最終話
耳が痛くなるような嘆きの声に、耳を塞ぎたくなる。人間の姿であれば、地面に泣き崩れていそうな声だ。
しかし、ラミーは容赦がない。でもきっと、過去の長い年月を考えればそれは当たり前だろう。そしてその気持ちは、騙され続けていたティタニアも同じ。骸骨だとしてもその念が、見えてくる。
布をずるずると引きずりながら、ふたりはおばあちゃんの目の前に立つ。情け容赦、というものはなさそうだ。特に、ラミーの纏う気迫がいつもとは全く違う。
開かれた赤い瞳のせいじゃない。
女神ラミーは、おばあちゃんに手をかざした。光の粉が、ラミーを中心に放たれ続けている。黄金空間の中、静かにラミーが口を開いた。
「シックザール」
葉が散り消え去ったように、おばあちゃんは悲鳴の声だけを残し塵となった。おばあちゃんの姿が無くなった後も、彼女の声が耳の奥で鳴り響く。
「ゼーレン アーニマ」
落ち着いた声のティタニアが、胸に手を当てて跪く。頭を下げて呟くようにして、おばあちゃんがいた場所に向かった。
とても静かなのに、心の中には影が落ちる。むしろ、ラミーの魔力によって金色に輝いている。それなのにも関わらず、真っ暗な空間に落とされたようにも感じる。
ゆっくりと、フロストが私のことを下ろした。沼地に足をつけたかのように足が重たい。視界がぐにゃりと歪む。
真っ直ぐに歩けない。女神ラミーとティタニアのいる方に、なんとか進む。ティタニアと同じようにして、私も膝を折って座り込んだ。
「おばあちゃん……」
やっぱり心のどこかで、私にとってあの思い出は忘れられない。優しさに満ちたおばあちゃんは、嘘ではなかったと思っている。そう言う一面もあった。
事実じゃない、と言われてもやはり信じられない。
重たい気持ちをため息と一緒に吐き出した。
「蝶の羽を広げ、降り立つその姿。草花の囁きは、風に乗せて。我らに祝福をティタニアの力」
花の妖精フィルが、ふわりと飛んできて私の頭上で唄いながら飛び回る。優しくて金の光の中に、その歌声が溶けていきそうだ。
「ティタニアの夢、光浴びて咲く。真実の道筋を、空に描いて。我らに祝福をティタニアの力」
今度は、女神ラミーが2番を唄う。
それは、おばあちゃんへ向けた祈りに感じさせる。私は、目を閉じた。いつも何かあれば、私の元に駆けつけてくれたあのおばあちゃんを思い起こす。
――大好きだったよ。私のおばあちゃん。
「ラミー。もうこれで、おばあちゃんは戻ってこれないの?」
ふと疑問を問いかける。ティタニアの口にした、"鎮魂"の言葉。魂が残れば、おばあちゃんなら戻ってこれると言っていた。
ふと、顔を上げるとラミーは赤い瞳を閉じてにこやかな優しい表情になっていた。その顔が物語っている。
もう、おばあちゃんは戻ってこれない。のだと。
「香澄」
フロストの声が、背中側から聞こえてきた。そして、軽く背に触れた。私と同じように、しゃがみ込み耳元で囁く。彼の優しさが伝わる声だった。
「楽しい旅だった。ありがとう」
触れたのは一瞬。すぐに離れていくのを背後で感じる。パッと振り返った。金色の光のカーテンが邪魔をして、フロストの表情が見えない。もうすでに彼は立ち上がっており、こちらを見ているのはなんとなくわかる。それなのに、表情はモヤがかかり見えない。
目を擦り、しっかり見ようとした。
「香澄……また、会えたら……」
フロストの声が聞こえにくくなる。最後の方の声は、創り出された空間に溶けていく。擦る手を離すと、自分の部屋だった。ローテーブルが目の前にある。
勢いよく立ち上がり、周りを見渡す。
カチカチと、静かに時計の音が聞こえてきた。キッチンの水道から水滴が落ちる音。普通の日常の一コマ。
その中に、急に戻ってきた。
あの旅が、むしろ長い夢だったかのよう。何もないこの部屋にいる私は、確かにいろんな旅をしてきた私。それなのに、何も変わらない日常へと別れも言えずに戻された。
「フロ……スト? ラミー? えっ、どういうこと?」
急な場面転換で、ついていけない。ふと、足に何かが当たるのを感じた。カランッとガラスのような音。
外から漏れる光に反射して、キラリと輝いた。あの本とフロストの鏡だった。本の太さは旅をしてきた後のものだった。なによりも、フロストの鏡が一緒に居たことを証明してくれている。
フロストの鏡が、こちらと魔界を繋ぐ扉となっていたはず。吸い寄せられるように、鏡を持ち上げた。ひたと冷たさが、手に伝わる。その冷たさが、彼の魔力のように感じた。
ふわりと、窓も開けてないはずなのに風が流れた。大切にしていた本が、ペラリとめくれた。それは、まだ見たことのないページだった。胸にフロスト鏡を抱いて、左手で本を押さえた。上体を前にして、文字のひとつも見落とさないようにする。
(無事に、月の妖精ユエの鏡を使って魔界に戻った。……か)
指で文字を辿る。フロストたちが歩んだ道を追いかけるように。ゆっくりとつたって、情景がリンクすればいいな。なんて思いながら。
胸に抱いたフロストの鏡に、私の体温が移り始める。それでも、フロストの氷は解けることはない。それが彼から聞いた言葉の『また会えたら』の言葉を表しているだ。
――また会えたら……ね。
「えぇ!? ……気持ちって?」
パッと立ち上がり、置き土産である鏡を覗き込む。ただの鏡で、扉になっていたのがウソのよう。
全く、彼には驚かせられてばかりだ。
『気掛かりを人間界に残してきてしまった。自分の気持ちをもっと前面に出せば……と今は後悔が残る。また会う日まで、心から楽しみにしている』




