第16話 空飛ぶ石像と、ブラックな労働環境
王都、王城の屋上。
そこには、ヒステリックに叫ぶ聖女見習い、ミナの姿があった。
「役立たず! どいつもこいつも役立たずよ!」
彼女がヒールの踵で踏みつけているのは、オルステッド領からボロボロになって逃げ帰ってきた、コーデリアの父と継母からの手紙だった。
『あそこは化け物屋敷だ』『家具に襲われた』という、情けない言い訳ばかりが並んでいる。
「せっかく親を利用して追い詰めてやろうと思ったのに、何の役にも立たないゴミね! ……あんな田舎貴族一人、どうして誰も連れ戻せないのよ!」
ミナはギリギリと歯ぎしりをした。
「聖女」として期待されたものの、祈りは通じず、魔道具は直せず、レイモンドは怪我をして帰ってくる始末。城内での立場は悪くなる一方だ。
「……いいわ。もう人間なんて頼らない。感情も痛みもない、忠実な人形だけが私の味方よ」
ミナは懐から、禍々しい赤い光を放つお札の束を取り出した。
闇ギルドから大金で買い取った『絶対服従の呪符』だ。
「行きなさい、私の可愛い石の人形たち! あの女を捕らえてきなさい!」
ミナがお札を空に放つと、それらは風に乗って飛び去り、王城の屋根に鎮座していた無数の「ガーゴイル像」の額に貼り付いた。
ギギギ……ガシャーン!
石像たちが赤く目を光らせ、物理法則を無視して空へと舞い上がる。
その羽ばたきは不気味な重低音を響かせ、王都の空を覆い尽くした。
「あはは! 壮観ね! これこそ聖女の力よ!」
ミナの高笑いが、大きく空に響いた。
◇
それから、数日が過ぎた。
北の地、オルステッド領には穏やかな日常が戻っていた。
よく晴れた昼下がり。
私はジークハルト様と一緒に、庭のテラスでティータイムを楽しんでいた。
テーブルの上では、ティーカップたちが先日の武勇伝を語り合っている。
『へっへーん! 俺の熱湯攻撃、あのハゲ親父の顔面にヒットした瞬間は最高だったぜ!』 『私のスプリング・アタックも完璧だったでしょ? あの厚化粧、ボールみたいに飛んでったわよ!』
家具たちは「奥様を守った英雄」として、すっかり自信をつけていた。
私はそんな彼らを微笑ましく眺めながら、紅茶を口にした。
「ふふ、みんな頼もしいですわ。……平和ですね、ジークハルト様」
「……ああ。風も気持ちいい」
ジークハルト様が短く頷く。その横顔は、出会った頃の張り詰めた氷のような表情ではなく、春の日差しのように穏やかだ。
私たちの少し先では、ポチ(フェンリル)がモンシロチョウを追いかけていた。
銀色の毛並みを揺らし、尻尾をブンブン振って「ワンッ!」と楽しそうに飛び跳ねている。伝説の魔獣の威厳はどこへやら、中身は完全にただのワンちゃんだ。
この幸せが、ずっと続けばいい。
そう思った、その時だった。
『――緊急事態! 緊急事態発生!』
テラスに持ち出していた「遠見の鏡」さんが、鏡面を激しく波打たせて絶叫した。
『奥様! 旦那様! お茶飲んでる場合じゃないわ! 北の空を見て! 真っ黒よ! 石が降ってくるわ! 大量の石が飛んでくるのよ!』
ただ事ではない気配に、ジークハルト様の表情が一瞬で戦士のものへと変わる。
「……何事だ」
私たちが空を見上げると、鏡さんの言葉通り、北の空が異様な黒雲に覆われていた。
いや、雲ではない。
――ゴゴゴゴゴ……!
地鳴りのような羽音と共に現れたのは、数百体ものガーゴイルの群れだった。
赤い目を不気味に光らせ、一直線にこの屋敷を目指している。
『ひぃぃ! 来る! 硬いのが来るわ!』 『私、繊細なのに! 石が当たったら傷がついちゃう!』 『カーテン閉めて! 石の粉が入ってくるぅ!』
ビリビリとガラス面を小刻みに震わせながら、窓たちが一斉に悲鳴を上げた。
「……数が多いな」
ジークハルト様が冷静に呟き、腰の魔剣グラムを抜く。紫色の刀身が、ギラリと殺気を放った。
『ヒャッハー! 空の敵か! ご主人様、俺を投げて! ブーメランみたいに旋回して全部叩き落とすから!』
グラムが物騒な提案をするので、私は隣のジークハルト様に伝えた。
「ジークハルト様。グラムさんが『俺を投げてくれ、ブーメランみたいに戻ってくるから』と言っています」
「……却下だ。戻ってこなかったら困る」
そんな漫才をしている場合ではない。
城の使用人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、私は手すりに身を乗り出した。
「待ってください、ジークハルト様。彼ら……何か変です」
私の耳には、ガーゴイルたちの羽ばたき音に混じって、怨嗟の声のようなものが聞こえていた。
でもそれは、「人間を殺したい」という殺意ではない。
『……残業……また残業かよ……』 『……休みくれよ……翼の付け根が軋むんだよ……』 『……あのアマ……「行け」って命令するだけで自分は高みの見物かよ……』
……なんだろう。魔物の襲撃というよりは、「ブラック企業で酷使される社員のデモ行進」のような悲壮感が漂っている。
「コーデリア、下がるんだ。流れ弾が当たる」
ジークハルト様が私を背後に庇う。
先頭のガーゴイルが急降下し、鋭い爪を立てて襲いかかってきた。
「シッ!」
ジークハルト様が一閃する。
紫の軌跡が夜空を走り、ガーゴイルの片翼を切り裂いた。石像はバランスを崩し、中庭の芝生にドスンと墜落する。
『痛ってぇ! くそっ、労災降りるかなこれ……』
墜落したガーゴイルが、地面に突っ伏したままボヤいた。
私は確信した。彼らは操られているだけだ。しかも、かなり不本意な形で。
「攻撃をやめてください! 話せばわかります!」
私はバルコニーから身を乗り出し、ネックレスのアメジストを握りしめた。
魔力を増幅させ、私の「声」を上空の彼らに届ける。
「空を飛ぶ石像の皆さん! 聞こえますか! これ以上進むと、私の夫(とっても強いです)に粉砕されて、ただの砂利になってしまいますよ!」
私の叫びに、上空の群れがピクリと動きを止めた。
『……え? 今、こっちに話しかけた?』 『聞こえるぞ……あの女の声、頭に直接……』 『ていうか、あの剣持ってる男、ヤバくない? さっき一撃でジョニー(先頭の奴)がやられたぞ』
ガーゴイルたちが空中でホバリングしながらざわつき始めた。私は畳み掛けるように続ける。
「あなたたち、王都から無理やり飛ばされてきたのでしょう? 本当は戦いたくないのではありませんか?」
『そ、そうなんだよ! 俺ら普段は王城の屋根で「魔除け」としてじっとしてるのが仕事なんだよ!』 『なのに、あのピンク髪の女が変なお札を貼り付けて、「北の女を捕らえてきなさい☆」って!』 『往復500キロだぞ!? 石に長距離飛行させるなよ! 摩耗するだろ!』
次々と噴出する不満。やはり、ミナの呪術によって強制労働させられていたらしい。
「わかりました。では、私がその『強制命令』を解除してあげます」
『マジで!?』
「ええ。その代わり、この領地での乱暴はやめていただけますか? あと、うちで働くなら『週休二日』と『定期メンテナンス(魔力補給)』をお約束します」
『えっ、待遇良すぎない!?』 『やるやる! 俺たちだってこんな寒いとこで戦いたくねぇよ!』 『転職だ! ここが俺たちの新天地だ!』
交渉成立。私は目を閉じ、意識を空全体へと広げた。
無数のガーゴイルたちの背中に貼り付けられた、禍々しい魔力を持った「呪符」の気配を感じ取る。
それは、彼らの意思を縛り付ける鎖のようなものだ。
「……解錠!」
私が指を鳴らすと同時に、増幅された私の浄化の魔力が波動となって空へ広がった。
パリーン!
空中で何かが割れる音が響き渡る。ガーゴイルたちの背中から呪符が剥がれ落ち、燃え尽きていく。
彼らの目が、不気味な赤色から、本来の石の色である灰色へと戻った。
『おぉ……! 体が軽い!』 『勝手に動いてた翼が止まった! ……あ、やべ、落ちる』
呪縛が解けたことで、彼らは「石が空を飛ぶ」という強制力も失い、バラバラと中庭に着地(落下)し始めた。幸い、中庭はふかふかの芝生だったので、誰も砕けることはなかったようだ。
「……終わった、のか?」
ジークハルト様が、剣を下ろして呆然としている。中庭は今や、数百体のガーゴイル集会所と化していた。
『あー、助かった。姉ちゃん、ありがとな』 『王都にはもう戻りたくねぇなぁ。あそこ、最近空気が悪くて肌(石)荒れするんだよ』 『ここに置いてくんねぇかな? 屋根の端っこでいいからさ』
ガーゴイルたちが私を見上げて懇願してくる。
私はジークハルト様を振り返り、上目遣いでお願いした。
「……だそうですが、いかがでしょう? 彼ら、警備員としては優秀だと思いますわ」
ジークハルト様は額を押さえて長いため息をついたが、やがて諦めたように頷いた。
「……好きにしろ。……ただし、俺とコーデリアの寝室の近くには配置するな。……視線が気になって眠れん」
『翻訳! 「妻とのイチャイチャを見られるのは恥ずかしいから絶対覗くなよ! フリじゃないぞ!」……だそうだ!』
『『『了解っす! 空気読みます!』』』
ガーゴイルたちは調子よく敬礼し、それぞれの持ち場へと散っていった。
ある者は門柱の上でポーズを決め、ある者は庭の物干し竿を支える係に立候補し、またある者はポチとじゃれ合い始めた。
殺伐とした襲撃現場は、あっという間に賑やかな職場へと変わった。
にわかに騒がしくなった庭を見下ろし、私は隣のジークハルト様に微笑みかけた。
「……また、家族が増えましたね」
「……ああ。全くだ」
彼は呆れたように、けれどまんざらでもなさそうに、小さく息を吐き、魔剣を鞘に納めた。
騒動は去り、オルステッド領には、以前よりもさらに賑やかで、心強い仲間たちに囲まれた温かい日常が戻った。




