第09話 激怒する王子と、鏡の予言
王都、王城の一室。
豪奢な調度品で飾られた(ただし、絵画は傾き、生けられた花は枯れ、カーテンは薄汚れている)第二王子の私室に、怒号が響き渡った。
「ふ、ふざけるなあああああっ!!」
レイモンドは、北から届いた返信――たった二文字『不可』と書かれた羊皮紙を、クシャクシャに丸めて床に叩きつけた。
「な、なんだこの返事は! 辺境の田舎貴族が、王族の命令に対し『不可』だと!? 舐めるのもいい加減にしろ!」
彼は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
その拍子に、床の絨毯が『痛いなこの野郎!』と端をめくり上がらせ、レイモンドの足を引っかけた。
「ぐわっ!? ……くそっ、この部屋の絨毯まで俺をバカにするのか!」
すっ転んだレイモンドの元へ、聖女見習いのミナが駆け寄る。
「殿下! 大丈夫ですか? ……まあ、なんて酷い返事でしょう。きっとお姉様が、辺境伯様をたぶらかして書かせたに違いありませんわ」
「そうに決まっている! あの女、あることないこと吹き込んで、俺の評判を落とそうとしているのだ!」
レイモンドは立ち上がり、ギリギリと歯を鳴らした。
現在、王都の状況は悪化の一途をたどっている。
下水道は逆流し、城門は開閉せず、夜になれば街灯が消える。国民の不満は爆発寸前で、その矛先は「聖女の祈りが足りないせいだ」「王子が女神(コーデリア)を追放したせいだ」と、王家に向き始めていた。
この状況を打破するには、コーデリアを連れ戻し、無理やりにでも結界と魔道具を修復させるしかない。
「こうなれば、俺が直接行く! 近衛騎士団を招集しろ!」
「えっ、殿下が自らですか?」
「ああ。辺境伯ごときに王家の威光を見せつけてやる。……それに、あの女が泣いて詫びる顔も見たいからな」
レイモンドは歪んだ笑みを浮かべ、腰の宝剣レオハルトの柄に手をかけた。
勢いよく引き抜こうとするが、剣は鞘に張り付いたようにびくともしない。苛立って力任せに引っ張った瞬間、その負荷に耐えきれずベルトの留め具が弾け飛び、剣は鞘ごと床に派手な音を立てて落下した。
『お前と行くのやだ。留守番してる』という剣の意思表示だったが、レイモンドは「ええい、整備不良だ!」と従者に剣を拾わせ、部屋を飛び出した。
◇
一方、北のオルステッド城。
そんな王都の騒動など露知らず、私は城の大広間で、ある「古株」の道具と対面していた。
それは、ホールの壁に掛けられた、人の背丈ほどもある巨大な姿見(鏡)だった。
枠には精緻な彫刻が施されているが、長年の埃と曇りで、その輝きは失われていた。
「こんにちは、鏡さん。今までお掃除が行き届かなくてごめんなさいね」
私が雑巾で表面を拭うと、鏡の奥から、マダムのような艶っぽい声が響いた。
『あらやだ、やっとまともな拭き手が現れたわね。ずーっと顔が曇っててお化粧のノリが悪かったのよ。……うーん、そこ! 右上の角! そこが痒いのよ!』
「ふふ、ここですね」
私が念入りに磨くと、鏡面は見違えるように輝きを取り戻した。
『はぁ〜、スッキリした! ありがとう、可愛いお嬢さん。あんた、いい子ねぇ。心根が顔に出てるわよ』
「ありがとうございます。……あら?」
磨き終わった鏡を覗き込むと、そこには私の姿だけでなく、遠く離れた「城門」の様子が映し出されていた。
『あら、驚いた? アタクシ、ただの鏡じゃないの。「遠見の鏡」って言ってね、ある程度の距離なら、どこでも映せるわよ』
「すごい……! 防犯カメラみたいですね」
『カメ……? よくわからないけど、便利でしょ? ちなみにアタクシ、執務室にある「対の手鏡」とも繋がってるのよ』
「対の、手鏡ですか?」
『そう。旦那様なんて、あんたが庭を散歩してる時、執務室の手鏡を通してこっそりストーキング……じゃなくて、見守ってるのよ?』
「えっ」
まさかの事実発覚。ジークハルト様、執務室に引きこもっていると思ったら、そんなハイテクな覗き見……いえ、見守りをしていたなんて。
『「コーデリアが花に笑いかけた……天使だ……尊い……」って、書類仕事そっちのけでデレデレよ』
鏡のマダムがケラケラと笑う。私は赤面しながらも、愛しさがこみ上げてきた。
その時だった。
私の胸元のネックレス――アメジストが、チリリ、と熱を持った。同時に、鏡の表面がさざ波のように揺らぐ。
『……おや? ちょっと、なんか嫌な感じがするわね』
「鏡さん?」
『南の方角よ。街道のアスファルトたちが、騒いでるわ』
私は意識を集中させた。ネックレスの増幅効果で、私の聴覚は城を飛び出し、雪解けの進む街道へと伸びていく。
聞こえてきたのは、地面の低い唸り声だった。
『重い……重いよぉ……』 『なんだこいつら、乱暴だな……』 『馬の蹄が痛い……車輪が食い込む……』 『来るぞ……嫌な奴らが来るぞ……』
それは、明らかに「軍隊」の行軍の気配だった。
しかも、友好的なものではない。地面たちが「踏まれたくない」「通ってほしくない」と拒絶反応を示している。
(……来たのね)
私は確信した。 あの『不可』の手紙に対する、王都からの答えだ。
私はスカートを翻し、執務室へと走った。
◇
「ジークハルト様!」
ノックもそこそこに飛び込むと、ジークハルト様はちょうど魔剣グラムの手入れをしているところだった。 彼は私の慌てた様子を見て、スッと立ち上がる。
「……どうした」
「来ます。……王都の軍が」
私が伝えると、ジークハルト様の目がすぅっと細められた。
先ほどまでの穏やかな空気は消え失せ、歴戦の武人としての鋭い覇気が部屋を満たす。
『マジかよ! あいつら、あの手紙見てまだ来る気!? 馬鹿なの? 死にたいの?』
グラムが興奮して震える。
「街道さんたちが言っていました。重い馬車と、多数の馬の足音……おそらく、騎士団クラスの規模です」
「……到着は」
「地面の感覚だと、あと半日ほどで領境の関所に差し掛かるかと」
ジークハルト様は無言で頷き、腰にグラムを佩いた。
カチャリ、という金属音が、開戦の合図のように響く。
「……迎撃する」
短く、冷徹な一言。
彼は私の方へ歩み寄ると、不安げに見上げていた私の頭を、大きな手でポンと撫でた。
「……心配するな」
『翻訳! 「君の目に入る前に、ゴミ掃除は終わらせてくる。君は暖かい部屋で紅茶でも飲んでいてくれ。指一本触れさせない」!』
いつもの過保護な翻訳に、少しだけ肩の力が抜ける。でも、私は首を横に振った。
「いいえ、私も行きます」
「……危険だ」
「危険ではありません。だって、彼らは『道具』に頼って来るのですから」
私はニッコリと微笑んだ。
馬車、武具、蹄鉄、そして彼らが通る道そのもの。それら全てが、私の「お友達」なのだ。
「『万物の代弁者』として、彼らに少しだけ……お行儀を教えてあげようと思います」
ジークハルト様は一瞬驚いた顔をしたが、やがてフッと口元を緩め(超レアな微笑み!)、頷いた。
「……頼もしいな」
「はい、あなたの妻ですから」
私たちは並んで部屋を出た。
北の辺境伯夫妻と、国宝級の魔剣、そして領地中の「モノ」たち。
王都のエリート騎士団が束になっても勝てるはずがない、最強の布陣が完成していた




