第19話 国王陛下の土下座と、愚痴る聖剣
国王陛下の突然の来訪。しかも、「助けてくれ」と頭を下げている。
この異常事態に、周囲の使用人たちは石像のように固まり、ジークハルト様も目を見開いてフリーズしていた。
「……場所を、変えましょう」
私が冷静(を装って)提案すると、ジークハルト様がハッと我に返った。
「……あ、ああ。……応接室へ」
『ご主人様、「国王をこんな玄関先に立たせてしまった! 不敬罪だ! いや待て、そもそもアポなしで来る方が悪いのでは? でも相手は王様だし……ああもう、とりあえず一番高い茶葉を出せ!」ってパニックになってるよ!』
グラムの通訳のおかげで、場の緊張が少し和らいだ(私の中でだけ)。
◇
応接室に通された国王陛下は、ふかふかのソファに深く腰掛け、長い長い溜息をついた。
その顔色は土気色で、目の下には濃いクマがある。
「……良いソファだ。王城の玉座よりも座り心地が良い」
陛下が呟くと、ソファが『キャーッ! 聞いた!? 私、玉座に勝ったわよ! 王様のお尻認定いただきました!』と歓喜の声を上げた。 この城の家具は、相手が誰であろうと物怖じしないらしい。
「それで、陛下。……一体、何が」
ジークハルト様が問いかける。
陛下は重い口を開こうとしたが、その前に――彼の腰に下げられた聖剣『レオハルト』が、我慢の限界とばかりに叫び出した。
『聞いてよコーデリアちゃん! もう最悪なんだよ! 王都は地獄だよ!』
レオハルト様(剣)のマシンガントークが始まった。
『あのバカ王子レイモンド、あんたの所に攻め込んで失敗しただろ? そしたら城に帰ってきて、「剣が悪い」「鎧が悪い」「地面が悪い」って八つ当たりしまくりさ!』
「まあ……」
『挙句の果てには、俺を使って八つ当たりで机を斬ろうとしたんだぜ!? 俺は「王家を守る聖剣」であって「家具破壊用ナイフ」じゃないっつーの! だから全力で拒否して、鞘から抜けないようにしてやったけどな!』
なるほど。レイモンド様の剣が抜けないのは、整備不良ではなく、レオハルト様の固い意思によるストライキだったのだ。
「……コーデリア嬢?」
私が剣の言葉にうんうんと頷いていると、陛下が不思議そうに私を見た。
「あ、申し訳ありません。レオハルト様が『王都までの旅路で、鞘の中が蒸れて気持ち悪かった』と仰っていたもので」
「……なんと。そなた、余の剣の声まで聞こえるのか」
陛下は驚愕し、そして納得したように力なく笑った。
「そうか……やはり、そうか。城の魔道具たちが動かなくなったのも、レイモンドが剣を抜けないのも、全ては『声』を聞けるそなたがいなくなったからなのだな」
陛下はテーブルの上で両手を組んだ。
「単刀直入に言おう。……王都は今、滅亡の危機にある」
「滅亡、ですか?」
「うむ。そなたを追放した後、インフラの停止だけならまだよかった。だが……焦った『聖女見習い』ミナが、禁忌に手を出したのだ」
私はなんとなく嫌な予感がした。やはり、あのガーゴイルたちの件か。
「ミナは、裏社会の闇ギルドと接触し、国庫から持ち出した大金を叩いて『絶対服従の呪符』を買い取ったのだ。……だが、その札の正体を、彼女も、売ったギルドの者も知らなかった」
陛下は苦渋の表情で言葉を継ぐ。
「あれは本来、王城の地下深くに眠る『黒き沼の主』の額に貼られ、その動きを封じていた封印の要だったのだ。それを愚かな盗賊が金になると踏んで剥がし、ミナに売りつけた」
「封印の札を剥がしてしまったら……」
「……いや、寸前のところで『主』の解放は何とか防いだのだがな……」
陛下は「まったく……」と深くため息をつき、こめかみを強く揉んだ。
「その札は数百年もの間、『主』の泥と瘴気を吸い続けていたのだ。いわば、呪いの塊だ。ミナがガーゴイルを操ろうとしてその札に魔力を通した瞬間、札に蓄積された膨大な瘴気が、魔力回路を逆流して彼女の中に流れ込んだのだよ」
「……っ」
想像するだけで胃が痛い。相手を縛り上げようと投げたロープに、逆に自分が引っ張られてそのまま穴に引きずり込まれたようなものだ。
「ミナは、逆流した呪いと『主』の瘴気に当てられ、精神を病んでしまった。今や彼女は聖女ではなく、魔物を呼び寄せる『魔女』と化している。……レイモンドも、もはや正気ではない」
「なんと……」
自業自得と言うには、あまりにも代償が大きい。
けれど、聖女としてではなく、権力と支配欲に溺れた彼女の末路としては、皮肉な結末とも言えた。
「結界は消え、街には魔物が溢れかけている。騎士団もレイモンドの暴挙に愛想を尽かして離反者が続出……。もはや、余の手には負えん」
陛下はソファから立ち上がり、床に膝を突こうとした。
「頼む、オルステッド卿。そしてコーデリア。……力を貸してくれ。このままでは、罪のない民まで死に絶えてしまう」
一国の王の、なりふり構わぬ懇願。
部屋に重苦しい沈黙が落ちた。
ジークハルト様は、無言で陛下を見下ろしている。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……断る」
冷徹な拒絶。陛下が顔を上げる。
「……やはり、駄目か。余らが彼女にした仕打ちを思えば、当然だが……」
「……妻を、危険な場所にはやれん」
ジークハルト様が私の肩を抱き寄せた。 その腕に力がこもっている。
『翻訳! 「ふざけるな。散々コケにして追い出しておいて、都合が悪くなったら助けてくれだと? コーデリアは俺の宝だ。あんな泥船に、大事な妻を乗せられるか! 王都ごと沈んでしまえ!」……ご主人様、激おこです!』
グラムの言う通り、ジークハルト様の怒りはもっともだ。
私だって、あんな場所に戻りたいとは思わない。
けれど。
『……助けて……』 『……動けないよぉ……』
レオハルト様を通して、遠い王都の悲鳴が聞こえてくる。
それは、城壁の声、石畳の声、そして街に暮らす人々の家々の声。何の罪もない道具たちが、そしてそれを大切に使っていた市井の人々が、行き場のない不安に困惑している。
「……ジークハルト様」
私は、彼の腕に自分の手を重ねた。
「私、行きます」
「……ッ! コーデリア!?」
彼が驚愕して私を見る。
私はアメジストのネックレスを握りしめ、微笑んだ。
「王家のためでも、レイモンド様のためでもありません。……あそこで泣いている『声』たちを、放っておけないからです。私はあの子たちの味方ですから」
それに、と私は付け加える。
「あなたと一緒なら、何も怖くありませんもの」
ジークハルト様は、しばらく私を見つめていた。
赤い瞳が揺れ、葛藤し、やがて――観念したように、深く息を吐いた。
「……わかった」
彼は私の手を強く握り返し、陛下に向き直った。
「……行く。ただし、条件がある」
「な、なんだ? 何でも言ってみろ!」
「……解決した暁には、コーデリアへの正式な謝罪と、名誉回復。そして……」
ジークハルト様は、凶悪な笑み(に見える決意の表情)を浮かべた。
「……王都の全魔道具の所有権を、妻に譲渡してもらう」
「……へ?」
陛下は間の抜けた声を上げ、ポカンと口を開けたままジークハルト様を見上げた。
「……妻は魔道具と会話ができる、特別な存在だ。国中の道具は、妻の言葉になら喜んで従う。……文句はないな」
つまり、この国そのものを私に寄越せと言っているに等しい。
陛下は目を白黒させたが、すぐに頷いた。
「よかろう! 国が滅びるよりはマシだ! 好きにするがいい!」
契約成立。
『ヒャッハー! 聞いたかレオハルト! お前も今日から俺の弟分だな!』 『えぇー……先輩、性格悪いから嫌なんだけど……でも、コーデリアちゃんに磨いてもらえるなら、まあいいか!』
剣たちが勝手に兄弟の契りを結んでいる。
こうして、私たちは再び王都へ向かうことになった。 ただし、かつてのように「捨てられた令嬢」としてではない。 国最強の武力を持つ辺境伯と、国中の「モノ」を味方につけた最強の辺境伯夫人として。
まさに、凱旋パレードの始まりである。




