AMAZING POWERS#7
ケンゾウ・イイダはアライアンス結成前に世界中を旅した。彼はそこで、どこの国や地域でもほぼ一貫した『とある事』に気が付いた。
登場人物
ヴァリアント過激派組織ニュー・ドーン・アライアンス
―マインド・コンカラー/ケンゾウ・イイダ…アライアンスを後に結成する巨漢、地上最強クラスのテレパス。
一九七三年:西海岸某所
アメリカ西海岸や南部を旅したのは確かに、冷静に考えれば『第二次大戦後の日本人の行動』としては愚かであったかも知れない。
というのも、ケンゾウ・イイダは戦時中の日系アメリカ人の収容の話や保守的な人間の話も知っていたから。
しかし彼は人間の善性を信じようとしていたのかも知れなかった。風の噂はステレオタイプであると目を背けたかったのだ。
大戦が終わって既に数十年が過ぎたし、日米関係は大きく改善されていた。
しかし実際にはそうではなかった。否、もちろん優しい人々は多かった。しかし、それでもやはり心無い声を投げ掛ける輩はいたのだ。
総数はどちらがどうであるか、そこまでは覚えていなかった。しかし、嫌な体験はやはり心を蝕んだ。
「出て行け、俺の兄貴は太平洋で死んだ!」
あれは確かどこかのレストランかダイナーであったか。
彼はそれを無礼と断じて蹂躙し尽くしてやれるだけの力を持っていた。
頭の中で軽く思考する程度で他人を攻撃できる能力があり、そしてその扱い方にも習熟していた。しかしどうした事か。
彼は何も言い返せなかった。悔しかったが、それ以外の感情もあった。それがなんであったのかはわからなかった。
彼は涙が流れないよう気張りながら、なんとかその場を離れるだけで必死であったのだ。
既にその時点で世界最悪のヴァリアントのテロリストの一人と目されていたあのケンゾウ・イイダが、ひと目を避けたじめじめとした路地裏で涙を流した。
やがてそれらの感情が怒りに変わっていくのを感じ、胸の中で悍ましい感情が渦巻いた。
何故そこまで言われるものであるのかと彼は思った。だが、ここで殺してやったところでそれは恥ずかしい行為に思えた。
そうだ、所詮あれは無力な者、強い己とは違うのだ。酷い中傷などは弱者にやらせておけばいい。私は強者としての生を謳歌するから。
臓腑を満たすどす黒い感情を制御して、漆黒の心を持ったままイイダはその場を後にした。
もう少し醜いものを見て行けば何かしら悟るものもあるかも知れないと考えた。そしてとりあえずのところ、それはいい考えであるように思われた。
彼はなんでもなかったかのような様子でその場から出た。何十分、あるいは何時間路地裏にいたのかはあわからない。
生乾きの地面と端っこの方の苔、汚れた壁が目に焼き付いていた。
彼はこの時の事はそれ程はっきりとは覚えていなかったが、しかし何食わぬ顔で――先程まで悔しさと怒りに打ち震えていたにも関わらず――どこか別の店に入った事hじゃ覚えていた。
店の中は人でいっぱいであり、空いているテーブルに就いた。
ふと対面の相手を見ると中国系らしい雰囲気であり、多分相手はこちらが日系であるとわかるであろうから、ふと次に何か起こるかも知れないと覚悟はした。
しかし何も起きず、軽く挨拶を交わしたに過ぎなかった。相手は片言の日本語で挨拶して来てそれにややぎこちなく笑みを作って答えた。
まあ確かに、この世の全てが醜いというわけでもないように思われた。しかし人間の半分以上が醜いものであるのは確かであるかも知れなかった。
少なくとも、目の前の中国系の男には己がヴァリアントである事だけは話さないでおこうと考えた。
店の中ではカーペンターズのナンバーが掛かっており、やや穏やかな気持ちになった。
数日後:南部某所
バイブル・ベルトという言葉が本当であるのか興味があった。既にあの西海岸での体験が、イイダに心の準備をさせていた。
不意で無ければ酷い言葉を投げ掛けられようと耐えられる自信があった。
この頃キング牧師という名を聞くようになった。しかし彼もバプテストである。となれば、バプテストなるものの全体が排他的ではないのではないかとも思った。
考え過ぎるよりも実物を見てみたくなった。
ぼんやりとしたキリスト教的右派を想像し、それらがどこまで本当でどこまでが嘘なのかを見極めたかった。おどろおどろしいイメージを解体し、それを真と偽に分割したかった。
そうすれば、塵芥溜めのようなこの世界とて何か別の見え方があり得るかも知れなかった。暗澹たる未来に対する展望が明るくなるかも知れなかった。悲観的な物事の見方を捨て去れるかも知れなかった。
あるいは、これ以上人間に対して威力的なテロ活動をしなくても済むかも知れなかった。人類全体への融和の希望が持てるかも知れなかった。
苦痛と怒りに満ちた過去を水に流し、余生を刑務所で送る――あるいは絞首台へ向かう――事を受け入れられるかも知れなかった。
あの西海岸の体験が彼に大胆さを与えたのかも知れなかった。現在のところケンゾウ・イイダは己の姿を『隠して』旅しており、誰も彼があの最悪のヴァリアントのテロリストであるとは思わなかった。
彼のテレパシー能力は強大であり、そして物理的にはテレキネシスによって同じぐらいの影響を物理的に行使する事ができた。
故に誰も彼に気が付かなかった、少なくとも今のところは。
更に言えば彼は適切な行動の仕方も学んでいた。皮肉にも、日本軍で兵器として酷使された時の体験がここで生きた。
敵地における行動の仕方、身を隠したり潜伏したりする方法を叩き込まれた。
己の運命を皮肉に思いながらも、しかし明らかに己の能力に抵抗を示して彼があのケンゾウ・イイダではないかと訝しむ群衆の例外から逃れる事ができた。
そうこうしてこの地にやって来た。広大な野山が異国情緒を物語り、日本とは違う植生が目に留まった。吊るし上げられるか、それとも吊るし上げるか、それ以外か。
それはこれからわかる事だ――結局のところ、彼自身の中核は酷い体験も大いに想定していた。
実際のところ、思ったよりも胸に突き刺さるような体験をした。この辺りの街を歩いて回っているだけで絡んで来る者がおり、そして醜い言葉を投げ掛けられた。
中国人を侮辱する言葉であったり、日本人への侮辱であったりもした。
それらの累計からある程度この国のアジア人観が見えたような気がした。少なくとも、底辺の方は。
無論だが庇い立てしたり、無意識の差別心はあるがそれでも案じてくれるような者もいた。余所者は早く立ち去ったほうがいい、ロクでもない酒飲みどもに絡まれちゃ見ておれん、と言われた事があった。
しかしなんであれ、心に干渉して支配する能力を持つケンゾウ・イイダは、他人の悪意ある言葉によってダメージを受けたらしかった。
彼は己の能力を使って己自身の傷を癒やそうとしたが、なかなか癒えなかった。
なるほど、これは確かに強烈である。あまりにも酷い時、例えば集団で絡まれた時は彼らの頭に『お邪魔して』その場を離れた。
相手が銃を持ち出した時はテレキネシスで恫喝してから記憶を消した。
そして彼がヴァリアントであると自白した場合、毎度酷い言葉が飛んで来た。
人種差別や白人至上主義と無縁の者でさえ、中にはヴァリアントと聞いて態度を豹変する者もいた。これは第二の痛打であった。
日本もヴァリアントを巡って病んでいると思ったが、この国も同じぐらい病んでいるように思えた。ヴァリアントは人ではないと思われているのだ。
確かにイイダ自身もヴァリアントと通常の人間やエクステンデッドを分けて考えてはいる、しかし根本的には同じ祖を持つ同胞であると、心の深い所では信じていた。
しかし今回の一連の旅、アメリカもそうだがそれ以外も含め、彼が訪れた世界の九割以上の国や地域ではヴァリアントに対しての扱いが最悪であった。最低であり、見ていたくはなかった。
特にあの自称未来から来たとかいう男の全世界演説で、世の中のヴァリアント蔑視は今まで以上に広まった。
実際に未来から来たとしか思えない科学力を持つ男が、未来におけるヴァリアントの脅威を説いたのだ。
飢えた民衆、特に日々の不満や人生の苦痛を社会的弱者に転嫁したりぶつけたりしたいと思っている層には最適な論であった。
イイダは己の旅やその経験を世界に発信した場合、恐らくこう言われるという確信があった――わざわざ自分から渦中に行って差別されましたとか、そんなのは自業自得だ。
だが彼はそれに断固たる、しかし単純明快で誰でもすぐに思い付く答えを用意していた――そもそもそれらの人々に差別心が無ければただの旅行で終わった。
アジア人、日本人であるからという差別があり、それ以外にもヴァリアントであるとして差別を受ける。なるほど、この世の中は残酷なものだ。思えばアメリカは黄禍論というか、永らく中国人への蔑視があったものであったな。
先の大戦の政策を見るに、それが日本人――そして場合によってはその他のアジア人――に向くのも自然であろうと思った。
ヴェトナム戦争もそうした感性を助長するのであろうか――とそこまで考えて、そうした人種的な問題は己の目的ではないと思い直した。
結局のところ彼が一番腹が立ったのは、どこへ行こうとヴァリアントであるという事で差別される事にあった。
それはアジアでもヨーロッパでも南北アメリカ大陸でも、中東でもユーラシア内陸でもアフリカでもオセアニア地域でも同じであった。
どこに行こうと、アジア人蔑視が無かったり薄かったりする場合でも、ヴァリアントへの悪意は平均すればとても酷かった。
ヨーロッパを中心としたキリスト教圏はまだわかる。というのも、彼は例のヴァリアントを巡る公会議を知っていたから。
だがその他の地域はどうなのか。何故どこでも大体同じようにヴァリアントは嫌われているのか。
日本のヴァリアントへの蔑視には複雑な経緯があった。中国や朝鮮半島のヴァリアント蔑視の歴史も大体は把握していた。
だが彼はその他についてはあまりまだ知らない事に気が付いた。何があったのか。
第一、何故エクステンデッド、すなわち己の異能の使い方を把握できている者達はあまり差別されず、手探りで把握しなければならないヴァリアントは手酷く差別されるのか。
誰かの悪意が裏にあるのかと彼は考えた。それこそ、あの未来人のような何かしらの煽動が。
そしてこの時、彼はその未来人とやらと極秘裡に密約を結ぶ事になるとは考えていなかった。




