第04話 国宝級の通訳
翌朝。
私は、頬を撫でる柔らかな日差しと、顔のすぐそばで感じる「誰かの視線」によって目を覚ました。
(……あら? まだ夢を見ているのかしら)
ぼんやりと目を開けると、ベッドの脇に、キラキラとした粒子を纏った美青年が浮いていた。
透き通るような紫色の髪に、チャラそうな軽薄な笑み。彼は私が目覚めたのを見ると、パッと顔を輝かせた。
『おっ、起きた? おはよー奥様! 寝顔もスゲー可愛かったぜ!』
「……きゃあああああっ!?」
私は飛び起きて布団を引き寄せた。 ふ、不審者!? いや、幽霊!? ここは辺境伯の城だ。噂にあった「無念の死を遂げた亡霊」がついに出たのか。
「だ、誰ですか!? 何が目的で……!」
『えっ、俺? ひどいなぁ、昨日あんなに仲良く喋ったじゃん! 俺だよ俺! 魔剣グラムだよ!』
青年が親指で自分を指差す。
よく見ると、彼の足元――サイドテーブルの上には、あの禍々しい装飾の剣が鎮座していた。 この青年は、剣から伸びるようにしてふらふらと漂っている。
「ぐ、グラムさん……? その姿は……?」
『ん? あー、これ? 「精霊体」ってやつ。普通の人間には見えないんだけどね。奥様、霊感っていうか、魔力感度がズバ抜けて高いから見えるんだよ』
グラムさんは「へへん」と得意げに鼻を鳴らした。
『昨日の夜、ご主人様が「コーデリアが寂しくないように、それから悪い夢を見ないように」って、俺をここに置いてったんだよ。「朝まで絶対に見張ってろ。もし蚊が一匹でも近づいたら次元ごと斬れ」って命令されてさぁ。過保護だよねー』
……なるほど。
この魔剣、魔除けのお守り代わりに置かれていたらしい。蚊一匹に次元斬りを使おうとする旦那様の過剰防衛には驚きだが。
「そ、そうですか……ありがとうございます。でも、人間のようなお姿まで見えるなんて初めてで……」
『そりゃそうだよ。俺、ただの剣じゃないからね。「国宝級」の魔剣だからね! 自我のレベルが違うわけよ』
グラムさんは空中で胡座をかきながら、真面目な顔(といってもニヤニヤしているが)で私に顔を近づけた。
『ていうかさ、奥様。自分の能力のこと、ちゃんとわかってる?』
「能力……? 物の声が聞こえることですか?」
『それそれ。あのね、俺たち道具とか、あるいは自然の精霊たちってのは、人間に使われたり、ただそこに在るだけでも「負の感情」や「澱」みたいなものが、錆みたいに心に溜まっていっちまうんだよ』
「心の、錆……?」
『そう。普通はそれが溜まると、苦しさに耐えきれず、制御がきかなくなったり、動くのを拒否しちまうんだ。王都の連中が「呪い」だの「壊れた」だの言ってるのは、そうやって俺たちが悲鳴を上げて、必死に抗議してる状態なわけ』
グラムさんが、やれやれと肩をすくめる。
『でも奥様は、無意識に俺たちに魔力を流して、その「心の錆」を綺麗に落としてくれてるんだよ。だから俺たちは、いつだってご機嫌で、本来以上のすげぇ力を発揮できるし、こうしてクリアな思考で会話もできるってわけ』
「えっ……」
『つまり奥様は、ただの「声が聞こえる人」じゃない。あらゆる存在の苦しみを取り除き、言葉を届ける**「万物の代弁者」**であり「カウンセラー」ってことさ。王都の連中、奥様を追い出すなんてマジで馬鹿だよね。あいつら今頃、我慢の限界を迎えた道具たちに、盛大な仕返しをされてるんじゃない?』
私は呆然とした。
今まで「気味悪い独り言」だと言われてきた力が、そんなすごいものだったなんて。
私が毎日、声をかけながら剣や道具を磨いていたのは、彼らの苦しみを取り除いていたということ……?
その時、コンコン、と控えめなノック音がした。グラムさんがスッと剣の中に戻り、精霊姿が消える。
「……コーデリア。……起きているか」
扉の向こうから聞こえたのは、低く、少し緊張したようなジークハルト様の声だった。
「はい、起きております。どうぞ」
ガチャリと扉が開き、ジークハルト様が入ってきた。
朝の光を浴びた銀髪が眩しい。彼は私と、サイドテーブルの上のグラムを交互に見ると、眉を下げて安堵の息をついた。
「……よく、眠れたか」
短い問いかけ。しかし、すぐにテーブルの上の魔剣が震え出し、大音量の通訳が始まった。
『翻訳します! 「おはようマイエンジェル! 昨日は旅の疲れが出なかったか心配で、俺は一睡もできなかった! 枕が変わって眠れなかったりしなかったか? もし目の下にクマができていたら、俺はこの城の枕という枕を全て焼き払って、最高級の羽毛を取り寄せようと決意していたところだ!」……だそうです! 朝から重いよご主人様!』
プッ、と私は吹き出してしまった。ジークハルト様が、ビクッとして赤面する。
「ふふ……おはようございます、ジークハルト様。おかげさまで、とってもよく眠れましたわ。グラムさんが守っていてくださったおかげですね」
私が剣に視線を向けると、ジークハルト様はバツが悪そうに視線を逸らした。
「……あいつは、うるさくなかったか」
『「僕の愛の代弁者として役に立ったか?」って聞いてます!』
「目覚めてからはとっても賑やかでしたけれど、おかげで寂しくありませんでしたわ。それに、大事なことを教えてもらいました」
私はベッドから降りて、ジークハルト様の前に立った。見上げると、彼は威圧的な体格に似合わず、オドオドと私の反応を待っている。
「私、ここに来て本当によかったです。私のこの力……『声が聞こえる』ことが、あなたやグラムさんの役に立つのなら」
私がそう伝えると、ジークハルト様は目を見開いた。
そして、震える手でおずおずと私の手を取り、その甲に、壊れ物を扱うようにそっと口付けを落とした。
「……俺にとって、君は……」
言葉に詰まる彼に代わって、グラムさんが叫ぶ。
『「君は俺の救いだ! 一生大事にする! むしろ崇める!」』
「……宝だ」
ジークハルト様が、ようやく絞り出した一言。通訳よりもずっと短くて、不器用な言葉。
でも、その一言に含まれた熱量は、どんな詩よりも雄弁だった。
「はい。……私も、もっとあなたのお役に立てるよう、頑張りますね」
こうして、私の辺境での新婚生活は幕を開けた。誤解だらけの「呪われた辺境伯」と、お喋りすぎる「聖具」。
賑やかで、少し恥ずかしくて、温かい日々。
――だが、私はまだ知らなかった。
この平和な日々の裏で、私を追い出した王都が、予想以上に壊滅的な状況に陥っていることを。
そして、その元凶たちが、「聖女」の嘘に気づき始めていることを。




