25・休息
IDEAによる海底公園中央管理局占拠事件は、とりあえずの終局を迎えた。
とりあえず、というのは、結局首謀者のルーカスが見つからなかった為だ。しかし、タワーを占拠したIDEAの兵士達は全て取り押さえられ、飛空船も回収された。
この事件による住民の被害は、死亡者四十七名、負傷者二百五十二名。
国外から派遣された部隊やIDEAの兵士も加えると、その被害者はさらに増える。負傷者にかかる医療費や見舞金、エレベーターや展望台を含む修理費用、タワー内、周囲の店舗への損害補償をあわせ、この占拠事件は海底公園始まって以来最大の被害をもたらす惨事となった。
治安維持部隊の被害も甚大であった。
死傷者の多くが部隊の人間だった為だ。欠けた人員の為に大幅なチームの再編成が余儀なくされたが、良い事もあった。マシューの部隊復帰が許されたのだ。使徒の脅威とマシューの活躍を目にした特査達の言葉もあって、マシューなくしてIDEA壊滅は有り得ないとの結論がでたのだ。
「でも良かった。マシューの事、また閉じ込められたらどうしようかと思った。」
「私もレヴィが私を助けたせいで処罰を受けるのではないかと心配していた。」
優しく見つめるマシューに、レヴェッカは微笑んだ。
「いただきまーす。」
手を合わせると、レヴェッカはマシューの作った鮭のピラフを口に運ぶ。
鮭の塩気と卵の甘さがとても良く合っている。空腹を訴えるレヴェッカに、簡単なものを、とマシューが手早く作ってくれたのだが、それでも充分に美味しくて、レヴェッカは頬を緩ませた。
「うん。美味しい!」
「そうか。」
いつもどおり言葉は少なかったが、マシューが喜んでいるのはわかった。
マシューは言葉でも表情でも多くを語らないが、レヴェッカはもうマシューに感情がある事を知っている。それどころか、今ではマシューに触れなくてもある程度マシューの気持ちがわかるような気さえした。マシューは人間よりよほど素直で純粋な感情を持っているのだ。考えてみれば、感情に目覚めてまだ数年なのだから、それほど複雑な感情は理解できないのかも知れなかったが。
(でも、そんなところも好き。)
レヴェッカはマシューに触れた時の事を思い出す。
マシューの心はとても澄んでいて、純粋で、優しかった。そんな透明で綺麗な心に強く惹かれた。不思議なのは、好きだと意識したとたん加速度をつけるようにどんどん好きと言う気持ちが膨らんでいく事だった。今はマシューがアンドロイドだという事や、マシューと結婚できないのだという事も些細な事にしか思えない。とにかく好きだから少しでも側にいたい。それだけだった。
昨日は、飛空船内部の調査が終わってからアレクサンドラが病院に運ばれるのに付き添い、それから治安維持本部に一度戻って、事後処理をしながら上層部の決定を待っているうちに夜が明けてしまったのだ。
忙しい一日だった。今日一日は身体を休め、また明日になれば本部に顔を出さなくてはならない。レヴェッカはマシューに頼んで、マシューの部屋に連れてきてもらったのだ。
「だが良かったのか?」
「ん?」
「部隊に戻る話だ。無理していないか?」
レヴェッカは、気遣ってくれるマシューの気持ちがとても嬉しかった。
優しいマシューの気持ちに、自分も何か返したい、そんな気持ちになる。
「う~ん・・・ホント言うと、まだ怖いよ。ずっと部隊の仕事を続けていくかどうかもわかんないし。でもね、ルーカスとドクターソールの事はマシューにとって大事な問題なんでしょ?だったら、私も力になりたい。」
そう言うと、心配そうなマシューに微笑んだ。
マシューはつられたように微笑み、しかしすぐに困った顔になる。
「気持ちは嬉しいが、ルーカスは危険だ。それに次はシモーヌも出てくるかも知れない。シモーヌは使徒の中でも一番強い。レヴィが心配だ。」
マシューは手を伸ばし、そっと短くなってしまったレヴェッカの髪に触れた。
サウロの攻撃で光弾を受けた時に、髪が少し焼けてしまったのだ。
「マシューが心配してくれるのは嬉しい。でも、私だってマシューの事心配なんだよ?そんなに危険なら、私だってマシューに行って欲しくないって思う。マシューが怪我して 痛い思いするのが嫌だから。でも、マシューは私が止めても行くんだよね?だったら、私も行く。」
言い切るレヴェッカを、マシューはじっと見つめていたが、しばらくして口を開く。
「私を心配してくれるのはレヴィだけだ。」
レヴェッカはその言葉がせつなくて、何も言えなくなってしまった。ロボットは泣かないのだから、そんなはずはないのに。マシューが泣きそうに見えて。
マシューが今までどうやって過ごしてきたのか全部知っているわけではない。けれど、アンドロイドを心配する人間などいない。だからずっと独りで孤独だったのだろう。
きっと、周りの人間たちが心無い者ばかりだったわけではない。
ただ、マシューに、ロボットに心があるのだと知らなかっただけ。知らないから心配をしなかった。思いやったり、優しくしたりしなかった。それだけなのだ。
今までマシューに冷たくあたっていた自分に腹を立てる資格なんてないのに、マシューの周りにいた人間たちに怒りが湧いてくる。マシューに心があると知らない彼らにとっては、理不尽で見当違いな怒りだ。半ばレヴェッカの八つ当たりに近い怒りだ。
(なんで私はもっとマシューに優しくできなかったんだろう。なんでもっと早くレヴィの人格プログラムから解放してあげられなかったんだろう。)
今更どうしようも無い過去に、それ以上にマシューの気持ちを思うと辛くて悔しくて、レヴェッカは唇を噛み締めた。
「なぜ泣く?」
「だって!」
レヴェッカは零れた涙を拭う。
大好きなマシューにこれ以上寂しい思いをさせたくない。もし、マシューが自分で良いと言うのなら、ずっと側にいてあげたい。レヴェッカは強くそう思った。
(でも、マシューはどう思ってるのかな。)
以前、神都イェルメラディアでマシューの気持ちに触れた時は、確かにマシューはレヴェッカに側にいて欲しいと願っていたけれど・・・。
「ねぇ、私はマシューと一緒にいたいけど・・・私、いつまでここにいていいの?」
「レヴィの好きなだけいればいい。」
(そうじゃない。)
それでは、マシューはレヴェッカの気持ちを優先させてくれただけになってしまう。マシューが私に合わせてくれただけだ。彼の自己犠牲の精神は根強くて、普通に聞いただけでは本心を明かしてくれない。
聞き方を間違えてしまった。聞きたいのはマシューがどうしたいかだったのに。
そう思って、レヴェッカは再び尋ねた。
「え~と、だから、私の気持ちはどうでもいいの。マシューがどう思ってるのかな、って。その・・・私の事好き?」
言ってしまってからレヴェッカは、しまった、と慌てた。
マシューを本部に助けに行った時に勢いで告白してしまったけれど、そもそもマシューには恋とか愛とかそういった感情があるかもわからないのだ。好きじゃないなどと面と向かって言われたら、きっとショックで立ち直れない。
レヴェッカはイスから立ち上がり、マシューの前で両手を振った。
「ち、違った!私が聞きたいのは・・・マシューが私と一緒にいたいか、って事なの。マシューの気持ちが聞きたいの。」
「私はレヴィと一緒にいたい。」
マシューのストレートな即答にレヴェッカはつい頬が緩んでしまった。
「ホント?」
「ああ。」
「どのくらい?どのくらい一緒にいたい?」
レヴェッカは焦るように、重ねて尋ねた。
「どのくらい、とは何かに例えればいいのか?・・・難しいな・・・。」
マシューは困惑したように眉を寄せ、悩んでしまう。
「う〜ん、じゃあ、なんで一緒にいたいの?」
考え込んでしまったマシューに、レヴェッカは質問を変えてみた。
触れて気持ちを読み取るのはさほど難しい事ではない。マシューにはリンクした事があるから、気持ちはすでにわかっていると言っても良い。私を恋愛感情ではないにしろ、好きだということを。けれど、一度くらいは好きな相手からの好意を言葉で聞いてみたい。
初恋の相手に「好きだ」と言われてみたかったのだ。




