NYARLATHOTEP#23
強大なパルヴァライザーを前に、かの神はなおも愚弄的態度を変えなかった。それすらも武器になると知っていたからだ。地球から遙か彼方の、不燃性エタノールの銀色の海を持つ惑星で行なわれる、約五〇億年前の神話的戦いの行方は。
『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。
登場人物
―ナイアーラトテップ…美しい三本足の神、活動が確認されている最後の〈旧支配者〉。
―パルヴァライザー…超エネルギー生命体グレート・コンシューマーのエージェント、現パルヴァライザーである未知の種族の女。
【名状しがたいゾーン】
約五〇億年前、〈惑星開拓者達の至宝〉の一件以降:不明の銀河
蒼い太陽や蒼いガス惑星が再び見える高度へと躍り出て、かの神は己の敵をじっと眺めた。惑星の上空に何百何千マイルにも渡って出現したパルヴァライザーの上半分が己を見下ろしていたが、かの神自身は己の七体の側面を俯瞰しながら多腕で奇妙に捻れた肉体を持つ未知の種族の女を見下していた。所詮貴様は私という理不尽かつ絶対的なものに蹂躙されるだけに過ぎず、それ以上の結果などないのだ。
「ところで、これから貴様はどうするつもりか? まさかそれが最後の手札などと抜かすか?」
美しい三本足の神は最後の〈旧支配者〉として己の敵対者を愚弄し、嘲笑っていた。勝てると思っているのか、下郎ごときが。とは言え、と大いなるナイアーラトテップは思った。この惑星はとても美しい、戦いの最中に破壊されてしまうのは避けておきたいものであるが。
眼下には芳しい不燃性エタノールの銀色の海が夜闇の中でぼうっと輝き、荒野では微量な放射線を吸収して育つ結晶と植物の中間である不思議な物体が紫色の輝きを放ち、やや赤みが掛かった空はその向こう側の星空を映し、そして衛星や惑星自体が持つ輪が存在感を放っていた。
「こうするのよ」
女がそう言うと、圧縮した空間が元に戻ろうとする際に発生する破壊効果――宇宙全体で見ればそこそこ一般的な兵器――がかの神を中心とした数百マイルに渡って発生し、空やその他の風景が歪んだ。これは確かに厄介な攻撃であり、一般的にはシールド技術による肩代わりによって防ぐ事が多いが、かの神の対処法は己の操作する七体の側面をその場から短距離転移で避難させつつ、同時に巨大なパルヴァライザーの投影ないしはある種の半実存に接近するものであった。転移で距離を跨いで七体中三体の側面を表面に到達させ、それらに打撃を放つよう仕向けさせたが、しかし相手もそれを予測しており、敵は若い恒星を材料にして作り上げた三本の矢を召喚し、イーサーの雨を降らせた。なるほど、同時に攻撃されるとこれは厄介である。しかしかの神もまた予測しており、こうして両者は己の敵が作る状況を各々で引き裂き始めた。想像を絶する宇宙的な攻防が続き、時間と空間の法則が屈服し、虐げられた。エッジレス・ノヴァは己以上に古ぶしき実体が暴れる様を見てその自己定義による残酷の類似物へ嫉妬し、過去にこの場所にあった何かしらの残留物どもが喚き散らし、星々は地獄めいた攻防から目を逸らした。星系外の死に掛けたブラックホールが急激に蒸発し始め、その十三億年程あると思われた寿命は六〇億年になり、それと同時にマイナス十の十乗倍秒にまで減少した。その矛盾に合わせるのが嫌になった周囲の自然法則がある種のストライキとして放射線を爆発させ始め、それ以外には言葉にするのも憚られるグロテスク極まる現象が星系の外へ向けて放たれた。かつて一帯を蹂躙したガンマ線バーストの記憶が蘇って銀河そのものが号泣し、天体間の距離が離れ始めた。パルヴァライザーを現世における己の全権大使として派遣しているグレート・コンシューマーは概ねこうした諸々に満足しており、姿があると同時に無形のエネルギーの渦でもある己の肉体を奇妙なパターンで発光させてある種の光言語でげらげらと笑っていた。
やがてアルゴンを主成分とした大気を座標重複砲弾として使う相手の戦術への対応を見誤ったところで巨大な腕で殴られたかの神の七体の側面は信じられない速度でクラーバトの鏡面がある地帯へと落下した。この銀河とその周辺銀河にのみ見られるこの物質は激突によって粘っこく飛散し、それから空中で凝固して浮遊したまま固定された。かの神は這い出ながら不揃いな粒で区切られたクラーバト鏡面の曠野を戦鎚で操作して大盾を形成して掲げ、被膜のようなそれの向こう側にいる巨大な薄着の女を睨み返した。胴の下部にある奇妙な配置の歯列じみた装飾の服は下半身を投影していないので見えなかったが、傲慢そうな蜘蛛めいた九つの目がかの神を見下ろしていた。
「あらぁ、これであなたが下に見られる番が来たってわけね?」
女の声は空間を愚弄して響き、それを受けて時空そのものが悲鳴を上げていた。大気はざわつき、海は時化ってきた。
「いかにも、私は貴様があまりにも哀れに思えて、己の立ち位置を束の間譲ってやった次第よ。宣言しておくが、貴様はそこから引き摺り下ろされ、己がいると考えていた天空を遥か下から見上げながら無様に終わるのだ」
それを聞いて八本腕のエキゾチックな風貌の女は大層おかしそうに笑い始め、この世の万物を創造した神を冒瀆した。
「どうやって? 勝てもしない相手に粋がって、あなたは無様に死ぬのよ」
かの神はそれを聞いて爆笑した。それに対して周囲の万物が跪いて媚を売った。
「おお、貴様は私を笑わせおるな。貴様のごとき取るに足らぬ虫けらが、この私を下に見たのだ。この実力に不釣り合いな振る舞いを笑わずして、何を笑えばよいのだ?」
それから再びこの世のものならざる頂点捕食者同士のそれじみた決闘が再開された。信じられないような手段で闘争が繰り広げられ、かの神は飛来する攻撃をクラーバトの水銀じみた被膜で受け止めた。時折隙を見てはそれらを天を穿つ槍として発射し、消耗してくると周囲から補充した。とは言えこの戦術も無限には続くまいから、美しい三本足の神は次の手を考えて行動していた。
太陽フレアを操作して敵にぶつける手を進めつつ、その裏で色々と別の手を試行していた。敵もまた全力でそれらを妨害したり反撃したりしてくるから、かの神は久々に歯ごたえのある敵に出会ったかのような感覚に内心苦笑した。確かにあの二の五乗の限界値よりは厄介な敵であるように思われた。アドゥムブラリよりは強いが、しかしリーヴァーよりは弱いと考えた。いずれにしてもこれまでに遭遇した邪悪どもの中でも特に強力な部類であり、蔑みこそすれど油断はできなかった。短距離転移で散らばらせた側面に七方向から攻撃させつつ、太陽フレアで敵と鍔迫り合いを演じ、海水を操作して敵の別の攻撃と打ち合いをさせ、大気に対する主導権の取り合いを演じていた。後世にとある燃え盛る異次元人が開発する二酸化マンガン膨張隔絶装甲に似た防御を形成した敵はやや攻撃が通りにくくなり、かの神はイーサーを操作してこれを打ち破る術を探った。そして結晶じみた戦鎚の性能に感謝をしつつ、己の敵の強大さに困惑した。なるほど、思った以上に悪という汚染の拡大が早まっており、これらを完全に駆逐する事は不可能かも知れないと大局的な視点で考えつつ、美しい三本足の神はここ以外のあらゆる戦場において己の側面を操作せねばならなかった。しかし休まる間も無いように思われる己の使命と今後の命運を嘲笑い、その程度かと莫迦にした。すなわち、これら全ての事態、そもそも三本足の神やその他の正義の使徒が戦わなければならなくなった根本的な原因を作った〈旧神〉に対する侮辱であった。貴様らが用意できる障害がこの程度であれば、私は永劫のそのまた向こうでも戦っていられるものを、だというのにその程度でしかないか?
星空のマントを纏うナイアーラトテップのそうした隠すつもりもない侮辱的思案を感じ取ったパルヴァライザーはまたも苛々に襲われた。何故この神はこうも余裕があるのか? その気に入らない態度を圧し折ってやるつもりであったのに、何故そうも平然としていられるのか。女は己の敵がいつまで経っても焦らない事が心底憎たらしく思えて、それによって同時進行の攻防でほんの少しの手違いをしてしまった。ミスが見逃される事はなく、精密機械のように攻防を続ける這い寄る混沌がつけ入る隙となった。
「惜しかったとでも言ってやれればよかったものを、貴様…初歩的なミスを犯すとはなんと無様な」
辛辣な言葉が相手にどう聞こえるかは既にわかっていた。相手は頭に血が登り、そして更にミスをした。直接的に巨大な投影像で殴ろうとして、その隙を狙われる事となった。二度の隙に二度の攻撃を挟み込むのは容易であり、かの神はさも当然のように相手を上回ったのだ。
まずかの神は最初の隙を見て、大気の主導権争いで拮抗していた状況を一気に覆した。これによって敵を拘束するために大気を使う事ができた。相手は抜け出そうとするであろうが、それまでに別の攻撃をすればよい。次の隙でかの神は大気圏内と大気圏外から集めたイーサーを巨大な落雷のような、莫大なエネルギーの流れとしてパルヴァライザーに激突させた。女は拘束されており、その空を大きく覆う数千マイルもの投影像はこれをもろに受けてしまった。苦悶の悲鳴が響き渡り、山脈は恐らく向こう数千年に渡ってその声の残留が木霊するものと思われた。
かようにしてかの神はグレート・コンシューマーが己の化身として力を注いだ女を打ち破り、女は勢いを失って等身大に戻り、反逆者が堕天する様のごとく空から落下して行った。




