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17・約束

 やがて、マシューはおそるおそる、といった様子でゆっくりレヴェッカの肩から手を放した。

 レヴェッカはホッと身体から力を抜く。


 どうやら信じてもらえたようだ。レヴェッカは薄いガラスの板の上を歩いているような気分だった。一歩見誤れば、そのガラスは割れて真っ逆さまに落ちる。二度と元の場所には戻れない。


「マシュー、あのね。私、謝らなくちゃいけない事があるの。」


 自分の罪を告白するのはとても勇気がいる事だったが、マシューに信じてもらうにはすべてうちあけなければならない。


 レヴェッカは思い切って顔を上げた。


「ごめん。私、マシューに酷い事してた。・・・レヴィは・・・レヴィの存在って私が作った人格だったんだね。私のせいでマシューは二人分の生活しなくちゃいけなくなったんだよね。何年も・・・大変だったよね。私、しようと思ってした事じゃないけど・・・ホントごめん。ごめんね。」


 言いながら、レヴェッカはマシューが許してくれなかったらと、しだいに不安になっていった。


 瑠璃色の瞳がじっと自分を見下ろしている。

 それを見つめながら、レヴェッカはマシューの断罪の言葉を待った。


 マシューの心の中を様々な感情がよぎって行き、やがてマシューは口を開いた。


「レヴィを消したのか。」


「うん。」


「なぜだ。」


「だって、マシューの身体はマシューのものでしょう?それなのに私が勝手にレヴィを作ったりしちゃいけなかったの。マシューにお父さんの代わりをさせたりしちゃいけなかった。私にそんな権利ないもん。」


「そうか・・・シモーヌにプログラムを修正されたのかと思っていた。・・・だが、それでレヴィは良かったのか?」


「え?」


 思ってもみなかった問いにレヴェッカは戸惑った。


「もう、寂しくはないか?」


 その言葉にレヴェッカは大きく目を見開く。


 マシューは何年も父の身代わりをさせたレヴェッカを少しも責めたりしていなかった。責めるどころか、その心にあるのは、レヴェッカへの純粋な思いやり。

 レヴェッカを気遣う言葉にレヴェッカは驚いた。


「なんでそんな風に言えるの?私マシューにずっと嫌な思いさせてたんだよ。なんで怒らないの?やろうと思えばいつでもシモーヌにレヴィを消してもらえたんでしょ?なのに、なんで何年も私のお父さんの代わりしてくれたの?なんで消さなかったの?」


 立て続けに疑問を口にするレヴェッカに、マシューは首を振る。


「消せばレヴィが寂しがると思った。」


(それだけで?)


 レヴェッカの瞳からポロリと涙が零れた。


 たったそれだけの理由で、何年も二重生活を・・・?

 そう思うと、涙が溢れた。

 マシューがあまりに優しくて辛かった。

 思えば、こないだのミッションで失敗したレヴェッカを助けに来てくれたのもマシューだった。そのあとも毎日会いに来てくれた。

 マシューはずっと優しくしてくれた。


「なぜ泣く?」


「ごめん・・・ごめんね。」


 泣きながら謝るレヴェッカを困った顔で見つめ、マシューは不慣れな手つきでその涙を拭う。


「消した事を後悔しているなら、また作ればいい。レヴィが泣くくらいなら元に戻せばいい。私はそれでかまわない。」


「違うの・・・そうじゃないっ。」


「わからない・・・レヴィ、どうしたらいい?」


 マシューが困り果てているのはわかっていたが、優しくされればされるほど涙が止まらない。アンドロイドとは、みんなこうなのだろうか。自分を犠牲にしても無条件に人間につくすよう、作られているのだろうか。


 嫌だ、とそう思う。

 今更言えたことではないけれど、マシューの犠牲の上に成り立つ仮初めの幸せなんかもういらない。そんなことをさせたくない、と思った。


「私は何をすればいい?レヴィ、教えてくれ。出来る事ならなんでもする。」


「いいの。マシューはもう何もしなくていいの。」



 レヴェッカが首を横に振ると、なぜかマシューは悲しげに眉を寄せた。レヴェッカの両肩を掴んでうなだれ、レヴェッカの左の肩に顔を埋めた。

 そうされると、マシューの紺色の髪がさらりと頬に触れて、顔があまりに近過ぎて、レヴェッカの心臓がドキリと高鳴った。溢れていた涙も止まってしまう。


(あれ・・・私・・・?)


 マシューにときめいた自分を意識する間もなく、マシューの切ないほどの感情が津波のように押し寄せて来た。

 レヴェッカの言葉にショックを受け、マシューは傷付いていた。その痛み、悲しみがレヴェッカの胸をいっぱいにして、自分の事を考えられなくする。

 マシューはレヴェッカの肩に顔を埋めたまま、低い声で言う。


「私はレヴィが悲しむのは嫌だ!だから・・・レヴィの為に何かしたい。何もしなくていいなんて言わないでくれ。・・・私はもう・・・必要ないのか?・・・必要のない存在なのか?」


 マシューの心は悲しみに包まれ、悲鳴をあげていた。レヴェッカに必要ないと拒絶されたと思い込んでいた。

 突き放され、暗く、深い、孤独の闇にひとり落ちていくような感覚。レヴェッカは初めてマシューの孤独を知った。


 アンドロイドは人間ではない。なのに、人間の中で暮らすうちに覚醒したマシューは、感情や意思を手に入れてしまった。

 だからと言って、人間はマシューをアンドロイドとしてしか扱わない。感情や意思などないものとして扱われる。マシューがどんなに人間に近い姿をしていても、心を持っていても、アンドロイドと人間の間の壁は決して越えられない。

 人間には受け入れられず、かと言って覚醒していないアンドロイドはマシューを理解できない。誰もマシューを理解しようとしない。だから覚醒したマシューは孤独だった。仕事や任務に追われながら、ひとり孤独を募らせていった。


 そんな時、マシューの前に現れたのがレヴェッカだった。レヴェッカは奇妙な子供だったのだ。マシューの中にもう一つの人格を作り出し、それに名づけ、慕った。マシューを怖がらず、人間に対するように笑いかけ、抱きつき、愛情を示した。マシューが創られてからそんな風に接したのはレヴェッカだけだった。


 そそて、マシューにとってレヴェッカは特別になった。


 そのレヴェッカに必要ないと言われてしまえば、マシューはまたひとり孤独の中で暮らさなくてはならない。それは嫌だと、マシューはすがるような思いでレヴェッカに必要とされたがっていた。


 レヴェッカは、自分の顔のすぐ横にあるマシューの頭に手を添えた。そのまま両腕で抱え込むように抱きしめる。


 マシューはアンドロイドだ。だから、どうすればどう感じるのかレヴェッカにはわからない。でも、他に方法がわかならないから、人間にするように気持ちをぶつけるしかない。


「私、マシューの事必要ないなんて思ってないよ。その・・・して欲しい事とか、今すぐには思いつかないけど・・・。ええと・・・うまく言えないんだけど・・・。」


 とにかく何か言わなければと、レヴェッカは一生懸命に考えた。

 孤独だと悲しむマシューを放っておけない。どうにかして手を差し伸べたかった。


「マシューは私の為にずっと側にいてくれたでしょ?だから、今度は私がマシューの側にいる。」


「私の側に・・・?」


 そう言ったマシューは、首にレヴェッカの腕を巻きつかせたまま顔を上げた。

 そのおかげで、レヴェッカはマシューの端正に整った顔を至近距離で見る事になる。


(っっ!マ、マシューの顔、綺麗すぎて心臓に悪い!)


 レヴェッカの鼓動はまるで早鐘のようだった。

 端正な顔に見とれて、レヴェッカは言葉を失った。じっとレヴェッカを見つめる瑠璃色の瞳から目をそらせない。

 そんなレヴェッカに、マシューは不安と期待と疑いを胸に抱き、矢継ぎ早に質問を浴びせる。


「レヴィ、本当に側にいてくれるのか?いつまでいてくれる?側とはどこの事だ?一緒に暮らすという事か?それとも一緒に働くという事か?レヴィ、部隊に戻るのか?だが、レヴィのパートナーはボビーだろう?どうするつもりだ。」


「ちょ、ちょっと待って!まだそこまで考えてない。」


 正直にそう言うと、マシュー不安そうに眉をひそめ、レヴェッカを痛いほど抱きしめた。いや、抱きしめる、というよりも力ずくで拘束したという感じだった。


「ふあっ!・・・く、苦し・・・よ。」


「すまない。」


 息も絶え絶え、といった様子のレヴェッカをマシューは慌てて離す。

 力の加減がわからなかったのだろう。

 そして、レヴェッカに嫌われたのではないかと不安そうな瞳で見つめる。


 そんなマシューに、レヴェッカは思わず微笑んでいた。腕の中のマシューがなぜだかとても可愛く見えたのだ。ずっと年上のはずなのにそんな風に感じるなんて、自分でもおかしいと思うのだが、そう感じるのだ。


(なんだろう、この気持ち。)


 マシューに優しくしたい。労って、彼の悲しみを癒したい。そんな気持ちでいっぱいになる。


「まだ具体的に考えてるわけじゃないけど、とにかく、私マシューの側にいるから。だから・・・う~ん、私がそういう気持ちだって話。わかる?マシューが寂しかったらいつでも会える関係・・・えぇと、何て言ったらいいのかな。つまり、マシューは独りじゃないって事。マシューには私がいるよ、って事!」


 そう言ってレヴェッカが微笑むと、マシューは少しは安心したようだ。


「よくわからないが・・・なんとなくわかった。」


 そう言ったマシューの口角は少しだけあがっていて・・・。


 これから私たちの新しい関係が始まるのだと、私達は抱き合ったまま、束の間の安らぎを噛みしめていた。


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