第18話 秘湯の開拓と、混浴パニック
翌日。
私たちは、ガーゴイルの親方が教えてくれた裏山の岩場へと向かった。
メンバーは私とジークハルト様、護衛兼・土木係の魔獣ポチ、そして案内役のガーゴイル数体だ。
城からほど近い裏山だが、足場が悪く人はあまり立ち入らない場所だ。
岩肌を登ること三十分。鼻をつく硫黄の匂いと共に、白い湯気が立ち込める開けた場所に出た。
『ここッス! ここが一番熱いッス!』
ガーゴイルが指差した岩場の隙間から、熱湯がチョロチョロと湧き出し、小さな水溜まりを作っていた。
私が近づくと、湯気の向こうから陽気な声が聞こえてきた。
『おっ、来たね人間! 待ってたよ! ここ、出口が狭くて窮屈なのよぉ! もっとドバーッと出たいの! 広げてぇ!』
温泉の声だ。どうやら熱血系のお姉さん(?)らしい。
「ジークハルト様、ここです。ここを広げてあげれば、もっとお湯が出るそうです」
「……そうか」
ジークハルト様が頷く。
彼の合図で、ポチが「ワンッ!(任せろ!)」と吠え、巨大な前足で湧出口周辺の岩を掘り始めた。
ザッザッザッ……!
伝説の魔獣の掘削能力は凄まじい。硬い岩盤を豆腐のように削り取っていく。
数分もしないうちに、 プシューッ!! と音を立てて、熱湯の勢いが増し、空高く吹き上がった。
『ヒャッハー! 解放されたー! 空気が美味い! さあ人間たち、私に浸かりなさい! ツルッツルの美肌にしてあげるわよ!』
あふれ出したお湯が、ポチが広げた窪みに溜まり、あっという間に立派な岩風呂が出来上がった。
湯気がもうもうと立ち込め、周囲の気温が一気に上がる。
「すごい……! 本当に温泉です!」
私が駆け寄って手を入れると、少し熱めだが、肌に吸い付くような極上の泉質だった。
これなら、冷え性の女性にも喜ばれるだろうし、怪我の治療にも良さそうだ。
「ジークハルト様、素晴らしいです! これならきっと、王都の貴族たちも羨むようなリゾート地になりますわ!」
私が振り返ると、ジークハルト様は湯気越しに私を見て、呆然としていた。
そして、顔を真っ赤にしてバッと後ろを向いた。
「……ま、眩しい」
『翻訳するぜ! 「湯気の中に佇むコーデリアが、まるで天女のようだ。神々しすぎて直視できない。拝みたい」って言ってます!』
グラムの通訳に、私は苦笑する。せっかくのお湯だ。少し試してみたい。
「あの、ジークハルト様。全身は無理ですけれど、足湯だけでも試してみませんか? 山登りで足も疲れましたし」
「……あ、足湯……」
「はい。靴を脱いで、並んで座るだけです」
私が岩場に腰掛けてブーツを脱ぎ始めると、ジークハルト様は「ごくり」と喉を鳴らした。
そして、ロボットのようにぎこちない動きで私の隣に座り、ブーツを脱いだ。
二人並んで、お湯に足をつける。
「んっ……温かい……」
じんわりとした熱が、つま先から全身に広がっていく。
思わず吐息が漏れると、隣でバシャリと水音がした。ジークハルト様が足を滑らせたらしい。
『おいおいご主人様、動揺しすぎだろ! 奥様の生足が隣にあるだけで心拍数上がりすぎ! 湯あたりするぞ!』
グラムが茶化すが、温泉のお湯さんも黙っていない。
『あらあら、旦那様ったらウブねぇ! もっとリラックスしなさいよ! ほら、私の成分で血行を良くしてあげるから! そこっ!』
お湯が勝手に水流を作り、ジークハルト様の足裏をマッサージし始めた。
「っ!? くすぐっ……!」 『効くでしょ〜? 奥様の方もサービスしちゃう!』
私の足元でも、お湯が優しく渦を巻く。気持ちいい。
「ふふ、温泉さんが歓迎してくれていますね」
「……あ、ああ」
ジークハルト様は顔を覆っているが、その耳まで茹でダコのように赤い。
温泉の熱のせいか、それとも照れのせいか。
しばらく無言で並んでいると、彼の手が岩場を這うようにじりじりと動き、私の手の甲にそっと触れた。
ごつごつとした、大きく温かい手。私が握り返すと、彼はビクッとしたが、逃げずに強く握り返してくれた。
「……作るか」
「え?」
「……温泉街を。……君が望むなら」
ジークハルト様が、湯気越しに私を見つめる。その瞳は、温泉よりも熱っぽかった。
『翻訳! 「君が笑ってくれるなら、山一つ切り崩してでも最高の温泉郷を作ってみせる。だから、完成したら一番風呂は俺と一緒に入ってくれ……いや、それはさすがにハードルが高いか!? でも夢見たい!」……だそうです! ご主人様、欲望に忠実になってきたね!』
混浴。
その言葉に、私はボンッと音がするほど赤面してしまった。
「そ、それは……おいおい考えましょうね」
「……うむ」
私たちは茹で上がった顔を見合わせ、照れくさそうに笑った。
◇
こうして、「オルステッド温泉郷計画」が始動した。
魔鉱石の資金力と、ガーゴイルたちの土木工事力、そして私の「万物の代弁者」としての現場監督力があれば、完成はそう遠くないだろう。
私たちはホカホカになった体で城に戻った。
しかし。
城の門をくぐった瞬間、私たちは異変に気づいた。
城の使用人たちが、一列に整列して私たちを出迎えている。
その顔色は、一様に青ざめていた。
そして、その中央に――見慣れない、しかし高貴なオーラを纏った初老の男性が立っていた。
簡素な旅装だが、隠しきれない威厳。
そして何より、腰に下げた剣が、ものすごい勢いで私に話しかけてきた。
『ああっ! やっと会えた! コーデリアちゃん! 会いたかったよぉぉぉ! 王都から走ってきたんだよぉぉ!』
その声は、王家の宝剣『レオハルト』だった。 ……ということは、この剣を持っている人物は。
「……国王、陛下?」
私が呆然と呟くと、その男性――現国王は、深く帽子を取り、私たちに向かって深々と頭を下げた。
「……突然の訪問、許せ。オルステッド辺境伯、そしてコーデリア嬢よ」
「……陛下?!」
ジークハルト様が慌てて膝を突こうとするが、国王はそれを制した。
そして、悲痛な声で言った。
「頼む。……国を、助けてくれ」
王都崩壊のカウントダウンは、私たちの予想よりも遥かに早く進んでいたようだ。
プライドの高い国王が、お忍びで、しかも護衛も最小限でここまで頭を下げに来るほどに。




