第25話 偽聖女の末路
螺旋階段を駆け上がり、私たちは王城の最奥部、「玉座の間」へとたどり着いた。
重厚な扉の向こうからは、ミナの高笑いと、ドロドロとした不快な魔力の気配が漏れ出している。
「……行くぞ」
ジークハルト様が魔剣グラムを構える。
陛下は「よ、よし! 余も戦うぞ!」と震える手で小さな短剣を握りしめた(私の後ろで)。
バンッ!!
ジークハルト様が蹴りで扉を開け放つ。
視界に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
美しいはずの玉座の間は、黒いヘドロと瘴気で埋め尽くされ、まるで沼地のようになっていた。
そして、その中央にある玉座に、ふんぞり返っているミナの姿があった。
「あらぁ? 誰かと思えば、掃除係のコーデリアじゃない。……わざわざ殺されに来たの?」
ミナの目は赤く光り、肌には黒い紋様が浮かんでいる。完全に『沼の主』の瘴気に侵食されているようだ。
その足元には、虚ろな目をしたレイモンド殿下が、操り人形のように剣を構えて立っていた。
「ミナ! 貴様、神聖な玉座をなんと心得る!」
陛下が叫ぶと、ミナはケラケラと笑った。
「うるさいわねジジイ。この国はもう私のものよ」
「さあ、レイモンド! その生意気な女と辺境伯を殺しなさい!」
ミナが指を鳴らす。
レイモンド殿下が、ガクガクとした不自然な動きでこちらへ向かってきた。その体には、無数の黒い「呪いの糸」が繋がっている。
「……殺ス……コロ……ス……」
以前の煌びやかな王子様の面影はない。哀れな操り人形だ。
レイモンド殿下が、人の限界を超えた速度で剣を振り上げる。呪いで身体能力を強制的に引き上げられているのだ。
「……コーデリア、下がっていろ」
ジークハルト様が前に出る。
その顔には、怒りよりも深い、冷徹な殺気が宿っていた。
「妻の前だ。……無粋な真似はさせん」
ヒュンッ!
レイモンド殿下の剣が振り下ろされる。
その剣速は、常人の目には止まらぬほど速い。呪いの糸が筋肉を無理やり収縮させ、限界を超えた力を引き出しているのだ。強引な動きで繰り出される斬撃は、不気味で予測不能だった。
「ギギギ……死ネ……死ネェェェ!!」
獣のような咆哮と共に、デタラメな軌道で剣が乱舞する。床の石畳が砕け、衝撃波が部屋を揺らす。
だが、ジークハルト様は動じない。
「……雑だ」
最小限の動きで剣撃を躱し、時には剣の腹で受け流す。その動きは舞踏のように優雅で、無駄がない。
『うわっ、キモい動き! あいつ関節どうなってんだよ! ご主人様、早く楽にしてやって!』
グラムが悲鳴を上げる中、ジークハルト様は一瞬の隙を見逃さなかった。
流れるような動きで懐に入り込む。
「……遅い」
ズババババッ!!
紫色の閃光が走る。
ジークハルト様は、レイモンド殿下を斬ったのではない。殿下の四肢に絡みついていた「呪いの糸」だけを、神業のような剣技で斬り刻んだのだ。
『オラオラオラァ! 細切れになりやがれぇぇ! 俺様の切れ味ナメんなよ!』
グラムが歓喜の声を上げる。
ブチブチブチッ! と糸が弾け飛び、支えを失ったレイモンド殿下は、「あ、あれ……?」と正気を取り戻してその場に崩れ落ちた。
「なっ……!? 私の操り人形を……一瞬で!?」
ミナが驚愕に目を見開く。
ジークハルト様は剣を振って残心をし、冷ややかにミナを見据えた。
「……次は貴様だ。覚悟はいいな」
「ひっ……!」
ミナが怯えて後ずさる。
しかし、すぐに「ふ、ふざけないでよ!」と叫び、玉座の間の床を叩いた。
「やっておしまい! 泥人形たち! 数で押し潰してあげるわ!」
ズズズ……。
部屋中のヘドロが盛り上がり、数十体の泥人形が形成されていく。いくらジークハルト様でも、この数を相手にしながらミナを捕らえるのは骨が折れる。
「……チッ」
ジークハルト様が舌打ちをした、その時。私は一歩前に進み出た。
「ジークハルト様、剣を収めてください。……もう、勝負はついています」
「なに?」
私は部屋全体を見渡し、ニッコリと微笑んで呼びかけた。
「ただいま戻りました、玉座の間の皆さん。……今まで、辛かったでしょう?」
その言葉が引き金だった。
部屋中の空気が、ガラリと変わった。
『お、おおおおおおっ!』
『コーデリアちゃんだ! 俺たちの天使が帰ってきたぞぉぉ!』
『待ってたよぉぉ! もう我慢の限界だったんだよぉぉ!』
歓喜の声。
それは、床から、壁から、シャンデリアから、そしてカーテンから一斉に沸き起こった。
彼らは今まで、ミナの瘴気に押さえつけられていたが、私の帰還によって「反撃のスイッチ」が入ったのだ。
「ミナ。あなたは気づいていないようだけど……ここは『敵の本拠地』よ」
「はぁ? 何言って……」
ミナが言い返そうとした瞬間。
『うるせえ! ここはお前ん家じゃねえんだよ!』
バサァッ!!
窓にかかっていた重厚なベルベットのカーテンが、自らの意思で宙を舞い、ミナの頭に覆い被さった。
「きゃっ!? な、なによこれ! 前が見えない!」
ミナがもがく。
すると今度は、彼女が立っていた床のワックスがけされた部分が、ギラリと光った。
『足元がお留守だぜ! 摩擦係数ゼロ・モード!!』
ツルッ!
「ひゃうっ!?」
ミナが漫画のように足を滑らせて転倒する。
さらに、倒れた先で待ち構えていたローテーブルが、
『痛いの痛いの飛んでいけー(物理)!』
と、角(コーナー)をミナの足の小指にクリーンヒットさせた。
「ぎゃああああ! 小指ぃぃぃ!」
悶絶するミナ。だが、王城の怒りはこんなものでは終わらない。
『オラオラァ! 俺の美しい刺繍を踏みつけた罪、万死に値する!』
近くにあったソファのクッションたちが、弾丸のように飛来し、ミナの顔面に次々と直撃する。
『窒息しろ! モフモフの刑だ!』
「ぶぐっ!? く、苦し……!」
さらに、壁に飾られていた歴代国王の肖像画たちも黙ってはいない。
『無礼者め! わしの顔に泥を塗りおって!』
『成敗! 額縁アタック!』
ガシャン! ガシャン!
重厚な金縁の額縁が、雨あられとミナの頭上に落下してくる。
「い、痛い! なんで絵が落ちてくるのよぉぉ!」
これはただのポルターガイストではない。計算され尽くした、家具たちによる波状攻撃だ。
「ど、どうなってるの!? 家具が……家具が私を殺しに来てる!?」
ミナが泥人形に助けを求めようとするが、それすらも許されない。
天井のシャンデリアがガチャガチャと揺れ、
『光あれぇぇぇ! 目潰しビーム!』
と、魔石の光を最大出力で放射。泥人形たちは、その聖なる光(物理的な熱量)に焼かれてジュワジュワと蒸発していく。
「嘘でしょ……私の泥が……!」
追い詰められたミナは、這いつくばりながら、懐から黒い小瓶を取り出した。
あれは……地下の書庫から持ち出したという、国を滅ぼす「禁忌の疫病神」の封印瓶!
「許さない……みんな死になさい! この毒でドロドロに……」
ミナが栓を抜こうとした、その時だ。
彼女が座ろうと手をかけた「玉座」が、プルプルと震え出した。
『……触るな。お前のその薄汚い手で、俺のひじ掛けに触るなァァァ!』
ガコンッ!!
玉座の座面が、パッカーンと跳ね上がった。
至近距離からのカタパルト射出。
ミナは「えっ?」と間抜けな声を上げ、小瓶を手放しながら宙を舞った。
パリン。
床に落ちた小瓶が割れる。中から出てきたのは――。
プシュッ……。
『……くっさ!!!』
グラムが叫んだ。
広まったのは、世界を滅ぼす呪いではなく、鼻が曲がるような生ゴミの悪臭だった。
「……は?」
ミナが床に叩きつけられながら呆然とする。
「いやぁぁぁ! 臭い! 私の服が! 髪がぁぁ! これただの生ゴミじゃない!」
悪臭液を全身に浴びたミナは、もはや聖女の欠片もない。ただの悪臭を放つ不審者だ。
「……勝負あり、だな」
ジークハルト様が、呆れたように剣を収めた。
部屋中の泥はシャンデリアの熱と、スプリンクラーの水で洗い流され、ピカピカに輝いている。
城そのものが、ミナという異物を完全に拒絶し、排除したのだ。
「あ、ありえない……私はヒロインなのに……どうして……」
床に這いつくばるミナに、赤い絨毯がスルスルと巻き付き、彼女を海苔巻きのように拘束した。
『はい捕獲完了! もう離さないわよ! あー、汚い! 後でクリーニング代請求するからね!』
こうして、王都を揺るがした反乱は、ジークハルト様の剣技と、私の味方たちによる「大暴れ」によって幕を閉じた。
……けれど、これで終わりではない。
「……さあ、たっぷりと話を聞かせてもらおうか。ミナ、それにレイモンドよ」
陛下が、威厳ある(しかし鼻をつまんだ)声で告げる。
拘束された二人には、これから長い長い「反省会」が待っているのだ。




