表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/28

第02話 魔剣グラムの通訳

 私の目の前には、凍てつくような冷気を纏った”沈黙の辺境伯”ジークハルト様。

 そして私の頭の中には、彼の腰にある魔剣のやかましい絶叫が響き渡っていた。


『うわあ、目が合った! 今俺を見たよな!? 可愛い! 瞳が宝石みたい! やべえ、ご主人様がガチガチに固まってる! 顔怖いよご主人様! もっと笑って! 口角上げて! あーダメだ、緊張しすぎて表情筋死んでるぅぅぅ!』


 魔剣がギャーギャーと脳内に直接響く声で騒いでいる。

 刀身からは紫色のオーラが漏れ出ていて、いかにも「呪われてます」という風貌なのだが、声のテンションが異常に高い。


 ジークハルト様は眉間に深い皺を寄せ、凍えるような低い声で、一言だけ発した。


「……帰れ」


 冷徹な拒絶。空間ごと断ち切るような、有無を言わせぬ一言だった。

 エントランスの空気がピキリと凍りつく。控えていた使用人たちも、悲痛な顔で俯いた。


 やはり、噂通り私は歓迎されていないのだろうか。

 

 ショックを受けかけた、その時。魔剣が絶叫した。


『違うだろおおおおお!! 何言ってんだご主人様ァ! そこは! 「ここは寒くて何もない場所だから、君のような華やかな女性には相応しくない。これ以上君が不幸になる前に、どうか温かい故郷へ帰って幸せになってほしい」っていう長文の気遣いだろうが! コミュ障こじらせすぎて、脳内編集の結果「帰れ」の二文字になっちゃってるよおおお!』


「……え?」


 私は思わず、ジークハルト様の顔を凝視した。


 氷の彫像のような無表情。 しかし、よーく見ると、銀髪の間から覗く耳が真っ赤に染まっている。

 そして、わずかに指先が震えていた。


『やっちまった……って顔してるよ! 心の中で土下座してるよ! 「終わった、嫌われた、死にたい」ってメンタル崩壊してるよ! この人、見た目は魔王だけど中身はピュアな子犬なんだよ! 誰か! 誰かこの不器用な男の言葉を通訳してくれえええ!』


 なるほど。  

 ”沈黙の辺境伯”の正体は、冷酷な殺人鬼などではなく、ただの極度の口下手で、人見知りで、とてつもなく不器用な方だったらしい。しかも、初対面の私に対してこれほど気を遣ってくれているとは。


 私は、可笑しさを噛み殺しながら、震えるジークハルト様に一歩近づいた。

 そして、にっこりと微笑んで問いかける。


「あの、ジークハルト様。もしかして、『ここは寒くて不便な場所だから、私のような者がいたら風邪を引いてしまう。だから私の身を案じて、帰したほうがいい』とおっしゃりたいのですか?」


 その瞬間。

 ジークハルト様の青い瞳が、カッと見開かれた。そして次の瞬間、コクコクコクッ! と、残像が見えるほどの速度で頷いた。


『えっ!? 通じた!? なんで!? ご主人様の超圧縮言語が通じるエスパーなのこの子!? 運命じゃん! 女神じゃん!』


 魔剣が盛り上がっている。

 

 私はクスクスと笑い、彼の冷たく大きな手をそっと取った。


「ふふ、ご配慮ありがとうございます。でも、帰りませんわ」


「……?」


「だってこのお城、とっても賑やかで楽しそうですもの」


『は……?』


 ジークハルト様が、ポカンと口を開けた。

 クールな仮面が崩れ、呆気にとられた顔は、なんだかとても可愛らしい。


 私は彼の手をギュッと握った。


「それに、旦那様がこんなにお優しい方だと知ってしまいましたから。これからどうぞ、よろしくお願いいたしますね?」


 私がそう言うと、ジークハルト様の顔が、耳だけでなく首筋まで真っ赤に染まった。

 彼は何かを言おうと口をパクパクさせたが、結局言葉にはならず、ただ潤んだ瞳で私を見つめ返し、強く私の手を握り返してくれた。


『うわあああん! 天使だ! ご主人様、聞いた!? 天使が嫁に来たよ! 神様ありがとう!』 『よかったなジーク!』 『おめでとう! 今日はお祝いだ!』 『シャンパン抜け! 暖炉の火をもっと強くしろ!』 『おい誰か! 奥様がつまずかないように絨毯の毛並みを整えろ!』


 魔剣だけでなく、床の絨毯や壁の燭台、窓枠に至るまでが祝福の声を上げ始めた。使用人たちも、最初は驚いていたが、ジークハルト様が私の手を握っているのを見て、安堵の涙を浮かべている。


 どうやら私の新生活は、退屈することはなさそうだ。


 ◇


 その後、私は執事のセバスチャン(彼だけは最初から優しげな目をしていた)に案内され、客間へと通された。


 部屋に入った途端、またしても大合唱が始まる。


『いらっしゃいませー! ここが一番日当たりがいい部屋よ!』 『ベッドのふかふか具合には自信あります! 昨日のうちに天日干ししておきました!』 『カーテンの柄、ちょっと古いけど気にしないでね!』


 家具たちの歓迎を受けながら、私はドレッサーの椅子に腰を下ろした。

 どっと疲れが出た。王都からの長旅、そして緊張の初対面。

 でも、不思議と心は軽かった。


「……いい人だった」


 鏡に映る自分に向かって、小さく呟く。独り言ではない。鏡が『そうでしょそうでしょ! 旦那様は顔が怖いだけなのよ!』と相槌を打ってくれたからだ。


 王都では「呪われた辺境伯」と恐れられていたけれど、実際の彼は、自分の言葉で相手を傷つけることを極端に恐れる、優しい人だった。その不器用さが、私には愛おしく思えた。


 コンコン、と控えめなノックの音がした。


「失礼いたします、奥様。旦那様より、お着替えと温かいお食事を用意するようにと」


 入ってきたのは、年配のメイド長だった。

 彼女の後ろには、数人の若いメイドたちが、質の良さそうなドレスやお湯の入ったたらいを抱えて続いている。


「ありがとうございます。あの、旦那様は?」


「執務室に戻られました。……その、顔を合わせるのが恥ずかしいそうで」


 メイド長がくすりと笑う。  

 あの後、ジークハルト様は顔を覆って逃げるように去っていったのだ。きっと今頃、執務室で魔剣相手に反省会でも開いているのだろうか。


(ふふ、これから毎日、あの心の声が聞けるのね)


 私は、これから始まる日々を想像して、自然と笑みをこぼしていた。


 王都を追い出された時はどうなることかと思ったけれど、ここは案外、私にとっての楽園になるのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
短編から直できました(^^) 絨毯の毛並みを揃えろ等の少しの加筆もあって楽しいです♪ リアタイ読書楽しみです 口下手なご主人と物の声が聞こえる令嬢のお話… 更新を楽しみにしておりますm(_ _)…
顔覆って逃げちゃうとか可愛すぎる件 ただムキムキの強面がそれやってる場面想像すると笑いが止まらない件
短編を読んでこちらに来ました。 にぎやかで楽しい話が読めそうでとても楽しみです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ