SPIKE AND GRINN#30
スパイクらはマサチューセッツ工業から引っ張って来た男から情報を引き出そうとしたが、しかし彼は薬物中毒を患うその男をそのまま見捨てはしなかった。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉。
事件発生日の翌日、朝︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン
「お前はあそこの社員だろ。なら情報を持ってるよな?」
「情報って…」
男は戸惑っていた。複雑に考え過ぎているとも言えた。
「難しく考えるなよ、ハウラやあのチェック柄睨み野郎の情報は俺達じゃ知り得ないが、一緒に仕事してるお前なら知ってるはずだが?」
彼らは日陰に移動した。そこでは風が涼しく感じられ、初夏のカリフォルニアの心地よさがあった。
「そりゃ、まあ」と男は言った。やはり難しく考え過ぎるのはよくない。
「協力してくれよ、俺が興味あるのは連続殺人の手掛かりだ」
スパイクは畳み掛けた。クソったれの連続殺人鬼へあと一歩で手が届きそうだが、それがこうしてダウンタウン近辺の片隅で足止めを喰らっていた。
正義とはひたすらに地道であるという基本原則の典型であるようにすら感じられた――アスホール、マザファカ。
激動の大都会の騒動に後ろの方から追従する形となっているワイオミングのお人好しはなんとなくスパイクの焦燥が感じられた。
かつての守護神であるライアン・ウォーカーは、己もまた愛する人の友人が殺された件で出て来た身であり、これ以上の凶行に出られるわけにはいかなかった。
そこでふと、ライアンはドラマでよく見る展開を思い出した。そのスプリー・キラーは捜査の手が迫るのを悟り、無期限潜伏する――ここで見逃せば、下手すると二度と手が届かなくなる。
「頼むよ」とライアンが会話に割り込んだ。スパイクは横目でライアンの真摯な目を見た。ならば言う事はあるまい。
「俺の恋人の友達がさ、真昼のロサンゼルスで凍死体として急に出現したんだ」
相手の男は目の色を変えたように見えた。
「俺はその子と一度も会った事が無いけど、彼女はその子と久々に会うのを楽しみにしてたんだ…結局、俺は一度も会えないままになってしまったけど」
物悲しく落ち着いたトーンで喋るライアンの様子が男にも伝わり、男は深刻そうな顔をした。
「それは…お気の毒に」
それを聞いてライアンはふっと虚しく笑った。
「本当にドラマか映画みたいにそういうお悔やみを聞けるなんてな」
そう呟くライアンの様子は少し傷ましかった。すると相手の男は汗を拭いながら言った。
「わかったよ、そういう事なら俺が知ってる事を話すよ」
それを聞いてスパイクは隣にいるグリンの方を見た。彼女は未だに彼のぼろぼろになった上着を体の前で両腕に搦めて抱いていた。
グリンは『あなたではこういう突破はできなかったですね、そこそこ愛するに値する人間よ』と言わんばかりの視線を彼に返し、スパイクは肩を竦めた。
だがそうする事で、無駄な気の張り詰めが少し解れたような気がした。
男によるとハウラは若くして聡明で、穏やかだが大人しいわけではなく確固たる自己を持っており、誰とでも接しやすいタイプである事がわかった。彼女自身については特に怪しい話は聞けず、信頼している事が察せられた。
本人が先程言っていたようにハウラは己のプロジェクトへの熱意があり、ここ二年程は特に遅くまで残って部屋の明かりが点いたままの事が多かったという。
たまに遅くまで残っている彼女と話す事もあるが、残業する事への疲れや仕事依存の気配は見て取れなかったという。
普段はそういった素振りを見せないが、博士号取得までの道程は血の滲むような過程であったとの事で、そうした影の事情を知った事でより親しみが持てるようになったという。
一方であの腕組み睨みチェック柄男――腕を組んでいたような気もするしあるいはバイアスであるかも知れない――に対する評価は好対照であった。曰く関わりたくない、同じ会社であるのが災難とすら言っていた。
条件と立地がいいので我慢して通っているが、これが時給幾らのようなアルバイトであれば一日で辞めていると男は嫌そうに語った。
威圧的な態度、成果を求める過度のプレッシャー、主観を排除するのは難しいが、しかしここまで言うぐらいなら個人の感想というだけでは済まないと思われた。実際そう言われるだけの人物であろう事はあの視線を見てわかった。
当然ながらスパイクにとってはあのようなものは、正直に言えば『ただの甘ちゃんの精一杯の強面』でしか無かったが、先程はハウラとの会話中であったために睨み返すような事はしなかった。
更にはチェック柄男はここ二年程で行き先も言わずに外出する事が増えたらしい。行き先を言わずに行く事をそれとなく咎めるとじっと睨んできた事があったとの事である。男は言った、癌は治ったが今度は精神を病むかも知れないと。
「あの野郎は誰か付き合ってる相手でもいそうな感じだったか? そう、例えばあいつらしくないような私物が唐突に増えた事が何度かあったとか、特別な香りがしたとか」
スパイクは『付き合ってる女』と言いそうになったが、そうすると質問相手にもバイアスが掛かってしまいそうな気がしたので性別は濁した。
「いや、そんな事はなかったと思うけど。結婚してて、確か娘さんがいるとかで。よく知らないけど結婚が上手く行ってないって感じではなかったかな…」
はっきり言い切るのは確かに難しい。〈神〉がそうであるように〈人間〉も多くの側面を持っている。大抵の人間には大抵の人間が知らない一面がある。しかしそれでも『雰囲気』や『なんとなく』で語る事はできる。
あくまで参考にする程度の事はできよう。スパイクは話を進めた。
「ありがとよ。お前のために警察を呼ぶ手間は掛けずに済んだ。それと」
スパイクは男の肩に手を置いた。暑さへと加速し続けている午前のロサンゼルスに燦然たる陽光が降り注ぎ、車の往来も増えた。喧騒が都市を満たし、照り返しの暑さと輝きが満ちていた。
「ちょっと待てよ」言いながら肩から手を下ろし、それから彼は懐から取り出した千切ったメモ用紙に何かを書いた。
「ちと汚い字だが多分読めるだろ」
裏紙が無いので柔らかい紙に綺麗な字を書くのは難しかったが、しかし相手は読めるらしかった。
「この番号に掛けりゃいい、本気で中毒症状から抜け出したいならそうすべきだな。そこの施設は薬物中毒から多くの人間を更生させてる」
男ははっとしてスパイクと目を合わせた。車にサングラスを置いてきたスパイクの目は真剣であった。
「ありがとう」
その様を見てライアンは意外な印象を受けた。グリンは彼のそうした一面を知っていたが、しかしその在り方には満足していた。
より実利的に見れば、他者に手を差し伸べるスパイクの優しさは〈秩序の帝〉にとってはいい貢ぎ物であり、比較的食いしん坊なグリンにとっては美味な食事となった――暫くの間一緒に暮らしているスパイクでなければ冷たいグリンの変化に気付くのは難しかった。
「それで? どうするつもりなのですか?」とグリンは冷たく尋ねた。その冷たさにやや親しみを覚え始めているスパイクは首だけ彼女の方へと向けた。
「一旦車に戻る」
「そうですか、待つという事ですね」
「まあそうだな」
大体は蚊帳の外だったので話がよくわからなかったライアンが尋ねた。割れた後部ガラスをテープで間に合わせ補強した作業車が通り過ぎて行き、やや爽やかな風が吹いた。
「とりあえずさっき聞いた通り、あの腕組みチェック柄野郎が出て来るのを待つ。そうだな、下手すると張り込みの時間は数時間レベルになるかも知れねぇが」
「あ、なるほど…」
ライアンは納得のいったような表情を見せた。
「そういう事なら付き合うよ。他に道が無いならやるしかない」
「よし、まあリムジンだとか個人用クルーザーだとか、そこまでの広さがあるわけじゃねぇが内装は知っての通り綺麗で今風、歓迎するぜ」
それから彼らは車に戻った。不思議と違反切符は切られていなかったが、スパイクは当然であるかのように鍵を開け、スイッチに反応してライトが一瞬点灯した。車内にさっきと同じ配置で三人が乗り込むと、助手席のグリンが口を開いた。
「危険が無いか確認しないのですね」
「今までもそうだったろうが。もし何かありゃウィニフレッドが警告するしな。満足か?」
「はい、これでライアン・ウォーカーと名乗る古き神格も安心したでしょう」
急に話を振られて座席のライアンは反応に困った。
時間が過ぎ、恐らく十分程何も無いままであった。往来の車や人々の立てる騒音がやや消音されて車内に入り、無言の車内は妙によそよそしかった。
「ところで次に車を走らせる時はどういう曲を流すのですか?」と不意にグリンが尋ねた。
「さあ、『ゼイ・レミ・オーバー・ユー』とかか?」
「そうですか、まあ私は一向にそうした『昔懐かしき』といった風情の楽曲でも構いませんが」
「言うじゃねぇか。じゃあトラップ風味の低速域とか、あるいはハウスとかクラブミュージック寄りのアップテンポとかそういう系のヒップホップが客人向きってか?」とハンサムな魔術書は鼻で笑った。
スパイクは実際にはそうしたビルボードのチャートを独占しているような最近のヒップホップないしはラップも嫌いではなく、むしろ好きな曲も多かったがグリンへの対抗でそういう態度を取った。
「そこまで行かなくても〇〇年代からの十年間のテイストでも構わないのではないでしょうか。あなたはよくミッドウェスト系なども聞いておりますが」
「ああ、なんだよ。ネリーが聴きたいんだろ? 素直にそう言えばいい。俺もよく聴くしな、『オーバー・アンド・オーバー』みたいなちょっとしんみりした曲聴きたい気分の時だってあると恥ずかしがらずに言えば…いやお前に恥ずかしいとかねぇか」
「ええ、そうですね。ですが少しそわそわしたり恥ずかしそうにした方が、あなたも好きなのかと思いましたが」
グリンはいつも通り冷淡に言い放った。スパイクと目を合わせ、彼を困惑させた。
「いや、結構。お前は別にそういう事をしなくていい。ホントに」
「本当に?」
「マジで、頼む」
「ではそうしましょう。ああ、もしもそうして欲しければいつでも――」
「――マジでどうかしてるぜ、全く」
またイチャイチャしてる…そうライアンが思った瞬間、会社からあの腕組みのチェック柄男が現れた。男はいつも通りらしい様子でそのまま歩道を歩き始めた。
「さて、仕事の続きだぜ」
「はい、現状我々三人の間にある唯一の手掛かりかも知れません」
彼らはがらりと雰囲気を変え、その様にライアンはやはり慣れないものがあった。




