第26話 地下牢の断罪劇
王城の地下深く。
かつては重罪人を収容するために使われていた、薄暗くジメジメとした地下牢。
普段なら静まり返っているはずのその場所は、今、ヒステリックな喚き声で満たされていた。
「出しなさいよ! ここをどこだと思ってるの! 私は次期王妃になる女よ!」
「この手枷を外せ! 僕は第一王子だぞ!」
鉄格子の向こうで騒いでいるのは、先日捕縛されたミナとレイモンド殿下だ。
あれから数日が経過しているが、彼らはまだ現実を受け入れられていないらしい。
カツーン、カツーン……。
石畳を踏みしめる音が響くと、二人は鉄格子にしがみつき、叫んだ。
「あ! やっと来たわね! 遅いのよ! 早くここから出して……って、あんたたち!?」
現れた私たち――私、ジークハルト様、そして国王陛下の姿を見て、ミナが目を丸くした。
彼女は今、見るも無惨な姿だった。
煌びやかだった聖女のドレスは剥ぎ取られ、粗末な麻の囚人服一枚。自慢のピンク色の髪はボサボサで、何より、あの時浴びた生ゴミ汁の臭いが染み付いて取れていない。
「……臭うな」
陛下がハンカチで鼻を押さえながら、冷ややかな視線を向けた。
「父上! 父上ですね! 助けてください!」
レイモンド殿下が涙目で縋り付いてきた。彼もまた、無精髭が生え、やつれ果てていた。
「ミナに騙されていたんです! 僕は操られていただけで……被害者なんです!」
「はぁ!? 何言ってんのよこの役立たず! あんたが私に『君こそ真の聖女だ』って貢ぎまくったんでしょうが!」
早くも仲間割れが始まった。
陛下は深い溜息をつき、鉄格子の前に立った。
「……見苦しい。二人とも、自分が何をしたか理解しておらぬようだな」
「理解も何も! これは不当逮捕よ! 私は聖女なの! ヒロインなのよ!」
ミナが鉄格子をガンガンと蹴りつける。
その時だ。
『……痛ぇな! 蹴るんじゃねぇよ汚物女!』
鉄格子が低い声でドスの効いた文句を言った。もちろん、ミナには聞こえていない。
「なによこの鉄格子! 硬すぎ! 私の華奢な足が傷ついちゃうじゃない!」
『知るか! ていうか臭いんだよお前! 錆びる! 俺に触るな! 菌が移る!』
鉄格子が震え、ミナの手を弾くように微弱な電流を流した。
「きゃっ!? な、なによこれ! 鉄格子まで私を虐めるの!?」
ミナが手をさすりながら喚く。
私は小さくため息をつき、一歩前に出た。
「ミナ。……そこの鉄格子さん、『臭いから触らないでくれ』と言っていますよ」
「はぁ? 何よそれ! モノが喋るわけないでしょ! あんた、また変な腹話術でも使ってるんでしょ!」
彼女はまだ、私の能力を信じていないらしい。
いや、信じたくないのだろう。自分にはない特別な力を、見下していたはずの私が持っていることを。
「コーデリア……!」
レイモンド殿下が、ねっとりとした視線を私に向けた。
「君ならわかってくれるよね? 僕たちは婚約者だったじゃないか。……そうだ、やり直そう! 今すぐ僕をここから出してくれれば、もう一度婚約者にしてあげるよ! 側室でもいい!」
あまりの厚顔無恥さに、私は言葉を失った。
かつて私を「気味が悪い」と罵り、追放した口で、よくもまあそんな台詞が言えたものだ。
「……ふざけるな」
私が答えるより早く、空気が凍りついた。ジークハルト様だ。
彼から放たれる殺気が、物理的な圧力となって牢内を押し潰す。
「ひぃッ……!」
レイモンド殿下が腰を抜かし、尻餅をついた。
「へ、辺境伯……。落ち着け、僕は王族だぞ……」
「……元、だ」
ジークハルト様が冷たく告げる。
「貴様は既に廃嫡された。……それに、俺の妻を側室にする? その腐った口で、二度とコーデリアの名を呼ぶな」
チャキッ。
彼が親指で魔剣グラムの鍔を弾く音が、死の宣告のように響いた。
『やっちゃえご主人様! あんな浮気男、三枚おろしにしちまえ!』
グラムもノリノリである。
レイモンド殿下はガタガタと震え、失禁寸前だ。
「そ、そんな……。父上! なんとか言ってください!」
助けを求める息子に、陛下は氷のような眼差しを向けた。
「……レイモンドよ。余は、お前に失望した」
「ち、父上……?」
「王としての資質以前に、人として終わっておる。自分の行いを棚に上げ、他人に責任を押し付け、挙句の果てに元婚約者に縋り付く……。余の教育が間違っていたようだ」
陛下は背を向けた。
「お前は、王家の遠縁が経営する西の農場へ送る。そこで一生、土と向き合い、芋を掘って暮らすがいい。……二度と、王都の土を踏めると思うな」
「い、芋掘り!? この僕が!? 嘘だろ!? 嫌だぁぁぁ!」
レイモンド殿下が泣き叫ぶが、衛兵たちは無表情のままだ。彼らもまた、この愚かな王子に愛想を尽かしているのだろう。
「じゃ、じゃあ私は!?」
ミナが金切り声を上げた。
「私は被害者よ! あの王子に騙されたの! 本当は私、聖女としての力があったのに、環境が悪かったから発揮できなかっただけなの! ちゃんとした待遇さえ用意してくれれば……」
「……まだ、そんなことを言っているのですか」
私はあきれ果てて首を振った。
すると、牢屋の中に敷かれた「藁」と、彼女が着ている「囚人服」が口を開いた。
『嘘つけ! お前、魔力スカスカじゃねーか!』
『そうだそうだ! 着心地が悪いって文句ばっかり言いやがって! こっちだってお前の肌になんか触れたくないんだよ! 布の気持ちも考えろ! チクチクしてやるぞ!』
「きゃっ! い、痛い! 服が! 服が噛み付いてくるぅぅ!」
ミナが体を掻きむしりながら悶絶する。
囚人服が自らの繊維を逆立てて、全力で彼女を拒絶しているのだ。
「ミナ。……あなたはもう、誰の支持も得られないわ。人間からも、そして『モノ』たちからも」
私は彼女を真っ直ぐに見つめて告げた。
「あなたは『聖女』の肩書きと、チヤホヤされる環境が欲しかっただけ。……そのために、この国のインフラを壊し、多くの人を苦しめた。その罪は、一生かけて償ってもらいます」
「い、嫌よ……。私はヒロインなのよ……。こんな暗くて臭いところで終わるなんて……」
ミナはその場に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくった。
しかし、その涙に同情する者は、この場には誰もいなかった。
陛下が衛兵に合図を送る。
「連れて行け。北の鉱山だ。……彼女は泥遊びが好きらしいからな。一生、泥にまみれて働かせろ」
「いやぁぁぁ! 泥は嫌ぁぁ! 綺麗なドレスがいいぃぃぃ!」
絶叫を残し、ミナとレイモンドは衛兵たちに引きずられていった。
後に残ったのは、静寂と、わずかに漂う生ゴミの臭いだけ。
『あー、せいせいした!』
『やっと静かになったぜ! あいつらマジでうるさかったからな!』
鉄格子と床が、安堵の声を漏らしている。
私はしゃがみ込み、鉄格子を優しく撫でた。
「ご迷惑をおかけしましたね。……もう少ししたら、ちゃんとした掃除係を派遣しますから」
『へへっ、ありがとよ姉ちゃん! やっぱ本物の聖女様は違うねぇ!』
鉄格子が嬉しそうに震えた。
「……行くか」
ジークハルト様が私の肩を抱く。
私たちは、愚か者たちが消えた地下牢を後にした。
地上に出ると、そこには眩しいほどの太陽が輝いていた。
王都を覆っていた黒い霧は完全に晴れ、爽やかな風が吹き抜けている。
「……終わったな」
「はい。……本当に」
長い戦いだった。けれど、これでようやく、本当の意味で掃除が終わったのだ。
街の方からは、トントントン、と家を修復する槌音と、人々の活気ある声が聞こえてくる。
「さて、コーデリアよ」
陛下が振り返り、穏やかな表情で言った。
「戦いは終わったが……復興はこれからだ。そなたの『声を聞く力』、存分に貸してもらえるか?」
「もちろんです、陛下」
私は笑顔で答えた。
壊れたものを直すのは、私の得意分野ですから。
私はジークハルト様と手を繋ぎ、光溢れる王都の街へと歩き出した。




