SPIKE AND GRINN#29
ハウラと名乗るマサチューセッツ工業の偉い手と話し合う傍ら、怪しい素振りの男が二人。その内の一人はスパイク達を見て逃げ始め…。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉。
事件発生日の翌日、朝︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン
それから彼らは専門的な会話を始めた。法の衝突に関する話に始まり、ハウラの理論武装はかなりの入れ知恵があるもの――あるいはロースクールに通っていたのかも知れないが――であるように思われた。スパイクは知る限りのカリフォルニア州法と連邦法の知識を使って反論した。
しかしどうにも相手がイニシアティブを握っているようにも思われた。話の流れがよろしくない、スパイクはそう考えた。そもそもが今回合衆国公認魔術師としての調査権を行使し、マサチューセッツ工業の裏の顔を暴くものであるから、まずは話を逸らされた事を認識するところから始めた。
相手の話のきりのいいところを強引に見付け、そこで一旦制止し、質問へと無理矢理持って行った。そこから己が本来したい話を説明し始め、そのまま五分の攻勢で釘付けにした。逃げるつもりであろうがそうはいかない。
この間グリンとライアンは無言で見守っていた。ライアンは己が場違いのような気がして居心地が悪かったが、しかしグリンはいつもの冷淡な様子でじっと眺めていた。ハウラは彼ら連れ添いに対しては得に何も言うでもなく、スパイク以外を見ていないように思われた。
結局ハウラは折れ、スパイクに会社内を見て回る許可を与えた。時間を稼ごうとしたのかも知れないが、しかし頭のいい者であれば合衆国公認魔術師をあまり怒らせるべきでない事を知っていた。
というのも、もし公認魔術師の調査や質問を相手が拒み、その公認魔術師が警察にこれを連絡して警察が代わりに調査しに来る場合、その時点で対象となっている個人または団体は文字通り『証拠隠滅に当たる行為を一切してはいけない』のである。
この待ち時間の間魔術師は合法的に『対象』の全挙動を監視する権利を持ち、もし『対象』がデータの削除や書類の破棄――その他にも考えられるあらゆる事項が列記されているが省略――しようとした場合、その公認魔術師は一時的に警察官がその州で行使できるものと同等の権利を有する事ができ、これは現場に現職警官が到着してこの一時的な権利を返却するまで有効となる。
このため合衆国公認魔術師とは活動地域の警察――州警察であるかも知れず、あるいは地域によっては保安官であるかも知れないが、省略――と同じ訓練過程や学習を履修せねばならず、当該法律にも熟知していなければならない。
また、無用なトラブルを避けるために過去の魔術関連の判例についても、暗記はともかく当該資料を所持し、場合によってはそれの紙資料または電子データを持ち歩いているべきである。
これが日本や中国であればここまで細かく気にする必要はないが、しかしここは英米法の地であり、つまりそれだけ法律についてはどこまでも面倒臭いのである。なんでもかんでも細かく規定しなければ安心できないのが判例法の世界の人々であるから。
「それで、どうして液体窒素をそんなに? 新規事業ってのがいつまでも止まったまんまみたいだが」
「どこでそのような情報を? それにそれは社外秘ではありますけれど…仕方ありませんね」
ヒジャーブで頭部を軽く覆う貴人は受け付けカウンターに高級な鞄を置いて、それから腕のアクセサリーを弄びながら答えた。
「液体窒素を使った事業を考えておりまして、鉄鋼や化学用途も考えましたが、それでは既にシェアを得ている競合他社との争いになります。ですので比較的この近辺でライバルの少ない分野を探りましたところ、土木分野でなら…と思い至った次第です」
「話がイマイチ見えねぇが、つまり最近になってようやくビジネスの目処が立ったって事でいいのか?」
「はい。私が手掛けた最初の大きな事業でありますから、徐々にやり甲斐や将来の展望のようなものが見えて参りまして」
美しいニャンコレ系の才女はどこか影のある微笑みを浮かべ、かのハーリドに顔を見せてくれと頼まれて初めて男ではないと判明した伝説的な女武者と同じ名を持つ彼女は、我が子に対してであるかのような調子で己の事業について語った。
エントランスで話していると一人の男が出て行き、スパイクはそれをちらりと見ながら話を切った。
「そうか。急に押し掛けてすまなかった。非礼があったかも知れないが、人が何人も殺されててな。俺も警察も躍起になってる」
「いえいえ。あのニュースを見た時は思わず心臓が止まりそうになりましたの…その、確か数年前にもどこか別の州で同じような死体が見付かったのを思い出してしまい…遂に地元近くにまで恐ろしい影が…」
「大丈夫だ、これ以上好きにはさせない。それじゃあな」
スパイクは視線を感じ、それが奥の方からじっと見ている男のものであると知っていた。飾り気の無いチェックの上着、同じぐらい地味なカーゴパンツ、ミルク色の肌と禿げた頭、がっしりとしたやや肥満気味の体躯。恐らく重役であろう。
「ところで今退出した男ですが」と唐突にグリンが言った。
「ああ、言いたい事はわかるぜ。服装、日焼けの度合い、横から見える靴底の擦り減り具合、営業マンじゃないな。しかも」
「ええ、彼は鞄無し、財布や携帯の膨らみも無し、それなのにやけに自然を装って玄関口から外へと出ましたね」
彼らはすうっと会社から出て行き、一瞬遅れてライアンもそそくさと退出した。
「焦ってるな、まるでテロリストに自分が狙われてて着の身着のままってやつか」
「そうですね、ではテロリストよりも恐ろしいものを見せましょうか」
彼らが出た瞬間男は振り向き、そして目が合った。
「ちょっと話いいか?」とスパイクは叫んだが、相手は即座に逃げ始めた。
「どうやら彼はドラマの見過ぎのようです。だから勝算も無しに逃げる」
やや放置されていたライアンはまた追跡劇が始まるのかとややうんざりしたが、しかし下手人に少しでも近付くための一歩と考えて気合いを入れた。
「連邦捜査官だ!」
ライアンはかなりの声で叫んだ。まだ往来はあまり多くなかったが、しかし少なからず視線を浴びた。
「そいつはまだお前向きの手じゃないな」
スパイクは走り始めながらそう言った。
「それで、お前は無駄に走って俺達を疲労させやがったな。市民の義務としてジュースぐらい奢ったっていいんだぜ?」
スパイクはにやにやしながら腕を組み、捕まえた男を見下ろしていた。街角でへたり込んだその男は息を切らし、少なくともX‐メンのビーストのような冴える返しができる状態ではなかった。午前の陽射しはやがて暴政を始めるものと思われた。
男は俯いたままで右手を挙げ、『ちょっと待ってくれ』と言いたそうにした。何やら声にならない声を出し始めた。脂汗が顔を濡らして鼻をべたべたさせ始め、明らかに室内業務用の半袖シャツがぐっしょりと濡れていた。
悲惨な有り様の男はやがてまともに話し始めた。
「弁護士が…来るまで…」
「何? 今弁護士って聞こえなかったか?」
「聞こえましたね。確実です」
それからライアンも一言加えた。
「確かにテレビの見過ぎみたいだね、ドラマとかの」
「その通りだぜ。弁護士ってどれぐらい金取るか本当に相場知ってんのか? そもそも具体的な弁護士の電話番号とかメールアドレスとかその他を知ってんのか?」
「わかったわかった…冗談だって」
息をなんとか整えて男は立ち上がった。こうして見ると背はスパイクより高く、しかし痩せ身であった。頬が赤く、肌の色合いはアメリカ人ではなくどこか『ヨーロッパ人』的に思えた。
「その…草がさ。ちょっとね」と相手は言いにくそうに言った。
「ウィズ・カリファにでも憧れたか?」
「医療用を摂取しててさ、いや『医療用として摂取してた』だね。まあカードもあるんだけど」
彼は許可証を提示した。やや今とは違う様子の彼が小さく写っていた。医療用としてマリファナの所持を認める云々というこの州用のカード。
「そいつが作り出す感覚にちょいとハマったって事か?」
スパイクはやや哀れんで言った。マリファナではないが、生まれ育ったゲットーで多くのドラッグを見た。彼自身は一切やらなかったものの、仲のよかった年上のグループが風邪用シロップをジュースで割って飲んでいたのを思い出した。
隣の家の一人暮らしの男は注射でキメ過ぎてある日玄関で死んでいた。それを見て、その年上グループは依存者の支援に携わる仕事を始め、それにならなかった残りは警官になった。
「本当はさ、もう治療は終わったんだよ。元々は癌治療だったけどなんとか治って…でもその後も摂取を」
男の様子を見ていると、本当はやめたがっているようにも思えた。そう考えると急に彼が可哀想に見え始めた。
「なるほど、つまりお前は俺らを見て、葉っぱのせいでしょっ引かれるんじゃないかと思ったわけか。だが俺も悪魔じゃない。黙っててやってもいい、お前が情報をくれるならな」
「えっ?」
「マサチューセッツ工業の社内情報を知りたい。液体窒素の用途とか、ハウラやあのチェック柄野郎の事とかな」
かなり久々に更新…さて明日以降も続けなければ。




