第03話 歓迎の夕食会
案内された食堂は、ダンスパーティーが開けそうなほど広かった。
高い天井には豪奢なシャンデリア(王宮のものとは違い、『俺の輝きを見ろ!』と自信満々な性格だった)が吊るされ、長いテーブルの上には燭台が並んでいる。
その最奥、上座に座るジークハルト様は、やはり魔王の如き威圧感を放っていた。
着替えを済ませた彼は、軍服ではなく、濃紺のベルベットの上着を羽織っている。貴族らしい装いのはずなのに、なぜか彼が着ると戦闘服に見えてしまうのは、鍛え上げられた体躯と鋭い眼光のせいだろう。
「…………」
ジークハルト様は無言で私に視線を向け、顎を少ししゃくった。
普通なら「座れ」という横柄な命令に見える。 けれど、私の耳には別の声が聞こえていた。
『奥様! どうぞお掛けください! ここです、ここ! 旦那様がさっきから「椅子が冷たくないか? クッションの厚みは足りているか?」って三回も確認した私のふかふかのお腹です!』
ジークハルト様が指し示した椅子が、高らかなソプラノボイスで自己主張してきた。
私は笑いをこらえながら、その椅子に腰を下ろす。
「ありがとうございます、ジークハルト様」
「……あ、あぁ」
短く唸るような返事。
執事のセバスチャンが合図をすると、給仕たちが次々と料理を運び込んできた。
北の大地の恵みをふんだんに使ったフルコースだ。温かいポタージュ、新鮮な魚のマリネ、そしてメインは厚切りのローストビーフ。
どれも湯気を立てていて美味しそうだ。しかし、食卓は静まり返っている。カチャリ、と食器が触れ合う音だけが響く重苦しい沈黙。
もし私に「声」が聞こえていなかったら、胃が痛くなって味がしなかったかもしれない。
ジークハルト様は黙々とナイフとフォークを動かしている。その表情は真剣そのもので、まるで魔物の解体でもしているかのような殺気さえ感じる。
けれど。
『痛い痛い痛い! ご主人様、握力! 握力強すぎです! 私、曲がっちゃいます!』
ジークハルト様が握るシルバーナイフが悲鳴を上げていた。
『落ち着いてくださいマスター。そんなにガチガチに緊張していたら、お肉が逃げますよ。ほら、奥様の方を見て。一口目を召し上がりますよ』
冷静な口調で諫めているのは、シルバーフォークだ。
どうやら今日の通訳係は、このカトラリーたちのようだ。(さすがに食事の席に、あのやかましい魔剣グラムさんは帯刀していないらしい)
私はスプーンでポタージュを口に運んだ。
濃厚なカボチャの甘みが口いっぱいに広がる。冷え切った体に染み渡るような優しさだ。
「……美味しい」
思わず呟くと、ジークハルト様の手がピクリと止まった。
彼はじっと私を見つめている。相変わらず眉間に皺が寄っているけれど。
『やった! 「美味しい」いただきました! ご主人様、ガッツポーズしたいのを我慢して震えてる!』 『よかったですねぇ。ご主人様、料理長に「王都の女性はどんな味付けを好むんだ? 甘めか? 薄味か? もし口に合わなかったらどうすればいい」って、昨日の夜からずっと相談してましたから』
フォークの解説に、私は胸が温かくなった。
この強面の旦那様は、私のためにそんなことまで気にしてくれていたのか。
「ジークハルト様。このスープ、とても美味しいです。北のお野菜は甘みが強いのですね」
「……そうか」
「お魚も新鮮で驚きました。こんな山奥なのに」
「……川魚だ」
「お肉も柔らかくて……ふふ、私、こんなに美味しいお食事は久しぶりです」
私が話しかけるたび、彼は短く答えるだけだ。でも、そのたびにナイフとフォークが『照れてる!』『今、耳が動きました!』と実況してくれるので、彼が喜んでいるのが手に取るようにわかる。
その時だった。ジークハルト様が、意を決したようにワイングラスを置いた。
グラスが『おっと、来るか? 旦那様の一世一代のトークタイムか?』と煽る。
「……あの」 「はい」 「その……あー……」
ジークハルト様の視線が泳ぐ。 天井を見たり、床を見たり、私の後ろの壁を見たり。
そして、搾り出すように言った。
「……不便は、ないか」
たったそれだけの言葉。
でも、ナイフが叫ぶ。
『翻訳します! 「部屋は寒くないか? ベッドの硬さは合うか? 必要なものがあったら何でも言ってくれ、君のためなら王都から職人をさらってきてでも用意させるから!」……だそうです! 後半ちょっと物騒ですけど愛ですね!』
私は吹き出しそうになるのを必死で耐え、満面の笑みで答えた。
「はい、何も不便はありません。お部屋も暖かくて、家具の……いえ、皆様にとっても親切にしていただいております」
「……そうか」
ジークハルト様は、ほぅ、と深く息を吐いた。
安堵した表情が、一瞬だけ、とても幼く見えた。
「……なら、いい」
彼は再びナイフとフォークを手に取り、食事を再開した。
その耳は、やはり真っ赤だ。
◇
夕食後。私は膨れたお腹をさすりながら、廊下を歩いていた。
案内してくれているメイドのアンナ(彼女もまた、言葉少なだが目が優しい少女だった)が、申し訳なさそうに口を開く。
「奥様、あの……旦那様は、その……お怒りだったわけではございません」
「ええ、わかっているわ」
アンナは驚いたように私を見た。
「旦那様は、昔から口下手で……誤解されやすいのです。でも、奥様のために、昨日は一晩中、歓迎の準備を指示されていて……」
「ふふ、ありがとうアンナ。ちゃんと伝わっているわ」
私は廊下に飾られた古びた甲冑に目をやった。
甲冑が『奥様! 今の旦那様、食堂を出た瞬間に壁に手をついて「会話が続いた……奇跡だ……」って崩れ落ちてましたよ!』と教えてくれたからだ。
私は客室の前まで来ると、アンナに礼を言って部屋に入った。
暖炉にはすでに火が入り、部屋はポカポカに暖まっている。
ベッドに入ろうとした、その時。サイドテーブルの上に、見慣れないものが置かれているのに気づいた。
それは、小さな一輪挿しに生けられた、白く可憐な花だった。
北国特有の、雪の中で咲く花だろうか。 花瓶が、得意げに声を上げる。
『あ、気づいた? これね、旦那様がさっきこっそり置いていったの! 「直接渡すのは恥ずかしいから」って! 花言葉は「純潔」と「あなたを守る」だって! キャー素敵!』
私はそっと花びらに触れた。
冷たい外気の中で咲いていたはずの花は、今は温かい部屋の中で、優しく微笑んでいるように見えた。
「……ふふ、本当に」
私は花瓶に向かって、内緒話をするように囁いた。
「噂通りの『怪物』だったら、どんなに楽だったかしら」
こんなに不器用で、こんなに優しい人を、怖いと思えるはずがない。
むしろ、もっと知りたいと思ってしまう。
私はベッドに潜り込んだ。
枕が『最高の夢を見せてあげるね!』と張り切っている。
明日からは、本格的にこの領地での生活が始まる。
王都では「気味悪い」と言われた私の力。でもここなら、きっと何かの役に立てる気がする。
……まずは、あの口下手すぎる旦那様と、もう少し会話ができるようにならなくちゃ。
私は幸せな予感に包まれながら、眠りについた。




