・スフィアと呼ばれた異次元惑星の崩壊によって出現した奇妙な重力地帯における戦いにおいて、あの機械を埋め込んだ神々は未完成であった。完成を目指すその在り方、エネルギーのパターン。考えれば考えるだけ、それが今現在己らを蝕んでいるラプーロズに典拠していると思わしき兵器と同質のものに思えてならなかった。自己創造の機械であり件の神々の副王であったレッケルフェイムは何を元にあれらの変異の機械を作り上げたのか? やはり裏ドラゴンの力にどこかで接触したのではないか。
アールは耐えに耐えた。苦しみ悲鳴を上げようとも耐える事以外に道は無かった。幸い敵もまた静止している。しかしとにかく全身が内側から蹂躙されているような気がして酷い気分であった。吐瀉物が触腕と化して全身を駆け巡っては、異様な振る舞いで痒みを誘発しているように思えた。
しかし彼は耐えた。耐えに耐えた。かの神は凛としていた。なれば己もまた同様にしよう。
終わりの見えない我慢は遂に希望を見せた。
「あれだよなぁ! ホントはとっくにくたばるか狂うかしてないとおかしいのに、俺らが屈しないのが怖いんだろ!? それともホントはとっくに記憶喪失ってか? ハッ、できるならやってみるんだな!」
アールは人中のインドラのごとく振る舞った。悍ましい苦難に対する征服者としての意識を持った。
「しょうがないね、まだ足りないのかい」
ダーク・スターの内側にいる何者かの声が響いた。姿を見せない腰抜けに思え、侮蔑の念をぶつけた。
やがて苦難の対峙者としての在り方が実を結び、奇蹟が起きた。
一迅の疾風が駆け抜けた。それはダーク・スターを空中から地面へと叩き落とし、三本足の神の側面をその場に置き去りとした。衝撃は広大な南極大陸の彼方にまで広がり、凄まじい勢いで森羅万象が騒ぎ立てた。
「これ以上好き勝手はさせんぞ」
アールはその声を聞いて初めて第三者が乱入した事を察知した。声の主の顔はこちらからは見えず、マントがはためき、頭はバズカット・モホークの様式で両側の地肌が見え、頭頂を通る前後のラインにのみ髪があった。ヒーローらしき真紅のコスチュームが目を引き、彼の周囲では吹雪が戸惑って道を開けた。
「莫迦な、君は何者だ?」
ダーク・スターは未知の乱入者によって名状しがたい攻撃を打ち切られ、そして動揺を見せた。
「決まっているだろ。俺はこれまでにお前であった事は一度も無く、これからもお前である事は決して無い者。俺はプラントマンだ」
次第に回復する心身を落ち着けていたアールはそれを聞いて稲妻に打たれたかのような衝撃に襲われた。




