第17話 ホワイト企業と、石像たちの再就職
翌朝。
オルステッド城の朝食風景は、劇的に変化していた。
私が食堂の窓を開けると、そこにはバルコニーの欄干に一列に並んだ、体育座りのガーゴイルたちがいた。
『『『奥様! おはようございます!』』』
数百体による一斉挨拶。
物理的な音圧で窓ガラスがビリビリと震える。
「おはようございます、皆さん。昨夜はよく眠れましたか?」
『最高ッス! 屋根があるって素晴らしい!』
『雨風しのげるって神!』
『しかも、朝イチで奥様の魔力供給(朝ごはん)付き! 前の職場じゃ考えらんねぇ厚待遇だぜ!』
彼らは感動のあまり涙(砂)を流している。
どうやら彼らにとって、この城は超がつくほどの「ホワイト企業」らしい。
「……賑やかだな」
席に着いたジークハルト様が、パンをかじりながら遠い目をしている。
それもそのはず。窓の外から数百の石像に見つめられながらの朝食など、落ち着くはずがない。
『ご主人様、諦めて。「あいつら視線が熱すぎる……パンの味がしない……」ってボヤいても、あいつら奥様しか見てないから』
グラムが慰めるように言う。
ガーゴイルたちは、私への恩義からか、とにかく「役に立ちたい」というアピールが凄かった。
例えば――。
「あ、ナプキンを落としてしまいました」
私がうっかりナプキンを床に落とすと、
『任せろッ!』
窓の外からガーゴイルの一体が音速で飛び込み、床スレスレでナプキンをキャッチし、華麗なターンを決めた。
ナプキンは無事だ。泥一つついていない。
「あ、ありがとうございます」
『いいってことよ! ……あ、やべ、急ブレーキかけすぎた』
ズザザザザッ!
彼が止まった衝撃と風圧が、テーブルの上を駆け抜ける。
その瞬間、ジークハルト様が口に運ぼうとしていたスープが、波打つようにカップから飛び出した。
バシャッ。
「……」
カップは無傷だ。
だが、中身はすべてテーブルクロスと、ジークハルト様のシャツに移動している。
空っぽのカップを持ったまま、ジークハルト様のこめかみに青筋が浮かぶ。
また別の日には――。
「今日はいい天気ですね。洗濯物がよく乾きそう」
『乾燥なら任せてください!』
中庭に干されたシーツに向かって、数十体のガーゴイルが一斉に翼をバサバサと羽ばたかせた。
猛烈な扇風機代わりだ。
『どうだ! この風圧! 速乾だぜ!』
確かに乾いた。
だが、巻き上がった砂埃で、真っ白だったシーツは見るも無惨な茶色に染まってしまった。
「あぁっ、洗い立てのシーツが砂まみれに……!」
「…………」
「洗い直しだ」と呟いて、ジークハルト様が無言で魔剣の柄に手をかけたので、私は慌てて止めた。
彼らは優秀だが、やる気が空回りするタイプらしい。
◇
そんなドタバタな日常にも、少しずつ慣れてきた頃。
私たちは、久しぶりに二人きりで(もちろん、魔剣や鏡やガーゴイルの視線はあるが)中庭を散歩していた。
春の陽気が心地よい。
ジークハルト様は、無言で私の歩調に合わせて歩いてくれる。その不器用な優しさが、たまらなく愛おしい。
「……コーデリア」
噴水の前で、彼が足を止めた。
何か言いたげに視線を彷徨わせ、それから意を決したように私の方を向いた。その顔は少し赤い。
「……その、髪に……」
「髪?」
彼がそっと手を伸ばし、私の髪に触れようとした。おそらく、花びらか何かがついているのを取ってくれようとしているのだ。
少女漫画のようなワンシーン。私はドキドキしながら目を閉じた。
しかし。
『『『キターーーーーッ!!』』』
頭上から、野太い歓声が降ってきた。見上げれば、屋根の上にズラリと並んだガーゴイルたちが、身を乗り出してこちらを凝視している。
『いけっ、旦那様! そこだ!』
『キスか!? キスくるか!?』
『俺たち空気読んで石になるぜ! ……あ、元から石だったわガハハ!』
『ヒューヒュー! 熱いねぇ!』
台無しである。 ジークハルト様の手が空中でピタリと止まり、プルプルと震え出した。
『翻訳! 「……殺す。あいつら全員、砂利にして道路の舗装材にしてやる。絶対にだ」……ひぇっ、ご主人様の殺気がマジもんだ! 逃げろ石っころ共!』
グラムの警告を聞いた瞬間、ガーゴイルたちは「ヤベッ、調子乗った!」という顔で一斉に飛び立ち、蜘蛛の子を散らすように雲の上へと退散していった。
残されたのは、真っ赤な顔で固まるジークハルト様と、私。
気まずい沈黙。
でも、私はクスクスと笑ってしまった。
「ふふ……本当に、賑やかですね」
「……すまない。教育し直す」
「いいえ。……でも、続きは?」
私は逃げずに、彼を見上げた。
ジークハルト様は驚いたように目を見開き、それから観念したように息を吐くと、優しく微笑んだ。
そして、震える指で私の髪についた花びらを取り――。
「……好きだ」
小さく、けれどはっきりと、そう呟いた。通訳なしの、彼自身の言葉。
私が返事をする前に、彼は恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、早足で屋敷の中へと逃げていってしまった。
残された私は、胸のときめきを抑えるのに必死だった。
◇
その夜。ガーゴイルのリーダー格(通称:親方)が、バルコニーにやってきて平謝りしていた。
『奥様、昼間はマジですんませんでした! ムードぶち壊しちまって……』
「ふふ、気にしていませんよ。旦那様も、本気で怒ってはいないみたいですし」
『いやぁ、旦那様の殺気、ハンパなかったッス……。で、お詫びってわけじゃないんですが』
親方はゴソゴソと何かを取り出した。
それは、白くて綺麗な石ころだった。
『空からのパトロール中に見つけたんです。領地の裏山から、すげぇ熱いお湯が湧いてるところがあって。その近くに落ちてた石なんですが』
私は石を受け取った。
石から、ほわわんとした温かい声が聞こえてくる。
『あったかいよぉ〜。気持ちいいよぉ〜。硫黄の香りでスベスベだよぉ〜』
「……これ、もしかして」
私の目が輝いた。
熱いお湯。硫黄の香り。そしてスベスベ。 間違いない。
「『温泉』ですね!」
『オンセン? よくわかんねぇけど、浸かると石の苔が取れて気持ちいいんスよ』
これは大発見だ。 北国といえば温泉。冷えた体を温める最高の娯楽。
もしこれを開発できれば、魔鉱石に続く、領地の新たな目玉産業になるかもしれない。
「ありがとう、親方さん! 最高のお詫びの品ですわ!」
『へへっ、そりゃよかった! んじゃ、俺らは夜の警備に戻ります!』
親方が敬礼して飛び去っていく。
私は手の中の温かい石を握りしめ、明日の計画に胸を膨らませた。
畑、鉱山、そして温泉。
私の「万物の代弁者」としての仕事は、まだまだ尽きそうにない。
明日はジークハルト様を誘って「湯治デート」の下見に行こう。
きっとまた、グラムさんやガーゴイルたちがついてきて大騒ぎになるだろうけれど。
それもまた、この賑やかな領地らしくていいかもしれない。




