SPIKE AND GRINN#33
スパイクはデュガンへの尋問を更に続けた。恐ろしい程晴れた空で、彼は名状しがたい連続殺人事件の犯人を突き止める…。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉。
事件発生日の翌日、昼付近︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン
かくして病院の屋上で色々あったものの、デュガンの反抗的な態度を封じ込める事には成功したらしかった。
恐らくはライアンの激怒が『デュガンの持つ価値観』をぶち壊すかのような衝撃であったのかも知れなかった。
陽射しは更に強くなり、空には雲も見えなかったが、しかし心地よい風が暑さを和らげてくれていた。
スマートフォンを仕舞いながらスパイクは尋問を続けた。
「それで? お前は娘だか誰か知らねぇが、その見舞いでこれまでにもずっと仕事中抜け出してたって事か?」
「そうだよ」と消え入りそうな声でチェック柄の上着の男は答えた。先程の威勢は消え去っていた。
「そうか。だが残念な事に、お前はまだ容疑者のままだ」
「なんでだよ!?」
スパイクは先程ポケットに入れたばかりの携帯を取り出しながら続けた。
「なんでかって? 俺はただお前を訪問しに来ただけじゃねぇよ。さっきお前の金銭面を調べた。まあ、確かにお前はいい就職をしたとは思う。だからってまあ、あの高額の医療費を払い続けられるとも思えねぇが」
スパイクは携帯にデュガンの講座のここ数カ月の明細を表示していた。然るべき手段があればこうした事も簡単に調べられる。
手軽なのは調査の専門家に金を払って調べてもらう事である。
「これを見ろ、これだ、見ろ! ああ? なんでお前のこの講座に毎月定期的な振り込みがある? お前が副業はやってねぇのは知ってるぞ。この講座はお前の給料の振り込み先じゃねぇ。じゃあこれはなんだ? 親切な支援者か?」
スパイクの口調は辛辣であった。先程差別的な発言を受けたせいもあろうが、恐らく彼は『もう少し』の所まで来ている事で気が立っているものと思われた。
あと少しで犠牲者達の無念を晴らす事ができると確信しており、自然と語気も強まった。
「それは…」
「嘘や誤魔化しは絶対やめろ、さっきも言ったがお前、下手すると一生娘と会えねぇぞ? テロの容疑者だとしてみろ? もしも本当にイサカ絡みならこれはただの連続殺人じゃなくなる、まあ連続殺人でもこの分じゃ一生出られねぇがな。イサカ絡みならこの国は容赦無くテロだと認定するぞ。昨年のマラソンのテロ事件を思い出せ、この国がどれだけテロを憎悪していやがるかをな。どっちにしてもだ、連続殺人犯だろうがテロリストだろうが、お前が心から『俺じゃない』って思ってるんなら、本心から自分の潔白を証明したいなら、躊躇わずに真実を話せ」
それを受けてデュガンは後ろを向いた。柵に両腕を載せて項垂れて唸るような溜め息を吐いた。
恐らく己の立場の微妙さであるとか、そういった事を考えているのであろう。
スパイクはそれに対してわざとらしく呆れて見せ、そしてわざと聴こえるような大きな足音を立てて、デュガンの方を見たまま後退し始めた。
ふと振り向いたデュガンは呆気に取られた。
「俺が何してるかって? これは刑事ドラマで主人公がやる脅しと同じだ。これはある種の暴力だ、お前を脅かす行為なんだよ、何故かって? そりゃ俺が屋上から退出したら、その瞬間俺はお前を通報して警察に突き出すからだ。あるいはそのまま国家機関の世話になるかもな。どっちにせよお前は一生塀の向こうだ、じゃあな」
スパイクは向きを変え、足音を立てながら前を向いて立ち去って行った。
「待て、待ってくれ!」
固唾を飲んで見守るライアンの前でスパイクは壮絶な表情を浮かべて歩みを止めなかった。チェック柄男を無視していた。
「お願いだ、待ってくれ! 本当に頼む!」
それを耳にしてようやくスパイクは足を止めた。ぎろりとした目を後方のデュガンに向けた。
そこでふとスパイクは思った、確固たる証拠を固めたわけでも無しに、言葉だけで相手をここまで追い詰められるものであるのかと。
ドラマなら『証拠はなんだ?』と問われるが、今回そうはならなかった。
「まず確認だ、あの『私は事件関係者です』って感じの振り込みはなんだ? 誰がお前に高額の医療費を振り込んでる?」
改めて見ると、デュガンはすっかり覇気が消えていた。遠くで交通の雑音に混ざってバスのパッシングが聞こえた。
「あれは…その」
「あれはその、って名前じゃあねぇだろ」とスパイクはやや穏やかな語気で尋ねた。「誰なんだ?」
それでもデュガンは躊躇っていた。事実が明るみになる事で金が切れる事の心配でもしているのか。
「なあおい、お前に正義感や良心がゲットーの残飯程度にでも残ってんなら、ホントの事を話してくれねぇか。これまでに多くの誰かの子供や誰かの親が、恐らく同じ犯人に殺されてやがるんだ。そいつはイカれてて、冷酷で、自分の目的――どうせクソふざけた快楽殺人だろうが――のために誰かが死ぬ事を気にもしちゃいねぇ。それにあれだな、お前ここまで渋るって事はもう事件に少しでも関与してるって自分で告白しちまってるようなもんだぜ。
「それで結局あの金は誰のなんだ? お前の親切な後援者の名前を言ってくれよ。多くの遺族が無念に苦しんでるのに俺は今んところ指を咥えて見てるしかできねぇ。帰ってマス掻いて綺麗サッパリ忘れて終わりってわけにはいかねぇんだよ。連続殺人犯が現実にいて、それでそいつは今も野放しで悠々自適だぞ? こんなに胸糞悪い話があるか? 最悪のクソったれだろ。だからもう一度言うぞ、誰がお前の口座に振り込みを?」
暫く沈黙があった。陽射しは強くなり、自然と両者の目が細くなった。スパイクは右手をサンバイザー代わりに額上で翳した。
「…ふざけないでくれよ」
あまりにもか細くて、その声は離れた所からライアンと一緒に無言で見ているグリンにしか聞こえなかった。屋上に吹く風はデュガンの呟きを揉み消した。
「何? もう一度頼む」
「ふざけるなって言ったんだよ」と言いながらデュガンはスパイクに歩み寄った。
スパイクは悪意自体は見えなかったので、今回は幻覚を使わずに成り行きを見守った。
デュガンはスパイクの両肩を掴んだ。握力が強く、正直に言えばぶん殴りたかったが、今のところ我慢し、至近距離にいるデュガンの圧を感じ取っていた。
「俺は…俺の…俺の娘に死ねってのかよ? メリッサはこの病院クラスの設備じゃないと生きていけないんだぞ! 未知の難病だ、あの子が一体何したって言うんだ!?」
名前を聞いた瞬間スパイクは偶然の怖さを内心笑った。ライアンもその名前に反応したが、神であるグリンはいつも通りであった。
「俺じゃとてもじゃないがあんな金額払い続けるのは無理だ! こうするしかないんだよ! あいつの事を俺が黙ってやらないとメリッサは三日も生きられないんだぞ! こんな話があるかよ!」
スパイクは強い力で揺さぶられて鬱陶しかったが、しかしそれには耐えた。しかし心の奥底ではもっと別の事への怒りが急成長していた。
「そうか。お前の言いたい事はよくわかった」と言葉を区切った。『あいつ』『それの何かしらの所業を黙っている見返りとしての医療費肩代わり』であろう。毎月一万ドル入ってくる仕組みか。
ほぼ核心に迫っているような気がした。マサチューセッツ工業かその周辺に、連続殺人犯が潜んでいるのだ。
そいつは風のイサカの側面を呼び出しては、犠牲者をそれへの生け贄として捧げる最低のクズなのだ。
「何がだ!? お前あの子に死ねって言うのか?」
「ああ、そうかよ! じゃあ言うがな。お前の娘が死のうが知った事か!」
「はぁ!?」
そしてその瞬間にスパイクは両肩の手を振り払い、逆にデュガンに凄まじい剣幕で詰め寄って後退らせた。
正直に言えば大男がたじろぐ様は心地よかった、それも事件の重要参考人であれば尚更。
「メリッサ、そうメリッサ。それは犠牲者の一人の名前でもある。それで? お前が自分の娘を生かすためにクソろくでもねぇアホの犯罪を黙認して、それをやり始めてから何人殺された? ああ? そう言われちゃ困るだろうがよ…なぁ? みんなそれぞれの人生の物語があったんだろ? 死んだらそれまでなんだよ…」
デュガンは漸く己の罪をはっきりと認識し、これまで目を背けて来たそれがずっしりと腹の中で居座っているのを感じたらしかった。
半分ノリで言ったが、しかしどうも本当にデュガンは連続殺人犯から口止め料をもらっているらしかった。
「じゃあ俺はどうすりゃよかったんだ…あの子が死ぬのを黙って見てるしかなかったのか…?」
デュガンはまた手摺りの方へ行って、そこで泣き始めた。根っこのところでは弱い人間のように思えた。
「さあな…だが少なくとも自分の大切な人を生かすために何人何十人も死ぬのを黙認するべきじゃなかっただろうな」
スパイクはあえて冷たく突き放した。ぎりぎり同情もできないでもなかったが、正直に言えば本気で腹が立っていた。
「それで、結局『あいつ』ってのは誰だ?」
既に泣き崩れて手摺りを背に腰を下ろしていた大男は、大きな子供のような泣き腫らした目で見上げてきた。
「ハウラ・ランチェスター」
あの女が。だが確証が欲しかった、あの女が何をやったのかという真実が。
「ランチェスターは何をやったんだ? 何をやっていて、お前に口止め料を払ってやがる?」
「あんたもわかってるだろ…ある日見たんだよ」
それによるとある夜、ハウラ・ランチェスターは会社に残って、例の新プロジェクトの部署で何かをやっていた。
明かりが見えたのでそちらの方に行くと、普段はそこに無い得体の知れない装置があり、それは生物なのかそうなでないのかよくわからないグロテスクな組織をぐにゃぐにゃと上向けて蠢かす直径七フィートの黒い筒状のものであった。
なんだこれは。思考が固まり、気が付けば背後にハウラがいた。
「あらあら、夜遅くまでお仕事ですか?」
ハウラの声に得体の知れなさを感じたデュガンはよたよたと後退し、美しい東アフリカ的な女は言いようの無い悍ましさを感じる笑みを浮かべた。
それからの事は断片的にしか語らなかった。連れて来られた犠牲者、改竄された監視装置の記録、液体窒素と未知の物質、門、悲鳴、悪魔じみた笑み、黙っている事を見返りとした医療費の援助。
語り終えたデュガンはすっかり気が滅入っていた。
だがこれで、ハウラが連続殺人犯――聞いた感じではイサカ絡みなのはほぼ間違いない――だと確信できた。あの女を止めなければならない。
だがスパイクにはわからなかった。何故ああも物腰が上品で優雅な、聡明で美しい女がかくも悍ましき犯罪に手を染めたのか。
一方で、それを遠巻きに聞いていたライアンは隣にいるグリンに聞かせるように言った。
「そんな…あの時会社にいた彼女が…」
怒り半分、驚き半分。ああも気品のある人物が連続殺人犯であるなどと。世の中は狂っていた。
「見かけで判断する事は、時に深い落胆を生みます。あなたもよく知っているはずですが」
グリンにそう言われてライアンは彼女がどこまで己の素性を知っているのであろうかと思った。
とは言えアトランティス崩壊以前の事は隠蔽された情報でもないから、同じ神であれば知っていても不思議ではないかも知れなかった。
確かに、地球の守護神となる以前の己は見かけだけは美しい神格達と共にいた。
それらは今思えばわざとらしいような美であり、吐き気がした。それらは実際のところ、宇宙規模の大量虐殺を働く悪逆の徒どもであった。
とその時、ふと着信の振動を感じてポケットから携帯を取り出した。少し古い型のやや処理落ちの多いスマートフォンをタッチして通話モードにして、右手で耳の横に持ってきた。
「シャー?」
画面には彼女の名前が出ていた。
『ライアン? ああ、よかった出てくれて』
何かが奇妙だ。
「何? 何かあった?」
『ティナが電話に出ないの!』
ティナとは確か彼女の友達の一人だ。
「あー、電話に出ないのは俺だってよくあるけど…」とライアンはグリンやスパイクを一瞥しながら言った。陽射しはかなり強くなっていた。
『そうじゃないの、おかしいわ』
それからシャーはティナが電話に出ないのが何故おかしいかを説明した。
出ない事自体はともかく、ティナは未だに両親からの電話には絶対出るし、実家暮らしの彼女は未だに外出時はそれを両親に告げるなり連絡するなりする習慣がある事を本人が自嘲気味に語っているのを聞いていた。
つまり今の今までその習慣を変えなかった彼女が、それを変えるとは思えなかった。
メリッサの葬儀の件で急を要する話がしたかったのでまた電話したのだが、出なかったので悪いと思いながらも彼女の母親に電話した。
しかし連絡しても出ず、聞いたところによると葬儀の件で用事があるので外出したとの事であった。
それらのやり取りを横目で見ながらスパイクはマサチューセッツ工業に連絡を入れた。
警戒されないよう別件でハウラに用があるから電話を変わって欲しいと告げたが、しかし外出したとの事であった。
何か嫌な予感がした。




