第22話 宿場町のポルターガイスト
橋に教えてもらった近道は、確かに早かった。だが、その先にある宿場町は、想像を絶する寂れ方だった。
かつては街道を行き交う旅人で賑わっていたであろうその町は、今は完全なるゴーストタウンと化していた。
ボロボロの看板が風に揺れてキィキィと不気味な音を立て、壊れた窓枠からは深い闇が覗いている。
通りには人の気配など微塵もなく、ただ冷たい風が吹き抜けるばかりだ。
夕闇が迫り、空が紫色に染まる中、その雰囲気は完全に「出る」場所のそれだった。
「……こ、ここで泊まるのか? 本気か? 野宿の方がマシではないか?」
馬車から降りた国王陛下が、ガタガタと震えながら私の後ろに隠れようとしている。
この国の王様は、威厳はあるがお化けが大の苦手らしい。涙目で周囲をキョロキョロと見回し、枯れ葉が落ちる音にすら「ヒィッ!」と過剰に反応している。
「陛下、野宿は危険です。夜になれば魔物や、野盗に見つかる可能性があります。屋根のある場所で休むべきです」
「うぅ……しかし、何やら視線を感じるのだ……。あそこの路地裏から、誰かが見ているような……」
「気のせいですわ」
私は陛下を宥めつつ、一軒だけ灯りがついている大きな宿屋の前に立った。
看板には『旅の宿・安らぎ亭』とあるが、文字が掠れて『 呪 い亭』に見えなくもない。
ギギギィ……。
手を触れてもいないのに、重厚な扉がゆっくりと、まるで私たちを飲み込むように開いた。
「ひぃぃッ! 勝手に開いたぁぁ! これはいかん! 絶対にいかんやつだ!」
「……風か。あるいは自動ドア(魔道具)の誤作動か」
陛下が悲鳴を上げてジークハルト様の背中にしがみつく。
対するジークハルト様は、幽霊など存在しないと信じているのか、あるいは斬ればいいと思っているのか、平然と中へ足を踏み入れた。
宿の中は無人だった。カウンターにも、ロビーにも誰もいない。
蜘蛛の巣がカーテンのように張り巡らされ、床にはカーペットのように分厚い埃が積もっている。カビ臭さと埃っぽい匂いが鼻をつく。
その時。
バタンッ!!
背後の扉が猛烈な勢いで閉まった。同時に、奥の暗がりにある階段から、ズズズ……と何かを引きずるような音と、不気味な呻き声が響いてきた。
『……デテ……イケェ……』 『……コロ……ス……』
地の底から響くような怨嗟の声。
空気が冷たくなり、頭上のシャンデリアがガシャガシャと激しく揺れる。
「で、出たぁぁ! 『出て行け』と言っておる! 『殺す』と言っておるぅぅ!」
陛下が白目を剥いて卒倒しかけた。
「……下がらぬか、悪霊」
ジークハルト様が瞬時に魔剣を抜き、殺気だけで空間を薙ぎ払う。
その鋭い眼光は、実体のある敵ならそれだけで心停止させそうな迫力だ。
しかし、幽霊に物理的な殺気は効かないらしい。音は止まないどころか、激しさを増した。
『……クル……ナァ……』
ガタガタと椅子がひとりでに動き出し、宙に浮いた。
お皿が飛び交い、カーテンが生き物のように踊り狂う。 典型的なポルターガイスト現象だ。
しかし。 モノと会話ができる私には、陛下たちとは全く違う「声」が聞こえていた。
『……出て行け? 違うよ! 「(埃が)出テェ! (掃除シテ)イケェ!」だよ!』
『……(雑巾デ)ゴシゴシ……(拭いて)クレ……ス……』
『……(掃除シテ)クレ……ナァ……』
……滑舌が悪い。
どうやらこの宿屋、古すぎて建付けが悪く、言葉が途切れ途切れになっているようだ。
浮いている椅子も、攻撃しようとしているのではなく、
『座って! 座って! 久しぶりのお客さんだ! おもてなししなきゃ!』 『お皿も出すよ! 埃かぶってるけど!』
と、必死にアピールしているだけだった。
私はため息をつき、一歩前に出た。
「あの、皆さん。落ち着いてください」
私が声を張り上げると、ジークハルト様が剣を止め、陛下が私のスカートの裾から恐る恐る顔を出した。
「こ、コーデリア? まさか、この声の主とも話せるのか?」
「はい。彼らは幽霊ではありません。……ただの『寂しがり屋の宿屋さん』です」
私は宙に浮く椅子を優しく掴んで、床に下ろした。
「歓迎してくれているのは嬉しいけれど、そんなに暴れたらお客様が怖がってしまいますよ?」
『えっ? 怖がってるの? 喜んでるんじゃないの? サプライズ演出だと思ったのに……』
椅子がションボリと背もたれを丸めた。
宿全体からも、『失敗した……』『張り切りすぎた……』『久々の人間だからテンション上げすぎた……』という反省の声が聞こえてくる。
「陛下、ジークハルト様。彼らは『掃除をしてほしい』と言っています。長年誰も来なくて、埃まみれで痒くて仕方がないそうです」
「そ、掃除……? この怪奇現象が、ただの『痒い』という訴えだと言うのか?」
「はい。私たちが少しお掃除を手伝えば、最高のお部屋を提供してくれるそうですよ」
陛下はポカンとしていたが、ジークハルト様はすぐに納得して剣を収めた。妻の言うことに疑いを持たないのが、この旦那様の美点だ。
「……やるか」
「はい!」
◇
そこからは、王国史上初となる「国王と辺境伯による大掃除大会」が始まった。
陛下は最初は「余が雑巾がけなど……」と渋り、腰が引けていた。
しかし、窓を拭くたびに窓枠が『うひょー! そこそこ! 王様の手つき最高! もっと強く!』と喜ぶ声を私が通訳して伝えると、表情が一変した。
「……そ、そうか? 余の手つきが良いか? うむ、ならばここも綺麗にしてやろう」
陛下はまんざらでもなさそうに袖をまくり、一心不乱に雑巾がけを始めた。お化けへの恐怖はどこへやら、すっかり「掃除のおじさん」としての達成感に目覚めたようだ。
一方、ジークハルト様はというと。
ヒュンッ! ズバッ!
天井の隅にある頑固な蜘蛛の巣に向けて、魔剣グラムを振るっている。
剣圧による衝撃波だけで巣を吹き飛ばすという、あまりに高度な掃除術だ。
『ちょっ、ご主人様! 俺の使い方雑じゃない!? 埃斬ってどうすんの!? 魔剣の無駄遣いにも程があるだろ!』
グラムが文句を言う中、ジークハルト様は無言で構えた。鋭い呼気と共に、剣を一閃させる。
「……綺麗になったな」
満足げに頷き、次の獲物(汚れ)を探して廊下を突き進んでいく背中に、私は苦笑した。
一時間後。
廃墟同然だった宿は見違えるように綺麗になった。
『ありがとー! スッキリしたー!』 『お礼に一番いい部屋の鍵を開けてあげる!』 『お風呂も沸いとるでよ!』
宿屋全体が感謝の光に包まれる。
カチャリ、と音を立てて、二階のスイートルーム(といっても古びているが)の鍵が開いた。
「ふぅ……。労働の後の麦茶は美味いな」
ピカピカになったロビーで、持参した水筒の麦茶を飲みながら、陛下が額の汗を拭い爽やかに笑っている。
「……今夜は、よく眠れそうだ」
ジークハルト様も、埃だらけの顔(でもイケメン)で頷いた。
その夜。
私たちは、宿屋が「お礼」として勝手に温度調節してくれた快適な寝室で、泥のように眠った。
枕が『いい夢見ろよ!』と張り切って、陛下の頭の形に合わせて完璧なフカフカ具合をキープしてくれたおかげで、陛下も悪夢を見ずに済んだらしい。
翌朝。
出発の時、宿屋の扉がバタンバタンと開閉して別れを惜しんでくれた。
『また来てねー!』 『今度はもっと大勢で来てねー!』 『掃除用具ならいつでも貸すからねー!』
「うむ。……案外、悪くない宿であった。また来るぞ」
陛下が振り返って大きく手を振る。
こうして私たちは「お化け屋敷」を攻略し、身も心も、そして宿も綺麗にして、再び王都への道を急ぐのだった。




