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魔術師様を拾いました  作者: 有沢ゆう


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 ユーリアンが父親に呼び出されたのは、シルビアとの面会を段取りしている最中だった。セシュラール家にとって、父の言葉は絶対だ。仕方なしに、再びシルビアに念話を送った。

 また日を改めて、と言っていた、その時だ。

 念話の向こうの家に、ユーリアンからの使いの馬車とやらが着いたのは。


「……あの、ユーリ? あなたの名前で迎えが来ているのだけど」

「なんだって?」

「家令によれば、馬車に乗るようにっていう書状の紋は、確かにあなたの家のものだって」

「馬鹿な」


 ちょっと見てくる、と言ったシルビアは、しばらくして戻ってくると、


「ユーリ。ねぇ、お迎えだっていう侍女、ミラベル様のところの侍女だわ」

「な、ぜ分かる」

「会ったもの。私の家に来たじゃない」

「確かか」

「絶対よ。私、人の顔も忘れないの。ねぇ、彼女おかしい。青白い顔で、奇妙に震えてる。何かがあったんだと思うんだけど」

「ミラベルならば、二日前の夕刻、うちを訪ねて来たらしい。俺は不在だったが、執事が記録を残している。

 うん? ちょっと待て」


 その時、ユーリアンは自室にいた。誰も入るな、と告げていたが、躊躇いがちながら扉をたたくものがあった。指示を違えるのはよほどのことだろう、と、


「入れ」

「……ユーリアン様」

「ああ。必要があったのだろう。なんだ」

「コンスタンティエ家からのお尋ねがございました。ミラベル様がこちらにおられはしないか、と」

「ミラベルの家から? 家と言うのは?」

「無論、コンスタンティエ子爵からのお問い合わせでございます」

「……父親が、娘の居場所を我が家に尋ねてきた、というのか? それは……」


 従僕は、ただ黙っている。だが、お互いに言いたいことは明白だった。娘の居所を、他人に聞いて回るなど、到底考えられない。自家の恥をさらすようなものだからだ。

 それでも、それを越えて問い合わせなければならない事態である、ということは、すなわち、今日の今日にどこかへ出かけて帰らない、ということではない。もちろん、あちこちに尋ねているわけではないだろう。近しいと認識されているユーリアンだからこその問い合わせだった。


 ユーリアンは、心当たりがない旨、使者へと知らせるよう指示をしてから、再びシルビアに念話をつなげた。少し、魔力を使いすぎている。ユーリアンでさえそう感じるのだから、シルビアのほうはもっと消費しているだろう。多少魔力が多そうだとはいえ、彼女のそれはユーリアンには到底及ばない。


「シルビア。今、コンスタンティエ家から、ミラベルの居場所を尋ねる使者が来た」

「ふーん」

「ああ……貴族の事情に慣れないお前にはなかなか感じ難いだろうが、男親の名で娘の居場所を聞くなど、普通ならありえないんだ」

「え。今、だったら下にいる侍女に居場所を聞こうかと思ったんだけど」

「馬鹿、やめろ。いいか、俺から連絡があって今日は会えないと言われた、と告げて来い。

 何かがあったんだ。シルビア、言っただろう、危険だと。もっと危機意識をもて。後は俺がやる」

「うん。そうしたいのはやまやまだけれど、多分、それじゃあちょっと遅いと思う。あの侍女の様子は尋常じゃなかった。私が行かないことで、何か良くないことが起こると知っている顔だわ」

「シルビア!」


 彼女の声に何かの決意を感じ、ユーリアンは叫んだ。

 ミラベルは、ただの哀れな女だ。だが、その後ろにいるのは、決して小さな存在ではない。


「そこを動くなシルビア、辺境伯にも連絡する、それからでも遅くはない、だから……」

「ごめんユーリ、行くわ。あなたの大事な人を、もう傷つけさせたりしない。私が守ってあげる。でも、もし何かあったら」

「シルビア!」

「あなたの陣の気配を探して。セルジュにもそう伝えて、おねが」


 ぷつりと途切れる。魔力が尽きたのか、とも思ったが、さすがにそれほどの消費ではないだろう。だとすれば、余力を残して通話をやめた、とみるのが正しい。

 大事な人?

 馬鹿な、と舌打ちし、ユーリアンは立ち上がりすぐに翠嵐邸にかけつけようとしたが、かろうじてとどまる。今から行ったところで間に合うはずもない。衝動のままに動くよりも、やるべきことを考えねばならない。


 そう、あの雪に閉ざされた街から帰って以来、そうしてきたように。


 ユーリアンは必死で呼吸を落ち着けてから、優先順位を決めた。まずは、伝令を飛ばして辺境伯に現状を伝えること。そして次に――父の呼び出しに応えることだ。







「父上。お呼びと伺いました」


 父の執務室に、良い思い出はない。そこはユーリアンにとって、常に何らかの指導を施される場所だったからだ。子供のころから変わらない、父と子の関係は、決して気安いものではない。


 セシュラール侯爵という男は、苛烈な人間だ。やるべきことをやり、為すべきことを為す。そのためにはほとんど手段を厭わない。ユーリアンは、父の笑った顔を見たことがない。彼は、いつでも何かをにらみつけているような顔をしている。

 ここ数年、その苛烈さは程度を増している、と聞く。塔に入ってからはほぼ接触もなく、直接言葉を交わしたのはもう何年も前だ。


 今、目の前にいるのは、随分と年老いた――だが勢い衰えぬ細身の男。眼光は鋭く、そこには窺い知れない闇がある。澄んだ青い虹彩の中央に一点、キリのような黒々とした瞳孔の奥を見てしまえば、泥濘に絡めとられそうな恐怖さえ覚える。


「息子よ。探し物は見つかったか?」


 地を這うような低い言葉に、背筋が震えた。

もとより隠そうとは思っていなかったが、やはり父は知っていたのだ。ユーリアンがなぜ、ミラベルと共にあちこちを訪れているのか。墓に参り、行きつけの店を訪ね、そして自宅へと足を運ぶ。それらが全て、ジゼルの私物を余さず見て歩くものだということを。


「……いいえ。残念ながら」

「そうか。しかし気落ちすることはない。あれは、あれ自体は、お前には必要のないものだ。案ずるな。あれはすぐ、実現する」

「……っ、やはり……! やはり父上でしたか。おやめください。それは、あってはならないものです」

「ほう」


 年老いているのに、ユーリアンと同じくらいの上背がある父は、正面に立てばまるで立ちふさがる壁の様だ。


「儂に意見するか。お前が。市井に交じり随分と礼節を失ったようだな」

「恩と礼儀は常に私と共にあります。しかし、それとこれとは別でしょう」

「何が別なものか。儂の期待に応えぬのなら、それは恩を仇で返すに等しい」

「あなたの期待とはなんですか! それは期待ではない、ただの欲だ! それも、人の道に外れた……」

「ユーリアン」


静かに名前を呼ばれただけで、喉がつかえた。


「ふざけたことを抜かすな、若造が。何が人道に外れているというのだ、自分の妻の命を救いたいという願いが、お前にとってはただの欲だと言うのか」


 聞きたくなかった。しかし、今、父ははっきりと認めたのだ。


 ユーリアンの母は、病魔に侵されている。治療法は、ない。ただひたすらに体の力が奪われ、生きる力が低下し、少しずつ少しずつ命を失っていく。もう十年にもなる。床についたきり、母は物言わぬ体でただただ場当たり的な治療を受けている。痛みに呻けば痛みをとり、食事をとれなくなればそれを外部から与え、医療も魔術も祈祷も全てを費やして今日まで保っている。

 そう、あらゆる手だ。そして分かったことがある。どんな医療も、現時点で母を救うことはできない。そして、どんな魔術師も、治癒させるには至らない。


 実のところ、母の病の原因は予想がついている。きっかけは、数年前に現れた異界人の女性によるものだ。彼女から聞き取る様々な異界の技術のうち、かの地で人が死ぬ病の多くが、病巣が体中に転移するというものだという話があった。その病状の進み方が、母と同じであると、父はどこからか聞いたのだ。

 何を治すのか、を知っているといないとでは、治癒魔術の効果は大きく違う。父は勢い込んであらゆる魔術師を呼んだ。だが結果は出なかった。どの魔術師も、魔力がそれに足るものではなかったということだ。推定した必要な魔力量は、あらゆる魔術師を越え、あのジゼルの魔力量さえはるかに超えた。

 ユーリアンだけがそこに到達している。底なし、と評されるこの魔力量だけが、必要十分と判断されたのだ。

 だが、技術がない。ユーリアンには、治癒魔術の素養がなかった。だから。父は。


「ジゼルを殺しましたか?」


 真っすぐに父の目を見た。冷え冷えとした鋭い視線に、子供のころから培われた服従の気持ちが反射的に浮かんだが、しかし、ユーリアンはそれをゆっくりと握りつぶした。

 目を合わせる。恐怖も、畏怖もなく、そこにあるのはただ、あらゆる手段で望みを叶えようとする我儘な一人の男だと認識する。


「だとしたら?」

「ではやはり、あなたのその期待は、ただの欲だ。母を愛していますか。だから救いたいのですか」

「あれは私の全てだ」

「セシュラール侯爵。私にとってのジゼルもそうであったと、そう思い至れなかった時点で、あなたの愛はただの自我の裏返しだ」

「貴様……!」


 激昂する父の気迫にも、もう怯まない。


「言葉を選べよ、ユーリアン。儂を誰だと思っている。お前は儂の言うことを黙ってきいていればいい。それこそが正しい行いだと常々教えてきたはずだ」

「いいえ。あなたは――間違っている」


 怒りが揺らめくように伝わってきたが、ユーリアンは目をそらさず、それを押し返した。微かに、父の怯んだ様子が見えた。これまで、顔を伏せ従順に頷いてきたユーリアンが変わったことを、感じ取ったのだろう。


 そう、自分は変わった。ジゼルと心を通わせ、それを奪われたことで、父の苦しみを知った。同時に、彼女を失ったときに自分を見失いもした。だが、今、それを取り戻したのだ。父から離れ、塔からも離れて過ごした時間が自分を支えている。

 物心ついてからずっと、何かを為さねばならないという使命感と焦りに尻を追われていた。あの街で、初めてそこから逃れられたのだと思う。

 シルビア。あの、今までそばにはいたことのない雰囲気をもつ人が、それを許した。ただ優しいばかりではない彼女は、時にユーリアンを突き放し、けれど必ず戻って来た。母親を失って悲しみに沈んでいてもなお、彼女には安定があった。大丈夫、と。言葉に出さない、けれど一緒にいることで伝わるものがある。そういう人に出会えたから、自分はこうして、戦うために戻って来られた。


「……何かを勘違いしているようだが、儂は貴様の恋人を殺してなどいない。その日、儂が王宮に呼ばれそこにずっといたことは、知っておるのだろう?」

「はい。もちろん、あなたが手を下したとは思っていません。ですが、そう指示なさったのはあなただ。彼女の論文を奪うために」

「そんな証拠がどこにある!」

「さて、証拠はないでしょう、あなたがそんなへまをするとは思えない。けれど、証言ならどうでしょう。実行した、あいつの、証言を、陛下の前で確認します」

「馬鹿なことを! 陛下をそんな、くだらぬ茶番に付き合わせるなど、ありえん!」

「すでに場は整えてあります。セシュラール侯爵。この地に戻って一年、私がただただジゼルの思い出を巡っていたばかりとは、まさか思っていないでしょう?

 皇太子殿下を通じ、すでに陛下には了の書状をいただいております。私はこれより、あの男の捕縛に参りますので、その後、王宮にて審査会を開くよう要請しておきましょう。

 どうぞ、この場にてその時をお待ちになりますよう」

「まて、ユーリアン、お前は……」

「父さん」


 子供の頃以来、大人になって初めて、ユーリアンは父に微笑みかけた。


「至らない息子でごめん。母さんを助けられなくてごめん。でも、それが俺なんだ。もう、あなたの期待に及ばなかったことを謝るのは、これが最後だよ。

 さよなら、父さん」


 呆然と立ち尽くす父を置いて、ユーリアンは執務室を出た。




 足早に玄関に向かいながら、従僕に指示を出す。皇太子に計画実行の知らせと、馬の用意だ。王都内で騎馬隊の巡回以外が馬を使うことは禁止されているが、今は一刻も早く行かねばならない。


 かつての、友のところへ。







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