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9・キッチン

 翌日、いつもどおりレヴェッカの家で料理をしていたマシューに、イアソンは声を掛けた。


「いつまで続ける気ですか?」

「なんの事だ?」


 マシューは背中を向けたまま答える。

 イアソンはイライラと頭をかいた。

 マシューはイアソンにとって上官にあたる。上官のする事が部隊に関係する事なら、口出しなどもってのほかなのだが、自分の妹に関する事となれば無関心ではいられるはずがない。


「とぼけないで下さい。いつまでレヴィの世話をするつもりなんですか。あなたにはもっと他にやる事があるでしょう。」

「もちろん他にも仕事がある。それはそれでやっている。だが、レヴィも大切だ。お前だってそうではないのか?」


 確かにそうだ。妹を大事に思っていても、仕事を放り出すわけにはいかない。だが、イアソンにとってはそうでも、マシューがどうして?との疑問は拭えない。マシューとレヴェッカはどんな関係だと言うのだ?

 それに、レヴェッカの態度も気になる。アレクサンドラにはともかく、なぜ妹がマシューに気を許しているのかがわからなかった。

 タワーで働いていると言うレヴィと同じ顔だからなのか。ただそれだけの理由で、実の兄でさえ会えない妹に接する事が許されると言うのか。そう思うと、イアソンは憤りを抑える事ができなかった。


 全裸の身体を血で染めたレヴェッカが目に焼き付いて離れない。そして、自分を見るレヴェッカの瞳の中にあった恐怖の色・・・悲しかった。

 レヴェッカに恐怖を与えているのが自分なのだと認めたくなかった。だから無理にでもレヴェッカに触れようとした。それを触れるな、とマシューが止めたのだ。

 それなのに、マシューはレヴェッカに触れ、今もアレクサンドラ以外で唯一部屋に入る事を許されている。

 イアソンはマシューに嫉妬していたのだ。


「レヴィはいつ治るんですか?いつになったら会えるんですか?」

「レヴィが自分であの部屋を出ようとするまでは無理だ。」


 マシューの答えにイアソンはカッとなった。


「試してみなきゃわかりませんよ。話は直接レヴィに聞きます。」


 イアソンがレヴェッカの部屋に向けて歩き出すと、マシューが呼び止めた。


「待て。わかった。今日私からレヴィに確認して・・・。」


 マシューが言いかけた時、二階からつんざくような悲鳴が聞こえた。レヴェッカの部屋からだ。

 二人は一瞬顔を見合わせ、走り出した。階段を駆け上がり、レヴェッカの部屋に向かう。ドアを開けようとしたイアソンの前にマシューが立ち塞がった。


「待て。」


 制止するマシューにイアソンが声を荒げる。


「レヴィのやつ、また夢を見たんですよ!ここんとこずっとなんですよ!」

「夢?」


 レヴェッカは二週間たった今でも、あの時の恐怖に囚われているのだ。だから、繰り返しその光景を夢に見る。それでこうして悲鳴をあげる。

 心が引き裂かれるような悲鳴を聞くたびに、イアソンもやりきれないほど辛い思いをしていた。


「そうですよ。あん時の夢ですよ。それで毎晩うなされて・・・。とにかく、どいて下さい。オレはもう我慢できない!」

「お前の気持ちはわかる。だが、こんな状況でレヴィに触ればお前は彼女自身に殺されるかも知れない。そんな事を彼女は望まない。これ以上レヴィを苦しめるつもりか?実の兄を殺して、レヴィが平気だと思うか?」

「じゃあ、どうすればいいんですか!放っておけって言うんですか!」

「私に任せておけばいい。助けられる保証はないが・・・私が壊れる事くらいなんでもない。ただの機械なのだからな。」


 マシューの瑠璃色の瞳とイアソンの空色の瞳が睨み合う。

 するとレヴェッカの部屋の中から今度は小さな悲鳴が上がった。マシューは振り返るとドアを開ける。

 見れば、レヴェッカはベッドから転がり落ち、自分で自分の身体を抱きしめるようにして座り込んでいた。ガタガタと震え、短い呼吸を繰り返し泣いている。ドアを開けたマシューとイアソンを見上げた顔は恐怖に彩られていた。

 イアソンは動かない。

 マシューがレヴェッカの前に膝をつくと、レヴェッカは脅えたようにビクリと肩を震わせた。

 そしてじっとマシューに見入っていたかと思うと、震える声で言葉を発する。


「レヴィ?」


 それを聞いたマシューはわずかに目を見開いた。

 その瞬間、立ち尽くしただ見守る事しか出来ないイアソンの前で、マシューの雰囲気がガラリと変わった。姿形が変わった訳ではない。しかし、マシューを包み込む空気が色を変えた。見れば表情も違う。見るものを安心させるような微笑みに、イアソンは目を疑った。


「そうですよ。私です。どうしたのですか?そんなに泣いて。」


 優しく問い掛けられると、レヴェッカはくしゃりと顔をゆがめて泣きながら抱きついた。


「レヴィ!」


 どういう事だ?

 困惑するイアソンをよそに、レヴェッカは泣きじゃくる。


「血を、舐めら・・れてっ・・っく、うう・・・みんな死んで・・・ふっ・・く・・・。」


 しがみつき、泣きながら訴えるレヴェッカを、レヴィは優しく宥める。


 「もう大丈夫ですよ。あなたは助かったのです。」


 レヴィは、嗚咽を漏らすレヴェッカの背中を、労わるように抱きながら言い聞かせる。


「仲間が助けに来てくれたでしょう?レヴィのお兄さんも、来てくれたではありませんか。」


 レヴェッカは泣きながらも頷いた。

 なだめるように背中を撫でられながらレヴェッカはしゃくりあげた。

 しばらくそうして泣いていたが、やがて落ち着きを取り戻すと顔を上げた。そして、まじまじとレヴィの顔を見つめる。


「ホントにレヴィ?」


 レヴィはふわりと微笑んでレヴェッカの涙を拭った。


「ええ。」


 レヴィが頷くのを見て、レヴェッカは嬉しそうに微笑んだ。

 見つめ合う二人をイアソンは複雑な思いで見ていた。

 先程までマシューと名乗っていたはずの上官が、今はレヴィと名乗っている。別人だと思っていた二人が入れ替わる様を目撃した衝撃。そして、それを何の疑問にも思っていないような妹の態度。

 男の腕の中で、妹はすっかり安心しきった顔で身をゆだねている。

 どういう事だ?イアソンは疑問を口に出そうか迷い、迷っている間に漂ってくる異臭に気がついた。


「ん?なんか変な臭いが・・・。」

「あぁ!」


 レヴィは慌てて立ち上がり、イアソンの顔を見た。


「すみません!料理が途中でした。」


 そう言って、レヴィは部屋を出ると階段を下りていった。残されたイアソンとレヴェッカは顔を見合わせる。わずかな沈黙の後・・・。


「ぷっ。」


 噴出したレヴェッカにイアソンはホッとした顔をした。


「行くぞ。」

「うん。」


 イアソンが部屋を出ると、レヴェッカがそれに続いた。キッチンに入ると、焦げ臭い中でレヴィがフライパンを洗っていた。


「うわ、くさっ。」


 言いながらイアソンが窓を開けていく。


「どうしたの?」


 レヴェッカがレヴィに尋ねる。


「魚が焦げてしまいました。」

「あ、ホントだ。」


 ゴミ袋を覗けば、黒焦げになった魚が入っていた。

 肩を落とし、フライパンを洗うレヴィがなんだかおかしくて、レヴェッカは笑った。


「なぁ、こっちもヤバイんじゃないの?」


 イアソンが鍋の蓋を開けて覗いている。


「えっ?」


 レヴェッカも覗いてみたが、スープが煮詰まってシチューのようになっていた。


「あぁ!これは酷いです。」


 慌てて火を止めたレヴィがうなだれるのを見て、レヴェッカもイアソンも笑った。


「すみません。料理の事はよくわからなくて。」


 照れ笑いをするレヴィに、仕方ないなぁ、とイアソンは腕まくりをした。


「じゃあ、オレが腕を振るうとするか。」

「ええ!?お兄ちゃん料理なんか作れたの?」

「まかせとけって。」


 その十分後、レヴェッカはイアソンが作ったラーメンと、煮詰まった微妙な味のスープを食べていた。


「うまいか?」

「・・・そだね。」

「うまいと思うけどなぁ。」


 イアソンは自分の分を食べながら、首をひねる。

 しかし、イアソンは内心では嬉しい気持ちでいっぱいだった。やっとレヴェッカと普通に話せるようになれたのだ。一度は自分を拒絶したレヴェッカが、再び心を開いてくれたのだと思うと嬉しかった。焦りや苛立ちが嘘のように消えている。悔しいが、目の前にいるこの男のおかげだった。

 イアソンはレヴィに目をやった。紺色の髪に瑠璃色の瞳。稀に見る美貌は、見れば見るほど美しい。穏やかな雰囲気と、見るものを警戒させない微笑み。悔しい気もするが、確かにレヴェッカが好きになるのも頷けた。

 だが、少し前まで上官のマシューであったはずのこの男が、なぜ突然別人のようになってしまったのかわからない。いや、別人のように、ではなく、別人のはずなのだ。治安維持部隊のマシュー特査と、中央管理局財務部長のレヴィ。それがどうして・・・。


「なぁ、あんた・・・本当はどっちなんだ?」

「お兄ちゃん?」


 レヴェッカが訝しげな顔をしたが、イアソンはレヴィの顔から目を離さない。


「マシュー特査からレヴィに。なんでいきなり代わった?」

「レヴィに呼ばれたからです。」


 意外な答えに当のレヴェッカも目を丸くする。


「どういう意味だよ。」

「言葉どおりの意味です。私はマシューでもあり、レヴィでもある。」

「意味わかんねぇ。」


 イアソンは混乱した。

 しかし、考えてみれば相手はアンドロイドだ。二つの人格が一つの身体を共有している。そういうのもありなのかも知れない。


「あなたには見られてしまったので言いましたが・・・出来ればこの事は忘れてくれませんか?」


 レヴィの申し出にイアソンは少し意地悪な気持ちになった。妹と元通りの関係になれた事には感謝しているが、レヴィは妹の初恋の相手。アンドロイドに恋をした不幸な妹が、未だにふっきれないでいるのだから、意地悪な気持ちにもなる。


「・・・忘れないって言ったら?」

「お兄ちゃん!」


 レヴェッカが抗議の声をあげる。


「誰にも知られたくないのです。広まればいろいろと問題が起きてしまう。」

「ふーん。別にオレは困らないけど?」

「そうかも知れませんが・・・。」


 レヴィは困った顔でイアソンを見る。俯いてため息をつくと、辛そうに切りだした。


「ですが・・・もしあなたが秘密を守れないと言うのなら、私にも考えがあります。」

「脅すのかよ!」


 イアソンがイスを蹴るように立ち上がると、レヴェッカが止めに入った。


「お兄ちゃん、止めてよ!私のせいなんだから!」


 すがるように見つめるレヴェッカの空色の瞳。その瞳にみるみる涙が浮かぶのを見て、イアソンはしぶしぶ引き下がる。もともと少しからかうつもりで言い出しただけだ。レヴェッカに自分のせいとまで言われては、これ以上ごねるわけにもいかなかった。


「わかったよ。黙ってりゃいいんだろ。」


 ふてくされたように立ち去ったイアソンを見送ると、レヴェッカとレヴィは後片付けを始めた。


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