第12話 廃鉱山の呼び声
レイモンド様たちを撃退してから数日が経った。
北の辺境伯領には、以前にも増して穏やかな空気が流れていた。
領民たちは「奥方様が悪しき騎士団を追い払った!」と大盛り上がりだし、私の「声を聞く力」のおかげで、水路だけでなく、調子の悪かった風車(目が回ると文句を言っていた)や水車(藻が絡まって痒いと泣いていた)も次々と修理され、領地の生産性は右肩上がりだ。
そんなある日のこと。私は、執務室でジークハルト様とお茶を飲んでいた。
「……ん?」
カップを置いた瞬間、遥か遠くの地中深くから、ズズズ……と微かな振動と、重低音の響きが伝わってきた。
『……おーい……』 『……暇だ……誰か気づけ……』 『……ここだよぉ……無視すんなよぉ……』
それは、植物や水のような柔らかい声ではない。もっと硬質で、頑固で、そして何千年もの暇を持て余した**「構ってちゃん」**のような声だ。
「……どうした? コーデリア」
私が床を見つめて固まっていると、ジークハルト様が心配そうに覗き込んでくる。
彼の腰では、今日も今日とて魔剣グラムがくつろいでいた。
『どったの奥様? また誰かの愚痴が聞こえた? 今度はどこのトイレが詰まったって?』
「いいえ、もっと遠く……そして深い場所です」
私は窓の外、領地の北西にそびえる岩山を指差した。
「あちらの山から、強い『呼び声』が聞こえるのです」
「……廃坑だ」
ジークハルト様が、ポツリと短く呟いた。
眉を顰め、私を制するように首を横に振る。
「……危険だ」
『補足するぜ! 「あそこは十年前に鉄が枯渇して閉鎖された廃鉱山だ。今は魔物の住処になりかけてるし、足場が悪くてコーデリアが転んだら大変だ。俺の心臓が止まる」……だそうです! 過保護!』
グラムの通訳を聞いて私がクスクスと笑うと、ジークハルト様がバツが悪そうに視線を逸らした。
「……また、あいつが余計なことを言ったか」
「ふふ、ジークハルト様がお優しい方だということを教えてくれましたわ」
私が答えると、彼は小さく溜息をついた。言葉は聞こえずとも、私の反応で何を言われたのかは察しているようだ。
「それにしても枯渇……? でも、彼らは『ここにいる』と言っています。『出してくれ』と」
私の言葉に、ジークハルト様の目が僅かに見開かれた。
彼は少し考え込み、そして決断したように立ち上がった。
「……行くか」
短い一言。けれどその目には、「君が言うなら信じる」という強い意志が宿っていた。
◇
私たちは数名の護衛を連れ、廃鉱山の入り口へとやってきた。
坑道の入り口は太い丸太で封鎖され、『立入禁止』の看板が掲げられている。
『おいおい、入るのか? 中は埃っぽいぞ。お肌に悪いぜ?』
看板が気さくに忠告してくれたが、「大丈夫よ」と心で返して、私は構わず進んだ。
暗い坑道の中は、ひんやりとした空気が漂っている。ジークハルト様が掲げるランタンの灯りだけが頼りだ。
『うへぇ、カビ臭い。俺、こういうジメジメしたとこ嫌いなんだよなー。錆びちゃうじゃん。加湿器つけすぎた部屋みたい』
グラムが文句を言うが、奥に進むにつれて、あの「呼び声」はどんどん大きくなっていった。
『ここだ……ここだ……』 『人間だ……やっと来た……』 『あ、そこの壁! あとちょっと掘れば会えるのに! なんで十年前の人間は諦めたんだバカヤロー!』
行き止まり。
かつて採掘が行われていた最深部の岩盤の前で、声は最大になった。
どうやら彼らは、あと数メートル手前で採掘を止められたことに、十年分の文句を溜め込んでいるらしい。
「ここです」
私は立ち止まり、ゴツゴツした岩肌に手を触れた。
手のひらから伝わる微弱な振動。彼らは、この分厚い岩の向こう側で、今か今かと待っている。
「ジークハルト様、この壁の向こうです。厚さは……約二メートル。その奥に、彼らがいます」
「……岩盤の向こうか」
ジークハルト様は、疑うことなく頷いた。
普通の貴族なら「そんな馬鹿な」と笑うところだろう。でも彼は、私の言葉を全面的に信じてくれている。
「下がっていてくれ」
彼は私を背中に庇うと、魔剣グラムを抜いた。紫色の刀身が、闇の中で怪しく輝く。
『へいへい、今度は岩斬りですか! 俺、「国宝級の魔剣」であって「つるはし」じゃないんですけど!? これ労災認定されます!?』
グラムが「職務内容が違う」と抗議する中、ジークハルト様は無言で構えた。
鋭い呼気と共に、剣を一閃させる。
――斬ッ。
音もなく、硬い岩盤に斜めの亀裂が走った。
ズズズ……と岩がずれ落ち、ぽっかりと穴が開く。 その瞬間。
カラン、コロン……バラバラバラッ!
崩れた岩の隙間から、青白く光る石が雪崩のように転がり落ちてきた。
ランタンの光を反射して、星空のようにキラキラと輝いている。
「こ、これは……!」
同行していた護衛の兵士が息を呑んだ。
「ミスリル……!? いや、それよりも希少な、『魔鉱石』か!?」
魔鉱石。魔道具の動力源となる貴重な鉱石で、王都でも高値で取引されているものだ。
それが、足の踏み場もないほどゴロゴロと転がっている。
『やった! やったぞ! 外だー!』 『眩しい! 俺の輝きを見ろ! 俺が一番高いぞ!』 『いや私よ! 私の方がカットが綺麗よ! 高く売りなさい!』 『姉ちゃんありがとう! さあ、俺たちを市場へ連れて行け!』
石たちが「自分を売れ」と猛アピールを始めた。
どうやら、自己顕示欲の強い鉱脈だったらしい。
「……信じられん」
ジークハルト様が、一つ拾い上げて呟いた。その青い光が、彼の驚愕の表情を照らし出す。
「この鉱脈があれば、領地の財政は一変する。……いや、国一番の豊かな土地になるかもしれん」
彼は震える手で魔鉱石を握りしめ、ゆっくりと私の方を向いた。
「コーデリア。……君は、勝利の女神どころではないな」
「え?」
「……豊穣の女神だ」
彼の赤い瞳が、熱っぽい光を帯びて私を見つめる。
『補足するぜ! 「すげえ。マジですげえ。この感動をどう伝えたらいい? とりあえずこの魔鉱石で城を金箔張りにしようか? いや、コーデリア専用の庭園を作るか? とりあえず、カタログに載ってるドレス全部買い占めてくる!」……だそうです! ご主人様、成金思考にシフトしました!』
私は思わず笑ってしまった。
「ふふ、ありがとうございます。でも、私はただ、石さんたちの声を聞いただけですわ」
「……それが、誰にもできないことなのだ」
ジークハルト様は、拾った魔鉱石を、まるで聖遺物のように大切にポケットにしまった。
そして、私の手をそっと取る。
「帰ろう。……今日は、祝い酒だ」
◇
こうして、オルステッド領に新たな産業が生まれた。廃鉱山は再稼働し、活気が戻った。
「奥方様が見つけた奇跡の鉱脈」の話はまたたく間に広がり、私の「聖女説」はもはや「女神説」へとランクアップしてしまったようだが、皆が笑顔ならそれでいい。
北の地は、着実に力を蓄えつつある。
富、食料、そして結束。
その一方で、王都からは不穏な噂が届き始めていた。
逃げ帰ったレイモンド様が、失敗の責任を問われ、かなり焦っているという話。そして、聖女見習いのミナが、「神の声を聞く」と言って、怪しげな儀式を始めたという話……。
遠見の鏡を通して見る王都の空は、どんよりと澱んでいた。
けれど、今の私には守ってくれる人がいる。
「さて、今日のお仕事は何かしら」
私はアメジストのネックレスを撫で、新しい一日へと踏み出した。




