第01話 「独り言が気味悪い」と捨てられた令嬢
※本作は同タイトルの短編の連載版です。短編好評につき連載化しました。
煌びやかなシャンデリアが輝き、楽団が優雅なワルツを奏でる王立学園の卒業パーティー。
その華やかな会場で、音楽を断ち切るような怒声が響き渡った。
「コーデリア・シルヴィス! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
声の主は、この国の第二王子であり、私の婚約者であるレイモンド殿下だ。
彼は金髪を揺らし、侮蔑と優越感が入り混じった瞳で私を見下ろしている。その腕には、私の義妹であり、最近「聖女見習い」として神殿入りしたミナが、怯えた小動物のようにしがみついていた。
周囲の貴族たちがざわめき、扇子で口元を隠しながらこちらを嘲笑っているのがわかる。
「理由はわかっているな? 貴様のその『奇行』には、もう我慢ならんのだ!」
レイモンド殿下が、まるで汚いものを見るかのように私を指差す。
「壁に向かってブツブツ話しかけたり、ただの古びた剣に挨拶したり……挙句の果てには、王家の宝物庫の前で一人高笑いをしていただろう! 気味が悪いにも程がある! 次期王妃が狂人だなどと、国の恥以外の何物でもない!」
私は、扇子の影で小さく溜息をついた。 奇行。ああ、またそのお話ですか。
私は狂人ではない。ただ、少しばかり耳が良いだけなのだ。
この世界に存在する魔道具や武具はもちろん、建物や家具、さらには路傍の石や草花に至るまで――そう、この世の万物には『意志』がある。私には、彼らの声が聞こえてしまう。
例えば、今この会場の天井を飾る、豪華なクリスタルのシャンデリアだってそうだ。
『あー、重い。マジで重い。鎖の三番目の金具、錆びてきてるんですけど。掃除サボったの誰だよ、埃で目が痛いんだけど。ていうか、あの王子声デカすぎない? 共振してキーンってなるわ。わざと頭の上に落ちてやろうか?』
――などと、さきほどから低音ボイスでボヤき続けている。
だから私はいつも、彼らの愚痴を聞いて宥めたり、「金具が傷みそうですから、点検なさってはいかが?」と遠回しに使用人に伝えたりして、事故を未然に防いできたのだが……。 普通の人には聞こえないため、私はただの「独り言が多い不気味な女」として扱われてきた。
「申し訳ありません、殿下。ですが、宝物庫の前で笑っていたのは、建国の聖剣が『今の王様のカツラ、右に三センチずれてたの見た? 威厳もへったくれもないね、超ウケる』と申しますものですから、つい」
「嘘をつくな!!」
私のささやかな弁明は、殿下の烈火のごとき怒りによって遮られた。
「聖剣が喋るわけがあるか! この虚言癖め! ミナの爪の垢でも煎じて飲むがいい。彼女は清らかで、常に私を敬い、あまつさえ私の剣の手入れまで甲斐甲斐しく行ってくれているのだぞ!」
殿下が腰に下げた剣の柄を撫でる。
その剣――王家の宝剣『レオハルト』は、鞘の中でげんなりとした声を上げていた。
『いや、聖女ちゃんが塗ったの、ただのサラダ油だからね? ベタベタして気持ち悪いんだよ。コーデリアちゃんが塗ってくれてた最高級の聖油返してほしいわ。あとこの王子、俺のこと「ただの飾り」だと思って素振りもしないから、もう身体が鈍っちゃって。早く主替えしてぇなぁ……』
ご愁傷様です、レオハルト様。
私は心の中で宝剣に合掌した。どうやら王家の武具たちは、すでにレイモンド殿下に愛想を尽かしているらしい。
「貴様のような魔女は、王都から追放だ! 北の果て、極寒の地に城を構える”呪われた沈黙の辺境伯”ジークハルト・オルステッド卿のもとへ嫁ぐがいい!」
その宣告に、会場から「ひっ」と短い悲鳴が上がった。
ジークハルト・オルステッド。 北の国境を守る武門の長でありながら、「目が合うだけで人を石にする」「一言も喋らずに敵を惨殺する」「生き血を啜る」と噂される、もっとも恐ろしい辺境伯だ。 追放という名の、事実上の生贄である。
「……承知いたしました」
私は静かに貴婦人の礼をした。
弁解する気も、縋る気も起きなかった。だって、私の耳にはもう聞こえてしまっているのだから。
『あーあ、行っちゃうの? コーデリアちゃんがいなくなったら、誰が俺たちの手入れしてくれるの?』 『もう知らない。俺、結界維持するのやーめた。明日からストライキするわ』 『この城の配管、全部詰まらせてやるからな』
王宮中の魔道具や武具たちが、一斉にブーイングを上げているのがわかる。
私が毎日彼らの声を聞き、魔力を通して「ご機嫌取り(メンテナンス)」をしていたからこそ、この国の防衛機能やインフラは保たれていたのに。
まあ、私を捨てたのですから、あとは自力で頑張ってくださいませ。
「それでは殿下、ミナ。お幸せに」
私は背筋を伸ばし、一度も振り返ることなく会場を後にした。
背後でシャンデリアが『あー、もう限界。ネジ一本外しまーす』と呟き、直後にガシャン! という金属音と、令嬢たちの悲鳴が聞こえたけれど……私にはもう関係のないことだ。
◇ ◇ ◇
北への旅路は過酷だった。
王都を出て一週間。景色は豊かな緑から、荒涼とした岩肌と、白く凍てつく雪原へと変わっていった。
御者は「こんな呪われた土地に行きたくねぇ」と露骨に不機嫌だったけれど、馬車自体はとても協力的だった。
『お嬢ちゃん、寒くないかい? ここのサスペンション、もうガタが来てるけど、気合で揺らさないように頑張るぜ!』 『車輪の俺も任せとけ! 凍った道でも滑らないようにグリップ効かせてやるからよ!』
おかげで私は、船酔いならぬ馬車酔いすることもなく、快適に読書をして過ごすことができた。
そして到着した、オルステッド辺境伯領。
雪深い針葉樹の森を抜けた先に、その城はあった。断崖の上にそびえ立つ、黒曜石で作られた巨大な城郭。空は分厚い鉛色の雲に覆われ、吹雪が城壁を叩きつけている。
見るからに禍々しい。魔王城と言われても信じてしまう威容だ。
「つ、着きましたぜ……荷物を下ろしたら、俺はすぐに帰らせてもらいますからね!」
御者は私とトランクを雪の上に放り出すと、逃げるように馬車を走らせて去っていった。
残されたのは、私とトランク一つ。そして、頬を刺すような冷気。
「……さて」
私は城を見上げた。
噂では、この城に入った者は二度と出てこられないとか、城内には無念の死を遂げた亡霊が彷徨っているとか言われているけれど。
『うおおおおお! 来た! 来たぞおおお!』 『女の子だ! 新しいお嫁さんだ! 柔らかそう!』 『やべえ、エントランスの掃除まだ終わってない! ルンバ(自走式掃除魔道具)もっと気合入れろ!』 『おい誰か! 玄関マットの位置が三ミリずれてるぞ! 直せ直せ!』 『お客様用スリッパあっためておけ!』
……ものすごく、騒がしかった。歓迎ムード一色である。
私はくすりと笑い、凍りついた重厚な扉に手をかけた。
「お邪魔いたします」
ギギギ、と重い音を立てて扉が開く。エントランスホールは薄暗かったが、暖炉には火が入り、床の大理石はピカピカに磨き上げられていた。
そして、その奥。
玉座のような椅子に、一人の男性が座っていた。
漆黒の軍服に身を包んだ、長身の美丈夫。月光を織り込んだような銀色の髪に、万年雪のように冷ややかな青い瞳。
彼こそが”沈黙の辺境伯”ジークハルト・オルステッド様だ。
彼は私の姿を認めると、ゆっくりと立ち上がった。その身長は優に一九〇センチはあるだろうか。圧倒的な威圧感。
彼は無言のまま、私を見下ろした。
「…………」
怖い。普通なら、その眼力だけで失禁しそうなほどの冷徹な視線だ。
部屋の空気が張り詰め、ピリピリとした緊張感が肌を刺す。彼が口を開こうとした、その時だった。
『キターーーーーーー!! 本物だ! マジだ! 釣書より実物の方が百倍可愛いじゃねーか! どうしよう、俺、今日のために鞘のワックスがけ三回もしたけど、テカりすぎてキモくないかな!? てかご主人様、ネクタイ曲がってない!? 大丈夫!?』
――え?
私は思わず、キョロキョロと周囲を見回した。
声の主は、ジークハルト様の腰に差さっている、禍々しい装飾の『魔剣』だった。




