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15・後悔

「あぁぁぁああーーーっっ!!」


 顔を上げ叫んだレヴェッカの手を、慌ててシモーヌがマシューから引きはがした。空中に視線をさまよわせ、引きつったように痙攣するレヴェッカをシモーヌは椅子に座らせ揺さぶった。


「大丈夫ですか!レヴェッカ!」


 地面に叩き付けられた激痛に、レヴェッカは泣いていた。

 あくまでリンクの能力で感じた擬似的な痛みであって、実際のものとは違う。マシューが本当に感じた痛みはこれとは比べものにならないほどのはずだ。人間であればショック死しているほどの。にもかかわらず、レヴェッカはこれほどの痛みを今までに感じたことはなかった。

 痛みの残像が薄れるまで泣き続け、そしてそれが収まると、涙を拭ってシモーヌを見上げた。


「どうして?どうして痛みを感じなくちゃいけないんですか?」

「レヴェッカ?」

「痛覚です。あるんでしょ!マシューには!!なんで・・・なんでマシューが痛い思いしなくちゃいけないんですかっ!!」


 レヴェッカは叫んだ。

 部隊にもアンドロイドは何人かいるが、その身体強度から、アンドロイドは常に人間には不可能な任務を命じられる。時には任務に出かけ、戻ってこない事もある。使い捨てにされるのだ。

 彼らは痛みを感じない。疲れも知らない。だから、アンドロイドには人間に許されるような休憩も,労りも、手当も与えられない。

 そしてマシューもアンドロイドだ。今までそういった対応をされてきたに違いない。しかし、これではマシューがあまりに可哀想だ。他のアンドロイド達とは明らかに違うではないか。痛みを感じるアンドロイドだなんて・・・。

 マシューの感情に流され、レヴェッカは怒っていた。

 しかし、シモーヌの悲しそうな顔を見て我に返る。胸に手を当て、落ち着け、と自分に言い聞かせた。


「レヴェッカは・・・マシューのために怒ってくれたのですか?」

「マシューのためっていうわけじゃ・・・だって、こんなの酷いよ。」


 普通アンドロイドに痛覚はない。痛覚は動物が危険を回避し、自分の身を守るための能力だから。

 人間を守るために作られたアンドロイドが、痛覚のために人間を見捨てて危険を回避することは許されないのだ。

 だが、部隊にいれば嫌でも知ることになる。彼らアンドロイドがどれほど過酷な任務を任されているのかを。マシューが今までどれだけひどい怪我を負ってきたかを。

 それを思うと、悲しくて、やりきれなかった。

 それに、彼のことを何もわかっていなかった自分を知ってショックだった。

 レヴィとは長いつきあいがあったし、この能力のせいもあって、自分は周囲の人間達よりずっとアンドロイドに詳しいつもりでいた。


(だけど、私は何も知らなかった!みんなと同じだったんだ!!)


 彼らは機械だから、と。人間のために働くのが当然だ、と心の底では思っていたのかも知れない。

 そんな自分に腹が立った。


 レヴェッカの言葉に驚いたように目を開いていたシモーヌは、やがて笑みを浮かべてこういった。


「あなたにはマシューを・・・私たちを知ってもらいたいのです。聞いてもらえますか?」

「うん・・・聞きたい。話して。」


 シモーヌは頷くと、レヴェッカの反対側にある椅子に腰掛けた。


「私達、ソール様に創られたアンドロイドの中には、他のアンドロイド達と違って『使徒』と呼ばれていた者達がいます。私達はソール様に特別に手をかけられ、育てられた。そして、何十年か経つと使徒の中に覚醒する者が現れ始めたのです。」

「覚醒・・・。」


 マシューの記憶の中でルーカスがそんなような事を言っていた。ルーカスもマシューも覚醒していると。

 静かに語り始めたシモーヌによると、話はこうだった。

 神都で量産されたアンドロイド達とは違う構造を持った「使徒」と呼ばれるアンドロイド。本来は人間の与える命令に忠実なはずの彼らだが、その中に、いつしか命令に従わない者が現れ始めた。

 後に覚醒、と呼ばれる事になったこの現象は、調べても、プログラムを検査しても異常が発見されなかった。大変高額なアンドロイドは廃棄処分にするには元手がかかりすぎていたし、また重要な役割をまかせられていた彼らを従事している仕事から外すことができなかった。そう言った理由から「様子を見る」との名目で、優秀なアンドロイドだった彼らは原因不明のまま放置されていた。

 しかし、ある時ひとりの使徒が、命令されてもいないと言うのに人間を殺したのだ。

 アンドロイドが命令以外で人を殺す事などありえない。つまり、使徒自身が自分の「意思」で人間を殺したのだ。

 その使徒はすぐさま機能を停止させられ、その事件をきっかけとして、覚醒した他の使徒全てに新しい身体が与えられた。

 人間を理解するように、と。

 痛覚のある、より人間に近い身体に替えられた。

 それが今のマシューの身体なのだ。


「マシューは数年前に覚醒した使徒なのです。覚醒以前の使徒と違って、覚醒後は命令よりも自分の意思を・・・人間からすればアンドロイドに意思などと言うのもおかしいでしょうが・・・それを優先させるのです。きっと、マシューは目覚めたくないのでしょう。それで、こうして・・・。」


 シモーヌはマシューに目をやった。その瞳には慈しむような、けれど悲しい思いが溢れている。


「マシューがいつか目覚めるのならいいのですが、私は・・・怖いのです。このままマシューが死んでしまうのではないかと。」

「死ぬ!?」


 レヴェッカは椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった。


(アンドロイドが死ぬ?)


 信じられない、そう思う反面、そうかも知れないとも思った。リンクという能力を持つ私だからわかったことがある。マシューには確かに感情がある。あれほど強い感情を抱えたマシューが、もうただの機械とは思えなかった。


「えぇ、それを確かめたくてあなたにお願いしたのです。マシューが死んでしまったのかどうか、知りたくて・・・。」


 レヴェッカはシモーヌの切実な思いに心を打たれ、胸が苦しくなった。


「マシューは死んでなんかいません。生きて・・・生きてます。でも、苦しんでる。」

「何を見たのですか?」


 レヴェッカは自分が見た全てをシモーヌに話した。


「マシューはすごく怒ってたんです。人間に対して。それで、人間を見捨ててルーカスの所へ行こうか迷ってて・・・。」


 マシューの顔にもう苦しみの跡は無い。

 でも、その心の中では嵐が吹き荒れていた。それがいつ収まるのかはわからないが、その時どちらかを選ぶのだろう。


(でも、たぶん・・・。)


「私、マシューは向こう側に行っちゃう気がします。」


 マシューとリンクしてそう感じたのだ。マシューは人間に絶望したルーカスの気持ちに共感していた。ルーカスの誘いに強く惹かれていた。


「そんな・・・では、もしそうなら、マシューを停止させなくてはいけない。」

「え!?」


 驚きレヴェッカは声を上げた。

 シモーヌは冷たく整った顔に厳しい表情を浮かべていた。


「マシューのことは助けたいと思いますし、そう思ったからこそあなたをここに連れてきました。ですが、私にはマシューよりも優先しなくてはならないことがあります。なんとしてでも、ソール様に戻ってもらわなくてはなりません。ソール様がいなければ、私は存在している意味がないのです。」


 そう言うシモーヌの目には断固とした決意が伺えた。

 おそらく彼女も「覚醒」している。そして、ソール様という人のことを、存在する意味、とまで言うのだから、彼は彼女にとってとても大事な人なのだろう。

 レヴェッカはそんな気がした。


「マシューの報告では、向こうにはルーカス以外にもう一人の使徒がいるのです。彼らはアンドロイドを何体も操り、人間まで味方につけてIDEAと言う反乱組織を作っています。この上マシューまであちら側に行ってしまったら、余計にソール様を救い出せなくなってしまう。」


 シモーヌの焦りが伝わって来るような、切実な表情だった。

 しかし、レヴェッカとてマシューに会いたくてここまで来たのだ。事情がわかるが、はいそうですかと言うわけにもいかなかった。


「待って下さい!まだマシューが向こうにつくって決まった訳じゃありません。こうしてマシューが動かないのだって、マシューが迷っている証拠です。」


 自分でマシューが向こう側に行くと予想したくせに、慌ててレヴェッカはそう言い直した。

 考えてみれば、向こうに行ってしまえば、マシューは人間の敵になる、ということだ。治安維持部隊の敵になる。アレクサンドラやイアソン、スミレ、そしてレヴェッカの敵になってしまうのだ。

 そんなことが現実になったら・・・自分はどうすればいいのか。

 この力を使えばおそらく彼を・・・二度と動けない状態にすることができる。

 あの時のように・・・。脳裏に任務で真っ赤に染まった部屋が思い浮かぶ。


(でも、マシューと闘うなんて、壊すなんて嫌だ。じゃあ、見て見ぬふりをする?マシューが処分されると知っていて黙っていられる?)


 自問自答して出た答えは、ノーだ。


「レヴェッカ、ではマシューを引き止められますか?彼が迷っているというのなら・・・。」


 できるかどうかはわからないが、やってみるしかない。マシューと敵対するのも、マシューがいなくなるのも嫌だ。

 シモーヌの言葉にレヴェッカは強く頷いた。


「やってみます。」


 レヴェッカはマシューの顔を見つめ、再びその手に触れた。冷たい手を祈るように両手で握り締め、目を閉じる。


(マシュー。)


 レヴェッカはマシューの心を探した。過去の記憶ではなく、現在のマシューの心を。すると、マシューの心のある部分に、別の固まりのような意識を見つけた。どうしてもそれがひっかかり、意識を集中させる。

 扉を開くようなイメージでそれを探ろうとして、レヴェッカはマシューに拒まれた。


(何?今の。)


 リンクしている状態では、レヴェッカは本人と半分同化した状態なのだ。レヴェッカの側で他者を意識する事はできるが、向こうにはそれが出来ない。

 それなのにマシューに拒絶された。レヴェッカはそこに答えがあるような気がして強引にその扉を開けた。

 ダメだ!強くマシューに制止された気がしたが、レヴェッカはそれを見てしまった。


(お父さん?)


 それは亡き父の姿だった。

 不思議に思ったのもつかの間。疑問に思ったとたん、レヴェッカの能力がそれの正体を暴いてしまう。


(そんな・・・。)


 それは、レヴィだった。

 いや、正確にはレヴェッカがレヴィだと思っていたもの。レヴェッカが願い、マシューの中に作り出した幻。亡き父の幻像。

 それがレヴィの正体だったのだ。


(あぁ・・・。)


 指の間から何かが零れ落ちていくような感覚。

 そして理解する。

 好きだと思っていたレヴィ。自分が恋をしていると思っていたレヴィ。それは自分が作り上げた夢だったのだ。


(レヴィはいなかった・・・いなかったんだ・・・。)


 そう思うと心にぽっかりと穴が開いたようだった。

 しばらく、その喪失感でぼんやりとしていた。


(どうして、こんなことに・・・。)


 頭がうまく働かないのに、心は立ち直ろうとして理由を探し出す。


 誰が悪いのか。


 プログラムでしかなかったレヴィか。


 隠し通してくれなかったマシューか。


 それとも、幼い自分を残して無くなってしまった父か。


(誰が、いったい誰が・・・。)


 心は空白を埋めようと、誰か、を探し始める。





 やがて、たどりついたのは事実を暴いてしまった自分だった。


 マシューの記憶で見た、泣きじゃくりマシューにしがみついた幼い自分。あの時、無意識に力を使いマシューの中に父の像をねじ込んでしまったのだ。

 だから、マシューはレヴィと二重の人格を一つの身体に共有する事になってしまった。


(私、なんて事を・・・。)


 そのことにたまらなく罪悪感を覚えた。

 何年もの間、マシューはレヴェッカの為に、そのねじ込まれた偽りの人格プログラムに従ってきた。いや、あらがえない力に無理矢理従わされたのだ。

 覚醒したマシューにとって、偽りの人格と共存することは苦痛だっただろう。

 持ち主の意志をねじ曲げて動く身体にマシューは・・・その原因になった人間をどう思っていたのか。


(私・・・わ、たし・・・。)


 罪など知らないとばかりに、彼の元へ何度も通った。

 無邪気に何度も好きだと言った。

 食べることのできない菓子を押しつけたり、まして結婚して、などと・・・。彼にした仕打ちを思えば、はじめから受け入れられるはずもなかったのだ。


(馬鹿だ、私・・・。)


 あまりに滑稽だった。

 惨めで、情けなく、何も知らず気持ちを押しつけていた自分は傲慢だった。


(もう、消えて・・・。)


 レヴェッカはレヴィの消失を願った。

 ようやくわかった。前にレヴィに触れた時、レヴィの感情が読めなかったのは、レヴィは自分が創り出したプログラムだったからだ。父を真似た、自分のとって都合の良いただのプログラム。


 創るのも簡単なら、消すのもあっけないほど簡単だった。そこにあった幻は霧散し、消え去ってしまう。


(ごめん・・・ごめんなさい、マシュー。)


 レヴェッカは心からマシューに詫びた。

 自分に都合の良い幻を勝手にマシューの中に作り出し、マシューの承諾もなく協力させ、自分はすっかりそれを忘れていたのだ。自分の都合の良い時にレヴィに会いに行き、慰めてもらい、恋をしたつもりでいた。とんだ道化。まぬけな自作自演だったのだ。

 そればかりか、そんな我が儘に付き合わせたマシューの事を、冷たくで無愛想だと勝手に決めつけて嫌っていた。マシューを見かけるたびに、レヴィだったら良かったのにとさえ思っていたのだ。

 自分は違うと思っていたが、自分もマシューを酷使する醜い人間の一人だった・・・。


 レヴェッカの心は、後悔と言う名の海にどこまでも沈んでいった。

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