第15話 毒親と、反抗期な家具たち
応接室の空気は、北の吹雪よりも冷え切っていた。
正面に座っているのは、恰幅の良い父と、派手な厚化粧の継母。
二人は、新調したばかりの最高級ソファにふんぞり返り、露骨に不快そうな顔で室内を見回している。
「ふん……。田舎の城にしては、少しはマシな家具を使っているようだな」
「あらあなた、でも見てくださいな。センスが古臭いですわ。やはり辺境、野暮ったいこと」
勝手なことを言っている。そのソファとカーテン、あなたたちが崇拝する王都の流行最先端(ボルドー氏の涙の結晶)なのですけれど。
私はジークハルト様の隣に座り、静かに彼らを見据えた。
かつては、この二人の顔色を窺い、怒鳴られないように縮こまって生きていた。
でも今は、不思議なくらい何も感じない。隣に、頼もしい夫と魔剣(と、いつものやかましい家具たち)がいるからだ。
「……それで? 何の用だ」
ジークハルト様が、氷点下の声で切り出した。
父がわざとらしく咳払いをする。
「ゴホン! 用も何も、娘を迎えに来たに決まっているだろう! 王都では今、コーデリアの力を必要としているのだ。親として、娘が国のために貢献する機会を与えてやろうというのだぞ」
「そうですとも! レイモンド殿下も、今戻れば過去の無礼を水に流してくださるとおっしゃっているのよ? 感謝しなさい!」
継母が扇子で口元を隠して高笑いする。
「水に流す」とは、どの口が言っているのだろう。そもそも水が流れていないのは王都の方なのに。
「……お断りします」
私がきっぱりと答えると、二人はピタリと動きを止めた。
「は? ……今、なんと言った?」
「お断りすると言いました。私はこのオルステッド領の人間です。王都には戻りません」
父の顔がみるみる赤黒く染まっていく。
バン! とテーブルを叩いて立ち上がった。
「な、生意気な! 誰に向かって口を利いている! 私が『帰るぞ』と言ったら『はい』と言うのが娘の務めだろう! 育ててやった恩を忘れたのか!」
「恩、ですか……」
私を「気味悪い」と地下室に閉じ込めたり、結納金目当てで厄介払いしたことを「恩」と呼ぶなら、随分と歪んだ恩だ。
父が手を振り上げ、私を打とうと身を乗り出した瞬間。
ジークハルト様が反応するよりも早く――「彼ら」が動いた。
『触るんじゃねぇよ、ハゲ!』
バシャッ!!
「ぶぐっ!?」
テーブルの上のティーカップが、ひとりでに傾き、熱々の紅茶を父の顔面にぶちまけたのだ。
「あ、熱っ!? な、なんだ!?」
「きゃあああ! あなた!?」
慌てふためく二人。
カップが得意げに叫ぶ。
『へっ! ざまぁみろ! さっきから「ぬるい」だの「香りが悪い」だの文句ばっかり言いやがって! 俺の中身は最高級茶葉だぞ! その腐った根性と一緒に洗い流してやるよ!』
さらに、継母が悲鳴を上げた。
「い、痛い! お尻が! 何かが刺さったわ!」
彼女が座っていたソファが、バリバリと不穏な音を立てている。
『あーもう、我慢の限界! このババア、香水の匂いがキツすぎるのよ! 私の繊細な革に匂いが移るじゃない! おまけに尻が重い! 罪の重さかしら!? 食らえ、スプリング・アタック!』
ソファが内蔵されたバネを暴発させ、継母をボヨンと跳ね飛ばした。
彼女は無様に床に転がり落ちる。
「ひぃっ! な、なんなのこの家具! 呪われているわ!」
「こ、この化け物屋敷め!」
床に這いつくばる二人を見下ろし、ジークハルト様がゆっくりと立ち上がった。
ジークハルト様の腰元では怒りで震える魔剣グラム(抜刀寸前)が、そしてその背後ではゆらゆらと揺れるカーテン(威嚇中)と、頭上で激しく明滅するシャンデリア(威嚇中)が控えている。
まさに魔王降臨。
「……去れ」
ジークハルト様の一言。
父たちは、ヒッと短い悲鳴を上げ、後ずさった。
「お、覚えておれ! 親不孝娘め! こんな呪われた土地で野垂れ死ぬがいい!」
捨て台詞を吐いて逃げ出そうとする二人の背中に、私は最後に声をかけた。
「お父様、お義母様」
二人が振り返る。
私は、今までで一番晴れやかな笑顔で告げた。
「ええ、私はここで幸せになります。あなたたちがくれた『不幸』は、全部王都に置いてきましたから」
二人は悔しそうに顔を歪め、逃げるように部屋を出て行った。
廊下からも『足音がうるさい!』『早く出て行け!』という絨毯やドアの怒声が聞こえ、彼らが転びながら走っていく気配がした。
◇
嵐が去った応接室。
ジークハルト様は、ふぅ、と息を吐き、申し訳なさそうに私を見た。
「……すまない。不快な思いをさせた」
『翻訳! 「あんな奴ら、紅茶じゃなくて俺が斬ればよかった。コーデリアが悲しい顔をしていないか心配だ。もし泣いていたら、今から追いかけて馬車ごと粉砕してくる」……だそうです! 過激派!』
私は首を横に振り、彼の胸に寄り添った。
「いいえ、とってもスッキリしました。……それに」
私は、暴れて少し位置がずれたソファや、空っぽになったカップを愛おしそうに撫でた。
「みんなが私のために怒ってくれたのが、嬉しくて」
『当たり前よ! 奥様をいじめる奴は、家具界の恥さらしよ!』 『また来たら、次は熱湯をかけてやるぜ!』
頼もしすぎる味方たち。
ジークハルト様は、そんな私たちを見て、微かに口元を緩めた。
「……そうか。なら、いい」
彼は私の肩を抱き寄せた。
その温かさに、私の心に残っていた最後の「家族への未練」のようなものが、完全に溶けて消えていくのを感じた。
こうして、私は本当の意味で「親離れ」を果たした。もう、過去には縛られない。
「……疲れましたね」
「ああ。……少し、休むか」
私たちは互いに寄り添い、窓の外に広がるオルステッド領の景色を眺めた。
ふと、ジークハルト様の大きな手が、私の手をそっと包み込んだ。
夕日が沈み、一番星が輝き始めている。
彼らが去っても、王都との因縁が全て断ち切れたわけではないだろう。
それでも、私の胸にもう不安の影はなかった。
どんな敵が現れようと、この温かい手と、賑やかな「声」たちが、私を守ってくれると知っているから。
『ヒュー! いい雰囲気! もう一回紅茶沸かしましょうか? 今度は甘めのミルクティーで!』 『ソファも直ったわよ! さあ座って! 二人の愛の重さなら、私のスプリングも喜んで支えるわ!』
騒がしいけれど温かい声に包まれ、私たちは小さく笑い合った。
そして、その温もりに応えるように私はジークハルト様の手を、ぎゅっと握り返した。




