NYARLATHOTEP#22
パルヴァライザーは強敵であったが、しかしナイアーラトテップもまた無数の悪と対峙した歴戦の身であり、大力の者であり、原初世代中のインドラであり、恐れを知らなかった。
『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。
登場人物
―ナイアーラトテップ…美しい三本足の神、活動が確認されている最後の〈旧支配者〉。
―パルヴァライザー…超エネルギー生命体グレート・コンシューマーのエージェント、現パルヴァライザーである未知の種族の女。
【名状しがたいゾーン】
約五〇億年前、〈惑星開拓者達の至宝〉の一件以降:不明の銀河
死せる王達の事績に関する諸々の不壊石版やその他の様々な記録媒体から、やがて朧気ながらにその輪郭を後世の人々が認識する事になる、この辺境銀河における熾烈な戦いは、実に恐ろしい様相を見せており、吐き気を催す邪悪の吐息を掻き分けて戦う美しい三本足の神の讃美歌は更にその数を増やすものと思われた。瀆神行為に浸る諸々の逆徒どもは更に恐怖し、その他の鼻持ちならぬ下郎どもとてかの神の武勇を無視する事はできぬであろう。なかんずく名状しがたき帷の向こうのものどもとて、簡単に手出しする気にはなれぬものと思われた。不燃性エタノールの銀色の海はざわざわと穏やかさを失いつつあり、荒れ始めるのももはや時間の問題であると思われた。あと数分で嵐になり、アルゴンを主成分とした大気はやや遜った態度で暴風となるであろう。生と死の狭間でグロテスクなステップを踏む未完成の使徒どものごとく、冒瀆的な面持ちで頭上の美しい三本足の神を睨む未知の種族の女は周囲の原子に不可解な干渉を始めた。
「あなたって結構ムカつくわね」と部分的には|〈空を眺め《スカイ・るものども〉と似ている八本腕の女は、蜘蛛じみた九つの目から赤い光を発しており、全身からも同じ色のエネルギーが立ち昇っていた。
「ほう、貴様のごとき下郎がそのように思うのであれば、まさに私にとっては恐悦至極とでも言っておくべきか? それとも、辛辣な表現で罵倒でもしてやろうか?」
かの神は悪を滅するものであり、そのためにあえて傲慢に振る舞っていた。ぞっとするような深海のごとき深緑の甲冑は宇宙的なエネルギーを纏ってぼんやりと燐光を放ち、宇宙の黯黒を映し出す星空のマントは強まりつつある風によってばさばさとはためいた。
「まあいいわ、私的にも、あなたみたいな思い上がった輩を叩きのめすのって大好きだから」死すべき彼方の死霊術師どもですら終ぞ見せる事が無いと思われる程の邪悪な笑みを浮かべ、己のパルヴァライザーとしての力を再び行使し始めた。周囲に侍らせた変異原子の群れを発射し、それは物理法則の改竄と空間への冒瀆によってかの神の背後からいきなり襲い掛かった。赤く輝く名状しがたい群れ――次元自体の規格と合致しないせいで正常に『表示』できていないものと思われ、かの神にも赤い奇妙なものにしか見えなかった――がナイアーラトテップの前後左右から襲い掛かり、それらはしつこい肉食の羽虫のごとく群がった。故にかの神は赤い結晶じみた戦鎚を振り回し、あるいは宇宙的なエネルギーを放つ事でこれらの害を払わねばならなかった。こうした戦術は大抵相手の動きを制限させるために使われ、となればあのつけ上がった冒瀆的な女の次の手もある程度絞れるというものであった。かの神は敵の手を数百万通りからおよそ三万通りにまで絞った。
「そこか!」
戦鎚による短距離転移で数十メートル上空へと移動し、かの神はそれと同時に腕を振るってハイアデス関数的性質の波動を発生させた。しかし相手も何かしらの反撃は予想していたらしく、所謂『防御または回避とほぼ同時に発生するカウンター』は今回のところ外れたらしかった。無数の触腕を備えた猿人種族のごとく己の八本の腕を動かして、その各々で莫大なエネルギーを発生させて攻撃を打ち消したらしかった。しかしかの神の方はどうか。未だにあの厄介な赤い何かの群れが追い縋って来ていた。あれらはなかなか頑丈らしく、結構な回数攻撃せねば消せないものと思われた。かの神は己の無数の側面を俯瞰し、今現在余裕のある側面がどれだけいるかを考えた。かの神の側面は数え切るだけでも途方も無い時間が必要な程存在したが、しかし厳密な意味での無限でないし、実際には有限であった。故にその各々がほぼ例外無くどこかで活動中であり、それらは『一度訪れた場所とその周辺にはいつでも転移できる』という戦鎚の力のための『開拓』か、もしくは新たな邪悪を検知したであるとか、既に交戦中であるとか、あるいはその他の理由によって忙しかった。だが幾らか使えそうな側面があった。己の細胞を一つ一つ見渡すのは、力がまだ完全に喪失されていない事を確認できるいい機会だ。
敵はエッジレス・ノヴァ的性質を利用している可能性もあった。つまり残酷さの証明による力の増大。部分的に使用しているのはプライマル・ブリリアントも同じであるが、グレート・コンシューマーとプライマル・ブリリアントの間には大きな隔たりがあろう。いずれにしても、敵であり、滅殺すべきであり、グレート・コンシューマー抜きでの宇宙のバランスの保ち方も既に何度も考えていた。そしてそれはかの神にとっては可能であると結論付けられた。
「貴様の力はなるほど、大体予想ができた。これより貴様を捻り潰してやる」
突如戦鎚が輝き、それを眼前に掲げたかの神は時空の彼方から己の別側面を六体召喚し、計七体の側面を俯瞰しながら操作し始めた。エッジレス・ノヴァは残酷さであり、そしてそれを証明する者がいたとして、これを更なる残酷さで超克したところで、これは残酷の更に上の残酷を証明した事にしかならない。つまり残酷さの更に上の残酷さは、その更に上の残酷さによって乗り越えられ、征服され、蹂躙され、それ以外の悲惨な結末を迎える。そしてその残酷さもまた、それ以上に残酷な何かによって超えられ、結局のところ無限階段的な残酷の上昇があるに過ぎない。無論このより強力で残酷な力どもによる終わり無き塗り潰しの繰り返しは、全てエッジレス・ノヴァの掌の上でしかない。だが、三本足の神はエッジレス・ノヴァよりも古く存在し、半分は被創造物で、もう半分は自己創造的であった。すなわち、残酷さに依る必要が無く、自己で『残酷』に似た概念を定義でき、乱暴者のように踏み越えて行く事ができるのだ。エッジレス・ノヴァの原理に典拠した力はこのような力に弱い。
「不愉快ね!」
女は更に多くの赤い何かを作り上げた。気色の悪い羽虫の群れじみた得体の知れないものが多数飛び交い、空は害虫の群れが日を陰らせるかのごとく月光を遮り、黯黒が支配しようとしていた。そうだ、黯黒、いいぞ。だが、さすがにそこまでは上手く行かぬらしかった。これは真の黯黒ではない、星明りすら苦痛となるあの側面の形状に、この程度の暗さはよろしくない。ならばやはり、残酷を嘲笑ってやる。
パルヴァライザーがさっと腕を一本振るい、それらの悍ましい赤の群れが四方八方から、あるいは位相や次元の壁を縫うように移動して襲い掛かった。その度に宇宙が悲鳴を上げ、きしんだ影響が遠方のどこかで銀河を歪め始めた。かの神はその近辺にいる側面を使ってそれらの悪影響に対処しつつ、この場にいる七体の側面を使って敵を撃破するために本格的な行動を開始した。内一体を戦鎚の力で剛力の巨躯へと変形させ、それは己に群がる赤を全てその怪力によってばらばらに引き裂いた。残酷はそれが生まれる以前に存在した年長者によって嘲笑われ、エッジレス・ノヴァの蚯蚓とクレープと腫瘍と次元断層を組み合わせたかのごとき総体はぞっとしたらしかった。かの神の他の側面もまた己らの力でエッジレス・ノヴァに典拠した敵の赤い群れを消し去り、論理が破綻し、赤は消え、月光は再び銀色の海面を照らし出した。
「予想以上に弱いな」
ナイアーラトテップは這い寄る混沌であり、その他の多くの呼び名を持ち、そして悪を嘲笑う正義の神であった。げらげらと笑いたい気持ちをなんとか抑えるかの神を尻目に、己の攻撃がまたも失敗に終わった事実は、パルヴァライザーにとって不愉快そのものでしかなかった。エッジレス・ノヴァからすれば食事を中断されたに等しく、直接的な主人であり本体でもあるグレート・コンシューマーからすれば、これまた不都合であろう。何せ下界における己の全権大使であり化身でもあるパルヴァライザーが、それ以上の力によって適当に払われたのであるから。
「…そう? だったらもっと本気出していいって事よね?」
グレート・コンシューマーの化身として顕現する、八本腕の球体じみたエキゾチックな美貌の女は、薄着姿の己の姿を巨大化させたかのように見えた。実際のところそれがどういう原理であるのかはかの神にとっても未知であり、恐らくグレート・コンシューマーがパルヴァライザーに与えた恩恵の一つと推測できた。実際の脅威としては、この女の上半身が惑星上空数千マイルに渡って出現し、下半身の方はぼんやりとしていた。すなわち惑星外からも視認できる巨人となったわけであるが、ふと気になる事もあった。
「なるほどな、取るに足らぬ虫けらよ。貴様もまあ、そこそこ私を楽しませる程度の智慧はあるにせよ、しかし貴様にはあと何枚の手札があろうな?」
美しい三本足の神ナイアーラトテップは相手を無限に見下しつつ、その実相手の出方を注意深く観察し、次以降の手を予想していた。




