4・検査
翌日、約束通りアレクサンドラと病院に行ったレヴェッカは、診察を終え、会計を待つ為椅子に並んで座っていた。結果が出るのは三日後。それまで待たなければならないのは嫌な気分だ。
「なんで結果が出るまで三日もかかるんだい。焦らすんじゃないよ、まったく。」
レヴェッカの気持ちを代弁するようにアレクサンドラが言う。
「レヴィ、悪かったね。アタシ気付かなくてさ。母親なのに情けないよ。」
ため息混じりに肩を落とすアレクサンドラに、レヴェッカは首を振る。留守がちの母に不満がないとは言えない。寂しくて泣いたこともある。けれど、母だって私を苦しめようとしてそうしてるわけではないはずだ。憎まれているわけではないし、身近に兄も叔父もレヴィだっているし、友人もいるのだからこれ以上望むのは我が儘だと自分に言い聞かせる。
「ううん。お母さん忙しいし、しょうがないよ。それに、私もたいした事ないと思って黙ってたし。」
「ふぅ。ダメだね。アタシは観察力が足りないって言うか・・・こういうのはジブリールが得意だったんだよ。」
懐かしそうに父の話をするアレクサンドラを見て、レヴェッカは微笑んだ。アレクサンドラは亡くなった父の事を忘れていないのだと、嬉しかったのだ。
幼馴染みのアレクサンドラと父のジブリール、そしてその弟ミカールは、とても仲が良かったらしい。だが、最近のアレクサンドラとミカールは友情以上の気持ちでいるような気がする。父が死んでから何年も経つし、レヴェッカもイアソンももう駄々をこねるような子供ではないが、優しかった父の事を忘れて欲しくはなかった。ミカールのことを嫌ってはいないし、むしろ頼りにしている。それでも、母に父を忘れて別の人と結婚すればいい、などと言えるほど割り切れてはいなかった。
(でも、忘れられなかったら、次に好きな人なんて出来ないのかな?)
レヴェッカはレヴィの事を思い浮かべた。ソン・ミジャに言われて、好きな人を作ろうと思ったのだが、思ったところで急に出来るわけもない。学校にも、部隊にもいくらでも男の人はいるのに、なぜか心の中を通り過ぎるだけで、これ、という人が見つからない。
「レヴィ、気付かない鈍い母親だけどさ。何かあったら遠慮せずに言うんだよ?」
「うん。わかった。」
男勝りで仕事最優先の母親だが、レヴェッカのことを気にかけていないわけではない。困ったときにはちゃんと手をさしのべてくれる。アレクサンドラの言葉に安心し頷いたレヴェッカは、そっと母親の肩にもたれた。
(だめだなぁ。私・・・甘えてる。)
レヴィの力になれるように、その隣に立てるように早く大人になりたい。そう思って仕事も勉強も頑張っているつもりなのに、優しい言葉にはすぐ甘えてしまう。簡単な方に、居心地のいい方に。
大人達に混じって仕事をしても、そこでどんなに良い活躍をしても、結局は保護者の必要な子供でしかないのだ。
(レヴィ・・・。)
こんな気持ちの時に思い浮かべるのは、いつも彼のことだ。彼の名前はまるで呪文。彼の優しい気配を思い浮かべて自分を慰める。
いつものように。繰り返し、繰り返し。名前を思い浮かべる。
(諦めるなんてできるのかな・・・。)
一人で立てないから誰かに縋る。そんな自分がどうしようもなく子供なのだと余計に情けない気持ちになる。
ふと顔を上げて、視界の端にチラリとかすめた人影に目を見開いた。驚き、しかし気づいたと思う前に身体は動いていた。
急に立ち上がったレヴェッカに、アレクサンドラは声を掛ける。
「どうしたんだい?」
「ごめん。ちょっと。すぐ戻るから!」
レヴェッカはそう言うと、その人影を追って駆けだしていた。
(今の、レヴィ?)
人影はレヴィに見えた。レヴィの事を考えていたから、そんなふうに見えたのだろうか?でも、あの紺色の髪は見間違えようがない。
角を曲がると、前方に良く知ったレヴィの後ろ姿を見つけた。レヴィの事は諦める、と決めた事も忘れ、レヴェッカはその後ろ姿に駆け寄り、飛びついた。
「レヴィ、ひゃっ!」
レヴェッカは飛びついた勢いのまま床に転がりそうになって、慌てて体制を立て直す。飛びつこうとした瞬間、レヴィがサッと避けたのだ。驚いて振り返ると、無愛想な瑠璃色の瞳が冷たくレヴェッカを見下ろしていた。
「マシュー!?・・・って、避けたら危ないじゃん!」
レヴェッカは噛みつくように言った。
(嫌なヤツに会っちゃったよ。)
レヴェッカの勘違い、人違いだった。それも無理はない。マシューはレヴィと同じ紺色の髪、瑠璃色の瞳、そればかりか顔までそっくり同じなのだ。それと言うのも、レヴェッカの大好きなレヴィには重大な秘密があった。公には別の人物と言う事になっているが、レヴィは二重人格なのだ。いや、二重人格というのは語弊がある。レヴェッカは偶然知る事になってしまったのだが、レヴィと同じ身体を共有するもう一つの人格。それがマシューなのだ。正確には二重の人格プログラム、だろう。
「なんで避けるの?転ぶところだったじゃん。」
「だったら後ろから飛びつくな。」
「じゃあ、前からなら受け止めた?」
「どうかな。」
(だーっ、むかつく!)
マシューは怒りに震えるレヴェッカを面白そうに見下ろしていた。その様子にさらに腹が立つ。
同じ身体にありながら、レヴィとマシューは似ても似つかない。レヴィが暖かな春の日差しなら、マシューは凍てつく氷だとか冷たい海の底。たいていは無表情かそれに近い顔をしている。
マシューは保安局長官で治安維持部隊特別捜査課特査も兼任しているから、仕事上関わりがある。だが、レヴェッカはそれを嬉しいと思ったことは一度もなかった。同じ容姿とはいえ、好きなのはレヴィでマシューではないからだ。
むしろレヴェッカはマシューを嫌ってさえいた。レヴィという人格が表面に出ているときにはマシューは現れず、マシューとして行動している間はレヴィは現れない。つまりマシューのせいでレヴィに会えない。レヴェッカの中ではマシューは完全に邪魔者扱いなのだ。
部隊でもマシューは好かれてはいなかった。任務を遂行する能力には優れていても、人間の細かな機微までは把握できないのだろう。
エリート揃いの治安維持部隊にいる人間には多かれ少なかれ「他者より優れている」というプライドがあり、功績を挙げたいという野心家や、戦闘を好む血の気の多い者もいる。しかし、マシューはそんな彼らの心情はまるで意に介さず、「おまえの実力ではこの任務は果たせない」だの「他のだれそれの方が能力が優れている」だのと面と向かって言ってしまうのだ。正直さを美徳だと思っているのかは知らないが、マシューのやり方はあまりに無神経だと思える。例えそれが真実でも、ものには言い方があるだろう。部下のプライドを傷つけず上手にあしらってこそ上司ではないのか。
(きっと、遠慮とか、思いやりとか。そういったものを持っていない男なんだ。)
そんなレヴェッカの内心はつゆ知らず、マシューは心持ち眉をしかめて問いかけてきた。
「どうした?大丈夫か。」
おそらく髪にでも触れようとしたのだろう。こちらに伸ばされた手を邪険に払って答える。
レヴェッカにとって生物に触れること、触れられることは禁忌に近い。
素肌で触れたものが機械ならその仕組みやデータを知ることができ、生物なら体調や感情を読み取ることができるという特殊能力のせいだ。便利なようだが実際には弊害の方がよほど多い能力だ。意識してその能力を発揮しようとしなければ読み取れないのだが、対象が人間だと、相手が自分に向ける強い感情は読み取ってしまうため、レヴェッカはいつも手袋をしている。幼い頃は手袋をしていなかったので、怒りや嫉妬など人の負の感情を読み取ってしまってよく傷ついたものだった。
だから手袋は決して外さなかったし、人に触れられるのも避けている。髪の毛は「素肌」ではないが多少は読み取ってしまう。読み取ろう、と意識しなければ良いだけなのだが、ふれあいを避けるのはもう条件反射なのだ。
払われた手に苦笑するマシューにわずかな罪悪感を感じながら、先ほどの問いを思い返す。
大丈夫か、とはなんのことだろう。
「怪我でもしたのか?」
「はぁ?怪我?」
「ここは病院だろう。」
(心配して聞いてくれたのかな?)
思い浮かんだ考えをレヴェッカは即座に否定した。マシューが心配なんかするはずがない。この男は心が氷で出来ているような男なのだ。ミッションでたまに一緒になるのだが、任務は完璧にこなすものの人間らしさのかけらも感じられない言動に、レヴェッカはマシューを避けていた。
部下に対する態度同様、マシューの戦闘にはまったく容赦がない。プログラムだから仕方がないのだろうが、「生かさず殺さず」を守っているだけ。目的のためには躊躇もしない。表情一つ変えずに相手の骨を折り、壁に叩きつけ、肉を裂く。冷静に、恐ろしく効率的に。
レヴェッカもだてに部隊で大人に混じって働いているわけではないから、残虐な行為に喜びを感じる輩がいることも知っているし、悪意の固まりのような人間を相手にしたこともある。そして、闘うことに快感を覚える人間が少なからず部隊にいることも。
それに比べれば、マシューは相手を痛めつけることに喜びを見いだしているわけではないだろうし、そうされる相手には治安維持部隊に捕まるだけの非があることもわかってはいる。マシューが任務のために相手を痛めつけたとして、性格や性質、嗜好がどうこう、と批判されるようなことはない。
だが、返り血を浴びて無表情にたたずむレヴィと同じその姿は、レヴェッカにとっては不快そのものだった。許せないことだった。
大切なレヴィを穢されている。そう思ってしまう。
レヴェッカにとって、レヴィは神聖で冒しがたい存在なのだ。それを汚すのは例え誰でも許せなかった。
不愉快さを隠そうともせず、レヴェッカはそっけなく答えた。
「ちょっと検査。」
「なんの検査だ?」
「・・・別にいいじゃん。」
レヴェッカがプイッと横を向くと、マシューは、そうだな、と言った。
「だが、レヴィが心配する。」
「え?」
その言葉にレヴェッカは思わずマシューの顔を見た。
(レヴィが私を・・・心配してくれるの?)
マシューはただ黙ってレヴェッカの顔を見つめている。その表情からは何もつかめない。
「私達はすべてを共有している。今この瞬間も。だからわかる。」
「そんなの・・・マシューが嘘ついてるかも知れないでしょ。」
「嘘をつく必要が無い。」
つい憎まれ口をたたいたが、じんわりと暖かい何かが胸の内に広がっていくのを感じていた。レヴィが少しでも自分を思ってくれる。それがとても嬉しかった。
思わず頬がゆるみ、それが恥ずかしくてうつむいてレヴェッカは早口で言った。
「たいした事ないと思うんだ。たぶん。結果は三日後だって。」
「そうか・・・。結果がわかったら私に教えてくれないか。」
「え?嫌だよ。なんで?」
即答したレヴェッカにマシューはおもむろに跪いた。俯いた彼女と長身の彼が視線を合わせるにはそうするしかなかったからだ。そのまま覗き込むようにしてレヴェッカに訴える。
「心配だから・・・。ちゃんとレヴェッカのことを知っていたい。いいことでも、悪いことでも。それに、もし何かの病気だったら大変だろう?体調が悪いなら仕事のほうは私が都合をつけてやれる。」
都合、とは病状によっては仕事内容をそれなりのものに調整してくれる、という意味だろう。マシューは確かに治安維持部隊でそれだけの権限を持っている。
「それはありがたいけど・・・って、人を病人みたいに言わないでよ!まだ決まった訳じゃないんだから!」
「あぁ、そうだな。もしも、の話だ。」
「もしも、でも嫌!それって受験生に向かって『落ちる』って言うのと同じだよ?わかる?マシューってデリカシーない!」
激しい剣幕で怒り出したレヴェッカの前で、マシューはその大きな身体をちぢこませた。
「悪かった。レヴェッカの不安をあおるようなことを言った。すまない。」
「ふん。」
相変わらずあまり表情には出ていないが、マシューの眉がわずかにハの字に下がっていて反省しているように見えた。それに、潔く非を認める態度に多少は怒りが収まる。
落ち着いてくると、顔を覗き込まれているような状況にひどく落ち着かない気持ちになってきた。マシューとはろくに話したこともなければこれほど接近したこともない。おそらくこちらが避けているのを知っていて、向こうからも近づいてこなかったのだろう。
マシューは困ったように眉を下げたまま、じっとレヴェッカを見つめている。
(これ・・・誰?)
レヴェッカは驚いていた。仕事の時はいつも無表情で冷たい態度しか見たことがなかったから、正直目の前にいるマシューがそのマシューと同一人物なのか疑わしくなったのだ。あの氷のような男が反省などするのだろうか。こんな・・・人間らしい表情をするなんて・・・?
黙ってしまったレヴェッカに言い訳をするようにマシューは言葉を重ねた。
「大丈夫だ。今は医術も進歩しているから余程のことがなければ死ぬようなことはない。いや・・・この言い方も良くないか。病気だと決めつけているように聞こえるか?だが、もしも・・・もしもの話だ。・・・その、私は良い医者を知っている。何かあっても必ずなんとかするから・・・レヴェッカはそんなふうに心配しなくてもいい。」
「・・・ハァ。」
「レヴェッカ・・・。」
(どうしよう、もう・・・この人。結局言ってること同じだし。)
ため息をついたレヴェッカに、マシューはうなだれるように視線を落とした。
レヴェッカはその様子に困惑しつついたたまれなさを感じていた。いつもの傍若無人で冷徹な彼はどこに消えてしまったのか。これではまるでこちらが虐めているようではないかと。
周りを見れば、ちらちらとこちらを見ている人たちがいた。大きな男が病院の廊下で跪きうなだれているのだから、無理もない。レヴェッカは慌ててマシューの服をつかむと立ち上がるようにせかした。
「もう!立ってよ。邪魔になってるでしょ。」
素直に立ち上がったマシューだが、それでも何か言いたそうにレヴェッカを見つめている。
「何?」
「結果を教えて欲しい。その・・・レヴィが心配している。」
「・・・わかった。」
これ以上ごねて注目を浴びるのは嫌だったし、母親も待っているだろう。なにより、マシューに見つめられるのが嫌だった。
そこで会話が途切れたのをきっかけに、じゃあ、とレヴェッカはアレクサンドラの元に戻った。
会計を済ませたアレクサンドラと、一緒に家に帰る。
その夜、ベッドの中でレヴェッカはなかなか寝付けずにいた。マシューの言った「レヴィが心配している」という言葉が気になって仕方なかったのだ。
(レヴィ、ホントに心配してくれるのかな?)
人間ではないから感情がないのだとソン・ミジャに言われ、諦めようと思ったのに、違うのだろうか。レヴィ本人に言われたわけではないが、身体を共有するマシューが言うのなら本当なのかも知れない。
それとも、心配する、というプログラムがあるのだろうか。社交辞令、というものなのか。人間を守るようにプログラムされた博愛精神から出た言葉なのだろうか。
答えが出ないとわかっていながら、レヴェッカは可能性に期待して考えてしまう。もしかしたら、レヴィには感情があるのではないか、と。心配してくれるのなら、少しは望みがあるのではないかと。
(感情があるのかな・・・あって・・・ほしいな。)
告白して、振られて、諦める。
そんな確定済みの未来が変わるのではないか。
そんなことをいつまでも考えて、レヴェッカは眠れないまま朝を迎えることになった。




