SPIKE AND GRINN#37
残酷さを証明する方式の証明魔術によってハウラの異星神の力は弱まった。打ち据えられた連続殺人鬼に残されたものとは…。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉。
―ハウラ・ランチェスター…マサチューセッツ工業の才女、一連の連続殺人事件の犯人。
―クレイトン・コリンズ…地元市警の刑事。
事件発生日の翌日、昼付近︰極寒の冬じみた位相におけるカリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、マサチューセッツ工業の辺りの地点
スパイクはエッジレス・ノヴァから借り受けた残酷さの証明のための剣を投擲し、それはイサカのウェンディゴ的な側面の依り代となっているハウラ・ランチェスターを拘束し、理不尽な力の低下を与えた。
グリンは非リニア時間線的兵器による回避不能攻撃を開始し、実際のところ神々にとっては回避可能なそれらを回避できなくなったイサカの側面に直撃した。
風のイサカが地球における新たな混沌を見込んで力を貸した連続殺人犯のランチェスターは己の纏う神の肉体が名状しがたい力によって縛られるのを感じ、そしてその状態の己に目の前の少女――魔術師の男曰く神――の攻撃が全段直撃したものであるから、宙から叩き落とされた。
見ているだけでも信じられないような残酷さを感じる剣が地面に突き刺さっており、ランチェスターが起こした悍ましい異星の暴風は弱まっていた。
奇妙な線が剣から伸びて彼女を押さえ付け、そこにスパイク自身も追撃を開始した。
「言ったよな? こっちは三人だ。それも魔術師一人と神二人、お前に勝ち目なんかねぇんだよ!」
スパイクは高圧的な役を演じている時のレイモンド・クルスの演技を想起しながら相手に言い放った。
彼は遂に連続殺人犯を特定し、そして今ここでそいつを追い詰めていた。気分がよくないわけあるまい。
「こんな…ありえませんわ…」と本来は美しい東アフリカ的な容姿であった――今は異形の異星神の依り代となっているが――令嬢は言った。
膝を屈し、ウェンディゴじみたその姿は力が抜け始めていた。
「『ありえません』ですか。残酷な話ですね」
同じく異星の異形の神であり永遠の美少女であるグリンは、あえて己の真の姿を現す戦闘形態を取らずにランチェスターを追い詰めていた。
金色の髪が風に吹かれて揺れている美少女は右手の指を鳴らし、それと同時にディッセンタ・ヴァルファンティール帝国を形成する燃え盛る真田虫の黎明騎士が使う対艦双剣を十本呼び出した。
「おい、それって」とスパイクは思わず言った。雰囲気であれが何か理解できた。
「ええ、あなたがなんとかかんとか帝国と呼んだ異次元国家の黎明騎士が使う武装です。私は槍より剣の方が好きですので」
揮発と凝固を繰り返す二酸化マンガンの棒状の剣が可動し、それらは恐るべき斬撃を放った。
柄の両方に刃が伸びるそれらの剣は弱り切った状態のランチェスターを蹂躙し、スパイクはそこに風で飛ばされていた岩盤を投げ落とした。
散々な状態のハウラ・ランチェスターは己に一人の別の神が迫っているのを察した。
その神は銀色の靄を纏い、手には恐るべき力が見え、それは恐らくブラックホールの奥底よりも尋常ならざる作用であると思われた。
「やっとここに来た」とライアンは言った。かつて地球の守護神ヴォーヴァドスであった彼は消滅の力を放ちながら不意に消えた。姿が崩れ始めたランチェスターとウェンディゴの中間である女ははっとした。
彼女が気付いた時にはライアンは既に彼女の背後を歩いていた。通り過ぎた神は彼女からイサカの影響を消し去り、宇宙の彼方で傲慢な風神が悔しがるのを感じた。
極寒の冬じみた色合いのこの位相はやがて穏やかになり始め、諸々の悪影響は霧散した。
「ライアン、あの女をぶん殴ってやったか?」
スパイクはサングラス越しに問い掛けた。
「ああ、久々にいい一発をお見舞いした気分だよ。俺は復讐した。次は報復する番だ」
「ってわけだ。お前は終わりだ。あとは法廷で散々惨めな思いをすればいい。報復ってのはいいよな、合法的にできるなら特に」
するとグリンが彼を見てきた。スパイクはやれやれと首を振った。
「わかったって。ハウラ、お前はわざと痕跡を残したんだろ」
スパイクの問いに、人間の姿に戻って腹這いになっているハウラは虚を突かれた表情となった。
「私は…そのような…あなた達が憎むべき怪物でしてよ」
スパイクは軽く舌打ちしてから続けた。
「そうか? じゃあ無意識かもな? それはどっちでもいい。お前はわざと自分の名前を残してティナの母親経由で発覚するようにした。お前のように何年も犯行を隠し通した奴がそんな事をするはずがない。俺はお前に凄くムカついてるが、お前に最後の良心ってのがあれば少しは気分もマシだな」
スパイクは腕を組んで問い詰めた。グリンはいつもの冷淡な調子で何も言わずに、あのぼろぼろになったスパイクの上着を胸の前でぎゅっと抱き締めている。
ライアンはやや困惑して状況を静観していた。
「私はそのような…」
ハウラはまたも同じような言葉を繰り返した。涙が彼女の頬を伝い、それから彼女はよろよろと立ち上がろうとして、できずに腰を下ろした。
「そのような者ではありませんわ」
彼女は涙を流しながら怪物じみた笑みを浮かべようとした。
「何故わざとそのような事をする必要がありまして? 私冷酷な人殺しですのよ!?」と狂気じみた笑い声を上げようとした。
彼女は己の右上の袖を捲った。腕のアクセサリー類が音を立てて腕が露わになり、そこには信じられないような光景があった。
「これをご覧下さいな? これが何か存じませんが、明らかに通常の沙汰にはございません。一つ言えるのは放置すれば数年もせず死ぬという事。治療法? ええ、既に世界を駆け巡る事数多、あらゆる全てを試しましたとも!」
彼女の腕、そして恐らく服で隠された胴や脚、及び首元も、あれに侵食されているのであろう。スパイクはそれが何か知っていた。その時彼は己の博識がやや嫌になった。
イスラーム的な女性の身体を隠す洒落たファッションはそれと同時に、彼女の肉体を蝕む忌むべき異星のドラゴンの影響を覆い隠す目的もあったのだ。
「裏ドラゴンの祝福か。死ぬというか、もっと厄介な事になるな」
スパイク自身もそれ程詳しいわけではなかった。裏ドラゴンと呼ばれる宇宙の彼方の実体は、限られた魔道書に少し記述があるのみであるから、補足情報もほとんどは推測でしかない。
「あら、知っておいででしたのね! 何にせよこれでわかった事でしょう。私は自らの目的のために殺して参りましたのよ? 風のイサカの徒となり、かの実体に贄を捧げる事で辛うじて生き永らえる冷酷な殺人鬼、それがハウラ・ランチェスターなのですから」
彼女は見ていて悲しくすらなる笑みを浮かべながら、己の意志に反して涙を流し続けた。
なるほど確かに、彼女はスパイクが言うところの『クソったれ』であり、ぎりぎり同情できそうになく、そして冷酷なのであろう、何せ彼女は己の生存のために他の多くを犠牲にできるのであるから。
しかしその彼女が、己では否定しているが最後の良心によって自らを露見させ、そして恐らくはスパイクらに止めてもらおうとしたのであろう。狂気の果てに彼女は終わりを選んだ。
ハウラ・ランチェスターは同情できない連続殺人犯であり、多くの罪無き人々を異星の邪神に捧げた。
天を支配する唯一の神の使徒でありながら異教の神に縋り、そして邪悪をこの惑星に呼び込もうとした。
だがスパイクとライアンは、どうしても彼女に『知るか、一人で勝手に死んでろ』と言えなかった。
数十分後︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、マサチューセッツ工業
通常の位相に戻り、警察に連絡した。恐らく対超人用の護送車が到着するであろう。
マサチューセッツ工業からは全員が退出しており、スパイクは外に出て電話していた。
ハウラは両手を二人の神に抑えられ、逃げられる気配も逃げる意志も見えなかった。
通りでは遠巻きに人々が彼らを見ており、連続殺人犯を晒し者にしている気分はあまりよくはなかった――正義を果たすともっとすっきりする日もあるのであるが。
「何?」とスパイクは語気をやや荒げ、それから歩いてハウラらの位置から離れた。
「じゃあハウラ・ランチェスターは『アタック・フロム・ジ・アンノウン・リージョン事件』の関係者の子孫なのか?」
『俺が突き止めたところだとそうなるな』と電話の向こうで市警のクレイトン・コリンズは認めた。
かつてはハンサムであったろうに今は太っている東南アジア系の刑事――グレードは3らしい――が寝不足でコーヒーとドーナツを摂取している音を聞きながら、スパイクは唖然とした。
『邪教の情報提供を条件に司法取引に応じた奴がいてな。それがマサチューセッツ工業の創設者らしい。昔はお上も甘かったんだな。今やると大問題だろう、一斉検挙の代償として情報提供者の罪を大幅軽減――まあそいつは元々法律上はそう大した事はしてないが――して、なおかつ新しい身分を与えて野に放つとかな。
『でもそれだけじゃなかったみたいだな。俺はランチェスターの爺さんと話してきたが、爺さん言ってたよ。孫は先天性の奇病だったって。不用意に自分が混沌の神々と繋がりを少しでも持ってしまった事の対価だろうって泣いてたよ。俺はただの魔術とかそういうのはわからんが、今回の件の裏事情は俺にもよく理解できたよ』
そしてその上でその孫は神の力を降ろしながらも無様に敗北し、無差別連続殺人の容疑者として連行されるのだ。
エッジレス・ノヴァはスパイクとの短期契約を楽しんだらしかった。




