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FANCY NOVELS  作者: ハゲゼビア
237/302

SPIKE AND GRINN#38

 ハウラ・ランチェスターは自らの罪を受け止めているように見えた。最後の良心で己の狂った連続殺人を停止し、厳罰に臨むものと思われたが、スパイクはあえてそれには言及しない事にした。

登場人物

―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。

―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉エンペラー・オブ・オーダー

―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉(エルダー・ゴッド)

―ハウラ・ランチェスター…マサチューセッツ工業の才女、一連の連続殺人事件の犯人。



事件発生日の翌日、昼付近︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、マサチューセッツ工業の辺りの地点


 スパイクは警察が到着するまでの間、ハウラをサングラス越しにじっと観察していた。時折視線を外して、周囲の喧騒や空を眺めたりした。

 クレイトンとの電話でハウラの事情がわかり、別段同情するでもなかったが、しかしもやもやとしたものが残った。

 早い話、邪悪は邪悪のままであって欲しかった。その方が蔑むなり憎むなり、悪役に仕立て上げて気が楽であるからだ。しかし世の中には灰色の部分が多過ぎると考えた。

 今回の件もそのように思え、彼は正義を果たしたというのに今一つ晴れない気分であった。

「なにか仰っしゃりたいのでしょうか?」

 はっと我に帰り、スパイクはそれがハウラの声及び問い掛けである事を理解した。彼女は壊れたような笑みを浮かべ、恐らく己を残酷な怪物のように見せようとしていると思われた。

 そして彼が推測するに、実際のところは彼女にも狂気の片隅の良心があり、そしてそれ故に己に同情が向けられる事を避けるために悪辣な振る舞いを見せようとしているらしかった。

 彼女は己が邪悪であり、こうして拘束されこれから逮捕され、裁判や判決を待つ身となった以上は、犠牲者のために己が容赦無く裁かれるべきと考えている風に見えた。

 スパイクは己のそうした推測が何故か間違っているとは思えず、ある種の確信があった。それら高速で行われる思考を一旦区切って、美しいブラックの青年は相手の問いに答えた。

「そうだな。何か言おうとしたが忘れちまったぜ」

 そのようなあからさまなとぼけを聞いてハウラは作り笑いではなく自然にくすくすと笑った。

「あら、そうでしたか。てっきり(わたくし)の事を言い負かしたいとばかり」

「生憎だが昨日カラオケとウイスキーで喉を酷使してな。どの道喉の余裕は無い」

「あらあら、そのようなご冗談を」と東アフリカ的な容姿の美しい令嬢は笑った――またも彼女は自然に笑えた。

 スパイクはそれを見るとやや心が晴れたような気がした。奇妙な話ではあろう、目の前の女は異常殺人犯であるし、実際大勢を殺した。

 しかしその彼女の暗澹たる心が元に戻ってきたのを感じて彼は安堵していた。

 ハウラがやった事は決して許される事ではない。彼女は難病の己が生き永らえるために、他の誰かを大勢犠牲にしてきた。

 大勢を異星の神の慰みものとして捧げ、冷え切った死体へと変えた立派な殺人鬼である。現実問題として彼女は大勢の命を奪ってその未来を掻き消した。

 これは決して許される事ではない――ではあるが、彼女が決して逃げも隠れもしない事はわかった。

 心か、あるいは魂で彼女の本当の気持ちを理解した。それがこの数十分間の観察の感想であった。彼女は暴れもせず、殺気も見せず、虚しい「悪鬼のふり」の演技に忙しかった。

 彼女は己が厳格に裁かれるために狂人らしさを強調しようとし、それがハウラ・ランチェスターというある種の「可哀想な」人間に残された最後の良心であったのだ。

 スパイクはふとハウラを後ろから軽く――そして強固に――拘束しているグリンの顔を窺った。

 異星から飛来した永遠の美少女は数十億年の年月を踏み越えてなお青々としており、終わらぬ春を体現しているかのような女性であった。

 その彼女はスパイクの思考を無言の目のやり取りで汲み取り、『私もあなたと同意見です』というスパイクにしかわからない微かな変化を見せた。


 離れた所にいるティナはやや憔悴して見えた。引き締まった白いパンツとストライプ柄のシャツを着た彼女は髪が乱れ、ぼんやりと空を眺めていた。

「大丈夫か?」

 スパイクがそのように問い掛けた時、彼女はライアンに付き添われていた。既に救急隊を呼んでいて、その応急的な診察も終わった。

 心的なショックも軽いものであるらしく、大事には至らないと思われた。

 しゃがんでいる彼女はスパイクの方へと視線を移し、たまたま太陽の光がより眩しくなったので目を細めながら答えた。

「大丈夫よ、ありがとう…」

 実際大丈夫そうに見えた。もしかするとハウラは拘束だけに留めて、特に何もしていなかったのかも知れない。

 これ以上罪を犯してまで生き永らえる事を諦め、そしてあるいは、一人の魔術師として戦って己の凶行の終いとした。

「ところで、あの人はどうなるの?」とティナは尋ねた。己に恐ろしい体験――少なくとも絶叫したくなるような――をさせた相手を案じていた。

「彼女からは何か聞いたが?」

「いいえ…あっでもそう言えば、何か喋っていたような…大勢を不幸にした…殺したって」

「そうか。まあ大体そういう事だ。彼女は大罪を犯した。本人はそれと向き合ってる、今はな」

「そう…根は優しい人に見えたから」

 それはそうなのかも知れなかった。しかしハウラは己の存命と他人の命を天秤に掛け、前者を取った。その事実が消える事はなく、ハウラ自身もそれから逃げないつもりであろう。

 やがてパトカーのサイレンが聞こえた。やや物々しいボックスカータイプの車両で、中からは専用の訓練を受けた対超人護送の警官達が現れた。彼らの持っている器具は申し分無かろう。

 しかしそのような拘束器具でこれからハウラが身動きを取れなくなる様を想像し、運命の複雑さに苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。

 スパイク的には全部上手く行っているフリをして、クソったれのサングラスで全て覆い隠していた。

「行きましょうか。何故だか存じませんが、結婚式の最中に逮捕される光景が浮かびますわ」

 気が付くと、心の中で雨が降っていた。まるで、ここ何日かは陽射しが弱くて雨が強かったかのような気がした――全くの晴れ空でありながら。

「どちらかというと、テニスラケットを庭で掘り返された感じかもな。まあどっちでもいい事だ」

 スパイクもハウラも、今までの人生がそうであったから、心の中の陰鬱な空模様も承知していた。

「そうですわね。私がした事に比べれば、そのような些細な事など」

 そしてこれからも、こうした日々が続くのだ。

「今何を――」

 望もうとも、止める事はできないのだ――ハウラは己で選んだのだ。

「さようなら、地球最強の魔術師さん。あなたはお元気で」

 このような雨を今までに見た事があろうか。何せ心に降るその雨は、晴れ空の下で降っているのであるから。


 ハウラが警官に両脇を固められて歩いて行くのを見ていると、ふと電話が鳴った。

「もしもし?」

 相手はクレイトンだと表示されていた。

『スパイク、あんたに言い忘れた事があった』

 やや申し訳無さそうな声色であった。スパイクはそれに気が付かないふりをして尋ねた。

「どうしたんだ?」

『違和感の正体がわかったって事を言い忘れたんだ。ハウラ・ランチェスターの講座や経済状況を調べた。

 確かに人よりは裕福だが、それでもあんたが言ったぐらいの金額をずっと誰かの講座に振り込んでやれるぐらいの裕福さじゃない』

 別の意味で暗雲か、嫌な雨が心に入って来たような気がした。

「爺様の金でもねぇのか?」

『それが彼女、ほとんどそっちの資産は手にしてないみたいでな。予定だと遺産のほとんどは難病治療の施設やその他の地元の団体に寄付する事になってたんだ』

「何? じゃああの金をデュガンに払ってたのは誰なんだ?」

『おっと、言い方が悪かったな。実は毎月決まった日に、ハウラ・ランチェスターの講座に振り込みがあったんだ。で、それを彼女は引き出して、手渡しでデュガンに』

 猛烈に嫌な予感がした。理由はわからなかった。

「ちょっと待ってくれ、目の前にハウラがいるから聞く」

 クレイトンはスパイクがいつの間にか『ハウラ』と名前で呼んでいる事には気が付かないふりをして待った。

「待ってくれ、最後に聞きたい!」

 彼女と両脇の男性警官二人は止まった。振り向かないままでハウラは言った。

「どうしましたか?」

「お前に金を振り込んでたのは誰だ? 誰がデュガンの娘の医療費をお前の代わりに用意した?」

 やや間があって答えた。

「異国風な顔の方、あまりアフリカ系アメリカ人には見えませんでしたが、耳障りのよい西海岸風な発音と言葉遣いでその方はお話なさってましたわ。名前はロバート・スティルマンと」

 スパイクは雷に打たれたかのような気がした。ロバート・スティルマン、またの名をガティム・ワンブグ。肉屋のワンブグ。

 思えば、この事件の影に奴がいた。あくまで脇役でしかないと思っていたが、あの男と一戦交え、そして今ここでその名を聞かされた。もはやただの脇役プレイヤーには思えなかった。

 ハウラは優秀な女性だ。もしかすれば、液体窒素とイーサーを混ぜ合わせる事ができるかも知れない。だが誰かの指導無しにはほぼ不可能。ワンブグにはそれができるのだ。

 ではあのカメオはなんであったのか。

 何故ワンブグはカメオの血の持ち主であるジム・ロスは何か喋る前に殺し、それに対してトウゴ・マスダとハウラ・ランチェスターの口は『何かを喋られる前に』封じなかったのか。

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