SPIKE AND GRINN#35
スパイクはグリンの助言を得て、マサチューセッツ工業のハウラ・ランチェスターの研究室を調査した。これと類似した施設をLAで絞り込む予定であったが…。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉。
事件発生日の翌日、昼付近︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン
スパイクはふと、二〇一三年の春か初夏頃に起きた、恐るべき事件の事を思い出していた。ニューヨークが、否、アメリカ全土が『邪悪な意図』によって運用された窮極の兵器の英雄〈諸敵の殺害者〉の脅威に曝された。
あの戦いの直前、彼は帝国と呼ばれる勢力が図書館のスパイア侵攻を行った所謂『帝国戦争』に参戦し、帝国を撃退するのに活躍した。
そのようにして世の中のために活躍していると、地球最強の魔術師と呼ばれる事もそう悪くはないような気がした。しかし一方で、彼の親友が発狂し、敵となり、そして別の友を惨殺したのだ。
それを思うと、限られたエリアにおける最強であったとして、それにどれだけの意味があるのかというやや達観じみた負の感情が湧き上がった。
己が最強であるという事は、そしてその己がLAにいるという事は、ある程度抑止力になると考えていた。一般にそう名乗った事は無かったはずであったが、しかしかつてメディアでも地球最強の魔術師として扱われた事がった。
しかし、この街から犯罪が無くなるような事は決して無い。それを考えると、己が小学生のように最強に拘っているというだけにしか思えなくなった。下らないだけで、実際には何も意味が無い。
彼を最強たらしめる、魔術師としての技量及び最強の遺物を持っているという要素。これらの総合がその最強とやらの根拠であろうが、考えれば考える程、彼は無意味に思えてならなかった。
むしろ、裏の最強であり、彼と同等の遺物使いでもあるあの忌々しいガティム・ワンブグが持つ裏社会における肩書きの方が、より実質的な『利益』のあるものではないか。あの男に不用意に仕掛けるのは自殺行為であると裏の皆が知っている。
そして実際のところ、こうして連続殺人犯の魔術師が己のすぐ近所に潜んでいたのである。それを思えば、やはり何の意味も無かったのかと思う他無かった。
まあ、それらの虚しい事実に関しては今は目を背けよう。まずはあの女を『引き摺り下ろされる事の無い安全圏』から引き摺り下ろしてやる。この俺の目の前で無差別連続殺人をしておいて逃げられるとは思うんじゃねぇぞ。
スパイクはそのような葛藤を胸の奥に仕舞い込んだ。彼は己を分析してみた――恐らく、ここまでの長期に渡って犯行を重ねた凶悪殺人犯に接近できた事への興奮状態なのかも知れない。あるいはここで捕まえられるかどうかのプレッシャーによるものか。
なんであれ、彼はいつも心の中では様々に舞い上がったりしつつも、それはそれとして己のすべき事をする事ができた。これまでもそうしてきたように、今回もすべき事をするであろう。
幸い、グリン=ホロスは信じれない程の美を誇る異星の名状しがたい神格によくある『地球人にそこそこ友好的』という例の典型であった。彼女は己が気が付いた解決法を意地悪か試練のつもりでずっと黙っている事は無く、己の協力者でありそれ以上の関係と言えないでもないスパイクへ素直に教えた。
彼女が言うには、とりあえず落ち着いてマサチューセッツ工業のハウラ・ランチェスターが使用していた研究エリアを調査すればいいとの事であった。それを言われてスパイクは己がすべき事をはっきりと認識した。
彼もまた完璧な人間には程遠く、かなりの経験を積んだがそれでもまだまだ若く、人に言われて初めて気付く要素もあろう。しかし一度理解した彼はこれから何をすべきかが頭の中で組み上がり、そのために車のエンジンを切って運転席を出た。
無言で出た彼に続いてグリンもまた無言で助手席から降りて、これに対して、スパイクが一体何をいきなり悟ったのかがよくわからないライアンがやや出遅れた。
「ちょっと待って! 何かわかったのか?」
それに対してスパイクは、驚く程に冷え冷えとした声で告げた。
「着いたら説明する。一緒に来るなら来いよ」彼は振り向きすらせず道路を渡った。
昼近い強烈な陽射しの下で、サングラスをしたスパイクはそのままマサチューセッツ工業の入り口へと再び入った。
「よう、また会ったな」
先程電話で話した――そしてそれ以前に一度直接『話した』――受け付けの女に声を掛けた。相手は先刻の体験のためか、やや雰囲気が引き攣って見えた。
「いきなりで悪いが、ハウラ・ランチェスターに手配が掛かってる。警察は奴の身柄を全力で捜索中だ」
「はい? そ、そんな…何かの間違いじゃ…」
「予想通りの反応ありがとうよ。単刀直入に言うが人命が危険に曝されてる緊急事態だ。ランチェスターの仕事場を見せてもらいたい」
それからスパイクは市警に電話し、電話を代わってやって現在の『公式見解』をマサチューセッツ工業に伝えた。ハウラ・ランチェスターは危険な殺人犯であり、現在どこかで民間人の女性一人と一緒にいるという極めて危険な状況であると。
スパイクは人命が掛かっている状況で可能な限り寛大な態度を取れるとう努力した。先程は確かに、の受け付けの女に対して言い過ぎたような気がした。
そしてこの女もまた別段悪人であるとか、そのような事はないのであろう。状況の緊迫感が伝わり、すべき事をしてくれた――彼女は他の偉い手を呼び出し、呼び出された五〇代の少し太った男は驚いたものの、すぐに捜査を承諾した。
好きに見ていいと言われてスパイクとその二人の仲間が奥へと向かう前に、彼は受け付けの女に一言謝った。
「さっきは悪かった。やり方が強引だったな」
「いえ…この不正を正したら、それを私への謝罪と見做しますので」
不正、すなわちハウラ・ランチェスターの隠された凶行を明るみにして、それを正す事。それで手打ちにすると。これで益々後に退けなくなった――やってやろうぜ。
スパイクとグリンは並んで歩きながらハウラの研究エリアへと足を踏み入れ、その少し後ろからライアンがやって来た。ライアンは現在のところ、先程のような焦りが収まっていた。しかしそれでも彼らは普段よりも早足であった。
ハウラが使っていた部屋は映画『ダークナイト』でバットマンが使っていた拠点――あのやや異質なバットケイヴ――を狭くして、更にもう少し女性向けにしたような雰囲気があった。清潔な白い壁や床、少し高めの天井。
何に使うのかわからない機材が並び、恐らく法外な高額であろうそれらを尻目にスパイクとグリンは手分けして見聞を始めた。
「俺がやってる事だが」とスパイクは目を調査対象から外さぬままでライアンに大きな声で呼び掛けた。
「『俺達』では?」とグリンが言ったのを鼻で笑いつつ続けた。
「まず重要なのはこの部屋に何があるかという事だ。あの女がここで諸々の『殺人』を行なったと推定する、根拠はデュガンの証言だ。で、そうなるとこの部屋でイサカのウェンディゴじみた姿の側面を召喚して、そいつに犠牲者を捧げた事になる。そうだとするとどうだ? ランチェスターは今お前の彼女のダチを恐らく拘束してる、あの女がまた殺人をしたいと思ってるなら、ここ以外でイサカの側面の召喚に適した場所じゃなけりゃならないわけだ、手口をいきなり変えないと仮定すりゃな。
「だからこのクソったれな部屋が重要なんだ、奴が召喚に使った機材やら設備やらを特定して、LAの恐らくこの近辺の、どこでなら同じ事ができるかを割り出す。そうすればあの女がこれ以上誰かをいけ好かないどっかの神の嬲りものにするっていうマザファッキンな手口の殺しをする前に阻止できる。わかったら全員で探すぞ」
以前何かのモットーで『全ては人命のため』というものを見掛けたが、今はまさにそういう状況であった。
横に寝かせた直方体の水槽のような、ガラスとそれらの枠で構成されたよくわからない設備を迂回したスパイクは、ふとそれの中を覗いた。開けられそうな部分を開けてみて、液体窒素やイーサーの痕跡を探った――何も無かった。
戸棚や机を探り、モニターを覗き、手近な端末を操作して情報を探った。映画に出てきそうなロボットのアームを見て回り、それが特に何の痕跡も無い事に気が付いた。
赤いガラスの半球が上部にある機械が二つ、それぞれ離れて置かれており、説明書ステッカーによると磁気を用いた何かの実験機材らしい――英語で書け。
思っていたよりも更にあの女は狡猾であり、そして冷静に考えれば、このような他の誰かが来るかも知れない場所においそれと証拠を残しておくはずもなかった。
デュガンの証言が本当であれば、ここで正しいようであるが、しかしあの男のランチェスターの犯行に関する証言には不明瞭な部分があり、特定には至らなかった。とは言え犯行そのものについては明確にあの女がやったと明言していたから、裁判で争う事は可能であろう。
スパイクは一瞬警備部門に聞きに行くべきかと考えたが、しかしこの部屋は監視装置が一切見当たらない。素晴らしいプライバシーであった。
何か無いのか、何かが。
スパイクは俯瞰しようと思って部屋の端に行き、そしてそこで浮遊してみた。グリンもまた、部屋の中央近くで存在しない階段を登って空中に登り、空中の存在しない椅子に腰掛けて足を組んだ――タイトスカートで脚を組む様が不意に魅力的に見えた。
そこでふと、部屋の壁から同じ程度離れた場所にそれぞれあの赤い半球ガラス付きの装置がある事に気が付いた。
「いや、まさかな」とスパイクは言った。
「そうですか? 私は正しいと思いますが」
そう言うとグリンは左の掌をそっと下方へと向け、そこから急速に伸びた二本の触腕が二つの球を同時に叩いた。
妙な音と共に全てが反転したように思え、気が付くと彼らは極寒の冬じみた色合いの異位相にいた。そこは通常の位相のあの部屋とは全く異なる物が置かれており、名状しがたい雰囲気があり、吐き気を催す邪悪の気配がした。
「助けて!」
女性の悲鳴。ちょうどグリンの真下辺りに二人の人影があった。あれが多分ティナで、もう一人は――。
「ハウラ・ランチェスター! 観念しろ!」
スパイクは魔術詠唱を代替わりしてくれるリボルバーを車に置いてきたままであった。ここと同じ事ができる場所を探すための調査であったが、まさかここにいるとは。
しかし彼はそれ抜きでも強いし、負ける気は無かった。
「遅かったのですね、もう少しお早い到着かと」
気品のある様子でハウラ・ランチェスターは言った。極彩色的な緑のヒジャーブで髪を覆う東アフリカ的な美しい女は、先日のショーラのようなどこか壊れた笑みを浮かべ、上品な声色で言葉を紡いだ。
名状しがたいものの触腕がティナをぐるぐる巻きにして拘束していた。
「黙ってろ、いいか? お前は大勢をクソったれの理由、快楽殺人だかなんだかで殺した。ああ? わかるか? お前は俺に捕まえられる。お前は法廷に立たされる。お前は死刑か、一生ソリチュードだ。状況がわかってんのか? こっちの手札は自称地球最強の魔術師と秩序の神格とかつての地球の守護神だ、お前は? いいや、お前には何も無い」




