SPIKE AND GRINN#31
チェック柄の男の行き先を追う一方、クレイトンやシャーは各々ですべき事をしていた。これは連続殺人事件であり、犠牲者が出ているという事実は変わらなかった。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉。
―クレイトン・コリンズ…地元市警の刑事。
―シャーロット・ベネット(シャー)・グラッドストーン…ライアンの恋人。
事件発生日の翌日、午前︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン
「早く追わないと!」
ライアンは興奮気味に言った。
「まあ待ちな。奴はこっちを見てねぇ。俺達はまだ気付かれてねぇってわけだ。この有利を活かして出方を窺う。例えば車に乗るとか、タクシーかバスにでも乗るとかな」
「まあ彼が普通の人間であれば簡単に追えるでしょう。そうでなければ手間が掛かりますが、幸い我々は三人掛かりですので」
助手席に座りつい先程までスパイクとのしょうもない口論に興じていた秩序の神格グリン=ホロスは、未だにスパイクから借りていた上着――数時間前まではそうであった襤褸――を胸に抱きながらそう言った。
ライアンはその点については突っ込まない方がいいような気がして黙っていたが、幸いスパイクもそこには触れなかった。
「ってわけだ。目を離さなければいい」
スパイクはサングラスを掛けながらそう言い放ったが、しかしグリンがそこに横槍を入れた。
「ですが少々不安なので私が追っておきます」
そう言うと彼女はドアを開けて車から出た。その後いつの間にか姿が見えなくなり、気が付くと向かいの歩道でチェック柄男から間隔を開けて歩いていた。
「速い…」
かつてとは違い完全な神の力を使う事ができないライアンは誰にも悟られる事無く往来に一瞬で現れて紛れ込めるグリンの速度に驚いた。己もかつてであればそれが可能であったにしても、しかし今はワイオミング暮らしのかつての神であった。
「あんなに速けりゃ自家用車や交通機関無しでもこのクソ広い街で生活できるな…いや待てよ。あいつあれだけ動けるって事はとっくに力が回復してるんじゃねぇか?」
スパイクは何気無く疑問を口にしたが、しかしその話を知らないライアンは不思議がった。
「えっ、どういう事?」
「ってああ、そう言えばお前には言ってなかったか。さっき一瞬『テストと称して襲い掛かってきた』とかそんな話しただろ? あいつと俺はまあ、駄作のドラマでもありえねぇような出会い方をしたわけだが、その時色々あってあいつ重傷負ってな。神だから物理的な損傷どうこうがどこまで致命的なのかは知らねぇが、ともかく片側の腕が全部もげて血が流れててな。さすがに俺でも『うわ、さすがに女の子にここまでするつもりは無かったんだが』って後悔したもんだ。いやまあ直接やったのは俺じゃねぇけど」
片側という言い方が気になったのでライアンはそれについて尋ねた。
「え? そりゃあれだ、あいつはどこの銀河のどこの星系の文明のどういう万神殿の神かは全く知らんが、本当の姿は俺の記憶だと有翼で長い触腕とがっしりした手足が生えた人型甲殻類種族の美少女って感じだったな。ああ、人型ってのは地球人基準のな。本人と同じぐらい美しい甲冑が目を引いたもんだが、普段着姿は見た事ねぇな。
「言うまでもねぇけどもしあいつが本当の姿の美貌を晒して出歩くと特別な訓練とか積んで精神力をメチャクチャ鍛えたり精神干渉への高度な耐性を持ってるような奴ら以外は確実に即死するだろうな…実際俺も見惚れて結構ヤバかったわけだが、まあでもあいつあんな変わりモンだけど確かに神の姿も人の姿もどっちも美少女ではあるしな。美しいし可愛いし、永遠の美少女って奴か?」
スパイクははっと笑いながら語ったが、ライアンはスパイクがここまで惜しまず語るとは思っていなかったので少々気圧された。ともあれグリンの経緯については把握する事はできた。
しかしよく見ればあのぼろぼろの上着も彼女と共に消えており、やはりその点には触れぬべきかとライアンは黙り込んだ。
同時:カリフォルニア州、ロサンゼルス、カルヴァーシティ
パパ・ジェイスと呼ばれた男は結構綺麗な物件に住んでいた。発見された時は肉体労働者風な服装であったが、しかし稼ぎはよかったか、あるいは朝晩問わず働き続けていたのかも知れない――恐らく世の中の金持ちの七割以上は過労であるとクレイトンは考えていた。
「ええ、そうです。大勢の野次馬がいましたね。故人はそれだけ人望や人気があったという事でしょう。本当に残念です」
クレイトンは他の多くの警察関係者と同様、何度やっても『この仕事』には慣れない。それはそうであろう、亡くなった人物の遺族と話しに行ったり、あるいは訃報の第一報を伝えに行ったりなど、慣れるはずがあるまい。
「父はみんなの人気者でした。父に悩みを打ち明けると、その人の性別も年齢も貧富も人種も思想も問わず、みんな元気になったり明日への展望なんかが見えて。もちろん私が一番のリピーター」
少し無理に泣くジェイスの娘は本当の娘ではなく、親を亡くした親戚の子を彼が預かって育てたらしい。ジェイスは肌が褐色掛かっていたが、ラテン系の血を引く娘は肌が白かった。
年齢も離れ本当の親子ではないが、しかしこの一階建て庭付き物件には二人の写真が沢山あった。小さい頃から大きくなった今のものまで。
大学生の娘は涙を拭いながら微笑み、懐かしんでいるように見えた。彼女もまた、他の多くの犠牲者遺族と同様に苦境に立たされている。幸い金銭的には大丈夫そうだが、しかし心の負う傷はなかなか癒えないであろう。
話によると多くいる仲のよい親戚達も葬儀に集まるらしかった。身内のみで行なう予定であるらしいが、なんであれそれらの関係者全員が心に空白を生じさせる事となる。
思い出は永遠に生きるが、しかし人そのものは生き続ける事は無い。二度と会う事は無い。クレイトンもまた、学生の頃友達を殺人事件で亡くしている。犯人は捕まったが、しかし変わらず苦痛は続く。
普通に亡くした時とは明らかに異なる苦しみ。心にナイフを突き刺されたかのごとき痛み。マグマのように噴出する悲痛。
墓前に佇む度にある残酷な事実を思い知るのだ――己はこの者がいない今後の人生を歩まねばならない。あなたのいない永遠を。
それについて思うと、この若い女性が背負うであろう苦しみについて想像しないわけにはいかなかった。
「犯人はソリチュードに送られます」
「月面にある刑務所の?」
「ええ、あそこの最も悲惨な房ではないにしても、地球から何十万マイルも向こうの冷たい石ころの上で、刑期を務めるわけです」
「そうですか…」
クレイトンは彼女の様子を見た。そしてどういうタイプであるかを悟った――犯人への復讐を望むわけではないようだ。であれば、例え桜田門のブラックリストにも載っていたあのマスダ某が刑罰を受けたところで、何の慰めにもならないであろう。
溜飲が下るような事も無い。あるのはひらすら続く喪失感。ああ、世の中は本当に残酷だなとクレイトンは悲嘆する他無かった。そして己は今後もこうして犠牲者遺族の苦しみを見続けるのであろうが、今更後戻りするつもりは無かった。
同時期:ワイオミング州、ジャクソン、リバーハウス
「ハイ、久しぶり。ティナ」
『シャーロット』
電話の相手の声はやや窶れ笑いであった。
『酷い声ね』と相手は笑った。とても寂しそうで、聞いているだけでまた泣きそうになった。
「そうね、その…」
『ずっと泣いてたの?』
「私達のメリッサがいなくなった…それが信じられないから」
『ええ、まあそうね。その件で掛けて来たのよね。それ以外の理由であって欲しかったって思ってるけど、そう思ったり祈ったりしたところで何も変わらないわね』
ティナは電話の向こうでライターを何度か点火しているようであった。彼女は喫煙習慣が無いが、しかしああやってオイルライターをかちかちしたり点火させたりする癖があった。吸わないがライターを携帯していた。
ああ、そう言えばティナはそういう子だったっけ。そして亡くなったメリッサや他の友達は…そうやって過去を振り返る程度の余裕が今のシャーにはあった。無意味な余裕だけは。
皆就職してからは仕事が忙しくてなかなか連絡も取り合えなかった。メリッサと久々に会う段取りになるまでは、あれ程一緒に過ごした大学生活が遠い昔に思えていた。各々社会と向き合い、そして各々流で『よい一日を』と言い放ってやった。
そうして疎遠であった己らが再び集う理由が親友の死であるなど、あまりにも酷くないかと思わざるを得なかった。
しかし何をどう思おうと、メリッサが帰って来る事は無いであろう。いずこかの異常者が彼女を奪い、重い事実が今後の人生へ永遠に悪影響を与え続ける。
『あの子ったら、手が掛かる妹みたいだったわね』と電話の向こうでティナが無理に笑った。
「ええ、私達全員の妹だったわ。この前久々に話した時は凄くしっかりしてて驚いたけど」
『そうなの?』
そう問われてシャーは溜め息と共に重苦しい思考に沈んだ。
「あなたにも聞かせてあげたかったわ」
『そうね、こうなるってわかってたら、休暇取って会いに行けばよかった。同じ国の同じ州にいたのに、あれから一度も会ってないなんて』
シャーは今後の流れが読めた――このまま話しても辛いだけであった。話を変えよう。
「ティナ、私達があの子を見届けないと」
少し間があった。とても長く感じられ、ティナがあまりよくない返事を返すのではないかと不意に怖くなった。
『そうよね、あの子ったら友達少ないし。一緒に寮で住んでたメンバーしか来ないかも知れないからね』
ティナが涙ながらに笑うのが聞こえた。シャーは泣くまいと我慢してきたが、しかし限界には抗えなかった。
事実として、大好きな友人を亡くしたのであるから。
数分後:カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン
窓を叩く音が聞こえ、見ればグリンがいつの間にか通りの向こうからこちらに渡っていた。神であるから高速で動き回る事で発生する諸々の副次現象を打ち消す程度は簡単なのであろうが、しかしロサンゼルスの街中に異星の神格がいるという事実には苦笑する他無かった。
「何かわかったのか?」
「近くに病院があります。彼はそこに向かうようです」
「そうか、じゃあ俺らも行くか」
己が病気なのか、親しい誰かの見舞いか。彼らは車を走らせ始めた。グリンが場所を教え、そこに向かって走った。
「ところで…直接監視しなくて大丈夫?」とライアンは後部座席で最もたる疑問を口にした。
「問題はありません。彼の位置は私には見えますので」
そう言われては黙るしかない。確かに己も何十億年も前にはそのような能力があったような気がした。神とは本来そのようなものである。
「ところでお前、その上着まだ持ってんのか。死んだ誰かを入れる骨壷みたに持ち歩いてるけどよ」
スパイクは運転しながらそう言った。
「はい、それなりに愛するあなたの服ですから。これを持っているとあなたがいつでも近くにいる気がしますので」
グリンは彼の方を向いて堂々と、いつもの冷淡な態度でそう言った。ライアンは見ているだけでもどこか恥ずかしくなった。
「あー、そうか。そいつはナンセンスな質問しちまったな」
スパイクは気不味そうに笑った。
「最近少し笑顔が増えましたね」
「そうか? まあそれなりに愛してる女が近くにいるしな。多分そのお陰じゃねぇか?」
とは言えスパイクの方もグリンには正直にそう告げる事ができた。もう彼らは子供ではない――グリンは永遠の美少女であるらしいが。
またイチャイチャしてる…ライアンは顔を両手で覆った。
刑事ドラマ風に色々書きたくなる気分。




