NEW WORLD NEIGHBORHOODS#19
アッティラは彼らしい強引さ・強権さでヒーローを引退した。ジャレッドを引き込んだ件と彼を勾留・軟禁した件の責任を取った形であるが、しかしかつての破壊的征服者はただ単にヒーローを辞めたわけではなかった…。
登場人物
―アッティラ…現代を生きる古の元破壊的征服者、ヒーローを引退した元ネイバーフッズ・チェアマン。
―オグン…ヨルバ神話の軍神。
『ストレンジ・ドリームス事件』(コロニー襲撃事件)の約十カ月前:ニューヨーク州、マンハッタン、某所路地
アッティラは暗い路地に一人でいた。周りには誰もおらず、じめじめとして、塵芥を入れる錆びた回収ボックスから悪臭がした。
映画のように死体入りではないようだが、不快な場所であった。
かつて巨大な多民族帝国を率いる王者であり、そして大国ローマと対等に戦った。
濃厚で太い人生を生き抜き、それが仕組まれたものであったとしても彼は上に立つ者であった。
そして色々あったがネイバーフッズでもチームのチェアマン及びメタソルジャーの副官としてやって来た。
政府に登録してそこそこの給料――少なくとも毎日タコスを食べても困らない程度には――をもらい、己のすべき事をしてきた。
実名公開のヒーローの一人で、ホームベースに住んでいるヒーローの一人でもあった。その己が、今はこうして一人で彷徨っていた。
「かようにして一人になると、何やら不思議なものよ」
かつての破壊的征服者は自嘲気味に呟いた。夜はまだ冷える方であり、雄大な草原で夜を明かした日々を思い出した。
部下達とテントの前で集まり、会議したり酒を酌み交わしたりして、吐く息の白さが生きているという実感を与えた。
今となっては帝国も無し、不安定な同盟を組んで裏を掻き合った権力者達も無し、そして長年を共にしたネイバーフッズの戦友達もまた無し。
こうしてなんとなくここで佇んでいると、己の心に大きな空白が生まれるのを感じた。
あるいは今は時空の果てに追放されて未帰還のキャプテン・フェイドであれば、かような感慨も抱かぬままで一人姿を消す事ができるのか?
いずれにしても、己は妙な経緯でヒーローになって様々な衝突や共同を繰り返した事で、随分と変わったのかも知れなかった。
かつて兄弟がいた頃、彼は少なくとも己と対等の同志を持っていた。
常に権力闘争のゲームで競り合う不倶戴天の敵であり、心から愛する家族であった。その兄が亡くなり、己は一本の剣になった。
元々兄弟揃って初めて真価を発揮する剣としてMが実験的に鍛えた剣であり、兄を喪った事で何かが心に刺さった。
それでもなんとか破壊の坂道を登って行ったものの、ローマとゴートの連合に負けた事で破壊的征服者としての在り方に決定的な疑念が生まれた。
ああ、思えば己の最初の生はそうであったな。そして第二の生の果てである現代、生まれた場所も時代も違う全く異なる者達と出会い、深い関係となった。
それらを自らの判断とは言え絶ったのであるから、これは確かに空白も空こう。
一瞬目の端に蜚蠊じみた何かが見えた。この季節でも都市型蜚蠊は元気に生きているのであろうか。
がさがさという音は鼠か、それ以外か。少なくとも異界の実体ではあるまいが。
とは言え、それらの雑多な都会の小動物とてかようにして図太く生きているのであるから、己もそれに見習って生きてやろうか。
クリネックスの包装が歪んで半開き状態のボックスからストローに引っ掛かって突き出ていた。
名前も知らない作家の空港で置いてそうなペーパーバックの開いたページに何かのソースが掛かっているのが見え、それらも微生物や虫の餌になるのであろうかと考えた。
では、それらの考察は専門家に任せてすべき事をしよう。
ここで一人突っ立っていると、自然に次の行動への踏ん切りが付いた。己はただ責任を取るためだけに生き甲斐であったネイバーフッズを辞めたのではない。
〈混沌剣〉を送り込んできたと推測される敵を本物の脅威と見做したのだ。
そのため『地下に潜る』必要があった。身なりを『整えて』目立たぬ別人に変身し、敵の次の手を探る必要があった。
もしも敵がオサダゴワーを、〈混沌剣〉たるジャレッド・ジェンキンスを送るために利用したのであるとしたら。
敵がもしそこまで考えているのであればネイバーフッズへの敵意は本物であった。
反ヒーロー主義の男を煽動してネイバーフッズを監禁できる手筈を整えてやったり、神にニューヨークを襲わせたり、その神に逆らう助っ人として〈混沌剣〉を送り込む。
となると敵はアッティラが〈混沌剣〉を見てどう思うかもある程度計算した上であったのか。ネイバーフッズに引き入れる事まで計算して。
それがどうであるかはよくわからなかった。実際のところ、敵のやり方は少々運や博打要素が強いように思われた。
このような実際に骰子を振ってみねば結果がわからないやり方は、混沌を好みそれの蔓延を望むMやその同類どもと似ていた。
いや、実施には特にMが好む手段であったか。しかしMはもういずこかへ消えたはず。アッティラは死んだと思っていたが、ダーケスト・ブラザーフッドの正体はMなのか?
確かにMは無数の側面を持ち、それらを派遣してあちこちに混沌を作り出してきた。
アッティラが東京駅の事件から得た情報から推測できる敵の性質は、Mにも似ているような気がした。
しかし、と彼は考えた。神がその側面を派遣するのはあくまで元々己の一部であったものを遠隔操作しているようなもの。
これを群体と呼ぶ事もできるかも知れなかったが、違和感があった。
対して東京駅で抹殺されたコズミック・エンティティの幼体はゾンビ化で他者を己の一部として取り込むもの。
すなわちゾンビになった者達を己という単一群体の総体ないしは肉体の一部に加える事。そう考えると、神とザ・ダークは何かが違う気もした。
あたかも、かつてMの正体と睨んでいた相手が実際には『無実』であった時のごとく。まずは最初に確認しておきたい事を確認しに行こう。
彼は路地から出る事にした。冷たい風が吹いたが、それがどこか爽やかな旅立ちの餞別に思えた。
とは言え、少しの間タコスから離れねばならないであろう。
『ストレンジ・ドリームス事件』(コロニー襲撃事件)の約十カ月前:蒼穹の位相
アッティラはハヌマーンから軍神オグンの工房への場所を聞いていた。ハヌマーンは極稀に訪れる事があるらしい。
彼は友の知恵に感謝しながら、常人であれば長く見ていると失明する蒼穹が広がる位相へ入り込んだ。
この位相の西アフリカの辺りは随分起点位相のそれと異なるらしい。
奇妙な自然の働きで作り上げられた高さ数十メートルの石柱が六本並ぶ海岸があり、その背には豊かな森林があった。植生はどうも西アフリカのそれとは違うように見えた。
石柱の間を通り過ぎて海に何歩か足を踏み入れた。すると巨人が登るためのような巨大な岩のステップが次々とぼうっと現れた。
その登り切った果てには想像上のブラックホールじみた渦が見え、赤く輝くそれの先が恐らく目的地と思われた。
既に相手は来客に気が付いていようが、しかし歓迎は無い。まあ歓迎と称して試練や攻撃を課す神よりはましであるが。
戦闘用のコスチュームで武装した状態のアッティラは抜剣せぬままで駆け上った。
段と段の間はセダン車の全長ぐらい離れていたが、彼は剣として設計された実体であり、尋常ならぬ身体能力があった。
眼下で打ち寄せて砂浜で力無く果てる波を時折眺めながら登り、そしてあの門の前に来た。緊張は特に無かった。
彼はそのまま門へと飛び込み、ブラックホールじみたそれは彼をその向こうへと送った。
アッティラはこれまでの事を思い返していた。オグンは永い事孤独であり、そのため『対人関係』や『対神関係』に難ありと聞いていた。
あれらの実際に来るかも知れない来客の事をあまり考えていない入り口階段の作りは、己の技法を見せたいというオグンの願望かも知れなかった。
「お、おや。誰か…来たんだ」
神にしては控え目の声がした。工房の内部は円形の場所であり、周囲を見るとかなり高い塔の最上階のようであると思われた。
円の半径は三〇ヤード程であろうか。水色の未知の金属及び同じく水色の未知の岩石によって作られたこの塔は失明級の空の下で妙に映えた。
「私はかつてフンの帝国を率いたアッティラなる者。つい先日まではネイバーフッズなるヒーローチームの一員であった」
工房にはあちこちに様々な用途不明の装置や用具があり、悪く言えば散らかっていた。それらもまた水色をしていた。
これらの色は同じくヨルバの万神殿に祀られる海神オロクンへの友誼であろうかと考えたが、推測は推測でしかないので打ち切った。
しかし神本人の姿は未だ見えない。まだ何かのサプライズがあるのか。
すると円の中央の天井から何かがクロークを解くようにして現れた。なるほど、こういう登場を見せたかったのか。
アッティラは先手を取った。相手があの内気な喋り方で何かを切り出すと向こうのペースになるかも知れない。
彼は神が怖いわけではないが、不用意に話を打ち切って機嫌を損ねると面倒そうであると考えた。
「単刀直入に要件を述べたい。軍神よ、鍛冶の神よ、その他無数の側面を持つ神よ。大いなるオグンはここを訪れた者の詳細を覚えておいでか?」
とは言えなんだかんだで彼なりに敬意は払った。円滑な会話と、それ以外の理由で。
「え、ええ。あ、うん。えーと。あるよ、うん。ある」
「ある、とは?」
「ここに来た人が、その、どんな、えーと。感じか、全部記録して…全部記録してあるんだ!」
内気そうな神は西アフリカ人的な容姿をしており、神特有の美貌があった。
なるほど、かような引っ込み思案の神ですら見ただけで人間を廃人にするか即死させる程度には美しいのか。恐らくオサダゴワーと同じぐらい美しかった。
ところで、オグンの答えはアッティラにとってとても都合がよかったため、彼は敵であるザ・ダークを追い詰めるための手掛かりが手に入りそうに思え、壮絶な笑みを浮かべた。
オグンはそれを見てやや怖がっているように思われた。




