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7・トラウマ

 どのくらいそうしていただろう。

 誰かが部屋に入ってきたのに気付いて頭を動かすと、武装した何人かの男達が見えた。


(誰・・・?)


 見回せば、辺りは床も壁も真っ赤に染まっていた。

 鉄さび臭い液体の中にぽつんと一人横たわっていたレヴェッカが肘をついて身体を起こすと、侵入者達は身構えた。

 レヴェッカと侵入者達。部屋の中で動いているのは彼らだけだった。

 それぞれの武器を手に立ち止まり、にらみ合いが続いたが、レヴェッカが動かないと見るとじりじりと進み出した。


(頭が痛い。)


 頭の芯がクラクラとして目眩がした。額に手を当て、その手が真っ赤に染まっていることに首をかしげる。


(血・・・?どうして・・・私、どうしたんだった・・・?)


 頭が痛くてうまく考えられない。

 寒いとも思えたし、暑いような気もした。

 具合が悪いようだ、とぼんやりとした頭で思った。


 すると、視界の中何かが大きく動いた。辺りを警戒しながらゆっくりと近付いてくる男達のうち、突然一人がレヴェッカの方に走り出したのだ。


(男!!)


「ギャー!!」


 それを「男」だと認識したとたん、どうしようもない恐怖に突き動かされて、レヴェッカは跳ね起きるように身体を起こし、叫んだ。

 声が嗄れて酷い叫び声だった。顔も身体も全身自分の血で真っ赤に染まったレヴェッカは、男が歩みを止めるまで叫び続けた。


(男!男!男!)


 近づいてくるのが男だと言うだけで、体中が震えるほどの寒気を感じだ。吐きそうなほどの不快感によろめいて床に手をつく。


「オレだ!」


 それでも近寄ろうとする男に、レヴェッカはまた絶叫した。


(男!男!)


 床に転がっていたナイフを拾うと、それを投げつけた。

 続けて手元にあった拘束具を投げつけ、足首に着けられた拘束具を外して投げ、さらに投げつける物を探して見回し、見つからないとなると裸のまま立ち上がった。


「レヴィやめろ!」


 近くの棚に駆け寄り、投げられそうな物を掴むと、血走った瞳で男を睨み付ける。


「レヴィ、オレだよ!イアソンだ。」


 男がゴーグルとヘルメットを外せば、見慣れた金髪と空色の瞳。


(イアソン・・・。)


 それが何の事を意味するのかわかるまでにひどく時間がかかった。


「な?わかっただろ?」


 他の男達が見守る中、再び歩き出したイアソンに、レヴェッカは手の中の物を投げつけた。棚を振り返り中身を掴むと、手当たり次第にそれらを投げつける。


「やめろ!レヴィ!」


 やめろと言われても、止まらなかった。身体の内側から溢れてくるような激情がレヴェッカを動かしていた。


(男!男!男!)


 それが自分の実の兄だとわかったところで何の意味もなかった。今のレヴェッカにとっては、相手が男かそうでないか。問題はそれだけだった。


 男は犯す。男は血を欲しがる。男は狂っている。


 恐ろしくて近寄りたくもない。同じ空間にいることさえ苦痛だ。兄だとわかっていても、顔も見たくなかった。

 首を振り、全身で拒絶の意志を伝えようとする。

 しかし、それでも相手は諦めてくれなかった。


「チッ。」


 しびれをきらしたイアソンは舌打ちをすると、レヴェッカの投げる物を避け、手で払い落としながら容赦なく近付いてきた。


 レヴェッカは特殊な能力があるせいで部隊に所属していられる。情報収集や今回のような誘導のための人員であって戦闘要員ではない。つまり、本格的な白兵戦の訓練を受けてはいない。

 レヴェッカのような素人が、訓練を受け任務で経験を積んだイアソンにかなうはずがなかった。


 それを悟ったレヴェッカは、身を翻して逃げ出す。

 しかし、ひとつ部屋の中、五人の隊員から逃げられるはずもない。部屋中を逃げ回り、とうとう部屋の隅に追い詰められ座り込みガタガタと震えるレヴェッカに、イアソンが手を伸ばした。


(ヤダヤダヤダ!触らないで!やめて。やめてーっ!)


「アーーっ!!」


 大声で叫ぶレヴェッカにイアソンはそれ以上近づくのをやめた。明らかに自分に怯えている様子だったからだ。

 その時、部屋の入り口から声がかかった。


「止めろ!」


 振り向き身構えた隊員達の向こうから、声が聞こえる。


「死にたくないなら触るな!」


 手を伸ばしたイアソンを恐怖の眼差しで見つめるレヴェッカに、イアソンは傷付いた顔をして手を下ろす。


「先にボビーを助けてやれ。」


 微動だにしないイアソンをよそに、レヴェッカを取り囲んだ男達が離れると、その後ろから男が現れた。

 紺色の髪を揺らしてレヴェッカの前に膝をつく。


「私がわかるな?」

「・・・。」


 マシューだった。

 興奮し、肩を震わせ短い呼吸を繰り返すレヴェッカを、マシューはただ静かに見つめている。


「私はおまえを助けに来た。」


 レヴェッカはその瑠璃色の瞳を食い入るように見つめた。


(この人は・・・男・・・じゃない。)


 マシューは人間じゃない。マシューはアンドロイド。だから、私を犯したりしない。

 レヴェッカはマシューの言葉の真意を探るように、じっと様子をうかがった。

 マシューは動かず、ただレヴェッカを見つめるだけ。それ以上言葉を重ねようとはせず、根気強く、彼女の警戒が解けるのを待っている。

 レヴェッカは瑠璃色の瞳を見つめ、いつの間にか見入っていた。


(深い海の色。綺麗な色。大好きな瞳。)


 その瞳を見ているうちに、レヴェッカは海の底を漂っているような錯覚を覚えた。不思議と安心し、何かを思い出しそうな既視感が身体を包む。それが何かを掴もうとするうちに、先程までレヴェッカを支配していた恐怖から徐々に解放されていった。

 レヴェッカの呼吸が落ち着いたのを見計らって、マシューは上着を脱いだ。


「風邪をひく。」


 マシューが差し出したそれを見つめ、しばらくして恐る恐るといったように受け取ると、レヴェッカはそれを胸に抱きしめた。とたんにその目からはポロポロと涙が溢れ出す。


「レヴィ、そうじゃない。」


 マシューはそっとレヴェッカの手に触れると、その中から上着を取り返し、レヴェッカに羽織らせた。


「もう、大丈夫だ。」

「うっ、ううー・・・。」


 しゃくり上げるレヴェッカを上着で包み込むようにして抱き上げ、出口に向かって歩き出す。

 レヴェッカはその腕の中で安心し、泣き続けた。

 そして、眠るように意識を手放した。

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