第28話 愛妻家公爵と、公開される溺愛
翌日の正午。王城の大広間は、かつてないほどの緊張感と、きらびやかな空気に包まれていた。
シャンデリアがまばゆい光を放ち、真紅の絨毯が格調高く敷かれたその場所に、国中の主要な貴族たちが集められていた。
本日の主役は、もちろん私の夫、ジークハルト様だ。
彼はいつもの黒い軍服ではなく、公爵位に相応しい、深い紺色に金糸の刺繍が施された礼服を纏っている。
その姿は、息を呑むほど凛々しく、そして恐ろしいほど冷徹に見えた。
「……見ろ、あれが”北の氷壁”だ」
「なんと冷たい目だ……まるで感情のない彫像のようだ」
「噂では、王都を救ったあの聖女様でさえ、彼の前では直立不動で従わされているとか……」
貴族たちが、扇子で口元を隠しながらヒソヒソと囁き合っている。
無理もない。ジークハルト様は緊張すると表情筋が死滅し、眼光が鋭くなる癖がある。今も、直立不動で前を見据えるその姿は、処刑執行前の死神のような威圧感を放っていた。
壇上には国王陛下。
その傍らに控える私は、ジークハルト様の腰にある魔剣グラムが、退屈そうに欠伸あくびをするのを見ていた。
『ふわぁ……なげぇな。お偉いさんの話ってのは、どうしてこう退屈なんだ?』
『静かになさいグラム。ここ一番の見せ場よ』
私の首元で、アメジストのネックレスがたしなめる。
『へいへい。……おっ、やっと本題か?』
陛下が一歩前に進み出た。
ざわめきが波が引くように収まる。
「皆の者、静粛に。……此度、我が国を襲った未曾有の危機を救ったのは、他でもない。辺境伯ジークハルト・オルステッド、およびその妻コーデリアである」
陛下が威厳ある声で告げる。
「ジークハルトよ。その武勇と忠誠、そして王都の全魔道具の所有権を握る『真の聖女』の伴侶としての器量を認め……本日これより、其方を『公爵』に叙する」
おおぉ……と会場がどよめいた。
ジークハルト様が優雅な動作で片膝を突き、頭を垂れる。その所作は完璧で、まるで絵画に描かれた騎士そのものだ。
「……謹んで、拝命いたします」
低く、よく通る声。
感情の一片も感じさせないその声音に、貴族の令嬢たちが「きゃっ、冷たい……でも素敵……」「凍らされたい……」と熱い視線を送っている。
完璧だ。誰がどう見ても、クールで無慈悲な、高潔なる公爵様だ。
――しかし。
その沈黙を破ったのは、やはりこの男(剣)だった。
『ギャハハハ! だまされてやんの!』
グラムの大爆笑が、私の脳内に直接響き渡った。
『みんなに聞かせてやりてぇ! 今、この鉄仮面が心の中で何て叫んだか!』
えっ? まさか。
私が身構えるより早く、グラムの「超訳」が始まった。
『「よっしゃああああ! 昇進だ! 給料アップだ! これでコーデリアに、王都の一等地に別荘を買ってやれるぞ!」……だってさ!』
「んぐっ……」
私は思わず吹き出しそうになり、慌てて手で口を押さえた。
ジークハルト様の眉がピクリと動くが、彼は姿勢を崩さない。
『まだあるぜ? 『いや待て、別荘だけじゃない。今日のコーデリアのドレス……あの薄紫の色合い、最高じゃないか? 天使か? いや女神だ。あの姿を肖像画に残したい。専属の絵師を雇おう。いや、俺が描くか? いや俺には画力がない……くそっ、なぜ俺は剣術しか学ばなかったんだ!』……だそうです! 悩み方が重いよご主人様!』
私はプルプルと肩を震わせた。笑いを堪えるので必死だ。
周囲の貴族たちは「おや、コーデリア様が感極まって泣いておられるのか?」と勘違いしてくれているようだが、違うのです。
「……? (コーデリア? どうした? 具合でも悪いのか?)」
ジークハルト様が、心配そうにチラリとこちらを見た。
その視線に気づいたグラムが、さらに畳み掛ける。
『おっと、目が合った! 今の思考を読むぜ? 『……コーデリアが震えている。可愛い。緊張で心臓が飛び出しそうだが、かっこいい夫でありたいから我慢だ。……ああとにかく早く終わらせて、二人きりになりたい。膝枕してほしい。あとで「頑張ったね」って頭を撫でてくれないだろうか……いや、それは贅沢か?』』
「…………ッ!!」
もう限界だった。
私は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……あの、コーデリア?」
式典の途中だというのに、ジークハルト様が小声で話しかけてきた。
その顔には「俺、何か失敗したか?」という焦りが滲んでいる。
「……いえ、違います。……グラムさんが」
私は扇子で口元を隠し、彼にだけ聞こえるように囁いた。
「ジークハルト様が……『早く終わらせて膝枕してほしい』って思ってること、全部教えてくれましたから」
「…………!!」
その瞬間。
ボンッ!! と音がしそうな勢いで、ジークハルト様の顔が沸騰した。
氷のようだった表情が一瞬で崩壊し、耳まで真っ赤に染まる。
彼は慌てて口元を覆い、視線を泳がせた。
「な、な……き、貴様……余計なことを……ッ!」
その狼狽ぶりは、誰の目にも明らかだった。
会場中が「えっ?」とざわめく。
「おい見ろ、あの氷壁卿が……」
「顔を真っ赤にしておられるぞ!?」
「奥様に何か囁かれた途端に……あらやだ、なんて可愛らしい反応!」
先ほどまでの「冷酷な死神」のイメージは霧散し、そこにいるのは「妻の一言で赤面するウブな青年」だった。
「あらあら、まあまあ……」
「奥様のこと、大好きなのねぇ」
「愛の告白かしら? ふふっ」
貴族の夫人たちが扇子で顔を隠してクスクスと笑い出す。
温かい空気が会場を満たしていく。
陛下が、笑いを噛み殺しながら宣言した。
「……コホン。えー、ジークハルト公爵よ。そなたの……その『深い愛情』は、皆にも伝わったようだ」
「あ、いえ、これは……!」
ジークハルト様が弁明しようとするが、言葉が出てこない。
「これより、そなたを『愛妻家公爵』と呼ぶことにしよう。……その赤い顔を見れば、誰も異論はあるまい」
ドッ! と会場が爆笑と拍手に包まれた。
それは嘲笑ではなく、温かい祝福の拍手だった。
ジークハルト様は、真っ赤な顔で立ち尽くしていた。
そして、すがるような目で私を見下ろす。
「……コーデリア。俺は……」
「ふふ、大丈夫です」
私は、精一杯の笑顔を向けた。
「とっても素敵でしたわ。……『愛妻家』の公爵様」
「……うぅ」
彼がガックリと項垂れると、腰のグラムが『不器用だけど、結果オーライだな!』と楽しそうに笑った。
こうして、厳粛なる叙爵式は、私の通訳(耳打ち)を通した「公開ノロケ大会」となって幕を閉じた。
”呪われた沈黙の辺境伯”の伝説は終わりを告げ、これからは”甘々な公爵様”の伝説が、この国で語り継がれていくことになるだろう。
……さて、次は領地への帰還だ。
待っているのは、きっともっと騒がしい「おかえりなさい」だ。




