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「ひどい勧誘に合った」
とぼとぼ歩いているのは疲れたからだ。
自分を頼りにされていると思うと、思わず嬉しくなって手伝ってしまう。
根が真面目なのだろうか、引きずり込まれたギルドで、放っておけばいいものを、キノコ鍋の作り方を一から十まで教えてしまった。
「根は……いい人達だったんだよなぁ」
言葉が荒くて喧嘩っ早いが、良い人達だった。
本当に悪いことを考えている人間ならば、レティスは逡巡するまでもなく逃げ出していただろう。弱者ゆえの野生動物的直感は、優れていると自負している。
「いや、自負しているだけか」
立ち止まり、辺りを伺ってみる。本来の森の中ならば、野生動物の気配がするだけでアウトなのだ。それにひきかえ、街の中で人間の気配がない場所はない。それは即ち、すでにレティスは逃げられないということを意味している。
最弱のレティスにとって、人の強弱はさして問題にならない、善悪のみが運命を左右するのだ。
叢雲ギルドの一件だってそうだった。なし崩しに連れ込まれている。
もっとも、叢雲メンバー的には保護的な意味合いのほうが強かったらしい……。
確かに、迷子の女の子がギルドの前をウロウロしていれば、誰でも心配するだろう。実際は14歳にもなる男であるのだが……、ガラスの窓越しに、そんな幼いかなと自問自答してしまう。
溜息をつきそうになるが、今更幼い容姿にあれこれと言っても仕方がない。
今度は怪しい視線を感じたら一気に逃げよう。うん。そうしよう。
とりあえずまたギルドに連れ込まれても堪らない。
大きな通りにまで逃げようと思い立ち、ふいに走りだした瞬間だった。
「「あっ」」
重なる自分と甲高い女性の声。
ぼんっ。と体全体に柔らかい衝撃を受けてレティスは尻餅をついた。
言ったそばからこれである。
しまったと思いながら見上げると、そこには両手で紙袋を持った、驚いた表情の女の子が立っていた。
「ご、ごめんなさい」
レティスは言うが早いか素早く立ち上がり、90度お辞儀をした。考え事をしていたとはいえ、走り出す瞬間に全く前を把握していないとは何たる落ち度であろう。これが森なら木に顔面をぶつけて、鼻血くらい出ていたかもしれない。
「大丈夫だ。気にしなくていい」
凛々しい声だった。
顔を上げて目前にあったのは、青い瞳をした銀髪の綺麗な女の子だった。
真っ白な雪原のように眩い肌。スラリと伸びた手足。女性特有のまだ慎ましい柔らかな膨らみから流れていく稜線は、まさにレティスの理想とするバランスをしていた。背まで伸びる少女髪が風になびき、キラキラと光を放っているように見えた。
「本当に大丈夫か?」
声も好みだ。身長はやや高い。レティスよりも頭一つ分は高いところにある。自分が小さいだけだが。
そんな少女の冷然とした美貌が、レティスの顔を覗き込んでいた。
「あ……」
言葉が詰まり、体温が上がるのを感じた。
ふわりと鼻先に触れる少女の香りにふらつきそうになる。心臓の鼓動が一気に跳ね上がり、自分でも分かるほどドクドクとリズムを刻み始めた。これは一体……。
「私は転んでもいないし、大丈夫だと言っているぞ。君も怪我はないな」
問い詰めるような少女の表情は、平静としたものだった。
怜悧な瞳を見られていると、まるで尋問されているようにも感じられた。
「大丈夫です」
「ならば良い。だが、先ほどから辺りを見ていたようだが、何をしていた?」
この女の子は、どうやら辺りを伺っていた自分のことを見ていたらしい。
どうにも説明がしづらい。とあるギルドにうっかり連れ込まれてミルクをごちそうになった挙句、キノコ鍋の作り方を教え、どうも自分は無防備なのではないかと考えていた……と言ったら彼女はどう思うだろうか。
あきらかにこちらを見る視線が厳しくなる。
うん。そのまま伝えてみよう。嘘とか苦手なのである。
「……というわけがありまして」
「この辺りは強引な勧誘も多いからな」
不機嫌な顔であるが、レティスに対して怒っているわけでもなさそうだ。一息ついて安堵する。それにしても綺麗な女の子である。レティスの強いものに惹かれるという習性からだろうか?見ていると胸がドキドキしてくるのだ。
そんなラティスを特にどう思うわけでもなく、少女はレティスの瞳をじっと見つめていた。
「これからどこへ行くつもりなんだ?」
「お使いを頼まれているので、大市場まで行ってみるつもりです」
「ここからだと……少し遠いな」
彼女は自身のアノースカードを取り出し素早く操作した。
バルディウスの地図がレティスと少女の前に表記され、現在地が点滅していた。
「君も魔法学校に入るなら、このカードはもう持っているだろう?」
「……持っているのですが」
アノースカードを取り出したが、やはり反応しない。
「どうも魔法が苦手で、上手く扱えないんです」
「ほぅ」
正確には全く使えない。だが、ちょっと見栄を張ってしまった。
少女からどこか物珍しげに見られたが、誇るものでもないので曖昧な笑顔を返す。
「……ふむ。すまないが私に貸してもらえるか?」
「あ、どうぞ」
レティスのアノースカードを少女が操作してみる。すると、今度はちゃんと動作して選択項目が現れた。
「壊れてはいないようだな」
「そうですね」
少し情けない気持ちで、少女からアノースカードを受け取った。
自然と顔を下がったレティスの頭を、少女はわしゃわしゃと撫でた。
「そう暗くなるな。多少のトラブルくらい楽しめる、強い心も必要だぞ」
その時初めて少しだけ少女が笑った。
その笑顔に、レティスの心臓が再びドクンと跳ねた。
少女はさっさと道を説明すると、颯爽と去っていった。
言われた通りに歩くと、しばらくして大市場につくことが出来た。
広場には多くの露店と、周囲を取り囲むように商業用の建物が並んでいる。
その風景をしばらくぼんやりと眺めていたのは、少しだけ余韻に浸りたかったからだ。
せめて……名前くらい聞いておけばよかった、と。
そうか……これが恋なのか。
そう思うと、魂が抜かれるという言葉が理解出来る。まさしく今の喪失感はそれだ。
自分はあの少女に恋をしたのだ。実に分かりやすい一目惚れだ。
そしてようやく、はっと自分の使命を思い出した。
日はもう傾き始めている。馬鹿みたいに一人で呆けていたようだ。
下手をすれば日が暮れてしまう。大事なお使いの途中なのだ。
そもそも料理のための下拵えのほうが、時間がかかるものなのに大失敗である。そんな自分を彼女はどう思うだろうかなんて、考えてどうするレティス。と一人で悶えるように首を振る。
冷静に……冷静に……。今は忘れよう。
と言っても作る料理は決めていたので買うものに困ることはない……と頭をよぎるキノコ。
うむ。キノコも混ぜてみるか。鍋もいいし包み焼きも良さそうだ。
仕切りなおして手頃な露店をぐるりと周り、背負えるタイプで軽く丈夫なバックを購入。
服と紙、羽ペンは個人の雑貨店で手頃なものを手に入れた。
興味深いものが色々あったが、今回は涙を飲んで通り過ぎる。
ジートが好んでいるのは、野菜とハーブ鳥のオーブン焼きだ。
キノコは鍋か甘辛炒め、バター焼きも捨てがたい……。と迷いつつ購入。
あとは作りながら悩めばいいのだ。こういう時は食べる人に聞いたほうが早い。
30分ほどで全ての買い物を終えた。
やはりこういう時は目移りしないに限るものである。
時間短縮ポイントは鶏肉から行くことだ。先に好みの鳥と捌き方をお願いしておけば、帰りがけによることが出来る。料金も前払いなのでスムーズだ。この辺りの段取りは村での生活で完璧に教育されている。
ジートからもらった地図を確認。
後は迷わずに帰らなければならない。出来れば出来るだけ早く。
「んーと、ここがこうだから……」
頭の中でルートを思い出して、レティスは駆け足で走りだした。
早く料理を作って、ジートを驚かせなければなるまい。それと妹さんにも挨拶しなくては……。
えっほえっほと南エリアを走っていく。
城壁に囲まれていると言っても、王都はそれなりに広い。特に、冒険者の多い南エリアでは所々で建物が無計画に立てられており、道が縦横無尽に入り組むところがあった。
「また細くなってきた」
そういった道は何度目だろうか。方角からすれば通り抜けれそうな場所も、たまに行き止まりになってしまう。引き返すべきか進むべきか……少し悩んでレティスは元の通りに戻ることにした。
体にはいつの間にかびっしりと汗が浮かんでいる。
少々焦りが出始めていた。食材の仕込みから出来上がりまで二時間は欲しいところ。
いまは太陽が城壁よりもやや上だ。まだ日が暮れるには早いが、暗くなってしまうと土地勘のないレティスが迷うのは目に見えている。
「堅実に行くか」
来るときに通った道に出れば、まだ余裕で間に合う。
が、振り向いたレティスの瞳に、通路の奥、変なシルエットが写り込んだ。
「おやぁ、いけないなぁ」
見もよだつ悪寒がレティスを襲った。距離は5メートルもない。
草臥れたベレー帽に、腐ったような緑色の服。恰幅の良い飛び出た腹と三日月のように上がる口元……。酒でも飲んでいるのか息遣いが妙にあらい。建物の薄影からせり出すように、青く濁った瞳がこちらを見ていた。
道幅は狭い。あの男をくぐり抜けて行くのは困難だろう。
考えるより早く、レティスは逃げ出していた。
選択肢は進むことだけだが、嫌な予感も頭をよぎる。
案の定、少しして道は潰えた。道はない。ない。が、逃げ道はありそうだ。
建物と建物の隙間……子供なら何とか通れそうな隙間が開いていた。
「小さくて良かった」
男の目的は分からないが、ぶはっぶはっと言いながらついてくるのだ。少なくとも逃げたほうがいいだろう。
レティスは迷いなく、薄汚れた建物の隙間に何とか体をねじ込んだ。
「いける!」
人は胸板が通ることが出来れば、大体の隙間を通ることが出来る。
服がゴリゴリと壁に削られるが、気にして入られない。建物の凹凸で、厳しい場所もあったが何とか通り抜けた。
「はぅ」
倒れこむように知らない細い道へ飛び出した。
全身がドロにまみれて、汗で張り付き気持ちが悪い。口の中に入った砂を吐き出した。
ここも建物に挟まれている場所で、一人分の幅くらいしかない場所だった。
「うー」
通り抜けた壁を振り返ったが、男は見えなかった。
諦めたのか、下手をすればどこからか回りこんでくるかもしれない。
言い知れぬ恐怖に、レティスは再び走りだした。
迷路のような小道からなんとか脱出し、大通りから知っている通りに出たのは、太陽が城壁の向こうへと沈み、辺りが薄暗くなった頃だった。
せっかくの料理や人々との出会いを思うと、今の自分が情けなくて泣けてくる。
ジートは心配しているだろうか?そんなことを思いながら、ドロと汗にまみれた姿で、レティスはようやく家に辿り着いた。
「レティス遅かったじゃないか!結構真剣に心配してたんだぞ」
「あっ……、ただいまもどりました……」
門の前で待っていてくれたジートに抱きしめられた。温かな人の温もりを感じると、涙がこみ上げてきてしまう。
「詳しい話は中で聞いてやる」
「はい」
辿り着いた安堵からだろうか、足がガクガクと震えて、上手く言うことを聞いてくれなかったが、何とか居間にあるソファーまでたどり着いた。
「ジート兄様、その子ですか?」
耳に聞こえたのは幻聴であろうか。
ソファーにだらしなく倒れこんだレティスが慌てて顔を上げると、白昼夢のようにあの少女がキッチンから歩いてくる姿が見えた。
「えっ……えー!あっ」
慌てて飛び起きようとしてうまく体に力が入らず、ソファーから転げ落ちてゴンと頭から痛そう音をたてた。必死に起き上がろうとしていると、ニヤニヤとした声が聞こえた。
「何やってんだよぉ、レティス~」
「ちょっと転んだだけですよ」
少し恥ずかしいが、ごまかすことにする。ジートにこの恋心を悟られては、良いおもちゃになるのが目に見えている。ここは慎重に状況を判断していこう。うん。
「ああ、やはりあなたはあの時の……」
青い瞳がなぜかレティスを冷たく見下ろしていた。何か粗相をしてしまったのだろうかと辺りを見れば、黒く汚れた白いソファー、汗でドロドロの服、薄汚いレティス。なるほど全て最悪だ。
「ご、ごめんんさい。ソファー汚してしまって。道を、その迷子になって、あの今日からここでジートさんに、お世話になろうと考えていまして、それで、とにかくごめんなさい」
レティスは土下座をしながら、少女へ必死に謝っていた。他人の家に上がり込んで役に立つどころか汚してしまうなんて……、いろいろ理由はあるのだが、全てレティスが悪いのである。
絶望的であるが、少女に嫌われたくないという一心で平謝りした。
「まぁまぁレティス。ソファーや部屋くらい掃除すれば綺麗になる。怒っているのは別のことだ。俺が……どれだけ配したと思っている」
「ジ、ジートさん……」
ジートに顎を引かれて、なんとなくキスでもしそうな体勢、微妙なほわほわとした空気を醸しだされているが、心配してくれたことは嬉しくも思う。
「ときに、貞操は無事だったのだろうな」
「はい。もちろんです…………よ?」
と答えたところでレティスは我に返った。
「――――何をッ」
「「あっ」」
「聞いとりますかこのぉぉッバカ兄がー!!!」
ばぅという風圧が目の前を通り過ぎ、ジートの体がくの字に折れて、少女の見事な回し蹴りが炸裂していた。少女の白い下着がふわりと舞ったスカートの内に見えてしまい、レティスは思わず顔を赤く染めながら視線を床に向けた。
儲けものという思考はジートに毒されたせいだ。
レティスは、今、初めて恋をしているのだ。そんな不純な……、
『好きな女の子=お風呂覗いてみたいは、まず最初に繋がるものだ』
ジートの言葉を思いだして、レティスは強かに床に頭を打ち付けた。




