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第06話 初めての贈り物

 北の辺境伯領での生活は、思いのほか穏やかだった。


 城は常に何かしらの声(主に家具や食器の井戸端会議)で賑やかだし、使用人たちも最初は私を警戒していたようだが、私が「廊下のカーペットが『右端のほつれを直してくれたら、もっとふかふかになってやる』と言っていますよ」などと助言をするうちに、すっかり打ち解けてくれた。


 そして何より、旦那様であるジークハルト様が、とにかく可愛いのだ。


 ◇


 ある日の午後。  


 私は、お茶の時間にジークハルト様に呼ばれ、応接室へと向かった。

 部屋に入ると、彼はソファに座り、まるでこれから処刑宣告でもするのかというほど強張った顔で待ち構えていた。


「……来たか」 「はい、お呼びでしょうか」


 私が対面の席に座ると、ジークハルト様の視線が泳ぎ始めた。右を見て、左を見て、天井の照明を見て、最後に腰の魔剣を見る。


『ご主人様、頑張れ! いける! 男ならビシッと渡せ! 「君の瞳に乾杯」とか言っちゃえ!』


 魔剣グラムさんが無責任な声援を送っている。  

 ジークハルト様は、意を決したようにテーブルの上にドン! と一つの小箱を置いた。重厚なベルベット張りの、高級そうな箱だ。


「……これを」


「えっ、私にですか?」


「……ああ」


 彼はそれ以上何も言わず、腕組みをしてそっぽを向いてしまった。  


 耳が赤い。どうやらプレゼントらしい。


(嬉しい……! 私のために選んでくださったのかしら)


 私は胸を高鳴らせながら、箱に手を伸ばした。  すると。


『開けて! 早く開けて! 窒息するかと思ったわ!』


 箱の中から、ものすごく甲高い、興奮した声が聞こえてきた。 ……なんだろう、このテンションの高さは。


 恐る恐る蓋を開けると、そこには眩いばかりの宝石が散りばめられた、美しいネックレスが収められていた。  

 中央には、私の瞳と同じ色をした大粒のアメジスト。その周囲をダイヤモンドが取り囲んでいる。  


 息を呑むほど美しい。  美しい、のだが……。


『見ました!? 奥様! この輝き! 旦那様が三時間も悩んで選んだこの私!』


 中央のアメジストが、高飛車な令嬢のような口調で喋り出した。  


 『聞いてくださいよ奥様! この旦那様ったら、宝石店で本当に大変だったんですから! カウンターに私たちをズラリと並べさせて、ものすごい怖い顔で睨みつけて!』


 アメジストは、まるで昨日のことのようにペラペラと語り始めた。


『隣にいたルビーは「赤色は血を連想させるから却下だ」って弾かれるし、ダイヤだけのやつは「冷たすぎる」って言われるし! 宝石商のおじさんなんて、旦那様の顔が怖すぎて泣きそうだったわ!』


 私は笑いをこらえるので必死だった。  


 目の前のジークハルト様は、私が沈黙しているのを「気に入らなかった」と勘違いしたのか、不安そうに眉を寄せている。


「……やはり、趣味じゃなかったか」


 低く、沈んだ声。魔剣グラムがすかさず通訳に入る。


『「やっぱり宝石なんて柄じゃなかったか? もっと実用的な、そうだな、護身用のダガーナイフとかの方が喜んだか? しまった、俺のセンスが壊滅的すぎて嫌われたかもしれない」……って落ち込んでます! 早くフォローを!』


 ダガーナイフと迷ったのですか。私は慌てて首を横に振った。


「いいえ! とんでもないです! とっても素敵ですわ。……それに、この子が全部教えてくれましたから」


「……この子?」


 ジークハルト様が不思議そうに首を傾げる。私はネックレスを箱から取り出し、胸に当てて微笑んだ。


「ええ。あなたがどれだけ時間をかけて、他の誰でもない、私に似合うものを探してくださったか……このアメジストさんが自慢げに話していますよ」


『そうよ! 旦那様、最後に私のことを見て顔を真っ赤にして言ったじゃない! 「……この紫色は、あいつの瞳に似ている」って! きゃーっ! ご馳走様です!』


 私がアメジストの言葉を伝えると、ジークハルト様はガタッと音を立てて立ち上がった。

 その顔は、今や熟れたトマトのように真っ赤だ。


「……わ、忘れてくれ」


 彼は顔を手で覆い、呻くように言った。


「あんな……女々しい悩みなど……武人として……」


「ふふ、とっても嬉しいです。ジークハルト様」


 私は立ち上がり、彼の目の前まで歩み寄った。  

 そして、まだ顔を覆っている彼の手首に、そっと手を添える。


「一生、大切にしますね。……つけていただけますか?」


 私が背中を向けて髪を持ち上げると、彼はしばらく固まっていたが、やがておずおずとネックレスを手に取った。  

 震える指先が、私の首筋に触れる。  冷たくて大きな指。でも、その震えが愛おしい。


『うおおおお! 手が! 手が震えて金具が留まらねえ! ご主人様落ち着け! 深呼吸だ! 奥様のうなじを直視するな、刺激が強すぎる!』 『あらあら、旦那様ったら可愛いところあるじゃない。ほら、もう少し右よ。そうそう』


 グラムとアメジストの野次馬実況を聞きながら、ようやくカチリと留め具がはまった。


「……似合う」


 背後から、ぽつりと落とされた言葉。振り返ると、ジークハルト様はどこか誇らしげで、そして眩しそうな目で私を見ていた。


「……紫が、よく似合う」


『翻訳不要! 直球デレ入りましたー!!』


 グラムさんの言う通り、これは通訳がいらない。  

 私は胸元の騒がしいアメジストを撫でながら、満面の笑みで「ありがとうございます」と伝えた。


 王都にいた頃、レイモンド殿下からプレゼントをもらったことはあっただろうか。  


 確か、彼の生家の紋章が入った万年筆や、彼の好みの色のドレスなど、「彼色に染めるための道具」ばかりだった気がする。  

 それらの道具からは、『俺を使え』『俺を見ろ』という高圧的な声しか聞こえなかった。


 でも、このアメジストは違う。

『あなたに似合う色だから選ばれたの』と、誇らしげに胸を張っている。彼が、私自身を見て選んでくれた証だ。


「さあ、お茶にしましょうか。今日は私が注ぎますね」


 私がポットを手に取ると、ポットが『任せて! 最高に美味しい紅茶を淹れるわ! だって今の奥様、世界一幸せそうな顔してるもの!』と歌った。


 湯気とともに広がる紅茶の香りと、目の前の不器用で愛おしい旦那様。


 私は心からの幸せを噛み締めていた。

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